ヘラヘラ三銃士・ありしゃん、モデルから社長兼YouTuberへ 苦労の過去・整形公表の理由は<モデルプレスインタビュー>
2020.03.22 12:00
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人気急上昇中のYouTuberグループ・ヘラヘラ三銃士を率いる“ありしゃん”にインタビュー。動画では騒がしく遊び回っているイメージがおなじみだが、実は都内に6店舗を構えるネイル&アイラッシュサロン「Raviy」の社長という顔を持つ彼女。知られざるこれまでの道のりに迫る。
美女3人が、破天荒に夜遊びや韓国旅行、整形のリアルなどを赤裸々に見せる“ヘラヘラ三銃士”。彼女たちの動画は「実際に夜遊びしたらどんな感じなのだろう」「整形ってどんな感じなのだろう」「女子たちのリアルって?」という好奇心に応えてくれる。そんな、リアルを面白おかしく伝える動画で、若者を中心にファンを増やしブレイク中の3人。特にありしゃんの整形の一部始終を紹介する動画は、今後美容整形をしてみたい人々の参考にもなっている。
ありしゃんは、高校生の頃からブロガーとして人気を博し、ブログ雑誌のモデルとしても活躍。しかし、22歳で廃業寸前のネイルサロンのオーナーとなった。ビジネスの経験など何もなかった彼女が、今や渋谷・新宿に6店舗を構える人気サロンの経営者。一体、彼女の人生にはどんなことがあったのか。初めは上手くいかなかったサロン経営の苦悩、韓国時代、今に至るまで、ありしゃんに尋ねてみた。
ありしゃん:小さいときから芸能界という世界に憧れはあったんです。でも田舎で育って、普通の高校生で、あまり髪の毛を染めたり、メイクしたりできなくて。可愛くならなきゃ表に出られないと思ったので、自分磨きのためにダイエットなどをテーマにしたブログを書き始めました。当時はレコーディングダイエットが流行っていて、ダイエット日記のような感じでブログを書いていたのですが、自分の変わった姿を載せるうちに、結構アクセスが増えたんですよね。
― そこで注目されてモデルに。
ありしゃん:そうですね。ブログで人気が出て、ブログ雑誌の「Nicky」に出ていました。昔は地元の栃木から東京に通っていましたね。
― 22歳の頃、突然ネイルサロンを買取りオーナーになられたわけですが、そのきっかけは?
ありしゃん:完全に勢いなんですよ。20歳のときに突然出ていた雑誌が廃刊になって、やることがなくなっちゃって、2年間ニートみたいな生活をしていたんです。それまで貯めたお金もあったし、ラウンジというか、キャバクラのような夜のお酒のお仕事もしていたんですけど、基本的には毎日飲み歩いていました(笑)。表舞台にいたいという気持ちもありつつ、上手くいかなくて、やることがなくて。そんな2年間を過ごしていたときに、ネイルサロンの話をいただいたんです。これしかない!って思いました(笑)。
ありしゃん:めちゃくちゃ大変でしたね。勢いで始めたものだから、何も知識がなくて。高校もまともに行っていなかったので、社会の常識やルール、細かいことを言えば敬語の使い方、名刺の渡し方も分からないんですよ。できて当たり前のことができていなくて、トップの人がそれじゃ、回りがついてくるわけないじゃないですか。だからまずスタッフがいないというのが一番の問題でした。たくさん席はあるのに、スタッフがいなかったんです。でもスタッフの教育の仕方も分からないから、飛んじゃう子もいるし、技術もままならなくて、私には教える技術がなくて、クレームも入って…。
― それはパニックですね。
ありしゃん:はい。お店としてあり得ないことが毎日起きるんですよ。例えばスタッフが来なくて、お客様にキャンセルの連絡を入れなきゃいけなかったり。最初の方は「今日1日無事にお店が終わりますように」ということだけを考えて生きていました。
― 軌道に乗せられるようになったのは何が決め手だったと思いますか?
