

「売れたら幸せ」じゃなかった─おいでやす小田が“幸せ”に悩んだ理由
2020年のM-1グランプリ準優勝をきっかけに一気にブレイクを果たしたおいでやす小田。テレビ出演は倍増したが、不思議と求めていたような幸せを得ることはできなかったという。それをきっかけに自身のYouTubeチャンネル「おいでやす小田 どストレートチャンネル」で芸人に幸せを問いかけ、対談は「幸せってなんですか? おいでやす小田と14人の芸人が本気で考えてみた」(KADOKAWA)として書籍化。5月21日の発売に先立ち、おいでやす小田にインタビューを実施。これまでの芸人キャリア、お笑いという仕事について聞いてみた。(前後編の前編)
――まず芸人という仕事について伺いたいです。生きるためにやっていたり、そもそも生きがいだったり、楽しかったりなどありますが、小田さんにとってはどういう存在でしょうか?
100%楽しいからじゃないですかね。あらゆる仕事の中で芸人が楽しさの1位だと思います。ありがたい状況で、100点なんですよね。
――小田さんの場合は下積みも長かったですよね。
他の人が5年や10年のところ20年かかりました。劇場に入るのも遅かったので、みんなのことを羨ましく見ていました。後輩たちにもどんどん抜かれていって、憧れているという時間がとにかく長かったですね。
――最初はコンビでした。
コンビを組むためにお笑いを始めて、ダウンタウンになろうと思っていたので、コンビ以外は考えられなかった。ピンになるなんてつゆほども思っていない。でも、コンビをやれる可能性がゼロになったので、ピンになりました。1%でもあったら探していたんでしょうけどね。
――どうしても無理だったんですか?
無理でした。ネタを作るにしても、僕が人の言っていることを理解するのに時間がかかり、思っていることを伝えるのにも3倍くらい時間がかかる。違う人間同士の思っていることのすり合わせがとにかく向いていなかったんです。一人で書くネタの10~15倍時間がかかったうえに、できあがったものが100%理想ではなかった。そうなると、続けるのは難しいですよ。例えば、モンスターエンジンの西森と20年以上前に1年くらい組んでいました。彼のことを天才だと思っているし好きで、仲もいいんです。ただ、1年半やっていると、いいところも忘れて悪いところが目につき、喧嘩もするようになりました。今は仲いいんですけどね。次の相方もそうなって、コンビを組むのは僕には無理だとなりましたね。
――小田さん自身がコンビという関係に向いていなかったんですね。
2008年のあるときに決めました。当時は半ば半死の状態というか、コンビはなくなったけど、ピンでやっていける保証もない。周りも絶対無理やからって言っていたし、僕もそう思っていました。もうその時点でやめてもよかったんですけど、「一人でやってたらどうなっていたんやろう」と思うたのが嫌やから、1年だけやろうと決めて。
――その1年で手応えを得られたんですね。
得られました。大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)という建物の4階にめちゃくちゃ小さい劇場があって、インディーズの舞台に出ていました。いきなりバーンとウケたのを覚えています。
――そこからピン芸人としてR-1グランプリで5度も決勝へ進出。ただ、それでも爆発的に売れるまでには至らず、ピン芸人としての不安はずっとあったように思います。
背水の陣でしたね。10年くらいは、引退がすぐ隣にありましたね。コンビは相手もいるので自分でやめますとはなかなか言えないですけど、一人だと熱が冷めたら終わりですから。正直、いつその火が消えてもおかしくなかった。ただ、先輩や周りの芸人が支えてくれて、ピンだったけど一人じゃなかったんです。「お前は大丈夫」とか「面白い」という言葉が励みになりましたし、その言葉がなかったらやめていたかもしれないですね。
――芸人キャリアとしては紆余曲折あり、小田さんが売れたきっかけはM-1グランプリ2020で決勝へ進出し、3位になったことでした。
誰も予想していないし、皮肉ですよね。
――当時はおいでやすこがとして決勝で大きなインパクトを残しましたが、そこでのネタ合わせでコンビ時代のような問題はなかったのでしょうか?
めちゃくちゃうまくいっていました。ユニットという気軽さが大きかったと思います。コンビと考えていたら、目に付く部分も違っていたかもしれない。ユニットでお互い干渉しない、M-1出ようというところで、力が抜けていたのかもしれません。
――まさにM-1をきっかけに世に出て、一気にテレビ出演が増えました。どのような思いでしたか?
1年間はほんまに夢のようというか、夢で見たような生活でした。ずっとテレビで見ていた番組に出て、とにかく最高の1年やったんです。ただ、理想すぎたというか、100点の生活になったことによって、どうしていいかわかんなくなったんですよね。
――理想だったのに、なぜか満たされなかった?
なんなんですかね。ほんまに隣の芝が青く見えていたのか。下積みのときもテレビに呼ばれることはあったんですよ。ただ、メインで出ている人と無名の芸人では扱いが違うじゃないですか。当時はそれを羨ましく思っていて、今はメインとして出られるようになった。いざそっち側に行けたときにはもっと良かったと思いたいんですよ。それ以上ないはずなんで。でも、昔見ていたこっちと、今いるこっちが違う気がするんです。仕事内容とか扱いではなく、僕の心の持ちようやと思うんですけど。
――当時と今とで心が変わっているからなんですかね?
なんやろう。結局、麻痺してるんやと思います。仕事があることはありがたいし、謙虚でいようと言い聞かせているんですけど、人間なので慣れってあると思う。出たかった番組に出られた喜びを、2回目出られた喜びが超えることって絶対ないので。YouTubeで銀シャリの鰻に言われた「今あるものいっぺん全部なくさんとわからん」というのはリアルやと思います。それが人間なのかなと。
――小田さんとしては今やりたい仕事はできているのでしょうか?
理想の生活にはなってきているので、もちろん多いです。僕の中で基準があって、仕事がない時期にこの仕事を受けていたかどうかを基準に選んでいます。カロリー高いか、スケジュール的にしんどいかというのはあるけど、仕事増えたからってしんどいからやめるというのは考えなくて。あくまで下積み時代を基準にしていますね。
――社会人の方もやりたくない仕事、しんどい仕事があるとは思うのですが、小田さんはどのように乗り越えていますか?
社会人の方におすすめはしないし、全然いいやり方じゃないと思うけど、先にある楽しい仕事を考えて乗り越えています。結局、その日は過ぎるのを待つしかない。良くないですよね(笑)。
おいでやす小田(おいでやすおだ)1978年7月25日生まれ、京都府出身。NSC大阪23期。2001年より、何度かコンビ結成と解散を繰り返した後、2008年よりピン芸人として活動。2020年にこがけんとのユニット「おいでやすこが」でM-1グランプリ準優勝。それをきっかけにブレイク。5月21日には、対談集『幸せってなんですか? おいでやす小田と14人の芸人が本気で考えてみた』(KADOKAWA)を発売する。
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