溝口勇児氏「失意の底にいたからこそ辿り着いた境地」生い立ちから本田圭佑氏との現在も告白 「BreakingDown」を成功に導いた原動力とは
2023.04.10 07:00
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2021年後半からCOO・共同経営者としてチームにジョインした総合格闘技エンターテインメント「BreakingDown」がYouTubeで大ブレイク中。予防ヘルスケア×AIに特化したヘルステックベンチャーFiNCの創業者であり、資生堂やカゴメ、第一生命やANA、NECや講談社などから累計150億以上の出資を受けるなど、起業家でもあり、金融庁が定める適格機関投資家でもある溝口勇児氏(みぞぐち・ゆうじ/38)。
現在は株式会社BACKSTAGE、株式会社WEIN GroupなどのCEOを務める同氏が、経営者の知見溢れるインタビューコーナー「モデルプレスビジネス」に登場。「売上が1大会あたり100倍」となった「BreakingDown」がヒットするまでの戦略や本田圭佑氏との騒動まで語ってもらった。
溝口勇児氏、生い立ちから起業・FiNC退任まで
― 生い立ちから、起業に至るまでのきっかけを教えてください。
溝口氏:10代~20代の前半まで起業家になりたいとかなかったですし、誰かに夢を話したことすらありませんでした。そもそも今も昔も僕はまともな人間では決してありません。というのも、僕の家庭は少し複雑で、父は両親や親戚を知らずに孤児院で育ち、母には父親がいませんでした。2人とも中卒で幼少期からやさぐれて育ち、母が19歳のときにできちゃった婚で生まれたのが僕です。父は酒癖がわるく、そのせいで仕事が長続きしなくて、借金が増えていったそうです。僕が3歳の頃に借金を残して父が消えてしまったのですが、それ以来、父には1度しか会っていなくて。まだ若かったのですが、生活保護の末に自殺をしてしまったのです。父の死後、僕には腹違いの妹がいることを知りました。
母子家庭になった後は、母は昼も夜も働いていたのですが、それでも家が自己破産するほど貧しく、高校も自分で働いて通い、大学進学もできないぐらいだったので、夢なんて誰かに話したこともありませんでした。ただ、勉強はきらいでダメでも、スポーツテストの成績だけは学校で一番よかったので、漠然と「体育の先生になりたい」という夢を密かに抱いていました。
そんな僕が、ある方との出会いを通じて、17歳ぐらいでパーソナルトレーナーとして働く機会を得たのです。体育の先生に少し近いこと、またこの仕事を逃したら、僕のキャリアでは他に身体を動かす仕事に就ける機会は永遠に訪れないと思い、一生懸命お客様や目の前のことに向き合いました。すると、その業界では知られる存在になり、いろんな人に望まれるようになったのです。しかし、対面の指導で提供できる人数やサービスには限界があると感じ始めたんです。それだけでなく、マンツーマンでお金をもらおうとすると生活の負担は大きく、結果、目の前のお客様はお金に余裕のある方ばかり。自分は貧しい家庭の出身で、さらに言えば、健康状態の悪い人は貧しい人ばかりということをデータで知ってしまったんです。
そういうモヤモヤした思いを抱えているしているうちにスマートフォンが普及して、これを使えば対面で提供していたレベルのサービスを非対面でもできるんじゃないか、所得に関係なく多くの人に健康を届けられるんじゃないか、そういう仮説が自分の中で芽生えてきて。それを形にしたい感情を抑えられなくなって、結果として起業をする道を選び、2012年の4月11日…僕がちょうど生まれて1万日目の日に会社を始める意思決定をしたのが起業家としての始まりです。
― それが「FiNC」のスタートなのですね。
