宮城舞、渋谷ギャルがパリコレの舞台へ―裏側の努力と葛藤、新たな目標を語る モデルプレスインタビュー
2015.08.02 10:41
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先月、パリコレへの出演を果たしたモデルの宮城舞(27)。“まいぷぅ”の愛称で親しまれる彼女は現在「ViVi」専属モデルとして活躍中だが、デビューは高校時代、渋谷でのスカウトがきっかけ。ギャル誌出身モデルがパリコレデビューというシンデレラストーリーは、これまで彼女を支持してきたファンをも驚かせるビッグニュースとして駆け巡った。
フランス・パリ市内にて現地時間7月6日、フランス人デザイナー・Jeremy Bueno(ジェレミー ブエノ)氏のコレクションに出演し、堂々としたウォーキングでパリコレデビュー。ジェレミー氏のオートクチュールコレクションでは例年、日本のヘアウイッグブランド「PRISILA(プリシラ)」のウィッグが採用されており、宮城は同ブランドからの推薦を受けてパリコレ出演に至った。
モデルプレスは大舞台を終えた彼女を直撃。これまであまり語られることのなかった努力や葛藤、モデルとしての成長、そして新たな目標や結婚観にも迫った。
宮城:その時はちょうど事務所にいたんですけど、社長から突然「パリコレ決まったから」と言われて「あっ、そうなんだー」みたいな(笑)。他人事のようで、嬉しいというよりも「パリコレ?大丈夫?嘘でしょ?」という感じでしたね。友達や家族にも恥ずかしくて言えず、1ヶ月ぐらい自分の心の中で「マジか…マジか…」って(笑)、半信半疑の状態が続き。
― 6月の発表まで、誰にも伝えなかったんですか?
宮城:そうなんです!ニュースを見てくれたファンのみんなや友達、家族、近所の人からも色んなコメントをもらったことで、すっごいいきなり緊張してきて「世に発表されちゃったから、これはやるしかねぇんだ!」と(笑)。そこから「体絞んなきゃ」とか、いろいろ本気で取り組んだ感じです。
― どうして恥ずかしさがあったのでしょうか?
宮城:会う人会う人にパリコレのことを言われたけど「すごいでしょ!」とは言えなかった。「恥ずかしいから言わないでよ~」って(笑)。私はハーフでもないし、背が高いわけでもない、テレビに出て世の誰もが知っているようなタレントでもない。それなのにパリコレに出るなんて、みんな心の中では鼻で笑ってるんじゃないかな?って、すごくネガティブになっちゃって。だから「パリコレ出るんでしょ」と言われても「そうだよ。こんなチビが。ウケるっしょ?」って笑いに変えていたんです。
― 弟の大樹さんをはじめ、ご家族の応援は心強かったのでは?
宮城:そうですね。妹や大樹が一番驚いてました。「えっ!?マジ?すごいんだね、姉貴って!」みたいな(笑)。その時は心から喜べました。家族に対しては「すごいっしょ?」って(笑)、唯一優越感に浸れたかな。
― 本気モードのスイッチが入るきっかけは何でしたか?
宮城:ファンのみんなが真剣に喜んでくれたのが嬉しくって。身内の人達が喜んでくれるのは当然だけど、昔からずっとファンでいてくれた人達が「応援してて良かった」「さすが!やるねぇ、まいぷぅ」と言ってくれて。「みんながこんなことを言ってくれるから、信じて頑張ろう」と思ったんです。
― ファンの声が大きな後押しになったんですね。パリコレへ向けてのトレーニングやメンテナンスは具体的にどのような内容でしたか?
