ブリトニー・スピアーズ(ぶりとにーすぴあーず)

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ブリトニー・スピアーズのプロフィール

ブリトニー・スピアーズ
出生名 Britney Spears
出生 1981年12月2日
アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ケントウッド
身長 163cm
体重 48kg
活動期間 1996年~現在

ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears, 1981年12 月2日 - )は、アメリカ合衆国のポップ歌手。日本での愛称はブリ、ブリちゃんなど。現在は二児の母。身長163cm。

■生い立ち

アメリカ、ミシシッピ州にて、イングランド系アメリカ人の両親、小学校教師の母と建築請負業者の父の間に生まれルイジアナ州で育つ。 母方の祖母はイギリス・ロンドン生まれであり、アメリカに移住した[2][3][4]。幼い頃からダンス・サークルで踊ったり、教会合唱団に参加して歌を唄う。8歳にしてディズニー・チャンネルの「ミッキーマウス・クラブ」のオーディションに応募するも、「年齢が低過ぎる」という理由で落選する。だが、番組プロデューサーがニューヨークにある「プロフェッショナル・パフォーミング・アートスクール」に入学するよう薦める。 そのスクールでブリトニーは3年間学んだ。(他には9歳まで体操選手として訓練を受け、州大会で競技するレベルになっている)

最初に注目を浴びたのは11歳の頃。「スター誕生」という勝ち抜きオーディション番組で第1週目を勝ち、注目を集めるも、最終的には敗退している。

その後、「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションに再び応募し合格。この番組で13歳までレギュラー出演をする。番組が終了後、一旦地元のルイジアナ州ケントウッド市に戻り、高校生として1年間学生生活を送る。

16歳の頃、女性ポップ・グループの「イノセンス」に短い期間加わる。その同じ年の後半、ソロとしてデモをレコーディング。これがジャイヴ・レコードから契約を得る大きなキッカケとなる。ここから当時売れていたイン・シンクやバックストリート・ボーイズの前座を務める仕事を受けるようになる。

■歌手としての成功

16歳でシングル「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」(1998年10月)でデビュー。同シングルは全世界で915万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイトらによって製作され、アメリカだけで1726万枚、全世界トータル3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録した。

2000年5月、2枚目のアルバム『Oops...I Did It Again(ウップス…アイ・ディド・イット・アゲイン)』はアメリカで1300万枚、全世界トータル2096万枚の売り上げを記録。日本でも35万枚の売上。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。

デビュー当初は清純路線で、同期のクリスティーナ・アギレラと比較されていた。

アメリカで650万枚、全世界トータル1200万枚を認定した3枚目のアルバム『Britney(ブリトニー)』(2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『In The Zone(イン・ザ・ゾーン)』(2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドで聞き手を圧倒させ、アメリカで430万枚、全世界トータルで800万枚を記録。同アルバムに収録されている曲「Everytime(エヴリタイム)」のミュージックビデオでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。

ブリトニー・スピアーズのミュージック・ビデオ‘TOXIC’が、イギリスのテレグラフ紙の行った“The Sexiest Music Video”(もっともセクシーなミュージックビデオ)のランキング1位に選ばれた。

2004年に発売されたベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative(グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ)』はアメリカで230万枚、全世界トータル600万枚を越え、日本でもオリコン初登場1位を記録し、80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。

2007年発売の『Blackout(ブラックアウト)』は全世界300万枚を売り上げ、フランスで開催されたNRJ Awardsでベスト・インターナショナル・アルバム賞を獲得。

2008年発売の『Circus(サーカス)』は全米初登場1位をとり、6週連続でTOP10内にランクインしている。全世界で400万枚のセールスを突破し、ブラックアウトの売上を抜いた。

2009年に新曲「3」を含むベスト盤の「コンプリート・ヒット・シングルズ」を発表。日本ではスタンダード・ヴァージョンとボーナスDVD付きのデラックス・エディション2タイプが11月25日にリリースされた。新曲「3」はブリトニーのデビュー曲「ベイビー・ワン・モア・タイム」や「ウップス!・・・アイ・ディド・イット・アゲイン」、最新作の「イフ・ユー・シーク・エイミー」などを手掛けたマックス・マーティンによる作品である。