溝口氏:はい。最初の2年間は僕がコンサルタントとして、全国にあるフィットネス&ヘルスケアの関連の会社をお手伝いさせていただくことをメインの収入に、その間に残った20人弱の社員でサービスを作る形で1期目も2期目も黒字で会社は成長していったんです。ただ、2期目が終わった辺りに「この成長速度だと、もう一生、自分が実現したい社会は実現できない、もっと成長速度を上げないといけない」という考えが巡ってきました。そこで、それまではずっと避けていたベンチャーキャピタルを利用しようと思ったんです。実は僕からすると、お会いするIT起業家やVCをはじめとするベンチャー業界の方達はとんでもなくエリートの人たちが多くて、生きてきた世界も人種も違うと感じていて。学歴もよく聞かれるし、いつも見下されてるようで、正直、苦手を通り越して嫌いでした(笑)。ただ、当時の僕の感情を紐解けば、もしかしたら劣等感からそう感じていただけなのかもしれないですが。
両親や僕自身も持たざる環境で生まれ育ったこともあってか、漠然と決してそういった人たちに頼ることなく自分の力で社会を変えたいと思っていたのですが、そんな自分のプライドよりもビジョンやミッションの方が大事じゃないかと考えるようになりました。偏見なく向き合っていったら、とっても素敵な人たちも多いということを知りました。そこから資金を得て歩み始めることを決めたのが2014年の夏ぐらいでした。
― まさに今そういったターニングポイントにいる経営者もいるかもしれないですね。
溝口氏:そうですね。やっぱり人から資金を預かることは責任が生じます。会社の在り方として最も健全なのは、資金を外部から得ずに毎年積み上げていく自社の売上から生まれる利益を次の事業に投資して成長させることです。僕が創業したFiNCも最初はこの発想でした。
もちろん、この方法はとても理想的ではあります。ただ、ひとつ明らかな問題があります。それは、事業展開のスピードが圧倒的に遅くなってしまうことです。例えば、必要な資金を貯めるのに10年かかるとすれば、本当に取り組みたい課題に挑戦できるのは10年後です。ただ投資家のもとに足を運び、資金を調達することができれば10年の時間を短縮することができます。
時間をかけている間に、僕たちのサービスがないことで多くの人達が苦しんでしまう。また世界に目を向けると、資金のレバレッジをかけて勝負を仕掛けてくる競合も現れました。なので僕たちも否が応でも札束の殴り合いに付き合わなければならなくなったんです。ユーザーや業績が伸びるほどにさらに大きな資金を集めて、そしてその集めた大きな資金を使って、また大きなリスクを取っていくことの繰り返しでした。
Uberを例に挙げると、上場までに2兆円ぐらいの資金を集めて世界中で同時多発的にリスクを問いながら展開をして急拡大していく。FiNCも一時は国籍だけでも18ヶ国の多様な人材が働いていましたが、レベルの違うグローバル企業を目にしながら、自分たちも世界中の人たちの健康を管理するようなことを夢見る中で、それには何百億、何千億というような勝負をしないといけないといった焦りがありました。僕が退任前の時点で150億円ぐらいの資金を名だたる上場企業や、ベンチャーキャピタルから集めさせてもらい、それで事業を営んでいましたが、それでも海外プレイヤーと比べてしまう自分がいて、いつも焦層感に苛まれていました。
― いろいろな方との出会いやいろいろな出来事があったんですね。
溝口氏:はい。上手くいったところもありますが、そうじゃないことが大半でした。他の国のAppストアのダウンロードランキング1位は常に僕たちの競合でもある「Appleヘルスケア」でした。世界中の国々の中で日本だけが唯一、FiNCアプリがAppleをずっと上回っていたんです。その一方で、僕たちは競合であるAppleやGoogleのスマートフォンの中で事業を営んでいたので、自分たちの力ではコントロールできない問題にぶつかることも多くて。
― FiNCの代表を降りていますが、どのような経緯だったのですか。
溝口氏:いろんなものを端折ると、そういった中で、これからさらに投資を大きくしてコンシューマービジネスで社会を変えることを目指すか、BtoBで手堅く事業を振っていくかの二者択一を迫られました。その頃から役員の間でも方針がすれ違っていきました。僕は創業時から小さな成功は目指さずにFacebookのヘルスケア版のようなプラットフォームを作りたくて、大成功か死か、それぐらいの覚悟で挑んでいて、会社もそれを信じてきてくれた人の集まりだったんです。