宮城:まず食事制限。糖質や炭水化物はあまり摂らないようにして。逆にサラダやお肉、お魚は結構お腹いっぱいに食べていました。筋トレも2日に1回ぐらい。今までヨガしかやってなかったから「初めまして、自分の腹筋!」みたいな感じで(笑)。
― それまではストイックに鍛えることはなかったんですね。
宮城:もともと筋肉質で、ゴツく見えちゃうからあんまり筋トレはしてなくて。だけど25歳過ぎてからは、筋肉量が減ると本当に痩せにくくなるんです。それにギャルの時は細ければ細いほど可愛いと思っていたけど、今はちょっと違うなって。女性らしくヘルシーな体が理想ですね。
― 今回の準備期間でどのくらい体重を落としたんですか?
宮城:太ったところから徐々に戻していって、1ヶ月で-3キロぐらい。体脂肪が4%ぐらい減りましたね。毎日起きた瞬間にパジャマを脱ぎ、自分の裸を見てモチベーションを上げて、体重計に乗ってから仕事に行く。それが日課でした。
― その習慣は今でも続けていますか?
宮城:続けてるんですけど、最近はちょっとサボりぎみだから「うわっ、(肉)ついたな…」ってモチベーション下がってから仕事に向かうっていう(笑)。パリコレの前に水着ロケがあって、ずっと制限しなきゃいけない期間が続いたので、今はもうストイックにはやってないです。
― 食事制限以外に、ケアをされた部分は?
宮城:前から定期的に通っている美顔針やレーザーは続けていましたけど、食事や禁酒で精一杯でしたね。お酒飲まないし、食生活も正しいから肌荒れとかはなかったです。
― モチベーションはどのように保っていたんですか?
宮城:麻雀してました(笑)。友達と遊びに行ったら食べたくなっちゃうし…考えた上で一番良かったのが麻雀だったんですよ。麻雀するといつも1.5kgぐらい体重が落ちてる(笑)。5~6時間、食べない状態で頭を使っているからかな。
― まさかの“麻雀ダイエット”ですか(笑)
宮城:それが唯一のストレス解消でしたね。でも今回絞ったことで、食べないダイエットって良くないんだなと実感しました。すごいストレスが溜まるし、暴食したりして振り幅が大きすぎる。昔食べないダイエットをした時、家で起きたら食べた覚えのないコンビニ弁当の空が置いてあったりとかして(笑)。そういう失敗談もあるので、今回はトレーナーさんに相談をして食べるものを決めました。これがきっかけでサラダが大好きになったので、飽きずに続けられましたね。本当に自分と向き合う1ヶ月間でした。
― パリに到着してからはどのように過ごしていましたか?
宮城:着いた日はフリーだったんですけど、飛行機がトランジット含めて18時間ぐらいかかったし、時差が苦手で、到着した時は「体が…重い…」みたいな。でもとりあえず凱旋門行くか!って(笑)。観光をしてリラックスしました。フィッティングの時は結構集中していましたね。
― 緊張のピークはいつでしたか?
宮城:出る直前かな。周りのモデルさんは私の胸の位置に腰があるくらい背が高かったから、「この人達は別。私は私!」という考えに変えて。誰になんと言われようが、とにかく「出た」ってことにはなるから、いつもの自分通りに、周りの目線は気にせず堂々と歩こうって思って出ましたね。ランウェイでは前しか見てなかったし、自分にだけ集中していました。一瞬でしたね。
― 終わった時はホッとしましたよね?
宮城:ホッとして涙が出そうだったけど、私ってそういう時に泣けないんで。強がっちゃうんです(笑)。打ち上げの時も疲れちゃって、お酒も全然飲めなかったです。
宮城:逆にすごくプレッシャーを感じようになったかもしれない。私のことを知らない人が、パリコレに出たことを聞いたら「えっ!?やるんだね、結構」って、見方がちょっと変わるじゃないですか。私は顔の第一印象で子供っぽく見られることも多いので、パリコレに出たことをどう思われているんだろうとか、“パリコレモデル”って言われて良いのかな?とか…複雑な気持ちもあるけど、今は誇りに思おう、一生の宝物にしようって。自信につながったと同時に、プレッシャーにもなっているかな。
― 今回を機に、モデル人生を振り返ることもありましたか?
