

2025年で「100歳」に! 奇跡の「里帰り」を果たした小田原の路面電車
かつて神奈川県小田原市を走った路面電車・箱根登山鉄道軌道線の車両が1両、今も保存されている。この車両は1925年の製造で、今年100歳。どのような「人生」を歩んできたのか。森川天喜氏の著書『かながわ鉄道廃線紀行』から抜粋して紹介する。
函館、富山、広島などの地方都市を中心に、今も活躍している路面電車。最近はLRT(Light Rail Transit)と呼ばれる低床式の新しい車両も増えているが、ノスタルジックな旧型の車両に魅力を感じる人も多いのではないか。
東京都のお隣・神奈川県にも、かつて横浜市と川崎市に市電が存在したほか、小田原市にも路面電車が走っていた。1956(昭和31)年5月に廃止された箱根登山鉄道(現・小田急箱根)軌道線である。この軌道線で活躍した車両が1両(202号車)、小田原市内に保存されている。
この202号車は1925(大正14)年の製造。今年100年目を迎えるが、人間に例えるならば、これまでにどのような「人生」を歩んできたのだろうか。以下、『かながわ鉄道廃線紀行』(森川天喜 著、2024年10月神奈川新聞社 刊)から内容を抜粋して紹介する。

路面電車の「里帰り」
――箱根登山鉄道軌道線の廃線跡をJR小田原駅前から歩き始めた筆者は、小田原城址公園の南側の「箱根口」交差点に差しかかる――
箱根口の交差点を過ぎたら、左手に目を向けよう。「箱根口ガレージ報徳広場」(小田原市南町)という施設の敷地内に、路面電車の車両(箱根登山鉄道202号車=長崎電気軌道151号車)が保存されている。
この車両は、1925(大正14)年に王子電気軌道(後の都電荒川線)が新造した、齢100歳に近い長寿車両だ。戦後、箱根登山鉄道に移籍し、202号車として軌道線で活躍。
軌道線廃止後に、ほかの4両とともに計5両(201~205号車)が長崎電気軌道に譲渡された。その際、木造車両だったのを半鋼製化するとともに、車体寸法もやや短めに変更するなどした。
同車両が、長崎でのおよそ60年にわたる役目を終えて引退したのは、2019(平成31)年3月。長崎電気軌道が受け入れ先を探していたのに対し、小田原で結成された有志団体「小田原ゆかりの路面電車保存会」(現・小田原路面電車協会)が受け入れを表明。
クラウドファンディングを実施するなどして、長崎からの移設・保存費用を捻出。2020(令和2)年12月、長崎から小田原まで全行程をトレーラーで陸送し、無事「里帰り」を果たした。