ただ、最終的に会社の多くの経営陣は手堅い方向に舵を切って、成功のためにガンガン投資をしていく路線を選ばなかったんですね。それに僕は一貫して全社員に対して「肩書きは役割にすぎない。ビジョンのためなら自分はいつでも代表を譲る」、現CEOの南野にも「いつか自分が代表になるつもりで働いてほしい」と伝えていました。会社の方向性は、今まで僕が発していたメッセージとはずれる方向だったこと、また自分の言行を一致させる上でも、代表を降りて南野に任せることの方が正しいのかなと思いました。もちろん取締役や創業者として残る道もあったのですが、いろいろと考えて、創業期から一緒に歩んできたCTOの南野に代表を譲って、退任すると決めました。今でも、僕の経営者としての実力がもっとあれば、関係する人たちを幸せにできたかもしれないと頭をよぎることがあります。
溝口勇児氏、本田圭佑氏との対立事件が現在の原動力に「失意の底にいたからこそ辿り着いた」
― 本田圭佑さんと始めた事業について教えてください。
溝口氏:元々、友人だった本田圭佑くんが、僕が前の会社の代表を退任する噂を聞いて声をかけてくれて、彼と僕の方向性が重なったこともあって、今のWEIN GROUPを始めることになりました。僕はそれまでヘルスケアの世界にいて、そこからウェルネスの分野に取り組んだのですが、WEINでは、ウェルビーイングの社会を作りたい思いを掲げて孤独や退屈や不安を消す事業を営む会社に投資をしたり、それらをなくすようなサービスや事業を作っていったりと、投資ファンドと事業でWEINを作ったのです。大きな挑戦を仕掛けるにあたり、若い僕たちだけでは心許ないと考え、後に50代と60代のシニアな経営陣2名を招聘しました。
― そこで当時の経営陣との間でいったい何があったのですか。
溝口氏:その後2020年12月に僕と圭佑くんや他2名の経営陣との間で大きな対立が起きました。僕が東京で圭佑くんがブラジル、他の2名もそれぞれ違う場所にいることが多くて、時間や距離が離れていたんです。他の経営陣のコミットメントが想定よりも乏しかったこと、また全てを捧げて働いていたのが僕だけだったので、そもそもコミュニケーション量が全く足りていなくて。振り返ってみると入り口の座組の時点で問題を抱えていたと思っています…。
そんな中、多くのメディアをお招きして、2020年の11月中旬に3社の企業買収や大型の資金調達や新しいファンドの発表会を行いました。その1週間後に僕の誕生日があったのですが、メンバーや経営陣から色紙やアートをプレゼントしてもらったり、圭佑くんからも「ミゾ、これからも一緒に困難を乗り越えていこう」という動画のメッセージをもらったりで、いろいろ悩みや不安もあったのですが「この会社で、このチームで頑張ろう」と思っていました。そんな矢先です。僕の誕生日の1週間後に、事前に一度も僕に事実確認がないまま全社員の前で唐突に代表退任要求を突きつけられました。そのときは主に、会社のお金を私的流用したとか、著名人とのグレーな繋がりがあるとか、投資先にパワハラをしたとか言われて。それぞれの指摘はまったく心当たりがなく意味のわからないものだったことや事前に一度も事実確認がなかったこと、また1週間前に盛大にお祝いをしてもらっていたこともあったので、最初は「ずいぶん長いドッキリだな」と思ってたくらいで。ただ、全ては途中で招聘した当時のNo.2による悪意を持った風説の流布でした。「あぁ、クーデターってこんな感じで進むんだ」って思いました。
事件後に、パワハラと言われた投資先の起業家と話した際も当時のNo.2に「そう話せと言われました」と聞きました。また事件後にNo.2だった方が前職でもクーデターで社長に就任したことを嬉々としてメディアで語っている記事の存在も知り、さらに社長になった会社も途中で追い出され、裁判で争う事態に発展している事実も知りました。人を見極める目を含め、今振り返ればあらゆる点で僕も未熟だったと思います。
― 誹謗中傷にも近いものですね。
溝口氏:私的流用とかお金に関することであれば、通常、こういったケースの場合は事前にCFOなどにヒアリングがあるはずなのですが、CFOや経理責任者たちにさえ、一切の事実確認がされていませんでした。結果、真実とはほど遠く、すごく捻じ曲げられた内容で、唐突に退任要請がなされました。当時、僕を憐んで支えてくれたCFOや経理責任者は今も一緒に働いていますが、お陰様で彼らとの結束は深まりました。