宮城:ありましたね。なんか我ながらすごいな~って(笑)。16歳でマルキューの前でスカウトされ、スナップに載って、その後「Ranzuki」に出るようになって。その時は本当にバイト感覚でやってたし、いつまでも続くとは思ってなかった。終わったら時給が高いパチンコ屋のバイトでもやるか~と思ってたし。実は「Ranzuki」の時から「ギャルっぽくない」と言われて、編集の人に「もうちょっとギャルっぽくしてよ」と言われたこともあって。当時はギャルメイクがどうしてもしっくりこなくて「どうしよう、なんでギャルになれないんだ!」って思ってたけど、今考えると良かったなって。ギャルっぽくないからこそ「JELLY」に行けたとも思うし。
― 渋谷のギャルがパリコレデビューというシンデレラストーリーは夢を抱く女の子の励みになると思います。
宮城:ギャルってなめられがちじゃないですか。「どうせギャルでしょ?」という目線で見られるけど、「どうせギャルがここまでやって来れたんだよ!」というのは誇りに思うかな。だから昔の自分含めて、なめられたくないっていう気持ちはより強くなったかもしれない。
― バイト感覚のモデルを仕事にしようと決意したきっかけは?
宮城:「JELLY」に入ってからも居酒屋でバイトをしてたんですけど、決意したのは事務所に入ってからかな。今はギャルモデルでも事務所に入ってるのが当たり前だけど、その当時は事務所に入ってる子なんて全然いなかったし、抵抗はあって。けど今の社長が一番最初に声をかけてくれたから、早く入ったほうがいいなって。それで「モデルをやってくしかない」って思い始めたんですよね。あとその頃、地元の彼と別れたんです。事務所に入ったことで彼が「すごい遠く感じる」って落ち込んじゃって。「そんなことないよ」って言ってたけど、その彼が言っていることもわかるし、別れることになって。それも結構大きなきっかけだったかもしれない。
― そんな葛藤も含め、モデルを辞めたいと思ったこともありますか?
宮城:全然ありますよ!好きなもの食べて、遊んでたいなって思う時もあるけど、それでも楽しい時のほうが多かったから。
― 人生のターニングポイントとして意識している出来事は?
宮城:「JELLY」で連載が決まったことですね。それで「絶対に表紙になる」という目標を立てて。当時は連載に命をかけていたというか、自分を出していくところはここしかないと思ったんです。「JELLY」は強めなギャル誌だったから笑顔のショットが少なかったんですけど、私は「笑った時の顔がすごく楽しそうだよね」って言われることが多かったから、それを自分のキャラにしたくて。その連載の人気が出て、ピン表紙もやらせてもらえるようになったんです。自分の個性を見つけ始めたのはそれがきっかけですね。もちろん「ViVi」に入ったことも自分の中ではターニングポイント。それがきっかけでより幅広く知ってもらえるようになったと思います。
宮城:今年28歳になるので、もう1つ自分の個性を引き出したいと思ってます。アラサーだからこそ出せる魅力っていうのを、何かな~って迷走中(笑)。
― 理想としてイメージしている方はいますか?
宮城:もちろん梨花さんや土屋アンナさんをすごく素敵な人だなと思うんですけど、同じにはなれないから、どうしようかなって。自分の持っているものは、もっとあるんじゃないかな?って探しているところです。引き出すことが目標!
― プライベートのほうはいかがですか?
宮城:結婚。29歳で子どもを産みたいなって思っています。
― かなり直近ですね!
