【インタビュー】インフルエンサー・日向誠(尾張のカリスマ)がビジュアル系との出会い、起業家を目指したきっかけを語る!

【インタビュー】インフルエンサー・日向誠(尾張のカリスマ)がビジュアル系との出会い、起業家を目指したきっかけを語る!

2025.06.20 19:24
提供:WWS channel

先ごろ、インフルエンサーで実業家の日向誠がWWSチャンネルのインタビューに応じた。

日向は名古屋に出てきたきっかけから、V系(ビジュアル系)との出会い、会社員時代の思い出、
さらには、アパレルブランド「White Cinderella」の立ち上げから今後の活動まで思いを語った。

Q:現在はインフルエンサーと経営者を両立されている日向さんですが、若い頃はどのような人生を送られていたのでしょうか?

日向:僕の地元は高知県なのですが、小学校6年生のときに「いじめ」にあいまして。もう自殺を考えるほど、ひどいいじめでした。そこから中学1年生になったとき、お恥ずかしい話ですが、思いっきりグレてしまって。中学2年生のときには、警察の方にも捕まりまくったり。小中高大とエスカレーター式の私立の学校だったのですが、色々と悪い事をしてしまったせいで「高校へは上がれない」と言われてしまいました。ただ、その学校は空手が強いことで有名でして、「中学3年の1年間で空手の実績を出せば高校へ進学できる」と言われたんです。それで1年間、空手を頑張って、県大会の個人戦で3位になるなど実績を残すことができ、高校に進学できました。ただ、そこでまた悪い仲間と遊び始めてしまい、結局、留年という形で終わってしまいました。2年生のときに別の学校へ編入したのですが、「ヤンキー漫画のような学校で。各机に灰皿があるのを見てヤバい学校に来たなとwその学校は簿記4級など、資格を4つ取れば卒業できる、そんな学校だったんです。その頃に友達に誘われてバンドを始めて、運良く高校生で四国のライブハウスを回るなど出来るようになり、ほとんど学校には行かず、遊びとバンド活動ばかりしていました。

Q:名古屋に来られたのはいつくらいですか?

日向:高校を卒業した後です。実家がピアノ屋さんだったので、ピアノ調律師の資格を取るために名古屋の専門学校へ通いました。ただ、専門学校を出た後はピアノとまったく関係のないバイトでお世話になってたKDDIという企業にそのまま就職しました。

Q:なぜ、名古屋でのバンド活動からKDDIに就職という流れになったのでしょうか?

日向:名古屋では、専門学校に通いながらバンド活動をしていました。ワンマンライブができるレベルにまで成長し、有名な某インディーズレーベルにも入りましたが、そこの社長が悪徳でして。精神的に辛くなってしまい、バンドは解散。ただ、バンド活動で数百万円の借金が残ってしまって。それでKDDIに就職したんです。自分が営業に向いているかは分かりませんでしたが、仕事を頑張って借金を返そうと働きました。

Q:就職されたのはいつ頃ですか?

日向:専門学校出てすぐです。バンド活動は就職する前に解散しました。18歳で名古屋に来て、専門学校に通いながらバンドをしていたので。

Q:KDDIに入社されてから、今のような経営者を目指そうと思った流れは?

日向:目指したというより、自然な流れでした。KDDIでは営業成績がありまして、一度だけですが全国のKDDI営業マンの中で上位に入ったことがあります。その頃には借金も返済できていたのですが、そんなときに兄が名古屋に来て「起業するから手伝ってほしい」と声をかけてくれたんです。それでKDDIを辞め、兄の会社に入りました。当時は本当にワンルームからのスタートで。KDDI時代は年収約700万円でしたが、最初の給料は7万円という状況でした。そこからいろいろ頑張りまして、個人事業主から有限会社、そして株式会社へと成長し、会社もそれなりの規模になりました。とはいえ社長は兄だったので、社員が増えるにつれ意見がぶつかることも増えて。そうした理由から退職し、独立する事を決意しました。

Q:その後はバンド活動をされたとのことですが、どのようなジャンルの音楽をされていましたか?