― 当時メディアにもその情報が出ていました。
溝口氏:最初に出たメディアは僕たち側にだけ事前に確認もなく掲載されてしまったので、事実でない内容が書かれていました。そこからは、自分でいろいろなメディアの取材をうけ、証拠も出しながら説明をしていって、事実でないことはもう多くの人に認知していただいていると思っています。
今は訴訟していて、僕たちが負けることはまず間違いなくない状態です。当時は、今のように動画チームもSNSチームもなかったので、彼らの影響力に対してこちらの発信力が乏しくて悔しい思いをしました。本件に関しては訴訟が終わったらまたいろいろ明るみにしたいこともありますが、彼らに退任してもらった今も僕はWEIN GROUPの社長ですし、ビジョンに対するコミット量も高いメンバーが残ってくれたので、本来あるべき経営体制になりました。
僕は起業家にとって一番怖いものは情熱が消えてしまうことだと思っています。不条理な出来事が人生で起きたことによって、一般的に、年齢を重ねたり、一定のお金や地位を得たときに失いがちな情熱が消える気がしなくなりました。あのときの怒り、悲しさ、悔しさ、それでも信じてくれる方たちへの感謝…こういう複雑な感情が絡み合って、今の内から湧き出る情熱に至ったのだと思います。
― その出来事が原動力になったのですね。
溝口氏:失意の底にいたからこそ辿り着いた境地みたいなものがありました。今振り返って思うのは、どんな困難や逆境にぶつかっても、あきらめなければ人生に失敗はないということです。
つまりは、どんな困難や逆境が起きたかが人生を分かつのではなく、起きた事象をどのように捉えて、どう生きていくか、これが人生においてはとても大切なんです。今、こうして偉そうに話す僕自身もそう解釈できるようになるまでに時間がかかりました。ですが、少なくとも今日まで、どんな困難が身に降りかかってきたとしても、逃げたり、投げ出したり、あきらめたり、その場にうずくまって歩みを止めるという選択はしてきませんでした。もし仮に、これから僕の身に大きな困難や逆境が降りかかってきたとしても、僕を誰も止めることはできないと思います。それがわかっているから批判や否定をされることを恐れずに挑戦できるのです。立ち止まることさえしなければ、挑戦の先に得るものはあっても、失うものはないのですから。
僕はこれを挑戦の真理だと考えていて、多くの人に知ってもらいたいと思っています。だから僕は日本が「一億総挑戦」あるいは「挑戦に関わる」社会になってほしいと思っています。そうすれば、21世紀の課題である孤独・退屈・不安が社会から減ると思うのです。
だからこそ、僕の人生にとって最も大きなリスクは、失敗を恐れて挑戦をしないことによって人生の最後を迎えたときに後悔してしまうことなんです。これから何を言われても自分が実現したい世界に1歩でも近づくことで、自分の存在を証明したいと思っています。
― 貴重な経験をされていますね。現在の本田さんとの関係性についてはどうですか?
溝口氏:先日、サッカーW杯が終わった時くらいに僕のところに某週刊誌から連絡があり、そのことで圭佑くんに連絡しましたが、今はお互いが無関心で足を引っ張ろうとも思わないし、彼も足を引っ張ろうとは思ってないと思います。
事件が起きた当初は、僕も彼も互いに関係者だけでなく、共通の友人に自分の正当性を一生懸命説明する日々を送っていました。そんな自分自身や彼を女々しく思うこともありました。ただ途中から、少なくとも僕はそんなことに時間を割くのではなく未来に繋がる時間の使い方をしようと決めたんです。僕は坂本龍馬がすごく好きなのですが「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」という言葉が好きなのもあって、この先の自分の人生に集中しようと覚悟を決めました。
「BreakingDown」参画のきっかけ「1大会あたりの売り上げは100倍」に、マネタイズに変化も
― そこから「BreakingDown」に繋がっていくわけですね。経営に携わり始めた背景はどのような想いや流れからだったのでしょうか?