ありしゃん:最初の頃は、社長はふんぞり返ってなきゃいけない、堂々と「ついてこい!」という姿勢じゃないといけないと思っていたんです。でもそれではいけないと思って、素直に「ここができなくて、私は今こうなんです」ということをスタッフに伝え、「助けてほしい」と話したことが大きかったと思います。自分の無知をまず認めなきゃいけない、そこからまずスタートだと思ったんですよね。スタッフに状況を話して「辞めたいと思うなら辞めてもらっても構わない」と話したときに、結局みんなが力を貸してくれて、「私の知り合いのネイリストを呼んできます」と言ってくれる子とかもいて。そこから徐々に徐々にスタッフも増えていきました。
―トップに立って偉そうに指揮するのではなく、協力し合える空間を作り上げたんですね。
ありしゃん:そうですね。お店を経営者だけのものだと思っていると、みんな「給料さえもらえればいいや」と人任せになってしまうと思うんです。そこで「全員が経営者だよ」という風に伝えて、それぞれがアルバイトという気持ちよりも、お店をみんなで作っていくという気持ちなったときに、やっぱり軌道に乗り始めたと思います。
ありしゃん:もともと、韓国にサロンを作りたいなと思っていたんです。それで、現地調査に行かなきゃいけないと思って、留学に行ったんですよ。結局、現地を見たときに、韓国に店舗を出すのは違うなと思い、サロンの計画はなくなったんですけどね。
その韓国留学は私にとって初めての海外で、新しい文化に触れるのがすごく楽しくて。それを発信したいと思い、最初は韓国のスーパーを紹介する動画をアップしてみたのですが、初投稿の割にはかなり再生されて、意外にもみんな興味持ってくれるんだと。なので最初の方は、留学生として、韓国の遊びとかを紹介する動画を上げていたんです。
― 動画ではご自身の整形についても赤裸々に紹介されています。骨削り整形直後の様子を見せたり、かなりインパクトもありますが、そこをオープンに見せていこうと思ったのはどうしてですか?
ありしゃん:私は韓国に行く前から整形していたのですが、以前は隠していたんです。まだ日本では整形が全然認められていなかったし、いいイメージがなかったので。でも韓国に行ったら、「なぜ綺麗になることに対して否定的なの?」という人がすごく多かったんですよね。言ってしまえば整形は“買い物”ですし、韓国の人たちは「他人の買い物にケチつけるなんておかしい」という感じなんです。そういう向こうの文化に触れたときに、「たしかに私、何か悪いことした?」と思えたんですよね。だから、韓国での経験はすごく大きなきっかけになりました。
それからは、「可愛くなることは絶対共有した方がいい」と思って動画を出してみて、まあ叩かれましたが…それでも、アンチよりも「出してくれてありがとうございます」という声の方が多かったので「隠さないで出していこう」と続けることにしたんです。
― 公表してご自身の人生は変わりましたか?
ありしゃん:変わりましたね。もちろんインタビューを受けたり、テレビで私の整形のことを取り上げてもらえたりすることもそうです。あとは、私ほど手術後すぐのダウンタイムを動画で出す人はあまりいないみたいで、女性だけでなく男性が整形に対して「馬鹿にできなくなった」「あれは努力なんだな」とコメントしてくれるようになりました。
ありしゃん:めちゃくちゃ忙しいです。でも、2年間何もしていなかった時期があったので、そのときのことを考えたら、忙しくしていたいという気持ちの方が大きいんです。なので、すごく楽しいですね。嫌だとは全く思わないです。
― ありしゃんさん自身の今後の目標・夢を聞かせて頂きたいです。
ありしゃん:もうこの歳だから、これをしちゃいけないとか、夢を追っちゃいけないとかって絶対ないと思うんです。だから、その時々のチャンスは絶対掴んでいきたいですし、ずっと夢を追っていきたいです。そしてありしゃんという名前をもっといろんな人に知ってもらい、それをきっかけに、お店や会社を大きくしていきたいなという思いはあります。結局恩返しだと思うんですよね。私の店で働いてよかったと自慢できるようなお店にしたい。胸を張って一人一人が背負っていけるような看板を作っていけたらと思います。