日向:V系(ビジュアル系)です。高知でも、名古屋に出てきたときも、やっていたバンドはすべてビジュアル系です。黒夢の清春さんに憧れてバンドを始めて…そこは僕の完全ルーツですね。もちろんLUNA SEAさん、Xさんなど大好きなバンドさんはたくさんいたのですが、小さい頃、黒夢のファーストシングル「for dear」その次の「ICE MY LIFE」をビジュアル系好きの兄が実家で流していて。それを聴いたとき「なんて独特で綺麗な声なんだ!」と衝撃を受けました。美しい曲で歌詞も最高に良くて格好いい。それで清春さんが大好きになりました。

Q:そこからレーベルを立ち上げられたとお聞きしていますが、どのようなアーティストが所属されていたのでしょうか?

日向:自分のバンドをやっていた頃の話ですが、名古屋には「名古屋 MUSIC FARM 」という場所がありまして、そこが黒夢をメジャーに引き上げたところなんです。ここが名古屋のビジュアル系の聖地で、数々のメジャーアーティストが通過する場所。僕も名古屋 MUSIC FARMを拠点にライブを続けていました。そんな繋がりも有り、「バンドを紹介してもらえませんか?」と店長に相談をしまして。最初は店長の力をお借りしながら、イベンターのような形で活動を始めました。ありがたいことに僕を慕ってくれるバンドも増えてきて、どんどんバンドを呼ぶことができるようになって。その中で名古屋で頑張ってる3バンドを厳選し、所属アーティストとして迎えてレーベルを始動したという流れです。

Q:KDDIという大手企業から本来やりたかった音楽業界に携われるようになったことで達成感はありましたか?

日向:僕には音楽しかないと思っていました。独立を決めたとき、「自分ができることはなんだろう」と考えて、やはり音楽しかなかった。もう1択でした。

Q:レーベルは何年くらい続けられたのでしょうか

日向:どれくらいでしょう?所属バンドをツアーに送り出せるようになった頃には、名古屋だけでなく、東京や大阪でもイベントができるようになり、当時まだそこまで有名ではなかったゴールデンボンバーさんも何回も出演してくれました。年末のイベントには今売れている方々もたくさん出演してくれて、すごく充実していましたね。ただ、ITの普及やコロナ・アイドルブームなどで、バンドの観客が減ってきて。ライブハウスに来る人も減ってくるとバンドの数も減っていく。CDからサブスクの時代になったそんな中で「このままでは続かない」と思ったのですが、まだ諦めきれず自分が再度、表に出てプレイヤーとして引っ張るために音楽を続けようと決めました。そこからまたバンドを組んで始めたんです。

Q:プレーヤーから会社員、イベンター、バンド育成…そこからまたプレイヤーに戻られたのですね

日向:バンドマンってお金がなくて。僕自身も借金しながら活動していたので、そうはなりたくないなと。そのタイミングでKDDI時代の上司から「いい話がある」と声をかけられて、光ファイバーなどを扱う会社を立ち上げることになりました。営業には自信があったので、バンド活動として並行して始めた感じです。ネット回線やWi-Fiなどを扱う会社で、軌道に乗るまで1年ほどかかりましたが、ちょうどバンドの準備にも 1年かかっていたので、ある程度はお金には困らず、バンド活動ができていました。

Q:その後はコロナ禍がありましたが、そこからインスタグラマーになられた経緯は?

日向:コロナ禍は本当に地獄でした。仕事も激減し、バンドも大きい箱で日程を抑えてワンマンライブをやる予定だったのにすべて中止に。当時はネット回線の会社だけでなく、出張買取りや美容院の共同経営、不用品回収などいろいろな事業に携わっていたのですが、ほぼストップしてしまったんです。バンドの解散も相次ぎ、ライブもできず、時間だけがある状況で。「どうしようかな」と思ったとき、「Xでもしてみようかな」と思い、始めたのがきっかけです。

Q:バンドマン時代に培った集客やファン作りのノウハウは活かされましたか?

