NHK総合で放送中の「チ。-地球の運動について-」

<チ。>原作者・魚豊「生きることは毎日の臨死体験」死を怖がっていることが唯一の作家性と語る

2025.03.11 12:00
NHK総合で放送中の「チ。-地球の運動について-」

NHK総合で放送されている「チ。―地球の運動について―」(毎週土曜深夜11:45-0:10、NHK総合/Netflix・ABEMAで配信)が、3月15日(土)放送の第25話で最終回を迎える。地動説を追いながらさまざまな角度から知的好奇心をくすぐる内容に、多くの視聴者が引き込まれたことだろう。この特異な作品を、原作者の魚豊(うおと)はどのような構想で組み立てたのか。壮絶と言える物語を紡いだ原作者はどのような人物なのか。人となり、ルーツにも迫りながら作品創作について聞いた。なお、魚豊は現在27歳。「チ。」を描いたのは22歳のときになる。これを念頭に読むと、衝撃はより大きくなるに違いない。

哲学、思想の落とし込みが「チ。」着想の出発点

――地動説を題材にした中で、天文学、宗教、地球観、死生観など視点によって見えるテーマが変わる作品です。魚豊さんの中では、「チ。」の一番の軸はどこに置かれているのでしょうか?

それでいうと、哲学ですね。今おっしゃった事柄を包む形式で思想を扱った作品になっています。

――思想を描こうと思ったきっかけというのは?

「生きているから」としか言いようがなくて、難しいですね(苦笑)。それに一番興味があったし、今も一番興味があって、自分が生きていること、みんなが生きていること、地球が生まれたこと…みたいに、考えると全てが不思議で、すごく面白いことだと思っていて、何かを描くと言ったらこれが一番のテーマでした。

――構想の出発点に“人間の知性と暴力性”があったと過去のインタビューで述べています。そのベースに哲学、思想への興味があり、地動説に行き着いたわけでしょうか?

流れとしてはそうなります。思想を内包した作品にしたいと思ったときに、“知性が弾圧される”という話であれば形になりそうだと。そこからガリレオの宗教裁判に地動説の迫害が絡んでいたという話を思い出したけれど、詳しく調べてみたら全く違ったんですよね。別に地動説自体の数理的発想は迫害はされていなかったというのが一旦の事実であったという。勘違いというか、流布されている物語と事実の違いも興味深くて、それを含めてマンガにできればと思いました。

――“人間の知性と暴力性”には、戦争も当てはまりそうです。そちらの方向は頭にありませんでしたか?

戦争って知性による交渉が先にあって、それが決裂した結果として生まれる行動だと思います。「戦争は政治の延長」というように、さまざまなテーマが紛れ込んでしまって。やりたかった“知性と暴力性”というテーマを短距離で抽出するのには向かない題材だと思います。それに、戦争には政治はあるけど、哲学はない。僕が考える作品像として、地動説の方がより高純度に哲学を出力できていますね。

死を怖がっていることが自分の唯一の作家性

――題材の心当たりにまず地動説が思い浮かぶ人というのもなかなか珍しいと思います。昔から天文に興味をお持ちだったのですか?

天文自体に興味はありましたが、特段熱を入れて勉強したわけではありません。ただ、大学で哲学を学んでいたので、地動説がどういう影響を人に及ぼしたか、みたいなことは、ぼんやり馴染みのある話ではありました。カントやトーマスクーンとかがメタファーとして使ったりして、調べていくとそういうところも興味深かったです。

――一般的に哲学と聞くと、難解な分野をイメージすると思います。哲学のどこがそんなにも面白いのでしょうか?

さっきの話にもなりますが、全てが興味深く思えるんですよ。「なんで?」って真剣に考える人たちの言葉を読めるなんて素晴らしい。これが僕の性質で、そういう星の下に生まれたとしかお答えできないですね(笑)。強いていうなら、「生まれたから興味がある」「生まれたことに興味がある」ということですかね。

――人間観察が好きなように感じます。

あ、違います。人間観察はむしろ不得意です。ただのうざいだるいやつだと思います(笑)。普通、「こういう風に生きなさい」と言われても、「だる…」ってなるじゃないですか。でも、西洋哲学はものすごくロジカルで、「こうだからこう」と、論証と根拠付けの組み立てです。だけど、最後はポエティックになっていくものがあって、謎の説得力を産む。僕の見たかったものはこれだと、痺れました。

――「チ。」に入っている死生観も、しっかり言葉として組み立てられていますね。魚豊さんは、人の生死はどのように考えられているのでしょうか。特別な体験などは?

言えるような体験はなにもないくらい普通です(笑)。昔トラックに撥ねられたくらいでしょうか。まぁ結局生きているし、その後も平凡に生きているのですが、平凡だからこそ考えるのかもしれなくて、「死ぬ」ということをものすごく怖がっています。

――死後の世界をどう想像していますか?