宮城:だから婚活中なんですよ。具体的に何かしているわけじゃないんですけど、来年あたり婚約者を見つけたいですね。「仕事に懸けているほうが自分のためになるんじゃないか」と思った時期もありますけど、そうしたら出歩かなくなるじゃないですか?色々とUターンを繰り返しつつ、プライベートも模索中です(笑)。けど、出会う時はきっと自然に出会えると思うので。
― 最後になりますが、モデルプレス読者に“夢を叶える秘訣”のアドバイスをお願いします。
宮城:ダメだって思ったらそこで終わり。一生懸命、夢に向かってコツコツやっている姿は誰かが必ず見ていてくれるから、とにかく突き進むことが大事だと思います。くじけそうになった時は、自分を甘やかすことも大事。そのバランスを取りつつ、誰か見ていてくれる人はいる、必ず。
― それを今回、宮城さんご自身も実感しましたか?
宮城:実感しましたし、常日頃「見ててくれてる」って思ってます。信じてます!
― ありがとうございました。
試行錯誤を繰り返しつつ、モデルとして着実にステップアップを遂げてきた。成長には葛藤がつきものであり、彼女は今もそれに向き合っている。そんな等身大の姿こそが、同性から長きにわたって支持される所以。これからも身近な存在でありながら、常に一歩前を進んでいる―そんな姿を私達に見せてくれるに違いない。(modelpress編集部)
生年月日:1988年2月19日
出身地:神奈川県
血液型:A型
趣味:ゴルフ
特技:下段回し蹴り
高校時代に渋谷でスカウトされギャル雑誌「Ranzuki」でモデルデビュー。その後「JELLY」へ移籍し、2008年から約5年間専属モデルとして活動。2013年2月に「JELLY」を卒業し、「ViVi」へ移籍した。
10年連続で6メゾンのパリ・オートクチュールデザイナーからオファーを受けるヘアメイクチーム・pams professionalがチームを編成し、今季はSoah i氏を筆頭に総勢14名のスタッフが、コレクションに参加するモデルのヘアメイクを担当。当コレクションには、昨年開催された一般社団法人 JMA(日本メイクアップ技術検定協会)主催「第8回パリコレヘア&メイクアップアーティスト オーディション」でグランプリと準グランプリに輝いた美容師1名と学生2名も参加している。
モデルプレスは大舞台を終えた彼女を直撃。これまであまり語られることのなかった努力や葛藤、モデルとしての成長、そして新たな目標や結婚観にも迫った。
「半信半疑」から「本気」までの一部始終
― パリコレお疲れ様でした。5月に出演決定の知らせを聞いた時は、どのような心境でしたか?宮城:その時はちょうど事務所にいたんですけど、社長から突然「パリコレ決まったから」と言われて「あっ、そうなんだー」みたいな(笑)。他人事のようで、嬉しいというよりも「パリコレ?大丈夫?嘘でしょ?」という感じでしたね。友達や家族にも恥ずかしくて言えず、1ヶ月ぐらい自分の心の中で「マジか…マジか…」って(笑)、半信半疑の状態が続き。
― 6月の発表まで、誰にも伝えなかったんですか?
宮城:そうなんです!ニュースを見てくれたファンのみんなや友達、家族、近所の人からも色んなコメントをもらったことで、すっごいいきなり緊張してきて「世に発表されちゃったから、これはやるしかねぇんだ!」と(笑)。そこから「体絞んなきゃ」とか、いろいろ本気で取り組んだ感じです。
― どうして恥ずかしさがあったのでしょうか?
宮城:会う人会う人にパリコレのことを言われたけど「すごいでしょ!」とは言えなかった。「恥ずかしいから言わないでよ~」って(笑)。私はハーフでもないし、背が高いわけでもない、テレビに出て世の誰もが知っているようなタレントでもない。それなのにパリコレに出るなんて、みんな心の中では鼻で笑ってるんじゃないかな?って、すごくネガティブになっちゃって。だから「パリコレ出るんでしょ」と言われても「そうだよ。こんなチビが。ウケるっしょ?」って笑いに変えていたんです。
― 弟の大樹さんをはじめ、ご家族の応援は心強かったのでは?
