ビビる大木、同世代の有吉弘行・バカリズムらと歩んだ「次のブームを待つ」独自キャリア論
『8時だョ!全員集合』や『オレたちひょうきん族』に夢中になった少年は、やがてお笑い芸人を志し、NHKのドキュメンタリー番組をきっかけに相方と出会ってビビるを結成する。「ボキャブラブームには乗らない」という選択、コンビ解散後の手探り、NHKの生放送司会で身につけた「枠の中で遊ぶ」感覚——。着実にキャリアを重ねてきたビビる大木が、熱海五郎一座の舞台に初参戦する。今も挑戦を続ける彼の軌跡をたどる。(前後編の後編)
――お笑い芸人を目指した原点は何でしょうか。
大木 子どもの頃に見ていた『8時だョ!全員集合』(TBS)と『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の影響が大きかったです。どちらも土曜の夜の同じ時間にやっていて、うちはビデオもなかったので、前半は『全員集合』、後半は『ひょうきん族』みたいに分けて見ていました。いまだに覚えているのが、母方のおじいちゃんが亡くなった時の葬儀が土曜の夜だったんですよ。あまりにも僕がテレビを見たそうにしていたから、親が「お前は『ひょうきん族』を見ていいよ。じいちゃんも、さすがに怒らないだろう」と言ってくれて、葬儀中にコントを見ていました(笑)。そのくらい夢中だったんでしょうね。テレビを見ながら、「こんなに面白い世界があるんだ」と思って育ちました。
――特に好きな芸人さんはいましたか。
大木 たけしさんもさんまさんもタモリさんも大好きだったし、ある時期からとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンを見るようになって。俳優の竹中直人さんが出演していたコント番組も面白かったですし、あらゆるバラエティを見ていました。
――高校卒業後は東京アナウンス学院芸能バラエティ科に進学します。
大木 芸能バラエティ科といっても、カメラや音響を学ぶなど、どちらかというと当時は放送業界の裏方を目指す学校だったんですよ。それもいいなと思いつつ、お笑い好きとしては自分でコントをやってみたいなという気持ちがありました。クラスにもテレビ好き、お笑い好きはそれなりにいたので、同じような気持ちを持っている仲間はいましたね。
――元相方の大内登さんとビビるを結成した経緯を教えてください。
大木 専門学校づてに出演したNHKのドキュメンタリー番組がきっかけなんです。将来、お笑い芸人を目指している若者を特集した番組で、何人かの候補者から選ばれて出ることになったんです。内容としては、「アルバイトをしながらお笑い芸人を目指しています。番組で用意した修業を経験して、プロの厳しさを知りました」みたいな。そのドキュメンタリー番組を見ていた相方が、「この番組に出ていた大木という人とコンビを組んでみたいです」とNHKにハガキを送ってきたんですよ。それでNHKの人から「こういう手紙が来ていますが会ってみますか?」と連絡があって。それまでコンビを組んだ経験もなかったんですが、会ってみて、コンビを組むことにしました。
――全く知らない相手とコンビを組む不安はなかったですか。
大木 不安はありましたけど、始めてみないことには分からないし、ダメだったらピンでいいやぐらいの気持ちで、お互いに「とりあえずやってみましょうよ」と言って始めました。当時、東京でお笑い芸人を目指す環境としては、人力舎の養成所「スクールJCA」ぐらいしかなくて、あとは大阪に行って、吉本のNSCに通うしかない。僕の場合は、渡辺プロダクションに直接電話したんですが、「ネタができているなら来ていいよ」という感じで通うようになりました。本当に独学というか、今まで見てきたお笑いを自分なりに解釈して、どう表現するかという野武士のような心持ちでした。
――今回、大木さんが助っ人として初出演する熱海五郎一座のメンバー、渡辺正行さんが主宰する「ラ・ママ新人コント大会」にも出場されていたんですよね。
大木 当時はラ・ママに出ないと一人前じゃないみたいな風潮がありました。同じ事務所の先輩だとネプチューンさんも出ていました。まだネプチューンさんもテレビには出ていなかったけど、都内のライブに行くとトリを務めていることが多くて、ライブシーンでは圧倒的な存在でした。僕たちもリーダー(渡辺正行)にネタを見てもらって、合格して、ラ・ママに出させてもらいましたが、同時期には爆笑問題さん、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)さん、X-GUNさん、古坂(大魔王)さんがいた底ぬけAIR-LINEなどが出ていて、今考えると本当に豪華な面々でしたね。
――ビビるは早くからテレビ進出を果たしていた印象があります。
大木 コンビを始めて8、9カ月ぐらいで、ネタ番組のオーディションに受かって、テレビでネタをやったんですよ。今考えたら早かったなと思いますし、ちゃんとネタで評価してもらって呼んでいただいたので、ひとつ自信になりましたね。20歳で芸人を始めて、22歳でレギュラー番組もあって、「こんな簡単にレギュラーを持てるんだ」と自分でも驚きましたし、運が良かったです。各事務所、若手芸人の数も少ない時代でしたしね。
――どんなレギュラー番組だったんですか。
大木 各事務所の若手が集まってコントをやるという深夜のコント番組です。その中にはスープレックス時代の劇団ひとりもいました。同年代がたくさん出ていたので、その中でコントをするという環境は刺激的でしたね。
――折しも「ボキャブラ」ブームの真っ只中ですよね。
大木 そうです。マネージャーからも「『ボキャブラ天国』(フジテレビ)用のネタを考えて出して」と言われていたんですが、相方と話して、「俺たちはボキャブラじゃないよな」という結論だったのでネタ出しすることもなかったです。というのもネプチューンさんを始め、先輩世代ががっちり確立された中に入っていっても、ここじゃないだろうと思ったんです。だから、そこにはいかずに待ちました。