最も売れた女性アーティストとして正式に認定され、これまでにリリースした6枚のオリジナルアルバム中5枚が全米チャートNo1を獲得し、全世界トータル・セールス9000万枚を誇るスーパーアーティストである。

■私生活

2000年にイン・シンクのジャスティン・ティンバーレイクと交際するが、のちに破局。

2004年1月、酔った勢いでネバダ州ラスベガスで幼なじみと結婚するも、すぐに婚姻無効を申請するという騒動を起こした。9月には妊娠中の恋人を捨てたダンサー、ケヴィン・フェダーライン(en:Kevin Federline)と結婚。同年11月ベストアルバム『Greatest Hits: My Prerogative』を発売(アルバムのタイトルにもなっているヒット曲「My Prerogative」はボビー・ブラウンのカバー曲)、休業宣言をし妊娠を公式発表。

2005年9月14日に帝王切開で長男のショーン・プレストン(Sean Preston)を出産。母親になってもニューアルバムの製作は続いていた。公式サイトにてアルバム曲中の「Someday (I Will Understand)〈サムデイ〉」のミュージックビデオを披露。大きくなった腹をさするシーンもある。出産数ヵ月後に第二子を妊娠。

2006年9月12日に次男のジェイデン・ジェームス(Jayden James)を出産。11月7日、ケヴィン・フェダーラインとの約2年間の結婚生活に終止符を打とうとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てた。理由は夫との「妥協しがたい不一致」。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、ブリトニー側からケヴィンに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立した。復縁はないとされている。

ブリトニーにはドラッグやアルコールを常用している疑いがあり、子どもより自分を優先する行動、無免許運転による事故で起訴される[5](後に起訴は棄却)といった問題が絶えないため、裁判所は2007年10月に親権を剥奪し、ケヴィンに完全譲渡すると発表した。

