

藤井隆が語る“お笑いの原点”とテレビの現場で学んだこと「ボクは根っこが適当なんです」
藤井隆といえば、とにかく多彩だ。コメディアンとしてはもちろん、俳優や歌手、司会者としても活動し、各分野でマルチな才能を発揮してきた。さらに、特筆すべきはその人柄。丁寧に言葉を紡ぎ、誰も傷つけることのないお笑いはある種先駆者とも言える。その藤井が初のエッセイ『マ・エノメーリ』を上梓。質問に答える形で自身のことを赤裸々に明かす言葉には全くの嘘がない。今回は藤井にインタビューを実施し、そこでも誠実さを遺憾なく感じることができた。原点から仕事への向き合い方まで様々なことについて聞いた。(インタビュー前後編の前編)
――まず藤井さんの原点からお聞かせください。子供の頃はどんなタイプでしたか?
発信する側というより受信する側というか、聞き役の方が多くて。でも、小学5年生のときに引っ越しを経験したので、それは経験できて良かったなと当時から思っていました。
――引っ越しがどのような意味を持っていたのでしょうか?
小学5年生の夏休みだったんですけど、もう卒業までこのクラスで仲良く頑張ろうねみたいなときに引っ越しが決まって、友達もすごい心配してくれたんです。自分も覚悟もあったんですけど、その夏休みの間がすごく楽しくて。5年生って映画にもなるくらいですから、多感な時期ですよね。絶対的に子供ですし、でも幼児じゃない。その5年生のときの夏休みの感覚を鮮明に覚えているんです。それで、幸運なことに引っ越した後も楽しく過ごせて、振り返って良かったなと思っています。あそこで引っ越しを経験したからこそ、一度区切られるというか、覚悟したのが良かったなと。
――区切りが藤井少年に影響を与えたわけですね。
もう、やるしかないみたいな。決められたことを受け入れる練習ができた気がします。
――引っ越した後も楽しく過ごせたとのことですが、初日の緊張もなかったですか?
その日にクラスで自己紹介して、ぱっと目が合った人が話しかけてくれて、しかも家が近所で。その日に一緒に帰って、途中の公園でも結構喋りました。その人のおかげでしたね。
――そうしてくれたのも藤井さんが持つ元来の人当たりの良さもあるかもしれませんね。
たしかに決してとっつきにくいようなタイプではなかったですね。自覚は全くないけど、初対面で話しかけにくいと言われたことはないかもしれません。
――ご家族の中での立ち位置はいかがでしたか?
兄が7つも離れているので、いつまでもちびっ子扱いでした。7つも離れていると兄弟の作用がないんですよね。1つ2つだとああいう失敗はしちゃだめだとかお手本になるような影響があると思うんですけど、あまりに生活が違っていたので。ただ、優しい人ではありました。僕は僕でちょっと甘えたりして、だから一番楽でしたね(笑)。
――そんな少年時代で藤井さんはどのようにお笑いと出会っていったのでしょうか?
当たり前に朝の番組から漫才師や落語家の方が出ていたり、大阪制作の番組で育ったので、すごく身近なものでした。でも劇場に見に行ったりしたことはなく。中川家なんかは子供の頃から劇場に行っていて、なるべくしてなったんだなとすごく尊敬するんですけど、僕はそういうのはあまりなくて。もちろん、テレビで見て笑っていたし、映画も好きだったんですけど、特別吉本に行きたいとか、友達とも「面白いな。吉本行けや」みたいな会話はなかったですね。――そんな中でどのようにしてお笑いの世界に飛び込んでいったのでしょうか?
僕はNSCという吉本の養成所ではなく、吉本新喜劇の若手劇団員募集のオーディションだったんですね。そこで演技やダンス、歌のレッスンを週末に受けるという形でした。同世代の人が多かったんですけど、今まで会ったことないようなジャンルの人だったので、そういう人たちとキャッキャしているのが楽しくてね。通っているうちにレポーターの仕事が決まったり、ぬるっと始まっちゃいました。決して志は高くはなかったと思うので、よく目をかけてもらえたなと思います。
――そのレッスンを受けている時代はまだプロではない時代ということなのでしょうか?
いえ、違います。はっきり言われたのは「NSCは月謝を払っている学生さんですけど、君たちから月謝はもらっていないですよ」と。だから、「劇団員としてちゃんと仕事をしてください」と言われたのを覚えています。
――なるほど。では、そのときからプロという自覚はあったんですね。
ありました。いや、どう言ったらいいかな。ドラマのオーディションに行ったり、少しギャラをもらったりしていたんですけど、当時のマネージャーさんには「しっかりしろ」と厳しく言われたのを覚えています。
――ぬるっと始まって、藤井さんの中でいつから明確に仕事という認識になっていったのでしょうか?
