三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」

【連載】三浦瑠麗が「夫婦」のあり方について問う連載「男と女のあいだ」 #2 母の自己犠牲という神話について

2024.08.14 18:00
【写真】門司の祖母の部屋にある木彫りの品の数々

国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第2回は、母の自己犠牲についてお届けします。

#2 母の自己犠牲という神話について

西瓜を縦に切る人がいるのだと知ったのは、母がそう言ったからだった。食べやすくサイコロ状にするためではない。半割の西瓜を縦に切って真ん中を子どもたちが取り、お母さんは端っこが好きなのと言って端から一切れ取っていたのを見て驚いたのだという。父方の門司の祖母、京子のことだった。父はそれを聞いてややあってから、僕はちいさい頃、お母さんはほんとうに端っこが好きなのだと思っていたよ、と言った。巷に溢れている話だろう。桃の実を切り分けて大きい真ん中を取り、子どもたちにいいな、いいなと言われるお母さん。大人になってから桃の実には大きな種子があることを知った、など。もうそんなに一般的な話だとは思わないが、母親の神話はこうして作られてきた。母親の自己犠牲にはどこかしら、しんとした感じの感動が伴う。「私、自分を犠牲にしてるのよ」とはけっして言わない彼女たちは、自らの語り部ではない。

台所に立つ割烹着の後ろ姿や、裸電球の下、晩(おそ)い時間に繕い物を間に合わせようと針と糸を持つその人の鬢(びん)に目立つ何本かの白髪といった風景は、日本人の郷愁の中にぼんやりとなずんでいる。わたしにとって、祖母京子のイメージは有吉佐和子の『紀ノ川』そのものだった。躾に厳しく教育的で家風を重んじ、近所からは大奥さんと呼ばれて始終付き合いを重ねて立ち働いている。姑や小姑、夫が亡くなって彼女を叱る人がいなくなり、園芸や漢詩の勉強など趣味に生きるようになってからも、祖母は時間を一切無駄にしようとはしなかった。ある日突然木彫りを始めて、家の欄間(らんま)や衝立(ついたて)、ランプシェードなどを一つ一つ彫っていった。本人は謙遜して、お師匠さんのようにはいかないのよというのだが、素人目にはプロの仕事にしか見えなかった。夜、ラジオを聴きながら薄っぺらい布団に横になったその背中や腰を圧すとき、柔らかくへたった浴衣地越しに感じる肉体のちいささは、その下に頑固に凝り固まった働き者の骨や筋とは対照的だった。毎日の生きるための作業を決して怠ることなく、倒れるその日まで彼女の生き方は営々と続いた。

母方の茅ケ崎の祖母はもっとハイカラな人で、少しがらっぱちな話し方を好んでする人だった。宮内省に勤めていた家なのに東京日日新聞の記者になったというので、いったんは勘当された跡取りの文学青年、その家の末っ子に生まれたので季子という。慶応のラグビー部の主将だった青年、辰次郎と結婚したが、戦後、世間知らずのボンボン育ちの夫のために血の滲むような苦労をさせられたという。夫の失敗をいつも自ら働いては補填し、呉服屋を始めて潰した後始末もし、合間に幾度もの流産を経験して、子どもを二人無事に産んだ後はいつも煙草を喫(の)んではぶらぶらとしている夫の世話をしながら会社を切り盛りした。人間として豪快なタイプで、まったく動じるということがなかった。残念なことに、まだわたしが子どものころに亡くなってしまった。ほんとうにおばあちゃん子だったわたしは、学校の後によく自転車を漕いで遊びに行ったものだ。午後中ふたりでお茶をしては、話に興じる。隔世遺伝なのか、わたしがいちばん似ているのはこの人だと母はよくいう。話し好きで気風(きっぷ)がよくて、何でも他人にやってしまう人でもあった。この人がもっと長く生きていたら、と思うことはよくある。きっと何もかも話せただろうに。

わたしの母はそうやって忙しく外で働く母親の不在が悲しく恋しくて、20代前半で専業主婦になるという決意をした。そのきっかけを作ったのは有名な美学者であった指導教員だった。彼は研究生の彼女に、もう二人目が生まれたんだから家庭に入りなさいと言った。今であれば、きっと炎上してしまう言葉だろう。高校まで清泉女学院で厳しいカソリックの良妻賢母教育を受けて育った母だが、音大と迷った末になぜか東京大学を受験し、そこでクラスメートの父と出会ったのだった。まだ学者の卵であった父を支えつつ、二男三女を育て上げる中で様々な苦労をしたのを、わたしは幼いながらに見てきた。子煩悩でまじめで融通が利かず、とにかく歯止めのない母性に溢れた人でもある。

