現在は会社社長・元℃-ute 萩原舞の今「芸能界に未練はまったくありません」
2017年6月の℃-ute解散とともに芸能界引退し、現在は「株式会社WithMii」の代表取締役を務めている萩原舞。今年8月には結婚も発表するなど公私ともに順調に歩んでいるように見えるが、ここまでの3年にはさまざまな苦難と決断があったという。全3回にわけ、彼女の足跡をたどる。(全3回の1回目)
──℃-uteの解散が2017年6月のこと。萩原さんは芸能界を引退し、現在は事業家への転身を果たしています。この間の流れを教えていただけますか?
萩原 解散した時点では、将来のことについてほぼノープランだったんです。でも、それはあえてノープランにしていたところも大きかったんですよね。なにしろ私は小学校1年生のときに芸能のお仕事を始めて、そこから15年間ずっと活動を続けていたんですけど、その間は長い休みもないし、自分で自分のスケジュールを立てるということが一切なかったんですよ。やるべきことをスタッフさんに告げられて、すべて段取りを整えていただいたうえで、私たちは動いていたんです。だけど冷静に考えると、それってかなり特殊な環境じゃないですか。だから自分の人生を一度「まっさら」な状態にしたかったんです。
──芸能人・萩原舞ではなく、ただの萩原舞としてまっさらな状態で改めて考えたわけですね。
萩原 それでとりあえず解散後に私が取った行動が留学でした。これは親友の光井愛佳ちゃん(元モーニング娘。)に会いたかったというのも大きな理由です。メンバーもスタッフさんもいない中、空港から目的地に向かう……これだけでも私にとってはめちゃくちゃ新鮮なことだったんですよ。最初は英語も全然しゃべれなかったから苦労もしましたけどね。でも言葉も通じない中、自分で考えて自分で行動するということが大事だったんです。
──萩原さんの場合は幼少期から芸能活動を送っていたので、一般社会にコミットするのに苦労したのではないでしょうか。
萩原 でも、だからこそ1人で一般の世界に飛び込むことが必要だと私は考えたんですよ。芸能界引退と発表したら、「もったいない」と言われたことも結構ありましたけどね。「絶対にまた華やかな世界に戻りたくなるよ」とか。
──スポットライト症候群は今のところない?
萩原 まったくありません。踊りたいとすら思わないです。でもそれって、辞めたことに本当に後悔がないからなんですよ。℃-uteで最後にさいたまスーパーアリーナのステージに立ったときも妙に冷静な自分がいて。いっぱいに埋まった客席を眺めながら「この景色をもう二度と見ることができないんだ」と思ったんですよ。かと言って必要以上に感傷的になるわけでもなく、「しっかり目に焼き付けておかなくちゃ」と冷静に考えたことを覚えています。なんというか℃-uteの萩原舞を俯瞰的に、どこか上の方から眺めているような感覚がありました。「これで最後なんだ」と覚悟を決めたあの6月12日から、気持ちがブレたことは一切ないんです。
──芸能界に憧れる人は山のようにいますが、萩原さんの場合は逆に一般人に憧れる芸能人だった?
萩原 そうですね。それに加えてソロ活動する芸能人として「これがやりたい!」という明確なものがなかったという面もありますね。私は芸能人でいたかったわけでもないし、アイドルになりたかったわけでもなくて、℃-uteの萩原舞でいたかっただけなんです。だから℃-uteの解散が決まったら、これ以上はソロで歌おうとも思わなかったし、女優やモデルになりたいという考えにもならなくて。
──いくら小1から芸能活動をやっていたとはいえ、当時はまだ21歳ですよね。そこがキャリアハイで、「これ以上は望めない」ということもなかったと思うんです。
萩原 うーん、もっと根本的な問題として芸能人として大事なガツガツ前に出ようとする姿勢が私には欠けていたんですよね。ソロになったらなおさら「前に! 前に!」って頑張らなくちゃいけないのに、それが性格的に無理なんですよ。芸能界は℃-uteのみんなと一緒だったから頑張れたのであって、自分にとって落ち着く場所ではなかった。だから気持ち的には芸能界を離れた今の方が100倍くらい楽でいられます。
──そして2018年に株式会社With Miiを設立します。
萩原 実は私の一家って、祖父も父を始め経営者が多いんです。だから自分で会社を設立するというのは大それたことではなく、むしろ昔から身近な話ではあったんですよね。そして何か本格的に仕事を始めるなら、お姉ちゃんと一緒がいいというのも当初から決めていました。単純に姉妹仲がいいということもあるけど、アパレルに関する考え方とかセンスがバッチリ合うんです。お姉ちゃんと一緒なら同じ目標に向かって頑張れると思ったから、私の方から声をかけました。
──お姉さんが社長ということになるんですか?
萩原 名義上では私が社長ですけど、実際のところの力関係は五分五分ですね。事業を進めるにあたって株式会社というかたちは採っていますけど、私としては「企業」というより「家」みたいな感覚。結局この会社で何を目指すかというと、自社ビルを建てたいとかそういう話ではなくて、姉と一緒に楽しく満足できるものを作っていきたいということなんです。
──実際に社長業を始めてみて、思い通りにならないこともあったのでは?
萩原 それはもちろんありますよ(笑)。自分たちで考えたものを作ろうとしても、まずはお金がかかりますよね。その調整とかで頭を悩ませることは多いです。あとはイベントをやろうにも、コロナの影響でなかなか予定通りにできなかったりとか……。
──HPを拝見させていただきましたが、With Miiはアパレル販売以外にもイベント運営やWEBマガジンもやられているんですね。
萩原 「With Mii」はアパレルのブランド名と認識されることが多いんですけど、ちょっとそれはニュアンスが違うんです。「With Mii」というのは「With Me」……つまり「私と一緒に」という意味で名付けたんですけど、これはいろんなジャンルの人たちとコラボレーションしていきたいという考えから来ているんですよ。たとえば今はカー用品のオートバックスさんとタッグを組ませていただいていますけど、これもアパレルという枠を飛び越えて何か面白いことができるんじゃないかという発想があったから。ファッション、グルメ、メイク、ライフスタイル……「With Mii」はジャンルにとらわれず楽しいことをどんどん発信していく場であり家でありたいので。
──すごいですね。すっかり発言が一流の起業家じゃないですか。
萩原 いやいや(笑)。今は姉とほぼ2人だけで細々とこなしている感じですよ。YouTubeの撮影とか編集も全部自分たちでやっていますし。いろいろ試行錯誤しながら4年目になりますけど、身の丈にあったサイズでできることを1つずつこなしていきたいです。
>>2回目は
(取材・文/小野田衛)▽萩原舞(はぎわら・まい)1996年2月7日生まれ、埼玉県出身。2002年にハロー!プロジェクト・キッズオーディションに合格、2005年から2017年まで“アイドルが憧れるアイドル”℃-uteのメンバーとして活躍した。グループ解散後は留学を経て「株式会社WithMii」の代表取締役に就任し、アパレルデザインなど多岐にわたる事業を手掛けている。Twitter:@mai_withmiiInstagram:mai_hagiwara_22462
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