宮城:そうですね。妹や大樹が一番驚いてました。「えっ!?マジ?すごいんだね、姉貴って!」みたいな(笑)。その時は心から喜べました。家族に対しては「すごいっしょ?」って(笑)、唯一優越感に浸れたかな。
― 本気モードのスイッチが入るきっかけは何でしたか?
宮城:ファンのみんなが真剣に喜んでくれたのが嬉しくって。身内の人達が喜んでくれるのは当然だけど、昔からずっとファンでいてくれた人達が「応援してて良かった」「さすが!やるねぇ、まいぷぅ」と言ってくれて。「みんながこんなことを言ってくれるから、信じて頑張ろう」と思ったんです。
― ファンの声が大きな後押しになったんですね。パリコレへ向けてのトレーニングやメンテナンスは具体的にどのような内容でしたか?
宮城:まず食事制限。糖質や炭水化物はあまり摂らないようにして。逆にサラダやお肉、お魚は結構お腹いっぱいに食べていました。筋トレも2日に1回ぐらい。今までヨガしかやってなかったから「初めまして、自分の腹筋!」みたいな感じで(笑)。
― それまではストイックに鍛えることはなかったんですね。
宮城:もともと筋肉質で、ゴツく見えちゃうからあんまり筋トレはしてなくて。だけど25歳過ぎてからは、筋肉量が減ると本当に痩せにくくなるんです。それにギャルの時は細ければ細いほど可愛いと思っていたけど、今はちょっと違うなって。女性らしくヘルシーな体が理想ですね。
― 今回の準備期間でどのくらい体重を落としたんですか?
宮城:太ったところから徐々に戻していって、1ヶ月で-3キロぐらい。体脂肪が4%ぐらい減りましたね。毎日起きた瞬間にパジャマを脱ぎ、自分の裸を見てモチベーションを上げて、体重計に乗ってから仕事に行く。それが日課でした。
― その習慣は今でも続けていますか?
宮城:続けてるんですけど、最近はちょっとサボりぎみだから「うわっ、(肉)ついたな…」ってモチベーション下がってから仕事に向かうっていう(笑)。パリコレの前に水着ロケがあって、ずっと制限しなきゃいけない期間が続いたので、今はもうストイックにはやってないです。
― 食事制限以外に、ケアをされた部分は?
宮城:前から定期的に通っている美顔針やレーザーは続けていましたけど、食事や禁酒で精一杯でしたね。お酒飲まないし、食生活も正しいから肌荒れとかはなかったです。
― モチベーションはどのように保っていたんですか?
宮城:麻雀してました(笑)。友達と遊びに行ったら食べたくなっちゃうし…考えた上で一番良かったのが麻雀だったんですよ。麻雀するといつも1.5kgぐらい体重が落ちてる(笑)。5~6時間、食べない状態で頭を使っているからかな。
― まさかの“麻雀ダイエット”ですか(笑)
宮城:それが唯一のストレス解消でしたね。でも今回絞ったことで、食べないダイエットって良くないんだなと実感しました。すごいストレスが溜まるし、暴食したりして振り幅が大きすぎる。昔食べないダイエットをした時、家で起きたら食べた覚えのないコンビニ弁当の空が置いてあったりとかして(笑)。そういう失敗談もあるので、今回はトレーナーさんに相談をして食べるものを決めました。これがきっかけでサラダが大好きになったので、飽きずに続けられましたね。本当に自分と向き合う1ヶ月間でした。
― パリに到着してからはどのように過ごしていましたか?
宮城:着いた日はフリーだったんですけど、飛行機がトランジット含めて18時間ぐらいかかったし、時差が苦手で、到着した時は「体が…重い…」みたいな。でもとりあえず凱旋門行くか!って(笑)。観光をしてリラックスしました。フィッティングの時は結構集中していましたね。
― 緊張のピークはいつでしたか?
宮城:出る直前かな。周りのモデルさんは私の胸の位置に腰があるくらい背が高かったから、「この人達は別。私は私!」という考えに変えて。誰になんと言われようが、とにかく「出た」ってことにはなるから、いつもの自分通りに、周りの目線は気にせず堂々と歩こうって思って出ましたね。ランウェイでは前しか見てなかったし、自分にだけ集中していました。一瞬でしたね。
― 終わった時はホッとしましたよね?