――今振り返ってみて、「ボキャブラ」から距離を置いたのは正解でしたか。
大木 あのブームの中に入らなくてよかったなと思います。やっぱり先輩たちのブームだったので、そこに入ってしまうと、「ブームの隅っこの下の方にいたよね」ということになってしまう。それよりは次のチャンスを伺う方がいいと考えたんですが、結果として次のチャンスがなかったんですよ(笑)。僕らより下の世代になると、『爆笑オンエアバトル』(NHK)や『エンタの神様』(日本テレビ)がありますが、うちらの世代はネタブームみたいなものがなかったんです。通常のテレビ番組に出て頑張るしかないという、かなり大変な時期でしたね。
――でも、同世代で今も活躍されている芸人さんは多いですよね。
大木 ブームがなかったと言われていた世代に、劇団ひとり、バカリズム、有吉(弘行)なんかがいて、みんなコンビを解散した後、次のチャンスを待つという経験をしているんですが、僕から見ても、この顔ぶれはすごいなと思います。みんな今も、ちゃんと信頼される番組に出ていますからね。
――ビビるも2002年に解散しますが、ピンになる不安はありましたか。
大木 ありましたね。1人で生きていくのは初めてなので手探りでした。
――ピンになってからも順風満帆というか、より活躍の場を増やしていった印象があります。
大木 それも運が良かったんですよ。コンビ時代に仕事をしていた番組の元ADから、「僕が立ち上げた番組があるので来てください」と呼んでくれたのが、解散した年に始まった『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ)で、「今後どうしようかな……」と思っていたタイミングで、そうやって声をかけてもらえるという運が続くんですよ。
――司会のお仕事も早くからされていましたよね。
大木 2003年にNHKで、生放送の司会という立ち位置のお仕事をいただいたんです。当時、お笑いの人がNHKに出ること自体があまりなかったですし、今のNHKの空気感とは全く違う硬い雰囲気でした。番組は60分のトークショーだったんですが、前日に本番同様のリハがあるんですよ。前日にリハをしたら、生放送ならではの面白さがなくなってしまうんじゃないかと思ったんですが、NHKはそこを求めていなくて。「きっちりと明日の本番に臨みましょう」という作りをするわけです。
――その経験は後々に生きましたか。
大木 生きましたね。NHKだったので、「これは言わないでください」「視聴者の方から不愉快に思われる可能性がありますよ」という枠が多かったんですよ。そういうルールを学んで、与えられた枠の中でどれだけ遊べるか考えるという癖が、そこでついたかもしれないです。その後、NHKにもバラエティチームができて、いろいろ変わっていくんですが、その前から番組に携われたのは貴重な経験です。
――2010年に始まった『PON!』(日本テレビ)では、岡田圭右さんと共にMCを担当していましたが、2018年まで続く長寿番組になりました。
大木 『PON!』が始まった頃は、30代半ばだったんですが、当時は独身だったんですよ。それが大きな問題で、「独身だと主婦層が納得しない」「独身で好き勝手生きている人に情報を言われても説得力がない」ということを言われて、朝のテレビ番組はそういうものなんだと初めて知りました。38歳で結婚したんですが、「ようやく安心して見られます」という声が増えて。結婚しているというだけで、変なボケを言っても、「家族がいるんだから大丈夫」という安心感があるとも言われて、確かにそういうものかもしれないなと思いました。今はそういう価値観も変わりましたけどね。
――30代にして地に足の着いた仕事ぶりですよね。
大木 同世代より少し「ベテランの仕事」をしている感覚はありました。30代後半で俳句や登山の仕事が来て、「俺、60代ぐらいに思われているのかな?」と思ったり(笑)。意識してそうしていたわけじゃなくて、NHKの番組や司会をやっていくうちに自然とそういうふうになっていったと思います。同期や先輩に、「お前も牙がなくなったな」と言われるようにもなりましたし。
――今や『ラヴィット!』(TBS)のレギュラー陣では、芸人の中で一番長いキャリアを誇ります。番組での立ち位置はどう意識されていますか。
大木 もちろん自分の出番が来たら前に出ますが、後輩たちがやっている時は邪魔をしないように見届けるのが役割かなと。そこに割って入って、「俺の出番をよこせ!」みたいなことをやっちゃうと、ネタにもならない老害になってしまう。老害がネタになるぐらいで抑えておこうというのは意識しながらやっています。
――先ほどお話に出た、劇団ひとりさん、バカリズムさん、有吉さんも、大木さんと共通するスタンスを感じます。
大木 みんなどこかで考え方を変えたんじゃないかと思います。若い時は自分の考えたボケ以外は言いたくないとか、カンペを普通に読みたくないとか、そういう意気込みが最初はみんなあるんですよ。それがだんだん「そこにこだわる必要があるかな?」という部分にぶつかりながら、役割が変わっていく。「お前、先輩として出ているんだから、ゲストをちゃんと立ててくれ」という時期が来るんですよね。徐々に「お前を見たいんじゃなくて、ゲストを見たいんだ」というのが分かってきて、番組によって使い分けることの大事さを、時間をかけて学んでいくんだと思います。
▼東京喜劇 熱海五郎一座 新橋演舞場シリーズ第12弾「仁義なきストライク~弾かれた栄光と約束のテンフレーム~」会場:新橋演舞場日程:2026年5月31日(日)~6月24日(水)
キャスト:三宅裕司 渡辺正行 小倉久寛 春風亭昇太 東貴博(交互出演) 深沢邦之(交互出演) ビビる大木ゲスト出演:沢口靖子 野呂佳代作:吉髙寿男構成・演出:三宅裕司
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