

純烈リーダー酒井一圭が明かす敗者復活の物語「みんな俳優業を続けても廃業するだけだった」
元戦隊ヒーロー俳優中心の3人組ムード歌謡コーラスグループ「純烈」。現在、2024年11月25日に開催した初の武道館公演『純烈魂』までの道のりを、さまざまな過去を抱えたファンと共に描き出す異色の映画『純烈ドキュメンタリー 死ぬまで推すのか』が公開中だ。本作では売れない時代やメンバーの脱退加入など、数々の苦難を乗り越えて華やかな大舞台に辿り着いたメンバーたちの姿を描いている。映画では詳細に描かれなかったリーダー・酒井一圭が純烈を結成した経緯や、ブレイクしたきっかけに肉薄した。(前後編の前編)
――純烈を結成する前、酒井さんはロフトプラスワンのブッキングに関わっていたそうですね。
酒井 『百獣戦隊ガオレンジャー』が終わった翌年から、ロフトプラスワンで演者として「しんじゅく酒井祭」というトークライブイベントをやっていました。それで僕に人脈があって、仲間も多いことをロフトグループのプロデューサーたちに認知されていったんです。
ある日、当時はお台場にあった「東京カルチャーカルチャー」にロフトの店長が引き抜かれて、ブッキングするプロデューサーが一人欠員になったんですよね。そのときにプロデューサー陣が満場一致で「酒井さんにお願いしてみない?」という話になって。「酒井さん、よかったら我々と一緒にプロデューサーをやっていただけませんか?」と誘われたんですけど、「何言うてんの? 俺出てるほうやで」と(笑)。「酒井さんは仲間も多いし、いろんな企画も思いつくと思うんで」と言われて、「じゃあ月6本やるわ」ということで始まったんです。
――月6本は結構ハードですね。主にどんな企画をされていたんですか?
酒井 自分が好きな特撮イベント、競馬イベント、DJイベントなど、確実に満杯になるイベントを5本やって、1本は客がゼロでも飛び込みで売込みしてきたおもろい奴、もともと自分がおもろいと思った奴を出してみようと思ったんです。
――たとえば、どんな人がいたんですか?
酒井 後に『クレイジージャーニー』に出演する怪談やオカルトに詳しい吉田悠軌。彼が「ロフトプラスワンでやりたい」と言ってきたときに、「ちょっと待て。いきなりプラスワンで200人も集められへん。ネイキッドロフトというのがあるから、そっちで俺が担当したる。客は入らんでもええ」と。だから吉田悠軌を発掘したのは僕なんです(笑)。
――もともとサブカルはお好きだったのでしょうか。
酒井 好きでしたね。僕は子役をやっていたから、ずっとテレビの世界にいて、オタク気質の人、「これだけは大好き!」というほんまもんのサブカルの人たちのことが、自分とは違いすぎて、逆に理解できる訳です。
――酒井さん自身にそういう要素はなかった?
酒井 ないね。僕は不良グループと仲が良かったんだけど、いつも喘息でヒューヒュー言ってる子とか、家庭環境が複雑な子とか、いろんな子たちに興味があったんです。だから、それぞれの家に行って、玄関から観察して、冷蔵庫まで開けて、どんな生活をしているのかを見てました。要は人に興味があるんですよね。それが今にも活きているんです。
――トークスキルはどこで磨かれたんですか?
酒井 完全に母親ですね。母親がガー! って言う人で、掛け合い漫才みたいなことをやっていたら自然とケンカになる(笑)。井上尚弥を追った映像を見たときに「俺と同じやな」と思った。だって彼も小さい頃から、お父さんがついてるでしょ? あれのお母さんバージョン。だからラウンド数が違うのよ。ちゃんと母親の話もオチがついていて、めちゃくちゃ強い。いまだに僕が紅白に出て、控え室に戻ってきたら、いろんな人から「おめでとう」のLINEが届いている中で、うちの母親だけは「相変わらず醜い。お前のせいで純烈のビジュアルが下がってる。お前がリーダーなんやから、今すぐ自分で辞めるべきだ」みたいなことが書かれているんです。それで「お前が豚だから、俺も豚になってるだけの話や」という感じで言い合いになるんです(笑)。
――壮絶な罵り合いですね(笑)。昔からそうだったんですか?
酒井 僕が3歳のときからそうです。そんな母親も結婚前は大阪のミナミで歌ってた。そのお店に新人サラリーマンだった父親が、会社の人たちと接待で訪れて、二人は出会ったんです。うちの父は188センチで僕よりもデカいんですけど、結局は両親からもらったもので今も食ってるというね。この両親から生まれてこうなったと思うし、本当に感謝ですよ。
――グループ結成時のお話もお聞きします。メンバーは酒井さんが声をかけて集めたそうですが、俳優でやっていた人たちを歌の世界に入れることに不安はありませんでしたか?
酒井 俳優業を長くやるのは大手じゃないと無理ですよ。僕らみたいな根なし草、草野球チームの俳優が、映画・ドラマに入る余地はない。それに芝居の技術があったとしても、名バイプレイヤーと言われる人たちは、劇団ブームから出てきた東京サンシャインボーイズ、第三舞台、惑星ピスタチオ、劇団☆新感線といったところの劇団員がいるので、それよりも下の世代である僕らが入る余地はない。さらにはSMAPやTOKIOといったアイドルグループもいる。だから別の道しかないよなということで、当時はスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーなどの特撮しか出られる枠がなかったんです。
――大手事務所の俳優は出ていなかったんですか?
酒井 当時は「何でうちの俳優を出さなあかんねん」みたいな扱い。だから、弱小プロダクションがオーディションに参加するような状況で、中小企業の最高峰がスーパー戦隊・仮面ライダーやっていたんです。大手の人が受けるようになったのは、「ガオレンジャー」の翌年、白川(裕二郎)も出演していた『忍風戦隊ハリケンジャー』からですね。今は逆に大手じゃないと出られないという逆転現象が起きましたけど。
――リーダーとしてメンバーの人生を背負うプレッシャーはありませんでしたか。
酒井 なかったですね。だって、このまま俳優を続けていても毎年、新しいスーパー戦隊・仮面ライダーが出てきて、製薬会社と一緒でベルトコンベアーみたいにどんどん流されて、結局は田舎に帰ったり、廃業したりする。それではもったいないと感じた近場にいた人が、白川であり、小田井(涼平)さんであり、友井(雄亮)やった。なんとか再生させたいんだけど、彼らも保護猫みたいなもんで、芸能界特有の変な折り目をつけられていたんです。だから妙に屈折していたり、全く売れない手順が正解やと思っていたり。それの微調整をするのに時間がかかりましたけど、売れない期間が長かったから、いい意味でふるいにもなったし教育もできました。
『純烈ドキュメンタリー 死ぬまで推すのか』2025年9月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか、1週間限定上映中
「純烈」酒井一圭 白川裕二郎 後上翔太岩永洋昭 林田達也 小田井涼平 スーパー・ササダンゴ・マシン 小池竹見
ナレーション:今林久弥 プロデューサー:高根順次 監督:岩淵弘樹配給:NAKACHIKA PICTURES 企画:三角フィルムズ
公式サイト:https://junretsu-film2025.com/公式Instagram:https://www.instagram.com/junretsufilm2025/公式X:https://x.com/junretsu2025
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