― ありがとうございました。
過去の壮絶な苦労についても、笑いながらフランクに話してくれるありしゃん。初対面でも、この人ともっと話がしてみたい、と思わせる魅力のある人だった。そんな人を惹きつける力を持っているからこそ、多様な場面で活躍できているのだろう。
モデルプレスでは、ヘラヘラ三銃士の3人のグループインタビューも実施。三銃士結成の背景、まりな&さおりんの過去や日常、これからの夢まで明かしてくれたそちらもチェックしてほしい。(modelpress編集部)
ありしゃんは、高校生の頃からブロガーとして人気を博し、ブログ雑誌のモデルとしても活躍。しかし、22歳で廃業寸前のネイルサロンのオーナーとなった。ビジネスの経験など何もなかった彼女が、今や渋谷・新宿に6店舗を構える人気サロンの経営者。一体、彼女の人生にはどんなことがあったのか。初めは上手くいかなかったサロン経営の苦悩、韓国時代、今に至るまで、ありしゃんに尋ねてみた。
モデルからネイルサロン経営者になった理由「2年間ニートみたいな生活をしていたんです」
― もともとモデルとしても活動されていましたが、最初に芸能活動を始めたきっかけは?ありしゃん:小さいときから芸能界という世界に憧れはあったんです。でも田舎で育って、普通の高校生で、あまり髪の毛を染めたり、メイクしたりできなくて。可愛くならなきゃ表に出られないと思ったので、自分磨きのためにダイエットなどをテーマにしたブログを書き始めました。当時はレコーディングダイエットが流行っていて、ダイエット日記のような感じでブログを書いていたのですが、自分の変わった姿を載せるうちに、結構アクセスが増えたんですよね。
― そこで注目されてモデルに。
ありしゃん:そうですね。ブログで人気が出て、ブログ雑誌の「Nicky」に出ていました。昔は地元の栃木から東京に通っていましたね。
― 22歳の頃、突然ネイルサロンを買取りオーナーになられたわけですが、そのきっかけは?
ありしゃん:完全に勢いなんですよ。20歳のときに突然出ていた雑誌が廃刊になって、やることがなくなっちゃって、2年間ニートみたいな生活をしていたんです。それまで貯めたお金もあったし、ラウンジというか、キャバクラのような夜のお酒のお仕事もしていたんですけど、基本的には毎日飲み歩いていました(笑)。表舞台にいたいという気持ちもありつつ、上手くいかなくて、やることがなくて。そんな2年間を過ごしていたときに、ネイルサロンの話をいただいたんです。これしかない!って思いました(笑)。
ありしゃん、未知で始めた会社経営「敬語の使い方も分からず…」
― 今では6店舗も展開されていますが、軌道に乗せるまではかなり大変だったそうですね。YouTuber・ヒカルさんとのコラボ動画ではそのころについて「毎日泣いていた」という話もされていましたが…。ありしゃん:めちゃくちゃ大変でしたね。勢いで始めたものだから、何も知識がなくて。高校もまともに行っていなかったので、社会の常識やルール、細かいことを言えば敬語の使い方、名刺の渡し方も分からないんですよ。できて当たり前のことができていなくて、トップの人がそれじゃ、回りがついてくるわけないじゃないですか。だからまずスタッフがいないというのが一番の問題でした。たくさん席はあるのに、スタッフがいなかったんです。でもスタッフの教育の仕方も分からないから、飛んじゃう子もいるし、技術もままならなくて、私には教える技術がなくて、クレームも入って…。
― それはパニックですね。
ありしゃん:はい。お店としてあり得ないことが毎日起きるんですよ。例えばスタッフが来なくて、お客様にキャンセルの連絡を入れなきゃいけなかったり。最初の方は「今日1日無事にお店が終わりますように」ということだけを考えて生きていました。
― 軌道に乗せられるようになったのは何が決め手だったと思いますか?