女の生き方をこうして三通り見てきたわたしは、いったい結婚というものを自分はどう考えていたのだろう、とぼんやりと思った。

この一年は、暇が出来たために落語によく通った。人間のダメさ加減を、これでもかと詰め込んだ落語に救われていたのかもしれない。人情に触れるという意味では文楽もいいものだが、東京の国立劇場が閉じてしまったので、なかなか行けない。落語は寄席に行ってぼうっと考え事をしながら流して聴いているのも悪くないし、和蝋燭の炎が揺れる薄暗いお座敷で桂吉坊師匠の芸に見入り聴き入るもよし。談春師匠の独演会のように大箱のなかの群衆の一人となり、こちらへどっと迫り押し込んでくるような緊張感のある場に身を置くもよし。落語に出てくる女に共感するというのではない。むしろ、出来すぎた女は架空のものとして措き、男のダメさを観に行くとでもいうのだろうか。男の落語家が演る女は、男の身勝手な理想形の女とも言われるが、ダメな男を掻き口説くようにしていうことをきかせるのが妙に上手い。とてもとてもわたしにはできない。それと対照的に、女の小春志師匠が演る「お見立て」の遊女などはカラッと乾いた酷薄さがあってしびれ、娘もそれが分かるのか聴き入っていた。

あの頃の女は男を説得する形でしか何もできなかったのねえ、としみじみ談春師匠にいうと、それは本当にそうで、落語は元の台本(ほん)がそうなっているんだから俺にはどうしようもない、と言われた。別にどうにかしてほしいわけじゃない。ただ、自分が型だけをなぞってきた女の振る舞いの歴史の深さを想った。

別の時には、家庭における男の存在意義とは何だと思うかを問うたら、存在意義じゃなくて、惚れたから世話をする、それが夫婦ってもんだろう、といささか立腹して言われた。そうなのか。では、季子はほんとうに夫に惚れていたのだろうか。確かに辰次郎はハンサムな人ではあった。しかし、わたしが知るころまでずっと惚れていたとは到底思えない。男のどうしようもなさを、ただ堪えて自らの運命として受け入れていたに過ぎないのではないか。季子、助けてくれ、と泣きつかれてドンと胸を叩いて引き受ける以外の生き方を知らなかったのではないか。優しさは常にあった。目の前にいる人がお腹を空かせていたり、凍えていたりというのを見過ごせない人だった。夫の世話はいつも行き届いていたし、娘である母に対し物心両面で気遣っていたのも彼女だった。辰次郎は、家長として恰も物事を決めているかのような顔をして、「役柄」の方だけをやっていた。東京の女学校を出てすぐに結婚した京子とて、同郷同士、親が娘と息子を結婚させようということになって、相手の顔も見ずに遠く離れたところへと嫁いでいったに等しい。どう見ても、惚れた仮説には無理があるだろう。

わたしの知る女たちの人生は、かつて女は周りに働きかけることでしか自らを取り巻く状況を変えられなかったということを示している。女は一生懸命に男を変えようとして、あるいは子どもを望みどおりに教育しようとして、その代わり絶え間ない労働と愛情とを差し出してきた。それは経済力がついたからといってすぐに変わる構造ではない。現に、わたしの知りうる限り、金銭を得るために額に汗して働いていたのは辰次郎ではなく季子であった。

なぜ女は我慢を重ね、なおかつ懲りもせず望みどおりにならない男に働きかけようとするのだろう。男と女は、なぜかくも違うのか。

女が望むものは、ひょっとすると男が望むものより深く果てしないのかもしれない。周りに礼儀正しい立派な人格の人間になってもらいたい、愛情深い人でいてほしい、賢く思いやり深い子どもに育ってほしい。女は身の回りをせっせと整え、居心地のよい家庭を保とうとする。京子が身体の続く限り頑張りつづけたのはなぜかと言えば、そういう生き方がもう身に染みついてしまったからである。献身的な努力と向上心を向ける対象がもはや身近にはなく、子どもたちが帰ってくる家を保つことに目標を置かざるを得なかった。

同時に、男にとって「どうだっていい」とされるものの数々は、実はそんなに完全にどうでもいいというわけではない、というのをわたしは知っている。女ほどに、住み心地や食事のあれこれ、清潔さに対するこだわりはないかもしれないが、ちゃっかりと快適さを享受し満足しているのは見れば分かるからだ。だが、男と女では求めるものの広さも深さも異なるので、女のおままごととも見える努力は四方八方に行きわたり、挙句の果てに受け止める先を失ってどしんと落下する。その自己嫌悪をなだめて落ち着かせるのも男の役割ならば、それはそれで上手くいく夫婦の形なのだろう。

逆説的に、現代における夫婦というのは、持て余す時間がありすぎてかえって難しいのかもしれないと思う。少し前の時代の男性といえば、ちょっとした大工仕事が普通にできたし、家や庭や塀などの維持にはそこそこ男性の労力を必要とした。しかし、核家族化が進み、都会化と機械化が進むと、共同作業の領域は減っていってしまう。週末は田舎に住んでいたから分かることだが、庭の木を切ったり草を刈ったり薪を小さく割ったりする仕事があればあるほど、夫婦仲というのは悪くなくなるものだ。キャンピングなどアウトドアでもいい。男が活躍する場をあえて設けなければ、彼らは現代の家庭に居場所がない。都会の狭い空間にただ一緒にいる、というだけでは、資本主義的な消費しかすることがなく、共有するプロジェクトが少なすぎる。ずっとサラリーマンとして忙しく働いていた人が定年を迎えた後の生活ぶりの難しさは、猶更だと思う。