溝口氏:「BreakingDown」への投資や赤字が積み上がっていたときに、友人関係だったYUGOさんや朝倉未来くんから経営に参画してもらえないかと言われて、共同経営という位置付けで入ったという流れです。
「BreakingDown」の根底には、「過去に大きな失敗をした人でも再挑戦できるという希望を世の中に与えたい」という未来くんの強い想いがあるのですが、それが僕の根底に流れているものとも近くて。
もちろん、過ちを犯してしまった人が、簡単に許される社会は正しくないと思います。ですが、生まれながらの悪党なんて存在しないという前提に立てば、彼らが道を踏み外してしまった原因の一つは、今の社会にもあると僕は思うのです。だからこそ、過ちや失敗を犯した人が、二度と立ち上がれない社会の方が僕は正しくないと思っていて。
生前、一度しか会ったことのない僕の父も、両親に捨てられ、親戚も身寄りもただの一人もなく、孤児院で生まれ育ち、生活保護の末に最後は自ら死を選びました。決して真っ当な人ではなかったと聞きますが、これは父だけの問題とは思えなくて。
朝倉未来にも、僕にも、応募をくれる若者たちと似たような過去があるからかもしれません。だからこそ、出場する選手と共に僕たち運営も、揶揄されたり馬鹿にされようとも、必死にもがきながら挑戦をする後ろ姿を通して、絶望感しかない人たちにも勇気を与えられたらと思っています。
そういった背景もあり、僕の会社のBACKSTAGE社で戦略とオペレーションを全面的に担いたいと思いました。
― 伝わりました。それまでのマネタイズと変えた部分もあったのでしょうか?
溝口氏:めちゃくちゃ変えました。実際に売り上げは1大会あたり100倍ほどになりましたが、これを実現できた要因は経営陣のコミットがより上がったこと、また成果を出す上で必要なピースがはまったことにあると思っています。当時未来くんも海くんも本職の格闘技に加えていくつか事業をやっていたのですが、僕らが参画するタイミングでコミットメントの確認をして「俺も一生懸命頑張るから未来くんも海くんも一緒に頑張ろうぜ」と。彼らは元々創業者で「BreakingDown」への思いもコンセプトもありますから、コミットメントをグッと上げてくれました。日本のすべてのアスリートの中で最も影響力のある2人が本気になったらそれはもう強烈ですよね。
それと、大きく分けてスポンサー、PPV(ペイパービュー)、VIPを中心とした会場チケットの三本柱のマネタイズ戦略を作り、メニューやセールス、マーケティング等をすべて見直していきました。FiNCでの経営経験や、これまで20社以上のスタートアップ企業への投資を通じて得たノウハウ、それに朝倉未来の天性のセンスや朝倉海のバランス感、YUGOさんチームのクリエイティブ能力が加わったことで、奇跡のようなバズり方が起きたのだと思います。僕たちだけでやっても絶対に上手くいかなかったと思いますし、彼らが試行錯誤しながら積み上げてきたものも大きかったです。
― 三本柱のマネタイズは、その以前はそこまで柱になりきれていなかった?
溝口氏:それはありますね。第3回大会までは、PPVの収益はほぼゼロに近かったです。会場も関係者のみで収益はありませんでした。スポンサーメニューも一般的なリングマットとかだけだったので、新しい時代の興業のスポンサーメニューは何かを考え、大幅に見直しを図りました。
実はコロナ禍にアーティストのLIVEや格闘団体をはじめ他のスポーツなど、リアルの興業が大打撃を受けている中で、僕たちは既存のプラットフォームに依存するのではなく、独自の配信プラットフォームを作って自分たちで顧客データを取得し、そのデータを生かしながらPPVをはじめとした収益を伸ばすお手伝いをあらゆる方達としていました。その一つがRIZINでした。コロナ禍でRIZINが業績不振だったときに、友人の著名な起業家から「大変そうだからサポートしてあげてほしい」と依頼を受け、ある会社を通じてサポートを始めたんです。そしてRIZIN LIVEという独自のPPVプラットフォームを作りました。当時、格闘技業界でPPVプラットフォームをオリジナルで作ったり、PPVを販売している団体は一つもありませんでしたが、それが大成功したんです。
― 「BreakingDown」の前にRIZIN LIVEのプラットフォームを作っていたということですか?
