《未来のジブン》服飾系専門学校で来春卒業予定の学生に聞きました
服飾系専門学校には、専門分野に特化した教育内容にひかれ、目的意識の高い学生が集まっている。高校から服飾を専攻した人、大学既卒者や社会人経験者、海外からの留学生など様々な学生が知識や技術の修得、課題の制作に励んでいる。学内イベントでリーダーを務めたり、学内外のコンテストに挑戦して成果を出したり、学外活動や精力的に就職活動に取り組む学生も多い。各校が期待をかける来春卒業予定の学生に、学校生活を振り返り、将来の夢、未来の自分について語ってもらった。
夢の実現に向けて意欲的に挑戦
文化服装学院 アパレルデザイン科3年 舟尾飛奈さん子供の頃から絵や物を作ることが得意で、カチューシャを作って遊んだりしていた。高2の文化祭ではファッションショーを主催し独学で作ったリメイク服を映像で発表。服作りを学びたくなり、施設や教員が充実していて刺激も多そうな文化服装学院に進学した。
1年の基礎科ではパターンやロックミシンなど初めて習うことばかりだったが、みんなで教え合って課題を着実にこなして基礎を習得。「普通の人の感覚を持ち、着こなせる服を作る大切さを学べた」。1年の修了制作は展示作品に選ばれるなど実力をつけ、2年次はアパレルデザイン科を専攻した。
2年では素材や丈の制約がなくなり、「自由にパターンを作図していいと言われたり、生地から発想してデザインを考えることも教わり、目からうろこ」。後悔しないように、企業との協業や文化祭のショー作品制作など、授業外の取り組みにも意欲的に全て挑戦。エドウインの廃棄予定だったデニムを使った作品作り、映画衣装の制作、高島屋と協業した再生デニムを使った作品の制作・販売ほかに参加。文化祭のショーでは、審査を通過した真っ白な中わた入りのメンズスーツを披露した。
3年では、フジテレビ「ぽかぽか」でアナウンサーの神田愛花さんが着る衣装企画対決の参加者に選ばれた。大好きな宝塚の衣装の選考と時期が重なり大変だったが「就職前に衣装作りを経験でき、番組の裏方の仕事が見られる貴重な機会」と考え、就職活動と並行して作品を制作。無事に宝塚舞台から内定を得て、今は3年間の皆勤賞を目指し、課題の期限内提出も続けつつ、卒業制作での優秀賞獲得を狙い最後の仕上げ中だ。
宝塚では和装や補正など新たに学ぶ一つひとつを吸収して力を蓄え、将来は現場が分かる衣装デザイナーになりたいと思っている。
目標を立てて学び続ける
神戸ファッション専門学校 ファッションクリエーター学科アパレルデザインコース3年 川原羽来(うくる)さんファッションデザイナーになるという夢は、小学生の時から一度も変わることはなかった。バルーン風船でドレスを制作している人をテレビで見たことが、興味を持ったきっかけだった。幼い頃から服の絵を描くのが好きで、今でも月に5枚はデザイン画を描いている。生活文化科のある高校に進学し、工業用ミシンで服作りを学び始めた。学内のファッションショー向けに作品制作も経験した。
「好きな系統の服作りができることや、先生との距離の近さ、神戸にあること」が鹿児島県から神戸ファッション専門学校に進学する決め手となった。入学後、日常着とショーのための服を作り分けることの難しさを知る。目標を立て、物事をコツコツと進めることは自身が大事にしていること。持ち前の最後までやり遂げる力を生かして服作りに励み、学内コンテストで入賞した。
様々なテイストの服を描き分けられるのが強み。得意なテイストはエレガンスだ。デザイン画をもとに服作りをしていくと途中で変更があったりもするが、むしろ良い方向に進んだことも多々あった。日頃から市場調査は欠かさない。店頭にならぶ服を見て回り、はやりのデザインやシルエットなどを分析してきた。
学生生活を振り返って「素材についてもう少し学んでおけばよかった」と川原さん。採用試験で生地見本を見てデザイン画を描かなければいけなかったが、どこに使う素材なのかと悩んだこともあった。「素材をもっと詳しく知れたらデザインの幅がもっと広がる」と学び続ける姿勢を忘れない。