宮城:ホッとして涙が出そうだったけど、私ってそういう時に泣けないんで。強がっちゃうんです(笑)。打ち上げの時も疲れちゃって、お酒も全然飲めなかったです。
「どうせギャル」がここまでやってこれた
― パリコレ出演を経て、心境の変化はありましたか?宮城:逆にすごくプレッシャーを感じようになったかもしれない。私のことを知らない人が、パリコレに出たことを聞いたら「えっ!?やるんだね、結構」って、見方がちょっと変わるじゃないですか。私は顔の第一印象で子供っぽく見られることも多いので、パリコレに出たことをどう思われているんだろうとか、“パリコレモデル”って言われて良いのかな?とか…複雑な気持ちもあるけど、今は誇りに思おう、一生の宝物にしようって。自信につながったと同時に、プレッシャーにもなっているかな。
― 今回を機に、モデル人生を振り返ることもありましたか?
宮城:ありましたね。なんか我ながらすごいな~って(笑)。16歳でマルキューの前でスカウトされ、スナップに載って、その後「Ranzuki」に出るようになって。その時は本当にバイト感覚でやってたし、いつまでも続くとは思ってなかった。終わったら時給が高いパチンコ屋のバイトでもやるか~と思ってたし。実は「Ranzuki」の時から「ギャルっぽくない」と言われて、編集の人に「もうちょっとギャルっぽくしてよ」と言われたこともあって。当時はギャルメイクがどうしてもしっくりこなくて「どうしよう、なんでギャルになれないんだ!」って思ってたけど、今考えると良かったなって。ギャルっぽくないからこそ「JELLY」に行けたとも思うし。
― 渋谷のギャルがパリコレデビューというシンデレラストーリーは夢を抱く女の子の励みになると思います。
宮城:ギャルってなめられがちじゃないですか。「どうせギャルでしょ?」という目線で見られるけど、「どうせギャルがここまでやって来れたんだよ!」というのは誇りに思うかな。だから昔の自分含めて、なめられたくないっていう気持ちはより強くなったかもしれない。
― バイト感覚のモデルを仕事にしようと決意したきっかけは?
宮城:「JELLY」に入ってからも居酒屋でバイトをしてたんですけど、決意したのは事務所に入ってからかな。今はギャルモデルでも事務所に入ってるのが当たり前だけど、その当時は事務所に入ってる子なんて全然いなかったし、抵抗はあって。けど今の社長が一番最初に声をかけてくれたから、早く入ったほうがいいなって。それで「モデルをやってくしかない」って思い始めたんですよね。あとその頃、地元の彼と別れたんです。事務所に入ったことで彼が「すごい遠く感じる」って落ち込んじゃって。「そんなことないよ」って言ってたけど、その彼が言っていることもわかるし、別れることになって。それも結構大きなきっかけだったかもしれない。
― そんな葛藤も含め、モデルを辞めたいと思ったこともありますか?
宮城:全然ありますよ!好きなもの食べて、遊んでたいなって思う時もあるけど、それでも楽しい時のほうが多かったから。
― 人生のターニングポイントとして意識している出来事は?
宮城:「JELLY」で連載が決まったことですね。それで「絶対に表紙になる」という目標を立てて。当時は連載に命をかけていたというか、自分を出していくところはここしかないと思ったんです。「JELLY」は強めなギャル誌だったから笑顔のショットが少なかったんですけど、私は「笑った時の顔がすごく楽しそうだよね」って言われることが多かったから、それを自分のキャラにしたくて。その連載の人気が出て、ピン表紙もやらせてもらえるようになったんです。自分の個性を見つけ始めたのはそれがきっかけですね。もちろん「ViVi」に入ったことも自分の中ではターニングポイント。それがきっかけでより幅広く知ってもらえるようになったと思います。
努力を見ていてくれる人は絶対にいる
― 今回パリコレに出演されましたが、次の目標をお聞かせください。宮城:今年28歳になるので、もう1つ自分の個性を引き出したいと思ってます。アラサーだからこそ出せる魅力っていうのを、何かな~って迷走中(笑)。
― 理想としてイメージしている方はいますか?