溝口氏:そうです。僕は何か新しい挑戦をするときや、重たい仕事を受けるかどうかを考えるときは、「周囲に批判されるかどうか」を一つの判断基準にしています。なぜなら、はじめから周囲に支持されてる挑戦を本当の挑戦とは言わないし、本当の挑戦の多くは否定されることからはじまると考えてるからです。その観点では、「日本で格闘技でPPVは誰も買わない」と業界関係者に言われ続けていたことがある意味で大きなモチベーションになりました。またお手伝いする前に、世界中の格闘技団体やスポーツチームのリサーチをチームで行っていたことや、また大きかったのが2020年2月にBADHOPという友人のアーティストがコロナ禍で横浜アリーナのライブが中止になってしまったのですが、その際に彼らから「負債を背負ってでもファンのために開催したい」「無観客でもオンラインで生配信してコロナで不安なファンのみんなに勇気を与えたい」という相談を受け、当時アーティストとしては初めてとなる「借金1億無観客ライブin横浜アリーナ」を僕と当社のCTOの小澤が主導して、最後は黒字に持っていけた経験も自信になりました。
そもそも格闘技が好きというのもありますし、ビジネスという観点でも格闘技というマーケットがこれからさらに広がっていくことは間違いないと思っていたんです。僕がスタートアップやIT起業家の出自なこと、またそれらの見立てもあって一定の勝ち筋の仮説もありましたし、さらにその延長線上に自分の生まれや育ちを含めて、情熱と重なるものを持つ「BreakingDown」の話をもらいました。本当にいろんなものが重なったのが大きかったと思っています。
溝口勇児氏の掲げる展望「利益や売上は目的にはならない」
― これからの展望を教えてください。
溝口氏:「BreakingDown」のように社会的にインパクトのある取り組みにもっと挑戦したいと思っています。まだ僕が勝手には言えないものも多いのですが、今もとても影響力のある人たちや、実績豊富な優秀な方達といろんな挑戦の準備をしています。幸運なことに、今日まで、多分野の優秀な起業家や経営者の方に触れてきました。彼らを分析すると、横軸が体験や経験、縦軸が法則や真理だとすると、この面積がとても大きいんです。僕のような突っ走るタイプの起業家は横軸ばかり大きくなりがちだけど、成功も失敗もしっかり分析して、多くの会社やプロジェクトを再現性高く成功できる状態にして、「大成功請負人」みたいなポジションを確立し、社会にインパクトを与えられる事業を複数手掛けていきたいと思っています。
一つ例を挙げると、最近、Zeebraさんと一緒にフリースタイルリーグ「FSL」という興業をはじめて、僕が代表に就任しています。
フリースタイルバトルは、近年HIPHOP業界でかなり盛り上がっていて、バトルのイベントで両国国技館や埼玉スーパーアリーナの会場が埋まる程、カルチャーとしても市場としても盛り上がりを見せています。このFSLに力を入れている理由は、もちろん市場として波が来ているということもありますが、生まれや育ちがどんな境遇でも、身体が小さかったり腕力に自信がなくても、自分を変えるために挑戦する勇気さえあれば、マイク一本でどんな暗い道でも明るい未来へ切り開けることを伝えられると思っているからです。
先日発表したバトルの主要なイベントの戦績をランキング化するFSLランキングや、オンラインで見ている人も試合の投票に参加できる投票機能など、今までのMCBATTLEにはなかった取り組みをいくつも仕掛けています。
今後も新しい挑戦をしていこうと思っている分、批判も大きくなることは覚悟しています。ただ、これまで主要団体の各代表やMCバトルに出演されてるラッパーの方と何度も話をしてきましたが、皆が志が高く、挑戦への理解のある方々なので、これからおもしろい取り組みを一緒にできると思っています。
この他にもまだ表に出していないものがいくつかありますが、自分たちの経営能力やテクノロジーを注入したらどこまでいけるんだろうと考えています。
僕にはどうしても解決したい課題があるので、今は多くの人に喜んでもらえる事業を通じて、大きなグループ会社を作り、いつかその大きな課題に挑む挑戦権を掴みにいきたいと思っています。現段階では、それが壮大すぎて今立っている場所との乖離が大きいので、ここで話すことは避けますが、だからこそ僕にとっては利益や売上は目的にはならないんです。ただ大きな影響力を手にした先に、必ず挑戦するつもりなのでそのときにまた聞いてもらえたら嬉しいです。
― 楽しみです。「BreakingDown」に絞って語るとしたらどのようなことを考えていますか?