初舞台のときはよくわからないまま終わっちゃったんですけど、深夜のテレビ番組でレポーターの仕事が始まるんですけど、それは仕事やっているなって感じでした。厳しさもあってすごく注意もしていただきましたし、厳しく育てていただきました。
――藤井さんはレポーターからどんどんテレビで活躍の幅を広げ、いろいろなキャラクターになりきっていた印象が強いですよね。
新喜劇は役そのもので、自分のネタじゃないですから。いろいろな役をもらうことからスタートしているので、僕にとっては最初からでしたね。
――というと、テレビでもそれほどやりづらさや違和感なくやっていけたのでしょうか?
いろいろあったと思うんですけど、マネージャーやディレクターさんが整えてくださって、藤井隆に合うやり方を考えてくださっていたと思います。自分のやりたいことももちろん聞いてくださるんですけど、みなさんが作ってくださったところに入っていったイメージでした。当時は東野幸治さんや今田耕司さんがいらっしゃる番組に出させていただくことが多かったので、難しいとか困ったなってことはもちろんあったと思うんですけど、それより楽しさや刺激がありました。僕も20代の若い頃だったので、恵まれていたなと思いますね。
――では今振り返ってみても、しんどかったより楽しかったという思いのほうが強いですか?
いえいえ、昔のマネージャーさんと会ったら、しんどかったなという話はしますよ。でも自分は一番最後に入って、最初に帰らせてもらえていましたからね。スタッフの方は送り出すまでやから大変やったと思います。僕も大変なことはあったと思いますけど、ふと考えるとぷぷぷと笑っちゃうようなことが多かったから、それもラッキーでした。――当時、失敗や嫌なことがあったときにどのように乗り越えていたかって覚えていらっしゃいますか?
本当にコテンパンでしたし、期待してくださっていたと思うので、全然できなくて申し訳なくて。自分がMCを一生懸命やっているんですけど、行かないといけないところまで行けず収録が終わっちゃった日はしっかり叱ってくださる方もいれば、「いいよいいよ」って慰めてくれる方もいて。その慰めているときのお顔が本当につらそうだったから、申し訳なくて参ったなと思って。そういうときはお家に帰っても玄関で落ち込むんですね。なんでできなかったんだろうとか思うんですけど、根っこが適当というかタフなんでしょうね。反省はしても、お風呂入ったりご飯食べたりしているうちに、単純に眠たいが勝つんです。仲間では眠れない人もいたんですけど、僕は子供のときからそうだったので、図太いなと思います。
――あまりくよくよ考えるタイプではなかったんですね。
ちゃんと反省しているのかって怒ってもらうこともあったくらいですから。そんなに反省しているようには見えなかったかもしれないです。
――僕の勝手なイメージだと藤井さんは繊細な部分もおありかなと思っていたので、少し意外です。
繊細に扱ってくださっていた時期はあって、自覚はあるんです。大事にされるのはやっぱりありがたかったですし、自分はラッキーだなと思えるスタッフの人に育ててもらったというのがすごく大きくて。
――そういう扱いが藤井さんにとってもいい影響があったんですね。
こんなこと言ったら罰が当たりますけど、どこかで「呼ばれて来たしな。自分からやりたいって言っていないしな」と思って(笑)。新喜劇で揺れるようにウケたときなんかはすごくやりがいを感じたりするんですけど、MCやドラマだとやっぱり勝手が違いますから。当時のドラマだと、タレントが来たら怒る人もいらっしゃったし、タレントみたいなもんがと言う価値観の人もいらっしゃる時代でした。そんなふうにずっと言われたら、「呼ばれたし。知らんし」と思えるときがあって。自分のせいじゃないって思ったら、考えてもしょうがないなと。自分がそんなにできると思ってないから、あまり図に乗らんとこうと思いました。
――では、仕事が楽しいなとなってきた時期はいつ頃でしたか?
それは割と早くて、20代前半でしたね。レポーターをやらせていただいているときに放送作家さんで仲良くなってくれた方がいて、その人が褒めてくれるんですよ。水曜日はその人がいるから頑張ろうとかね。見ていただいている方に本当は届けなきゃいけないんですけど、そこまでのプロ意識はなくわからないままやっていたから、目の前で褒めてくれる人が見つかると頑張れました。
――新喜劇のほうはいかがでしたか?
新喜劇も素敵な先輩方がいてもうめちゃくちゃ面白かったですから。こういうふうに言ったらウケるよと言われてその通りにやったら本当にウケてすごいところに来たと思って。ちやほやしていただけるお仕事ですし、そうしたらなんかわーいってなりがちです。
――藤井さん自身が日常のちょっとの良いところを見つけるのが上手いタイプだったんですね。
そうですね。差し入れとかでもご機嫌になりますし。でも、それってほんのちょっとのことで機嫌悪くなるわけですから、危ないですよね(笑)。
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