VOGUE JAPAN ヴォーグ ジャパン

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VOGUE JAPAN (ヴォーグ ジャパン) 2017年 1月号

発売日:毎月28日
出版社:コンデナスト・ジャパン

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VOGUE JAPANについて

『ヴォーグ』(Vogue)はコンデナスト・パブリケーションズ(Condé Nast Publications)が発行するファッション・ライフスタイル雑誌である。世界18カ国とラテンアメリカで出版されている。月刊雑誌で、内容はファッション、ライフスタイル、デザインの話題を中心に提供している。またStyle.comというウェブサイトも運営している。

■スタイルと影響
『ヴォーグ』は、2006年12月3日付のニューヨーク・タイムズ紙において、書籍批評家キャロライン・ウェーバーから「世界で最も影響力のあるファッション雑誌」とされ、以下のように評されている[1]。

(『ヴォーグ』は我々の時代の神である、ヴォルテールの有名な言葉に“もし神が存在しないなら、神を発明しなければならない。”というのがある。その編集の優秀さと視覚の堂々たる態度は尊ばれて、雑誌は贅沢、セレブリティ、スタイルを崇拝する全ての人のバイブルとして長らく機能した。そして、我々が恐らく三位一体が今日の消費者文化を支配することを当然と思う間、優位にその台頭を起こしている『ヴォーグ』の役割を過小評価できない。)
—キャロライン・ウェーバー, New York Times, 2006年12月3日号

『ヴォーグ』は最先端のファッション、理想のライフスタイルを紹介する雑誌として名が知られているが、それだけではなく美術や文化、政治等に関する記事も掲載されている。またこの雑誌に取り上げられたモデルは全世界的な知名度を獲得することになるため、ファッションモデルが有名になるための登竜門としての役目も果たしている。

『ヴォーグ』は以下に示す世界18カ国・1地域で発行されている。

・アメリカ
・イギリス
・イタリア
・インド
・オーストラリア
・ギリシャ
・スペイン
・韓国
・台湾
・中国
・ドイツ
・トルコ
・日本
・ブラジル
・フランス
・ポルトガル
・メキシコ
・ロシア
・ラテンアメリカ

男性向けの「ヴォーグ・オム」やジュエリー雑誌「ヴォーグ・ジォイエロ」なども発刊されている。

■歴史
『ヴォーグ』は1892年に週刊誌としてアーサー・ボールドウィン・ターナーによって創刊され、彼が1909年に死去した後は、コンデ・ナストが雑誌を受け継ぎ、徐々に発行の規模を大きくしていった。ナストはまずそれまで週刊誌として発行していた『ヴォーグ』を2週間おきの発行に変更し、1910年代初期には海外に進出、最初にイギリスに向かい、そこで『ヴォーグ』の発行を開始した。イギリスでの販売は上手く行ったが、次に進出したスペインでは失敗、しかしその後に進出したフランスでは大成功を収めた。ナストの手腕により『ヴォーグ』の発行部数・利益は劇的に増加し、購読契約の数も増加、特に世界恐慌時や第二次世界大戦時には急増した。1960年代、ダイアナ・ブリーランドが編集長についてからは、現代的なファッションを多く取り上げたり、性的なことも大胆に記事で扱う編集術を行ったりしたことで、性の革命時代の若者の心をつかんだ。また『ヴォーグ』はスージー・パーカー、ツイッギー、ジーン・シュリンプトン、ローレン・ハットン、ヴェルーシュカ・ヴォン・レンドルフ、マリサ・ベレンソン、ペネロープ・トゥリーなどの有名なモデルを輩出している[2]。

1973年に『ヴォーグ』は月刊誌となり、編集長グレース・ミラベラの下で、読者のライフスタイルの変化に対応するために、さらなる編集の工夫、斬新なスタイルの追求を行い、雑誌は変化を遂げていった。

現在『ヴォーグ』アメリカ版の編集長はアナ・ウィンター、トレードマークのボブヘアーと屋内でもサングラスをかけていることでも有名である。1988年に編集の役職を引き継いだ彼女は、ファッション誌業界で『ヴォーグ』の持つ優れたセンスと評判を守るため、より多くの人々に向けた、新しくより親しみやすい「ファッション」の形を雑誌に掲載するようにした[3]。例えばウィンターが編集長に就いてから初めて発行された『ヴォーグ』の表紙を飾ったのは、クリスチャンラクロアのジャケットとジーンズに高価な宝石を身に着けたイスラエルのスーパーモデル、ミカエラ・ベルクの膝から上を映した写真であり、女性の顔のみを写していたそれ以前の写真とは一線を画していた。これを『タイム』は「彼女の洋服と体の重要性。このイメージもジーンズとオートクチュールを合わせる新しいシックの形で販売促進した。ウィンターのデビューカバーは今日までの現代ファッションに知られるクラスとその他を和解し仲介した」と評した。ウィンターの下では新しく若い才能は歓迎された[1]。

ウィンターのファッションショーへの出席は、しばしば産業の中のデザイナーのプロフィールの指標ととられる。2003年に彼女は毎年資金とガイダンスを少なくとも2人の新進デザイナーに提供する基金を生み出すアメリカ・ファッション協議会に加わった[3]。これは新進デザイナーの間で忠誠を構築し、雑誌が優位な位置にい続けるのを助けると『タイム』は評した、「アメリカのファッションに対するかなりの影響。彼女が登場するまでランウェイショーは始まらない。彼女が彼らに油を塗るので彼らは成功する。流行は彼女の命令で引き起こされるか、無力になる。」[3]。

■脚注
1.Weber, Caroline (2006年12月3日). “Fashion-Books: Review of"IN VOGUE:
The Illustrated History of the World's Most Famous Fashion Magazine (Rizzoli)"”. New York Times. 2007年1月28日閲覧。
2.Dwight, Eleanor. “The Divine Mrs. V”. New York Magazine. ml 2007年11月18日 閲覧。
3.Orecklin, Michelle (2004年2月9日). “The Power List: Women in Fashion, #3 Anna Wintour”. Time magazine. 2007年1月29日閲覧。
4.Betts, Kate (2003年4月13日). “Anna Dearest”. New York Times. 2007年1月29日閲覧。
5.Wilson, Eric (2006年12月28日). “The Devil Likes Attention”. New York Times. 2007年1月29日閲覧。
6.Noveck, Jocelyn (2007-05-30). “Fashion Mags Anger Some With Tobacco Ads”. 2007年11月18日 閲覧。
7.Cadenhead, Rogers (2008年3月28日). “Annie Leibovitz Monkeys Around with LeBron James”. 2009年12月30日閲覧。

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