006年11月、ケヴィン・フェダーラインと離婚申請をしたばかりのブリトニーがラスベガスのカジノで大儲けしたという。ブリトニーは賭け金の高いプレイヤー専用のコーナーでブラックジャックをプレーして10万ドル(日本円で約1200万円)も儲けた。さらにこのカジノに来る前に参加したパーティーでラテン系俳優のマリオ・ロペスと一緒に参加しているところをパパラッチされ、新恋人ではないかと騒がれている。
2007年1月、前夫のケビンと顔やスタイルがそっくりのモデル兼俳優であるアイザック・コーエンと親密交際が報道された。ブリトニー自身もアイザックを「特別な人」と表現しており、1泊480万円もするラスベガスのホテルで宿泊する姿をパパラッチに撮られている。
2007年2月、新恋人のアイザック・コーエンと交際わずか3か月で破局したことがわかった。アイザックはあまりに目まぐるしい環境の変化に耐えられなってしまったらしく、アイザックの知人は報道機関に「アイザックは本当にブリトニーが好きだったし、彼女のために何でもしてあげたかったらしいけど、もう耐えられなかったみたいなんだ」と語っている。
2007年8月9日、元夫であるケヴィン・フェダーライン(en:Kevin Federline)がブリトニーの度重なる奇行やナイトクラブなどの夜遊びから共同で持っていた子供の養育権をブリトニーから奪う書類を裁判所に提出した。
2007年9月、ブリトニーはあて逃げと無免許運転の容疑で告訴された。ブリトニーは2007年8月6日に店の駐車場で右折する際に見知らぬ車のバンパーにあて、そのまま逃走した上にカリフォルニア州の免許を所持していなかった。この事件はあてられた車の持ち主が警察に届けたことがきっかけとなり発覚した。
2007年10月1日、元夫のケビンと親権を争っていたブリトニーだが、一時的に親権が奪われることが決定した。ブリトニーが親権を失うに至った理由としてドラッグやアルコールを常用している疑いがあり、検査を受けるようにいわれたがそれを拒否し、さらにカリフォルニア州でのあて逃げと無免許運転したことだという。裁判でブリトニーは今後、カウセリングに出席し、週に2度のランダムな薬物検査を受けることを命じられた。さらにブリトニーはケビンに配偶者のサポートとして月に2万ドル(日本円で約320万円)を払い続けなくてはならないといわれている。
2008年9月、ブリトニーがチャリティのために自身のポートレートをオークションに出品したという。このポートレートはダニエル・マルツマンによって描かれた油絵で胸のあたりで腕組みをし、両目を閉じたビキニ姿のブリトニーが描かれていて、ブリトニーの直筆のサインも入っているという。ポートレートはeBayというオークションサイトで1万ドル(日本円で約108万円)からオークションが開始され、9月10日に終了したという。
2009年1月、Daily Mirrorによるとブリトニーが契約金12億4000万円で自叙伝を出版する計画が進められているという。この自叙伝は数年にわたり数冊を出版する予定で、内容は「お騒がせセレブとして名を馳せた成功の頃、結婚・出産を通して徐々に目立ってきた奇行と更生施設での生活、そして2008年の復活まで」だという。ブリトニーはこれまでの事を日記を書きためているらしく、その内容を載せていくのではないかといわれている。
2009年3月、ドラッグやアルコールなどの問題を乗り越え完全復活をし、ワールドツアー『The Circus Starring Britney Spears』を開催。
2009年3月、兄の親友でブリトニーの代理人であるジェイソン・トラウィックと交際していることが発覚。
2009年4月、法的後見人である父のジェイミー・スピアーズの厳重な監視下のもとでツアーを行っていたブリトニーだが、ジェイミーが仕事でロンサンゼルスに行っている間にツアーのバックダンサーを務めている21歳のGIO(本名チェイス・ベンツ)と親密な関係になっていることが発覚した。ブリトニーは彼に靴や服を買ってあげるなどお互いの関係を楽しんでいたが、父が仕事から戻ると何事もなかったかのように今まで通りに戻っていたという。以前、ブリトニーは「自分の恋人は自分で選びたい」と語っており、この親密な関係は遊びではないのではといわれた。
2009年4月、バックダンサーとの親密ぶりが報道されたばかりのブリトニーが、不動産投資家で億万長者のジョン・サンダールとの婚約のニュースが報じられた。ジョン・サンダールと最初に出会ったのはリハビリ施設にいた時で関係者によれば今回のツアー中にニュージャージーで再会し、二人の関係は親密になり、4月初旬にはサンタモニカのサンドウィッチ店のサブウェイの前でジョンが5億円のダイヤの指輪を手に突如ひざまずいてブリトニーにプロポーズしたという。さらに2人はジョンの親戚が所有するドイツの牧場で結婚式を挙げる計画もあるという。これに対し、ジョンは「一切、お話することはありません」と黙秘し、ブリトニーの広報も「すべてが事実無根」ときっぱり否定をしている。
2011年12月15日、恋人のジェイソン・トラウィックとの婚約を発表。ラスベガスのヒルトンホテルにて婚約パーティーを開催した。

■奇行・復帰

2007年初頭より精神不安定のためか突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[7]、パパラッチを傘で叩いたりなど迷走していた。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10ヶ月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴのライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。全て口パクであったがそれでもファンは待望のステージ復帰に喜んだ。

フロリダ州オーランドとマイアミでのミニライブの往路、革製のシートがないという理由で飛行機を降り、離陸時間を1時間遅らせる。その後のオーランドでのライブでは口パクで「Do Somethin'(ドゥ・サムシン)」を歌っている最中に、バックに流れていたCDが音飛びして何度も同じところを繰り返し、仕方なく観客に背を向けてごまかした。 7月、シンディ・ローパーのコンサートに特別出演する予定だったブリトニーが急きょ出演をキャンセル。理由は、口パクではなく生で歌うことが条件だったためと言われる。

8月に新曲「Gimme More(ギミ・モア)」を発表。楽曲の評価は比較的高いが、9月にMTV Video Music Awardsでパフォーマンスをし、高視聴率をマークすることは出来たが精彩を欠き、華々しい復活を印象付けることはできなかった[8]。ダンスにまるでキレがないうえに顔は無表情であり、露出度の高い衣装で崩れた体型が目立ち、口パクのタイミングも合っていなかった。このため各メディアやネット上で、「ブリトニー、復帰失敗」などと酷評を受けた。