“無”です。人は死んだら“無”のところに行くと思っているし、でも、言ってみれば生きていることも“無”だと思っています。「北斗の拳」の「お前はもう死んでいる」ってまさに人生そのものというか、別にいつか死ぬのは確定していて、「もう死んでいる」までのタイムラグが人それぞれの寿命。生まれていることも“無”だし、長く生きられたとしてもそれはそれで“無”だし、子どもが生まれて、その子どもが子どもを産んで、「で?」って。そう考えると生と死ってすごく不思議だし、面白いです。

――生命に対する哲学的疑問であり、達観しているというか…。でも、分かります。突然考えることはあります。お金であったり名声であったり、充実した日があったりしても、死んだら自分という存在はどうなるのだろうと、急に怖さが襲ってくるという。

まさにそれですね。生きていても“無”だけども、死んで“無”になることも怖くて仕方ないんです。多分、それが僕に唯一ある作家性なんじゃないかと思います。

生きていることへの矛盾、矛盾の循環が面白い

――知性の話に戻りますが、知性というのは人間の矛盾的行動に繋がるもので、本作を読むとそれを強く感じます。作中、15世紀の宗教社会も、天文の真理を追究する“知”によって崩壊していきます。こうしたことを描くのも、当初の構想からあったものなのでしょうか?

そうですね。やっぱり矛盾って面白いし、真理が矛盾ということ自体が矛盾みたいな。その面白い循環は最初から描きたいと思っていました。面白いことって矛盾から生まれるし、強度のあるものを描こうと思ったら矛盾が出てくるという言い方もあるんじゃないでしょうか。

生きることだって矛盾ですよね。一生懸命生きようとするほど、一分一秒、死に近づいていくんです。生まれる前が一番、死から遠いという、そう決定づけられている構造の中に僕たちはいるんだと考えると、またそれが面白いです。

――そうした魚豊さんだからか、「チ。」も含め、作風には精神面への踏み込みを感じます。現在、原作を書かれている「Dr.マッスルビートル」(秋田書店)も“ガワ”は筋トレマッチョの話ですが、面白いのは主人公の内面描写です。

それは自覚しています。どんな作品を描くとしても、この先も精神面を描きたいです。作品を作るって、“中に入れる”面白さでもあって、しかも、一方的ではなくて、相互的なものだと思っています。作品の中に入って影響を受ける事もあれば、中に入って作品に影響を与える事もある。これってスピリチュアルな話でなく、もっと唯物論的な話です。

完結した作品というのは、客観的には誰にも書き換えられないものですが、主観的には読まれた瞬間、その人の中で作品は書き換わるんです。読み手によって、作品への印象は違うわけなので。で、同じ作品を読んでも、感動する人もいれば、ムカつきを覚える人もいる、作品から影響を与えられると同時に、感想という形で作品の評価に影響を与えているということなんですよね。

――魚豊さんの言葉を借りると、魚豊さんが漫画家になったのも面白いです。きっかけはあるのでしょうか?

普通に絵を描くのが好きで、物心ついた頃には漫画家に憧れていた感じです。

――影響を受けた作品はありますか?

高校ぐらいまではギャグマンガしか読んでいなくて、野中英次先生の「魁!!クロマティ高校」が大好きでした。ギャグ系以外で唯一読んでいたのが福本伸行先生の漫画で、麻雀もの以外は全て読んでいます。「カイジ」(「賭博黙示録カイジ」)は最高ですね。影響を受けた作品と言ったら、このあたりです。

――「チ。」だけの印象では意外ですが、台詞の組み立てやバデーニのことを思うと納得感もあります。

どの作品もノリは近いと思います。理屈っぽいけどバカバカしいとか。ソリッドな感じは真似したいと思っているところです。

理屈はソリッドに積み上げればエンタメになる

――アニメ化はされるだろうというのが漫画業界での認識でしたが、暴力、残酷表現も多い作品なので、NHKなのは納得もあり、意外でもありました。

そう思います。けど大傑作「進撃の巨人」もNHKですし。暴力、露悪表現が作品性ではないと、局側が解釈してくださったんだと思います。

――映像を見ての感想はいかがでしたか?

めっちゃいいです。絵も、役者さんも、音楽も。本当にありがたい限りです。

――アニメの映像作りに対して魚豊さんの意向は反映されていたのでしょうか?

いえ、僕がアニメに対して出した要望は、音楽を牛尾憲輔さんに作ってもらいたいというくらいです。あとはお任せでしたから、見るまでああいう映像だとは全く知りませんでした。悪い意味ではなく、信頼していましたし、見たときは「凄い! 動いてる」って、ベタにそういう感想を持ちました。

――音楽に牛尾さんを指名した理由というのは?

