丸山桂里奈(まるやまかりな)

誕生日:
1983年3月26日
星座:
おひつじ座
身長:
162cm
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丸山桂里奈のプロフィール

丸山 桂里奈(まるやま・かりな)

生年月日:1983年3月26日
出身:東京都
血液型:O型

■経歴
・ユース時代
少年/少女サッカークラブである入一SC(大田区立入新井第一小学校サッカークラブ)でサッカーを始める。のちに東京ガスサッカースクールに所属し、中学時代に日テレ・ベレーザの下部組織である読売メニーナに入団した。1997年、第18回全日本女子サッカー選手権大会に出場登録される。

東京経営短期大学村田女子高等学校に進学しメニーナを退団、高校のサッカー部でのプレーを選び3年生の時には第9回全日本高等学校女子サッカー選手権大会で第3位となった。この頃は大田区山王にある急坂(闇坂)を連日のように百回ダッシュするトレーニングを積んだ。2001年、日本体育大学体育学部体育学科に進み、在学中は全日本大学女子サッカー選手権大会を4度制し、同大学の同大会5連覇に貢献した。大学在学中にサッカー女子日本代表初選出され、2003年のFIFA女子ワールドカップ、2004年のアテネオリンピックに出場した。

・クラブ時代
2005年に東京電力へ就職、配属先は福島第一原子力発電所だった。 同時にL・リーグ(現・なでしこリーグ)の東京電力女子サッカー部マリーゼに入団。8得点をあげて同年の新人王を受賞した。

2008年、北京五輪日本代表に選出された。この大会で得点を決めることができず、チームも4位に終わった。試合後にキャプテンである澤穂希から「スーパーサブならもっと走りなよ!」と叱咤激励され、奮起したという。

2009年シーズンをもって東京電力女子サッカー部マリーゼを退団した。同時に東京電力を退職。

2010年、アメリカのプロリーグ・WPSのフィラデルフィア・インデペンデンスへの移籍が決定、移籍後試合には4回出場している。同年9月17日、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースへの移籍が発表された。

2011年7月、FIFA女子ワールドカップに出場。準々決勝のドイツ戦では、後半開始から永里優季に代わって交代出場、延長後半3分、澤穂希の浮き球のパスを受けてゴールを決めた。これが決勝点となり、日本女子代表はワールドカップで初めてベスト4に進出した。試合後の記者会見では「東北の人たちのために、ゴールを決めました」と答えた。その後、決勝戦に進出し日本の初優勝に貢献した。

2012年、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースからスペランツァFC大阪高槻に移籍。2月16日にチームへの加入記者会見が行われた。

2016年9月、2016年シーズン限りでの引退を発表した。

・引退後
引退後はタレントに転身してバラエティー番組でサッカー選手らしからぬ発言で注目を集めている。2017年9月10日放送の「しくじり先生(テレビ朝日系)」でサッカーのルールに関して多くの勘違いをしていたことを明かし、特にオフサイドを知らず敵のゴールポストに隠れて、試合終了後に監督から怒られたり。2008年の北京五輪で準備運動を全くせず、その結果、試合中走れずドイツに負け、普段温厚な澤穂希から「スーパーサブならもっと走れ!」とぶちギレされたという。

■獲得タイトル
・個人タイトル
Lリーグ 新人賞 (2005年)

■代表歴
・選出歴等
2001年 第21回ユニバーシアード北京大会
2002年 第14回アジア競技大会(韓国)の北朝鮮戦(10月2日)で代表(なでしこジャパン)デビュー
2003年 第4回FIFA女子ワールドカップ アメリカ大会
2004年 アテネオリンピック
2005年 東アジア女子サッカー大会2005
2006年 第15回アジア競技大会(カタール)(準優勝)
2007年 2007 FIFA女子ワールドカップ・予選 (大陸間プレーオフ) メキシコ戦
2008年 東アジア女子サッカー選手権 2008 中国・重慶(優勝)
2008年 キプロス・カップ 2008(3位)
2008年 2008 AFC女子アジアカップ ベトナム大会(3位)
2008年 北京オリンピック
2011年 2011 FIFA女子ワールドカップ ドイツ大会(優勝)
2012年 ロンドンオリンピック(準優勝)

・試合数

日本代表 国際Aマッチ
年   出場  得点
2002   5    0
2003   11   6
2004   11   3
2005   3    0
2006   9    1
2007   1    0
2008   17   3
2009   2    0
2010   0    0
2011   8    1
2012   5    0
2013   4    0
2014   2     0
通算   79   14
(2014年5月16日現在)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.