この里帰りプロジェクトの経緯について、小田原路面電車協会代表理事の平井丈夫さんは次のように話す。
「202号車が長崎にあるのは以前から知っていて、(長崎電気軌道の)浦上車庫を訪問した際、とてもきれいに手入れされているのを見て感激した。
そのときは、いつか小田原に里帰りさせられないかと漠然と考えていたが、新聞記事で202号車が引退するのを知り、引退後の処置について長崎電気軌道へ問い合わせると、廃車・解体するとのことだった」
そこで、譲受の可能性について尋ねると、「古い車両なので、アスベスト(石綿)が使われている可能性があり、もし、使われていると移動は難しい」との回答だったという。
その後、長崎でアスベスト調査が行われ、2020(令和2)年3月初めに「アスベストは使われておらず、譲受希望者は3月末までに、その意思表示をしてほしい」との連絡が来た。
「譲受の可能性は低いだろうと思っていたので、受け入れ場所など何も準備していなかった。しかも、コロナ禍の影響で、人を集めて相談することもままならなかった」と、平井さんは当時を振り返る。そのような状況ではあったが、近隣の鉄道愛好家を中心に声がけし、集まったメンバー10人で里帰りプロジェクトを立ち上げた。
難航した保存場所の選定
里帰りプロジェクト立ち上げ後、最初の大きな課題は保存場所の確保だった。受け入れの意思表示はしたものの、保存場所が決まらなければ、車両は「難民」になってしまう。まずは、小田原市に相談を持ちかけたが、「時間的な制約があり、予算確保を含め、交渉の土台に乗せるのが難しかった」(平井さん)という。
また、場所さえ確保できれば、どこでもいいというわけではなく、かつての軌道線の路線沿いで、ある程度の人通りがあり、人の目に触れる場所でなければ保存する意味が薄く、保存場所の選定は難航した。
そこへ救いの手を差し伸べたのが、小田原が生誕の地である二宮尊徳(金次郎)をまつる報徳二宮神社の宮司、草山明久さんだった。当時、同神社が運営するまちづくり会社が、新施設「箱根口ガレージ報徳広場」(以下、報徳広場)のオープンに向けた準備を進めており、その敷地内に車両を保存できそうなスペースがあった。
報徳広場は、昼間は観光客向けにカフェ・レストランを運営することで収入を得、夜はそれを原資として、子どもを中心に地元の3世代が交流する拠点としての「地域食堂」を開く(地域課題の解決)という2つの機能を担う。
草山さんは、「地域課題の解決を図る事業は、どうしても補助金に頼るケースが多いが、少子高齢化が進めばそれでは財政を維持できない。経済性と地域への還元を両立するコミュニティづくりをして、はじめて持続可能になる。そのモデルケースにしたい」と、報徳広場に込めた思いを語る。

この報徳広場の立地は、かつて路面電車が走っていた国道1号線に面し、202号車の保存場所として申し分ない。長崎への回答期限が迫る中、里帰りプロジェクトにとっては最後の頼みの綱であり、市役所を介して草山さんへの相談が持ちかけられた。そのときのことを、草山さんは次のように振り返る。
「とにかく驚いた。電車の大きさの想像がつかず、そもそも敷地に入らないのではないかと思ったが、図面を見るとなんとか収まることが分かった。また、お話をいただいた時点で、1週間以内に設置場所が決まらなければ里帰りプロジェクト自体がご破算になるという切羽詰まった状況だった。
じっくりと考える余裕はなかったが、地域の歴史を継承し、また賑わいを創出するシンボルとして電車を置くのは悪い話ではないと思い、受け入れを決断した」
現在、202号車は、普段は自由に見学できるよう開放しており、月に数回開催している地域食堂の日には、子どもたちが食事の時間までのレクリエーションを楽しむ場として活用している。
今後は地域食堂の開催頻度を上げるとともに、幼稚園の遠足や小学校の課外授業、結婚式など、さまざまなニーズを掘り起こし、202号車をより有効活用できるようにしていきたいという。
早川口へ
さて、先へ進もう。箱根口から400mほど、早川口バス停付近の歩道橋のたもとに「人車鉄道 軽便鉄道小田原駅跡」と彫られた石柱が立っているのを見逃さないようにしたい。
ここは小田原と熱海を結んだ人車・軽便鉄道の小田原側の始発駅跡であり、路面電車に揺られてきた乗客のうち、湯河原や熱海へ向かう湯治客は、この場所で乗り換えていた。
早川口交差点の先で東海道線と箱根登山鉄道のガード下をくぐると、右手に光円寺という寺院がある。お寺の方の話によると、廃寺となっていたこの寺院を再興したのは徳川第三代将軍家光の乳母・春日局。境内の大イチョウは、春日局お手植えと伝わり、樹齢およそ400年という。ずっと変わらずこの辺りの景色を見守り続けてきたのだ。

――編集部より――
書籍『かながわ鉄道廃線紀行』では、箱根登山鉄道軌道線の歴史を詳述するとともに、JR小田原駅前から箱根板橋駅まで、多くの昔の写真も交えながら廃線跡を巡り、見どころを紹介しています。
森川天喜 プロフィール
神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など
執筆者:森川 天喜
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