10月には、裁判所が命じた事前に日時を特定しない薬物検査を受けなかったため親権を失い、面会権のみに制限されたが、その面会権も一時的に差し止められた。

11月に4年ぶりとなるオリジナルアルバム『Blackout(ブラックアウト)』を発売する予定だったが、インターネット上での流出があまりにひどいために、急遽10月30日に発売が早まった。『Blackout』からの先行シングル「Gimme More」はプラチナムを獲得した。アートワークの中には挑発的な服装をしたブリトニーが教会の懺悔室の中で神父と並んで写っている写真があり(うち1枚は彼女が神父の膝の上に乗っている)、カトリック教会から「教会を嘲るのをやめ、エンターテイナーとして徹するべきだ」と強い抗議を受けた。なお、日本版の発売は予定通り11月14日である。 ビルボードチャートでは1週間に29万枚のセールスを記録し、5作連続の1位も期待されたが、イーグルスの『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』に阻まれ初登場2位(日本では4位)。

なお、2007年には、マジシャンである、クリス・エンジェルとの交際が、パパラッチにより明らかになっている。

2008年1月3日、ブリトニーはこの日の午後、ビバリーヒルズの自宅で2人の息子と過ごしていたが、元夫ケヴィン側に息子たちを引き渡すことを拒否。警察が出動する事態になり、ブリトニーは何らかの物質による合併症状を発症しているとされ、精神状態の医学検査を行なうため救急車で病院に搬送された[9]。 5日には病院を退院した。この騒動により子供達との面会権を失ってしまう。

1月31日、ブリトニー自身もしくは他の人たちに危険を及ぼす可能性があるとしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに搬送された[10]。 3日間の集中鑑定・治療の結果、引き続き14日間の治療が必要と診断されていたブリトニーが、2月6日午前11時30分頃に入院していたUCLA病院の精神病棟を緊急退院した。UCLA病院の担当医は、法律の下にブリトニーを入院させていたが、ブリトニーの容体は安定し、自分や他人に危害を加える恐れはないと判断し、ブリトニーが退院を望んでいるために、これ以上の入院は必要ないと判断した。入院直後は抵抗していたブリトニーだったが、病院内では診察に協力的でとてもおとなしかったという。

その後、父親のジェイミー・スピアーズがロサンゼルス地方裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられてブリトニーをサポートしている[11]。

2月22日、1月3日以来会っていなかった息子達の面会権を得ることが出来た。 2月中旬から6~15歳で15名位のダンスレッスンの講師をブリトニーが行い、子供やその親から絶賛されている。クラスの子供は全員ブリトニーが大好きで、子供の親も「子供と一緒にいるブリトニーは素晴らしいの一言です。子供はいつもブリトニーと一緒に踊って、ブリトニーがきっかけを与えてくれたんです」と絶賛。そしてブリトニー自身もかなり癒され、楽しんでいるという。また子供たちと一緒に撮った写真をフォト・エージェンシーを通して世の中に売り出し、売り上げは子供達のガン治療を行うテネシー州メンフィスのSt.Jude Children's Research Hospitalに贈られチャリティーにも貢献している。

■完全復活

2008年3月24日、CBSで人気放送中のコメディードラマ『How I Met Your Mother(ハウ・アイ・メット・ユア・マザー)』にゲスト出演し、1067万人の視聴者を獲得し、放送開始からの3年間で過去最高記録をマークした。いまだにブリトニーに対する注目度が高いことを証明したことになる。TVにカメオ出演するのは、2006年のNBC『Will & Grace(ウィル&グレース)』以来となる。また、ブリトニーがドラマの中で着ていた衣装がチャリティー・オークションに出品され、集まった収益金は環境保護団体の天然資源保護協議会に送られた。 

6月25日には子供達と一晩過ごせる権利を裁判所から下され、2006年の離婚以来続いていた親権争いは7月18日に和解が成立した。 和解では、フェダーラインが息子2人の親権を維持することとなった。

そして9月7日、MTV Video Music Awardsのメインとして元気な姿を見せ、見事3冠を獲得し、華々しい復活を遂げた。そしてまた、12月の自身の誕生日の2日に復活作『Circus(サーカス)』をリリース。ファーストシングルの「Womanizer(ウーマナイザー)」が9月26日にラジオで解禁された。その「Womanizer」はitunes USAで一週間に28万6千ダウンロードされ、Billboard Hot 100にて96位から1位という当時歴代最高のジャンプアップによりシングル「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」以来の1位を獲得した[12]。

