渡辺直美「帰国したら仕事ゼロ」の覚悟で留学 パフォーマンスへの並々ならぬ想い モデルプレスインタビュー
2014.12.14 08:00
views
お笑い芸人の渡辺直美が、自身のパフォーマンスについて熱い想いを打ち明けた。
渡辺といえば“ビヨンセ”のモノマネ芸をはじめとした、視覚で楽しめる、わかりやすい芸風が特徴的だ。しかしその芸風の裏には、渡辺の考え抜かれた観客目線、そして並々ならぬ想いが隠されていた。
渡辺は11月、台湾・台北にて開催された「SUPER GIRLS EXPO 最強美少女博覧会」に出演。お馴染みのビヨンセの曲にあわせ、ステージを縦横無尽に暴れまわった。言葉の通じない国でありながらも、このイベント一番とも言える大歓声を浴びていた。
その考えはブレイクのきっかけとなったビヨンセの時から変わらない。「元々ビヨンセの時も、ビヨンセを知らない人でもどう楽しんでもらえるか、初めて見た人でもわかるものを意識していました」。さらに渡辺は続ける。「私がパフォーマンスする上で一番に考えているのは、今ここにいるお客様をどう楽しませられるかってことで、ここでどんな動きをすれば笑ってもらえるかな、ここで何をしたら笑いが途切れてしまうかなって常に考えています。それは日本でも海外でも変わらないですね」とのらりくらり。その徹底した“観客目線”こそ、渡辺がヒットを続ける要因のひとつなのだろう。
留学しての変化を尋ねてみると「落ち込むことがなくなりました」と答えた。「私はもともと、失敗するとずっと引きずるタイプだったんです。でも向こうでは、失敗も含めてひとつのショーになっているんです。ライブでの失敗を、お客様が楽しんでいるんですね。だから演者の私も、その失敗も楽しめるようにしないといけない。そう思ったら、失敗も『まっ、いっか!』って思えるようになりました」。失敗も自分のパフォーマンスに組み込む。ひとつ成長を遂げた留学になったようだ。
その一方で渡辺は自分を飾らない。素直に感情を表現する姿は、女性人気の高さへと繋がった。「女子からの支持が半端ないなって自分で思う時もあるんです。『あれ?こんなにぶっちゃけて色々話しているのに、こんなに付いてきてくれるなんて』って。男性はすごく少ないんですけどね(笑)」。ためらわずに晒すその自然体な姿に、今どきの女子が引きつけられるのも頷ける。
デビュー当初から「どこで何をすれば笑ってもらえるのか」という徹底した観客目線、そして「どう見られているのか」を常に意識する客観力、渡辺の笑いは、ストイックに研究を重ねた上で生み出されたものだった。そこに留学を通して「引きずらない」という新たな武器を手に入れた渡辺。次に届けてくれる笑いは、一体どんなエンターテインメントなのだろうか。(modelpress編集部)
■渡辺直美(わたなべ・なおみ)プロフィール
生年月日:1987年 10月 23日
身長/体重:157cm/98kg
血液型:A型
出身地:茨城県
趣味:食べること、ものまね、歌、ダンス、中国語
NSC東京校の12期生として入学。同期とコンビを組んでいたが、2007年に方向性の違いから解散し、ピン芸人としてデビュー。今田耕司一押しのお笑い芸人としてビヨンセのモノマネを披露し、一気に話題を集める。2008年には「笑っていいとも!」14代目いいとも青年隊として「いいとも少女隊」を結成し、さらなるブレイクのきっかけに。現在は、芸人としての活躍の傍ら、4月よりファッションブランド「PUNYUS」も設立。映画・ドラマへの出演も積極的に行い、活動の幅を次々と広げている。
渡辺は11月、台湾・台北にて開催された「SUPER GIRLS EXPO 最強美少女博覧会」に出演。お馴染みのビヨンセの曲にあわせ、ステージを縦横無尽に暴れまわった。言葉の通じない国でありながらも、このイベント一番とも言える大歓声を浴びていた。
渡辺直美の徹底した観客目線
「自分を知らない方もたくさんいらっしゃるなか、太った奴がステージをただ暴れていたら『はぁ?』ってなるじゃないですか。そんな人でも楽しめるようなダンスにしたりだとか、どういう風に見せるかを、かなり考えました」。ひたすら暴れまわる、一見無秩序に見えたステージも、実は考え込んだ先に生まれたものだった。その考えはブレイクのきっかけとなったビヨンセの時から変わらない。「元々ビヨンセの時も、ビヨンセを知らない人でもどう楽しんでもらえるか、初めて見た人でもわかるものを意識していました」。さらに渡辺は続ける。「私がパフォーマンスする上で一番に考えているのは、今ここにいるお客様をどう楽しませられるかってことで、ここでどんな動きをすれば笑ってもらえるかな、ここで何をしたら笑いが途切れてしまうかなって常に考えています。それは日本でも海外でも変わらないですね」とのらりくらり。その徹底した“観客目線”こそ、渡辺がヒットを続ける要因のひとつなのだろう。