むかしはもっと、生きていくだけで大変だっただろう。今ほどに便利な機械もなかったし、朝お米を研いで浸水させて焚き、野菜の泥を洗い、刻んでおみおつけにするのも、ぬか床をひっくり返すのも、神棚と仏壇に御飯(おっぱん)を上げてからお膳を用意して、人数分の朝餉(あさげ)の準備を整えるだけで大変なことだった。外で働く女性も必死に託児所と職場を往復し、洗濯をして子どもの弁当を作り夕飯を用意するだけで日々が明け暮れていた。紙おむつや洗濯機や食洗器、インターネットが救ってくれたものは大きい。また多くの家が子沢山でもあった。

祖母たちの時代、男も女もただ生きていくだけで日が明け暮れ、とても人生に惑う余裕などなかったのではなかろうか。他所様の人生がどうなっているかなど、せいぜい向こう隣り何軒分かしか分からなかったろうし、SNSもなく、他人と比べる暇さえ与えられなかった。それに、結婚というのは僅か一世紀ほど前までは一定の資産があったり稼げたりするものだけができる特権だったわけだから、結婚した人、すなわち、何か「守るべきもの」を持つ人だったわけである。働くこと、頑張り続けることは、今あるものを守るために必要なこと。きっと、それ以上は求めても得られない事どもがあることへの諒解と背中合わせだったのだと思う。

21年間の結婚生活を終えて感じることは、結婚はたしかに自己犠牲を伴ったが、けっして悪いものではなかったということだ。わたしが間違っていた点があるとすれば、むしろ与え続けることで他人に影響を及ぼし、他者を変えようと考えたことかもしれない。与えた人、頑張った人はその経験から失うものはない。しかし、与え続けたからといって相手がそれで人生に満足するとは限らないし、相手にとって自分がまるでその人の一部のように境界が不分明になるのも困る。

家族に危機が訪れた時、降ってきた深刻な事象をただ受け止め頑張ることのほかに、わたしは咄嗟の立ち居振る舞い方を知らなかった。季子と同様に根が江戸っ子的である所為だろうか。ただ、気風だけでは済まないこともある。それが男と女のあいだに横たわる深い海溝である。

わたしは彼を甘やかしたのだろう。それは、慈しみ諭せば人は変わる、変えられるという期待を伴うものであった。しかし、他者はあくまでも他者にすぎない。子どもさえ思うようにはならないのだから、独立した人格に対しては本来、友人としての距離を保ちながら助言をし、誠意を示すことしかできないのだった。夫婦の破綻に一方的な非というものはない。他者は常に在るように在るのでしかないからだ。

海溝を見てしまったからといって、さほど毎日の行動が変わるわけではない。事件後の癒しはむしろ、母として立ち働くことにあった。今年の母の日は、娘と共に棘だらけの蔓と藪を鍬で掘り起こし、草刈りをしながら背中や太腿が筋肉痛になるまで庭仕事をした。高原ならではの気候の、涼しげによく晴れた日であった。そのあと、疲れた身体に沁みるような蜂蜜入りの檸檬水を作って休憩し、夕方になって母とLINEで会話をした。母もまた、その午後はわたしが先日持っていった宿根草の苗を植えていたのだという。数百キロを隔てた実家の庭で。それだけで心が明るくなった。

母であるというのは、目覚めてその日一日を相も変わらず生きようとすることであり、生きさせようとすること。赤子は放っておいたら死んでしまう。成長期の子どもにはたくさん食べさせなければいけない。それを誰かが日々弛みなく繰り返してきたから、わたしたちはこの世に生きている。

母親の無償の愛、妻の自己犠牲の神話ゆえに、かえって自分にはできないと思って結婚や子育てから遠ざかる人は出てくるだろう。現に結婚数は減っている。けれども、その努力は別に神がかったものではない。限られた選択肢、与えられた状況の中で、その母親がその人なりに頑張り続けたということでしかない。

母に感謝するというのは、感情と労働の双方において受けた負債を意識することである。先日、娘がふと「ママがいたから、ママが育ててくれたから私は生きてきた」と言った。その言葉がじんと重たかった。無償の労苦を受け取ったことに対して子どもができることは、自分の子どもに同じものを与えることのみである。それでも、先日の庭仕事のように母子が同じ目線で並び、立ち働いてみることが贈与と負債のやり取りを和らげ、癒してくれることがある。そうして引き継がれる献身は終わりの見えない螺旋階段のようで、常に先へ先へと受け渡されるからこそ、絶えることがない。

反対に、向かい合う男と女のあいだにはいつも海溝が開いている。過ぎ去った時間がそこに溜まっていく。庇おうとしたことも、救えなかったことも、自分の理解を超えていた事どもも、別れようと留まろうとすべて終末においては面影でしかない。過去は帰ってこない。ゆえに美しく哀しい。わたしたちはそうやって常に期待を胸に、他者と邂逅(かいこう)するのである。

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