2008年はブリトニーの年と言われ、2008年のyahoo検索ワードで1位だった[13]。過去8年のうち7年間はブリトニーが1位をとっている。

2009年に開催されたの音楽祭“NRJアウォーズ”では“最優秀インターナショナル女性アーティスト”およびシングル「Womanizer」での“最優秀シングル”と、2部門で賞に輝くなど健闘をみせた。「Womanizer(ウーマナイザー)」はブリトニーのシングルの中で最も売れたシングルとなった。

そして、発売2ヶ月で前作を超える全世界セールス400万枚を突破したアルバム「サーカス」。まさに完全復活を果たしたブリトニー・スピアーズが、 3月3日、生まれ故郷のあるルイジアナ州のニュー・オリンズ・アリーナにて、約5年振りとなるツアー<THE CIRCUS STARRING BRITNEY SPEARS>をスタートさせた[14]。このツアーは、29都市36公演のほぼ全てが約2万人収容の大会場、計50万人以上を動員する大アリーナ・ツアー。6月3日よりロンドンのO2アリーナで 8公演を開き、ロンドンだけで十数万人を動員した。

米Yahoo!が発表した、21世紀最も売れたシングルトップで、ブリトニーは4位 Toxic、5位 Womanizer、6位 Oops!... I Did It Again でTop20のうち3曲もランクインした。ほかに、3曲ランクインしたのは、シャキーラだけである。

2009年10月にブリトニーのニューシングル“3”が、約25万5千回ダウンロードされ、Billboard Hot 100で自身3曲目の1位を初登場で獲得した。初登場のシングルが1位に輝いたのは、テイラー・ヒックスの「Do I Make You Proud」(2006年)以来3年ぶり。また、米人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」出身者ではないアーティストがビルボードで初登場1位を獲得したのは、セリーヌ・ディオンとR・ケリーの「アイム・ユア・エンジェル」以来11年ぶりとなる。また1位をとったことをツイッターでは、『私のファンに“3”がBillboard Hot 100で1位になれたことにお礼を言います。私は世界で最も偉大なファンに恵まれていると思ってます。 私は、みんなのために頑張っているので、みんなが “3”を好きならとても満足です。~ Britney』とコメントしている。同月、イギリスのパーク・クリスマス・セイビングが行ったアンケートで、セレブママの1位に選ばれた。

どの雑誌にも2009年はブリトニーのことをカムバックスターと言っている。 現在は、音楽シーンを「ポップ・アイコン」として世界を引っ張っている。

■音楽

◇アルバム

・ベイビー・ワン・モア・タイム - ...Baby One More Time(1999)
・ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン - Oops!...I Did It Again(2000)
・ブリトニー - Britney(2001)
・イン・ザ・ゾーン - In The Zone(2003)
・グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ - Greatest Hits: My Prerogative(2004)
・B・イン・ザ・ミックス - B in the Mix: The Remixes(2005)
・ブラックアウト - Blackout(2007)
・サーカス - Circus(2008)
・コンプリート・ヒット・シングルズ(2009)

◇シングル

・ベイビー・ワン・モア・タイム - ...Baby One More Time(1998)
・サムタイムス - Sometimes(1999)
・クレイジー - (You Drive Me) Crazy(1999)
・ボーン・トゥ・メイク・ユー・ハッピー - Born To Make You Happy(1999)
・フロム・ザ・ボトム・オブ・マイ・ブロークン・ハート - From The Bottom Of My Broken Heart(1999)
・ウップス…! アイ・ディド・イット・アゲイン - Oops!...I Did It Again(2000)
・ラッキー - Lucky(2000)
・ストロンガー - Stronger(2000)
・ドント・レット・ミー・ザ・ラスト・トゥ・ノウ(邦題:最後に知らせないで) - Don't Let Me Be The Last To Know(2001)
・アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー - I'm A Slave 4 U(2001)
・オーヴァープロテクテッド - Overprotected(2001)
・ノット・ア・ガール - I'm Not A Girl, Not Yet A Woman(2002)
・アイ・ラヴ・ロックンロール - I Love Rock 'N' Roll(2002)
・ボーイズ - Boys <CD-ED Remix>(2002)
・アンティシペティング - Anticipating(2002)
・ミー・アゲインスト・ザ・ミュージック feat. マドンナ - Me Against The Music feat.Madonna(2003)
・トキシック Toxic(2004)
・エヴリタイム - Everytime(2004)
・アウトレイジャス - Outrageous(2004)
・マイ・プリロガティブ - My Prerogative(2004)
・ドゥ・サムシン - Do Somethin'(2005)
・サムデイ(アイ・ウィル・アンダースタンド) - Someday (I Will Understand)(2005)
・アンド・ゼン・ウィー・キス - And Then We Kiss(2005)
・ギミ・モア - Gimme More(2007)
・ピース・オブ・ミー - Piece Of Me(2008)
・ブレイク・ジ・アイス - Break The Ice(2008)
・ウーマナイザー - Womanizer(2008)
・サーカス - Circus(2008)
・イフ・ユー・シーク・エイミー - If U Seek Amy(2009)
・レーダー-Radar(2009)
・スリー - 3(2009)