留学を経て手に入れたものとは
今年5月から3ヶ月、「芸人としての幅を広げたい」とアメリカへの留学を果たした渡辺だが、事務所からこんなことを言われたという。「帰ってきたら仕事がゼロかもしれへんで」と。渡辺は「戻ってきて仕事がなくなってても、バイトをして『ゼロから頑張ろう』と思っていました。『芸能人でこんだけ楽しくやっていたら、もう昔に戻れないだろう』とも言われたのですが、そこは全然問題ないんです。それよりももっと勉強したいという想いが強かったので」と、パフォーマンスの腕を磨きたい、その一心で踏み出したという。留学しての変化を尋ねてみると「落ち込むことがなくなりました」と答えた。「私はもともと、失敗するとずっと引きずるタイプだったんです。でも向こうでは、失敗も含めてひとつのショーになっているんです。ライブでの失敗を、お客様が楽しんでいるんですね。だから演者の私も、その失敗も楽しめるようにしないといけない。そう思ったら、失敗も『まっ、いっか!』って思えるようになりました」。失敗も自分のパフォーマンスに組み込む。ひとつ成長を遂げた留学になったようだ。
「自分を客観的にしか見ない」
言葉の節々から、自分について深く理解していることを感じられたが、渡辺は「自分を客観的にしか見ないですね」と明かし「自分がどう見られているのか、カメラを通して自分を見ている感覚ですね」と、日頃から自分の見え方を研究しているようだった。その一方で渡辺は自分を飾らない。素直に感情を表現する姿は、女性人気の高さへと繋がった。「女子からの支持が半端ないなって自分で思う時もあるんです。『あれ?こんなにぶっちゃけて色々話しているのに、こんなに付いてきてくれるなんて』って。男性はすごく少ないんですけどね(笑)」。ためらわずに晒すその自然体な姿に、今どきの女子が引きつけられるのも頷ける。
デビュー当初から「どこで何をすれば笑ってもらえるのか」という徹底した観客目線、そして「どう見られているのか」を常に意識する客観力、渡辺の笑いは、ストイックに研究を重ねた上で生み出されたものだった。そこに留学を通して「引きずらない」という新たな武器を手に入れた渡辺。次に届けてくれる笑いは、一体どんなエンターテインメントなのだろうか。(modelpress編集部)
■渡辺直美(わたなべ・なおみ)プロフィール
生年月日:1987年 10月 23日
身長/体重:157cm/98kg
血液型:A型
出身地:茨城県
趣味:食べること、ものまね、歌、ダンス、中国語
NSC東京校の12期生として入学。同期とコンビを組んでいたが、2007年に方向性の違いから解散し、ピン芸人としてデビュー。今田耕司一押しのお笑い芸人としてビヨンセのモノマネを披露し、一気に話題を集める。2008年には「笑っていいとも!」14代目いいとも青年隊として「いいとも少女隊」を結成し、さらなるブレイクのきっかけに。現在は、芸人としての活躍の傍ら、4月よりファッションブランド「PUNYUS」も設立。映画・ドラマへの出演も積極的に行い、活動の幅を次々と広げている。
【Not Sponsored 記事】
関連記事
「インタビュー」カテゴリーの最新記事
-
「おむすび」麻利絵役・桧山ありす、原宿でのスカウトきっかけに本格芸能デビュー 橋本環奈からの言葉に感激「すごくすごく嬉しかった」【インタビュー】モデルプレス
-
玉城ティナ、カメラの前で結婚観を話すのは「最初で最後かな」ベトナム旅行で新たな気付き【地球の歩き方SP inベトナム】モデルプレス
-
【渡邊渚インタビュー】夢を叶える秘訣について ―― 「自分で自分を諦めないでほしい」自身が諦めなくてよかったと実感する瞬間<Vol.5>モデルプレス
-
【渡邊渚インタビュー】挑戦したいのは「メイク&ファッション」社会復帰後に見つけた目標<Vol.4>モデルプレス
-
【渡邊渚インタビュー】苦しみに直面してまで世に届けたかったこと フォトエッセイ執筆の真意<Vol.3>モデルプレス
-
【渡邊渚インタビュー】誹謗中傷への本音「見えない人の暴力的な言葉に自分を左右されたくない」PTSDを乗り越えられた一言とは<Vol.2>モデルプレス
-
【渡邊渚インタビュー】精神疾患で突きつけられた偏見、トラウマと向き合う治療の辛さ「1番嫌なところを永遠に何度も何度も」<Vol.1>モデルプレス
-
【乃木坂46与田祐希 卒業前インタビュー】16歳から8年半在籍 3年前に訪れた「心の変化」モデルプレス
-
【与田祐希 卒業前インタビュー】昔は苦手なことから逃げてばかりだった、でも乃木坂46からは逃げなかったモデルプレス