音楽って、絵では絶対に表現できないことなので、それが実現するなら牛尾さんに音楽を付けてもらいたいと思ったからです。大好きな曲が多く、すごく尊敬している作曲家さんなので、それが叶っただけでも最高に幸せです。

――原作者から見て、アニメならではと思ったシーンはありましたか?

やっぱり人の動きですよね。アクションもわずかしかないにも関わらず見ごたえ十分で、全体としてもめちゃくちゃ分厚く演出していただいて、普通にイチ視聴者として楽しんで見ています。

――放送では、人の生き様を貫く言葉、現代にも向けられたような言葉など、感動や痛みを覚える印象的な台詞も話題になりました。台詞を紡ぐときに大切にしたことがあれば教えてください。

自分の中の美的感覚として、強度がない言葉は可能な限り避けようと心がけています。徹底はできてないのですが…。切実でない、反論がたやすい、魂を感じないというもの。語尾もふくめて、台詞は出版までに何度も修正して作っています。

――思想や哲学というのは言葉にするのが難しいものだと思います。「チ。」において魚豊さんはそれを明確な言葉にしている。アニメを見て、改めてそう思いました。

ありがとうございます。それが「チ。」でやりたかったことの1つなので嬉しいです。理屈っぽい面白さが好きというのが僕の好みであって、その理屈を絶対に書こう、理屈をずっとしゃべっている漫画にしたいというのがありました。だからどのキャラクターも設定の説明ではなくて、理屈をずっとしゃべっているんですよね。それをウェットに寄らず、ソリッドに積み上げれば、それ自体がエンターテインメントになり得るという確信はずっと持っていました。

――宗教思想の社会の中、第3章のドゥラカは神を信じない、神より金を信仰、経済の考えを持つ異質な人物だと思いました。彼女のキャラクター像的なことがあれば教えてください。

おっしゃる通り、彼女は資本主義を象徴するキャラクターとして描いています。第3章はお仕事ものを描きたかったというのもあって、仕事と言ったら経済。経済は資本主義という考え。人格形成に影響を与える要因の1つ。それを作中の時代に反映させた形で描いたのがドゥラカです。

――作るのに苦労したキャラクターはいましたか?

ヨレンタは苦労したというか、整理が大変なキャラクターでした。作劇上の役割として良い子にする必要があったのですが、ちょっと良い子すぎるきらいもあったので、塩梅は迷いました。

最終回で登場する“ある人物”はウソと現実の境界線

――資本主義のドゥラカや、バデーニが言った「文字の読み書き」のように、作中には現代を風刺した台詞が散見します。ヨレンタも“ガラスの天井”を指すような言葉で、女性の社会進出に絶望しています。

そうですね。女性の地位については作中の時代的にも避けては通れない問題だと思って描いています。

――ヨレンタの父、ノヴァクだけが全章を通して登場するキャラクターです。彼にはどんな役割を与えたのでしょうか?

ノヴァクはこの作品にテーマを繋ぎ止めているキャラクターでもあるし、一貫性をもたらしているキャラクターでもあるし、ある意味で地動説に取り憑かれた変なやつらを見ていく普通の人という役割もあります。それとは別に、読者へのガイド役でもあるという、複合的な役割を担わせました。ほかにも、彼がいることでフィクションっぽさが出て、ノンフィクションと誤解されそうな本作にフィクション性を担保させているキャラクターでもあります。

――フィクション、ノンフィクションのことですが、地動説を追うのであれば、ガリレオ、コペルニクスらの足跡を追う形もあったと思います。その手法は考えにありませんでしたか?

選択肢としてはなかったですね。そういうものは立派な専門書や論文がある。僕がやる仕事ではまったくない。僕が描きたかったのは歴史そのもの漫画ではなく、思想を落とし込むこと。そして、偽史が描きたかったからです。ウソの中だからこそミスリードも生まれるし、現代への目線も入れられるんですよね。

――この後の最終話で、地動説は“ある人物”に帰結します。パラレルであった本作が、いつの間にか史実になっていた瞬間です。彼の登場は何を意味しているのでしょうか?

文字通りウソと現実の境界線としてのキャラクターで、彼への帰結は当初の構想から決めていたことです。あのキャラクターの不可解さ含めて、僕としては、本作を読んでいただけた人に、「現実って何?」みたいなことや、生への認識、世界への認識みたいなことを相対的に見つめ返されている感じを覚えてもらえたなら嬉しい限りです。

まぁでも、結局どう読んでいただいてもありがたいので、こう読んでほしい!とは特にないです。読んでくれてありがとうございます!

◆取材・文=鈴木康道

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