溝口氏:海外展開したいのは、僕も経営陣も同じ思いです。僕もシリコンバレーにオフィスを構えていた過去や、ITサービスを海外展開していたこともあるので、海外展開の難易度の高さはそれなりに分かっているつもりです。ただ、ITサービスに比べると「BreakingDown」における海外展開のハードルは高くないので、勝算は十分にあると考えています。来月に海外展開に向けた仕掛けをするつもりです。
その他にも今後は、「BreakingDown」というIPを、グッズや映画、雑誌やドラマや漫画など、横展開を進めていきたいと思っています。
また大手メディアやプラットフォームとの連携も加速させたいですし、また影響力ある団体として責任を果たすために、さらなるコンプライアンスの順守に向けて、関係省庁や著名な警察OB、危機管理の専門家や弁護士と会話を進めていて、反社対策のアドバイザリーボードの発足に向けて動いています。
溝口勇児氏が怒りや悲しみを乗り越えた方法
― モデルプレス読者の中でもいま様々な困難に直面している方もいると思います。今までの人生で怒りや悲しみを乗り越えた方法を教えてください。
溝口氏:僕は、自分が悩んでいることは、他の誰かも悩んでいると考えるようにしています。だからそれを乗り越えることができれば、誰かの悩みに寄り添える人になれるんです。今、大きな成功を成し遂げている人や人生を自由に謳歌している人の顔を思い浮かべて見てください。その人たちが困難や逆境を経験してないかといったら決してそうではなく、それらを糧にしているはずです。ただし、困難や逆境を人生の糧にできる人は、当事者として自らがそれを乗り越えるために行動した人だけです。そのときは苦しくとも振り返ったときに「あれがあったから今がある」と辛い過去に意味をもてるようになります。一方で乗り越えようとせずに投げ出しただけの過去はネガティブな記憶しか残らない。
僕の場合はいつも困難を越えた先に、大きな情熱を得たし、本当に信頼のできる仲間が誰なのかを知りました。深く悲しんだからこそ、人の温かさがわかったし、怒りで眠れない夜を過ごしたからこそ、心からの喜びを知ることができました。だから、困難や逆境をはじめとする、向き合いたくない出来事は、自分を不幸にさせるだけのものでもなければ、自分に苦しみだけをあたえるものではないんです。生きてる人間の命を漲らせてくれて、そして本当に大切なものが何かを教えてくれるものでもあるのです。だから、逃げたり、目を逸らしてはいけない。屈してしまわなければ、それらが未来をつくります。だから負けずに乗り越えてください。
溝口勇児氏の夢を叶える秘訣
― モデルプレス読者の中でもいま様々な夢を追いかけている方がいます。溝口さんの夢を叶える秘訣を教えてください。
溝口氏:例えば、夢を叶える方法として挙げられるのが、「手帳やノートに書く」「神社やお寺でお祈りをする」「目に見える場所に書いて貼る」「流れ星に願いを込める」などがありますよね。最後の流れ星の例はわかりやすいですが、流れ星を見つけてから消えるまでは一瞬ですよね。そんな一瞬の出来事でも即答できるほどに常に念頭にあるような夢や目指す未来ならば、日々の選択を誤る確率は下がります。
僕はここ10年は年に数回は、数百名を超える学生の前で講演をする機会に恵まれているのですが、その際に必ず“2の10乗”というスライドを出してメッセージを送ります。この数字で何を伝えたいのかと言うと、「人生には大きな2本の分かれ道が存在していて、それを10回選択すると1024通りの未来がある」ということです。それぞれの人に1024通りもの未来があるとするならば、その中のただの一つも自分の夢に繋がっていないなんてことはあり得ないと僕は思うのです。もし自分の夢にたどり着かなかった場合は、妥協をしてしまったとか、惰性にまみれてしまったとか、勇気を出せなかったとか、弱い自分に負けてしまったとか、そうしたひとつ一つの選択の質の悪さに他ならないのではないかなと。