宮城:もちろん梨花さんや土屋アンナさんをすごく素敵な人だなと思うんですけど、同じにはなれないから、どうしようかなって。自分の持っているものは、もっとあるんじゃないかな?って探しているところです。引き出すことが目標!
― プライベートのほうはいかがですか?
宮城:結婚。29歳で子どもを産みたいなって思っています。
― かなり直近ですね!
宮城:だから婚活中なんですよ。具体的に何かしているわけじゃないんですけど、来年あたり婚約者を見つけたいですね。「仕事に懸けているほうが自分のためになるんじゃないか」と思った時期もありますけど、そうしたら出歩かなくなるじゃないですか?色々とUターンを繰り返しつつ、プライベートも模索中です(笑)。けど、出会う時はきっと自然に出会えると思うので。
― 最後になりますが、モデルプレス読者に“夢を叶える秘訣”のアドバイスをお願いします。
宮城:ダメだって思ったらそこで終わり。一生懸命、夢に向かってコツコツやっている姿は誰かが必ず見ていてくれるから、とにかく突き進むことが大事だと思います。くじけそうになった時は、自分を甘やかすことも大事。そのバランスを取りつつ、誰か見ていてくれる人はいる、必ず。
― それを今回、宮城さんご自身も実感しましたか?
宮城:実感しましたし、常日頃「見ててくれてる」って思ってます。信じてます!
― ありがとうございました。
試行錯誤を繰り返しつつ、モデルとして着実にステップアップを遂げてきた。成長には葛藤がつきものであり、彼女は今もそれに向き合っている。そんな等身大の姿こそが、同性から長きにわたって支持される所以。これからも身近な存在でありながら、常に一歩前を進んでいる―そんな姿を私達に見せてくれるに違いない。(modelpress編集部)
宮城舞(みやぎ・まい)プロフィール
愛称:まいぷぅ生年月日:1988年2月19日
出身地:神奈川県
血液型:A型
趣味:ゴルフ
特技:下段回し蹴り
高校時代に渋谷でスカウトされギャル雑誌「Ranzuki」でモデルデビュー。その後「JELLY」へ移籍し、2008年から約5年間専属モデルとして活動。2013年2月に「JELLY」を卒業し、「ViVi」へ移籍した。
宮城舞 パリコレ出演の経緯
フランス人デザイナー・Jeremy Bueno(ジェレミー ブエノ)氏のオートク チュールコレクションでは例年、日本のヘアウイッグブランド「PRISILA(プリシラ)」のウィッグが採用されており、長く「PRISILA」のモデルをつとめる宮城が同ブランドからの推薦を受けて出演。「PRISILA」は1300種類以上の品揃えを誇るウィッグ界のパイオニアで、人毛に近い国内メーカー製高級ファイバー、 豊富なカラーバリエーション、ファッション性に最適な品質と使いやすさが支持され、バックステージのヘアメイクをプロデュースするSoah i(そあ あい)氏によりパリコレ5年連続採用が決定した。10年連続で6メゾンのパリ・オートクチュールデザイナーからオファーを受けるヘアメイクチーム・pams professionalがチームを編成し、今季はSoah i氏を筆頭に総勢14名のスタッフが、コレクションに参加するモデルのヘアメイクを担当。当コレクションには、昨年開催された一般社団法人 JMA(日本メイクアップ技術検定協会)主催「第8回パリコレヘア&メイクアップアーティスト オーディション」でグランプリと準グランプリに輝いた美容師1名と学生2名も参加している。
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