ありしゃん:最初の頃は、社長はふんぞり返ってなきゃいけない、堂々と「ついてこい!」という姿勢じゃないといけないと思っていたんです。でもそれではいけないと思って、素直に「ここができなくて、私は今こうなんです」ということをスタッフに伝え、「助けてほしい」と話したことが大きかったと思います。自分の無知をまず認めなきゃいけない、そこからまずスタートだと思ったんですよね。スタッフに状況を話して「辞めたいと思うなら辞めてもらっても構わない」と話したときに、結局みんなが力を貸してくれて、「私の知り合いのネイリストを呼んできます」と言ってくれる子とかもいて。そこから徐々に徐々にスタッフも増えていきました。
―トップに立って偉そうに指揮するのではなく、協力し合える空間を作り上げたんですね。
ありしゃん:そうですね。お店を経営者だけのものだと思っていると、みんな「給料さえもらえればいいや」と人任せになってしまうと思うんです。そこで「全員が経営者だよ」という風に伝えて、それぞれがアルバイトという気持ちよりも、お店をみんなで作っていくという気持ちなったときに、やっぱり軌道に乗り始めたと思います。
ありしゃんがYouTuberを始めたきっかけ 整形公表の理由は
― そして今はYouTuberという更に新しいことも始められています。YouTubeを始めたきっかけはなんだったのですか?ありしゃん:もともと、韓国にサロンを作りたいなと思っていたんです。それで、現地調査に行かなきゃいけないと思って、留学に行ったんですよ。結局、現地を見たときに、韓国に店舗を出すのは違うなと思い、サロンの計画はなくなったんですけどね。
その韓国留学は私にとって初めての海外で、新しい文化に触れるのがすごく楽しくて。それを発信したいと思い、最初は韓国のスーパーを紹介する動画をアップしてみたのですが、初投稿の割にはかなり再生されて、意外にもみんな興味持ってくれるんだと。なので最初の方は、留学生として、韓国の遊びとかを紹介する動画を上げていたんです。
― 動画ではご自身の整形についても赤裸々に紹介されています。骨削り整形直後の様子を見せたり、かなりインパクトもありますが、そこをオープンに見せていこうと思ったのはどうしてですか?
ありしゃん:私は韓国に行く前から整形していたのですが、以前は隠していたんです。まだ日本では整形が全然認められていなかったし、いいイメージがなかったので。でも韓国に行ったら、「なぜ綺麗になることに対して否定的なの?」という人がすごく多かったんですよね。言ってしまえば整形は“買い物”ですし、韓国の人たちは「他人の買い物にケチつけるなんておかしい」という感じなんです。そういう向こうの文化に触れたときに、「たしかに私、何か悪いことした?」と思えたんですよね。だから、韓国での経験はすごく大きなきっかけになりました。
それからは、「可愛くなることは絶対共有した方がいい」と思って動画を出してみて、まあ叩かれましたが…それでも、アンチよりも「出してくれてありがとうございます」という声の方が多かったので「隠さないで出していこう」と続けることにしたんです。
― 公表してご自身の人生は変わりましたか?
ありしゃん:変わりましたね。もちろんインタビューを受けたり、テレビで私の整形のことを取り上げてもらえたりすることもそうです。あとは、私ほど手術後すぐのダウンタイムを動画で出す人はあまりいないみたいで、女性だけでなく男性が整形に対して「馬鹿にできなくなった」「あれは努力なんだな」とコメントしてくれるようになりました。
ありしゃんの野望・夢は?
― そして今はヘラヘラ三銃士というグループも作られて、編集や企画も全てありしゃんさんがされているんですよね。お店のこともありますし、忙しくはないですか?ありしゃん:めちゃくちゃ忙しいです。でも、2年間何もしていなかった時期があったので、そのときのことを考えたら、忙しくしていたいという気持ちの方が大きいんです。なので、すごく楽しいですね。嫌だとは全く思わないです。
― ありしゃんさん自身の今後の目標・夢を聞かせて頂きたいです。
ありしゃん:もうこの歳だから、これをしちゃいけないとか、夢を追っちゃいけないとかって絶対ないと思うんです。だから、その時々のチャンスは絶対掴んでいきたいですし、ずっと夢を追っていきたいです。そしてありしゃんという名前をもっといろんな人に知ってもらい、それをきっかけに、お店や会社を大きくしていきたいなという思いはあります。結局恩返しだと思うんですよね。私の店で働いてよかったと自慢できるようなお店にしたい。胸を張って一人一人が背負っていけるような看板を作っていけたらと思います。
― ありがとうございました。
過去の壮絶な苦労についても、笑いながらフランクに話してくれるありしゃん。初対面でも、この人ともっと話がしてみたい、と思わせる魅力のある人だった。そんな人を惹きつける力を持っているからこそ、多様な場面で活躍できているのだろう。
モデルプレスでは、ヘラヘラ三銃士の3人のグループインタビューも実施。三銃士結成の背景、まりな&さおりんの過去や日常、これからの夢まで明かしてくれたそちらもチェックしてほしい。(modelpress編集部)
ヘラヘラ三銃士⚔️のありしゃん&まりな&さおりんからモデルプレス読者にメッセージ💓
— モデルプレス (@modelpress) 2020年3月2日
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