だから僕自身も「人生は選択の総和」という言葉を座右の銘にしています。大なり小なり毎日積み重ねてきたあらゆる選択の総和が今の自分の人生を作っています。
僕は人生の最後を迎えるときに、この言葉を好きでいられる人生でありたいと思っているんです。
今の世の中に蔓延る耳障りのいい言葉に惑わされないでください。夢を叶えるためには、夢中になるための工夫も、努力も代償も必要です。自分の夢や欲しい未来を叶えるのに遠慮なんていりません。どうか後悔のない人生の選択をしてください。自戒を込めて。
溝口勇児氏が求めている人材とは
― これから御社に入社する方へメッセージをお願いします。
溝口氏:僕の会社は特定の業界の中でとても影響力を備えた方や、その業界で鍵となるであろう重要人物と共に課題解決を目指す事業が多く、その中で自社の方向性と重なる会社と協業をしているのですが、会社のCultureとして「相手の成果に相手以上に本気になること」を掲げています。ですからパートナーと同じリスクを背負い、共にゴールを分かち合えるような設計にしたいという考えから、単発でのコンサル契約は行わず、共同経営型の契約形態のみで現在は仕事をしています。だからこそときにパートナーともバチバチ喧嘩することもあります(笑)。
これは、僕がパーソナルトレーナーだった当時も、僕がお客様の担当につくときは必ず「あなたが目標達成ができるかどうかは僕の責任が半分、お客様の責任が半分です。本気で達成したいなら、僕が作ったメニューをサボらないでしっかり取り組んでください。サボった場合は厳しく言いますよ!」というスタンスを徹底していました。これによりクレームを受けることも少なくありませんでしたが、それ以上に感謝の言葉をもらってきました。今日まで一貫してそうやって生きてきたし、その選択の積み重ねが今に繋がっていると思っています。
一緒に働く仲間にも、会社が掲げるビジョンやパートナーや仲間に常に本気で向き合ってほしいと思っています。
我々はすでに競合優位性や独自性の高い事業で、外部の資金を集めずに自己資金の範囲で2年で上場できる水準の売上・利益へと成長しています。確かに決して楽な会社じゃないし、成果に本気になること、ときにハードワークや緊張感を求めることもありますが、すでに努力の先に報われる会社になっている自負もあります。
最後にですが、僕は自分に刺激を与えてくれる仲間と一緒に働くということは、自分に才能があること以上に人生を大きく左右すると考えています。自分の可能性を試したい人、もっと成長して自由を掴みたい人、周囲にあなたの情熱を受け止めてくれる仲間がいない人は、ぜひ僕たちの会社の門を叩いてください。自分のためよりも人のために頑張れる人や、小さな達成で自分の人生をよしとしない人、大きな仕事をしてみたい人、大歓迎です。
共におもしろい挑戦をして、我々が存在する未来と存在しない未来の差分を社会に創り出しましょう。
― 感動しました。素敵なお話ありがとうございました。
(modelpress編集部)
プロフィール
高校在学中からトレーナーとして活動。トップアスリート及び著名人のカラダ作りに携わり、2012年にFiNC Technologiesを設立し、代表取締役社長CEOに就任。総額150億円超の資金調達後、2020年3月末に退任。2020年4月に現在のWEIN GROUPを設立。2021年に株式会社BACKSTAGEを創業、2022年に国内NO1ホログラムディスプレイを展開する3DPhantom株式会社CEO及び『1分間最強を決める。』をコンセプトとした格闘技イベントBreakingDown株式会社COO/国内代表に就任。WIRED INNOVATION AWARD2018イノヴェイター20人、若手社長が選ぶベスト社長に選出。
【Not Sponsored 記事】
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