◇DVD/ ビデオ

・タイム・アウト・ウィズ・ブリトニー・スピアーズ - Time Out with Britney Spears(1999)
・ライヴ・アンド・モア! - Live And More(2001)
・ブリトニー: ザ・ビデオ - Britney: The Video(2001)
・ライヴ・フロム・ラス・ヴェガス - Live From Las Vegas(2002)
・イン・ザ・ゾーン - In The Zone(2004)
・グレイテスト・ヒッツ: マイ・プリロガティヴ DVD - Greatest Hits: My Prerogative DVD(2004)                   

■映画出演

2002年、映画「ノット・ア・ガール」で映画初主演をする。映画の興行成績は全米で初登場2位を記録したが、すぐに10位以下になり、ブリトニーはラジー賞の最低主演女優賞・最低主題歌賞を受賞。なお、主題歌の「I'm Not a Girl, Not Yet a Woman(ノット・ア・ガール)」も本人が歌っている。 
日本公演

・2002年 "Britney Spears The Tour"
4月25日 東京ドーム

■関連作品・商品
◇映画

・ノット・ア・ガール - Crossroads(2002)(主演)
主題歌「I'm Not A Girl, Not Yet A Woman」

・オースティン・パワーズ ゴールドメンバー - Austin Powers in Goldmember(2002)(カメオ出演)
挿入曲「Boys <Co-Ed Remix>」

◇テレビ

・ザ・シンプソンズ - The Simpsons(2000)(声の出演)
・ウィル&グレース - Will & Grace(2006)(カメオ出演)
・ハウ・アイ・メット・ユア・マザー - How I Met Your Mother(2008)(アビー役)
・サウスパーク - Britney's New Look(2008)(演出、本人未承諾かつ侮辱的な内容である)

◇著書

・Britney Spears' Heart To Heart"(母親リンと共著)
・A Mother's Gift"(母親リンと共著)

◇ゲーム

・Britney's Dance Beat"(プレイステーション2)

◇香水

2004年に、エリザベス・アーデン社監修の下、ファーストフレグランスのCurious(キュリアス)"を発表。

・Curious;(2004)

ボトル・デザインは、ブリトニーがロンドンのアンティーク・ショップで見つけたボトルをモチーフにしている。

Fantasy(2005)
Curious In Control-New Limited Edition(2006)
Midnight Fantasy(2007)
Believe;(2007)
Curious Heart(2008)

限定デザインのボトル。香りはCuriousと同一。

■受賞/ノミネート
◇グラミー賞

・2000 Best New Artistノミネート
・2001 Favorite Female Artist Pop or Rock Music; ノミネート
・2001 Favorite Album Pop or Rock Musicノミネート
・2005 Best Dance Recording受賞
・2009 Best Dance Recording ノミネート

◇アメリカン・ミュージック・アウォーズ

・2000 Best Pop Vocal Album ノミネート、
・2000 Best Female Pop Vocal Performance ノミネート
・2001 Best Pop Vocal Albumノミネート、
・2001 Best Female Pop Vocal Performance ノミネート

◇TEEN CHOICE AWARDS

・2000 Favorite Female Artist" 受賞
・2000 Female Hottie of the year" 受賞

◇ゴールデンラズベリー賞 

・最低主演女優賞:『ノット・ア・ガール』
・最低主題歌賞:『I'm Not A Girl, Not Yet A Woman』(『ノット・ア・ガール』)
・最低助演女優賞:『華氏911』

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