25年春からは婦人服メーカーのエム・アイ・ディーで、デザイナーとして仕事をする。目指すのは、「誰かの日常に彩りを添えられるようなデザイナー」。
着実に仕事をこなして成長へ
慈恵歯科医療ファッション専門学校 ファッション学科2年 ギミレ・アルパンさんネパール・ラスワ郡出身のギミレ・アルパンさんが来日したのは21年1月。ネパールでは、なかなか仕事に就くのが難しい現状もあって、自分にとって身近な人が住んでいる日本で学び、働くことを決めた。
語学学校で2年2カ月、日本語を学んだ後、23年4月に慈恵歯科医療ファッション専門学校に入学した。同校を選んだのは同じネパール出身の先輩が学び、大手アパレル企業へ就職している実績があるからだ。
入学してから常に順調だったわけでなく、多くの留学生が直面する「言葉の壁」に、ギミレさんもぶつかった。ネパールに居た時から日本語を学んでいたので、話すことはできても、「例えば、『糸』とか『針』などファッション用語を理解するのに時間がかかった」と入学当時を振り返る。授業で週に3時間は日本語を学び、学校やアルバイト先でできた日本人の友人とたくさんコミュニケーションを取ることで、日本語は徐々に上達。2年生の時には、日本語能力試験で上から2番目に難しいN2を取得した。
学生時代はイラストレーターやミシンの使い方、デザイン・パターンのほか、作法として着付けやお茶も学んだ。子供服ブランドの立ち上げにも挑戦。学園祭のファッションショーでは照明係を担当し、裏方としてショーを支えた。
岐阜の大手アパレルメーカーに内定しており、来春から物流管理業務に携わる予定。「物流は常にスピードとジャストなタイミングが求められる」とし、「目の前の仕事をしっかりとこなして、会社の力になりたい」とギミレさん。将来的には、「生産管理まで行えるように頑張りたい」とほほ笑む。
日常に寄り添う特別な一着を
香蘭ファッションデザイン専門学校 ファッションデザイン専攻科3年 宮﨑日夏子さん高校時代は地元、福岡を離れたため、寮生活だった。制服ではなく毎日、自分で選んだ私服を着て登校していたのでセンスが磨かれ、同級生からも服装をほめられていた。
服に興味を持ったのは、パリ・コレクションを題材にした映画を見て、「服は思想だ」と考えさせられた時だ。服は言葉以上に表現する力があると感じた。
高校卒業後は経営学部のある4年制大学へ進学したものの、「やっぱり服との関わりを深めたい」との思いが募り、大卒後、改めて香蘭ファッションデザイン専門学校へ入学した。先生と生徒の距離の近さが決め手だった。
「専門学校生活は基礎を学ぶ1年次から楽しかった」と話す宮﨑さん。作品展などでも着実に実績を積み重ねた。1年次にデザイン画コンテストの「ワールド賞」に入賞したほか、同校の23年度卒業記念展ではファッションデザイン専攻科2年賞を受賞。「第24回YKKファスニングアワード」でも入賞を果たした。
製作発表ではグループ単位で取り組む課題も多く、積極的にリーダーを買って出た。「個性が強い多様な人の長所をうまく引き出し、まとめる役が自分には向いている」と大きな自信にもつながった。
将来、宮﨑さんは「人の心を動かせる物作りをしたい」という。来年春からは福岡のアパレルメーカー、リブでデザイナーとして働く。「日常的に着る服は、日常に寄り添ってくれる小さな幸せ」と宮﨑さん。着幅などを変えるだけで、どんな体形の人にも合わせることができ、その人の特別な一着になる。そんな一着が見つけられれば、サステイナブルそのものと考える。
来年3月、学内の有志で自作のファッションショーを開く予定だ。服はリアルクローズ。もちろん会場から照明、音響まで全て自分たちで手配する。毎年、卒業していく先輩たちが取り組んできた伝統のバトンをつなぎ、未来に踏み出す。
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