日向:正直、インスタグラマーに関しては右も左も分からない状態でした。バンド時代とはまったく違う名前にしていましたし、ファンにも告げずゼロからのスタート。最初は自分が足を運んでよかったお店を紹介するなどの投稿をしていたのですが、まったく無意味で「インセンティブ 3」というレベルからでした。悔しかったので勉強しまくって、初めはブレブレながら少しずつアクセスを上げていく作業でしたね。とにかく投稿しながらXを続けて…。只、自撮りを投稿に上げ続ける事は絶対に決めてました。自分をブランディング化する事は狙ってたんで。なんだか分からない内に正直びっくりしましたが、約半年でフォロワー5万人ぐらいまで伸びました。
その当たりで、コロナ禍で問題になっていたフードロス削減の発信を始めたあたりからフォロワーや案件が増えてきたというか。「こんな見た目の男がそんなことしてるの!?」と。僕自身はユニセフ募金とか慈善活動をかなり前からしてるんですが、そういうこともXに投稿すると「見た目と違う!」となり、ギャップで良かれ悪かれさらにフォロワーが増えていきました。

Q:社会奉仕活動をするアーティストも多くいますが、そういう流れがあるのでしょうか

日向:音楽活動されている人って、自分たちの音楽が定まるまで時間かかると思うんです。紆余曲折の中で「どんな曲なら人気が出るか・確立出来るか」など試行錯誤しますから。ビジュアル系にもXさん、LUNA SEAさん、L'Arc〜en〜Cielさんとさまざまな系統がありますよね。完全にスタイルが固まって、ファンもついてきて、バンドで生活できるようになると、視野も広がり心に余裕が生まれます。その余裕が出てきた人たちは、社会奉仕にも目を向けるようになる気がします。ガムシャラに音楽やって視野が狭い時期は、なかなか考えられないので。
僕は経営をしながらバンドをやっていた事が強いですかね。バンドをしてたら色々思う事もあって。
小さいコミニティーの中でずっといるよりも、広い世界を見ていくと色々な出会いや有りえないぐらい大変な方々はいくらでもいますから。

Q:現在はインフルエンサー事業も展開され、マネジメントも行っているそうですね。

日向:ありがたいことに、仲良く慕ってくださるインフルンサーの方々や企業も多く、その中で伸び悩んでいる方もいるので、僕にできることがあればと、現在はインスタグラマーに特化した事業を展開しています。テレビで活躍するタレントを目指すのではく、メディアはあくまでツールと考えてSNSに特化した「インスタグラマーとして成功しよう」という方針で運営しています。事業のツールのためにTV出演やラジオパーソナリティー・モデル・メディア出演など行っている感じです。

Q:現在はアパレルブランド「White Cinderella(ホワイトシンデレラ)も展開されていますが、立ち上げのきっかけは?

日向:ホワイトシンデレラに関しては、シンプルに「服が好き」という理由です。最初はメンズブランドを考えていましたが、自分が好きなのは、「女性を華やかに見せる服」。女性に着てほしい服を作ることに自信があったこともあり、シンデレラの物語にちなんだブランド名にしました。今輝けていないと感じている女性や、服を買う余裕がない女性、今さら服を買っても仕方ないと思っている女性など、年齢に関係なく「幸せになれる服」を提供したいと思ってレディースのアパレルブランドにしました。キレカワな服を着ると自然と髪やメイクも可愛くなりたくなるじゃないですか?そのきっかけの一つとなり幸せになる一つになればと思ってます。キレカワブランド・キレカワファッションと言えばホワイトシンデレラと皆様に認知してもらえるように頑張ります。

Q:今後の活動について、地元である高知県で挑戦したい事業はありますか?

日向:そこが、ある意味で本当の最終地点ですね。個人的に一番好きな場所ですし。ただ、高知県で事業を行うのは、ものすごく勇気がいります。低所得・過疎化が進んでいる県。本当に難しいと思っています。一度、地方雑誌のM&Aを検討したこともあるのですが、維持出来ても先に進めるビジョンも見えなかったので諦めました。地元については、自分の最終目標と定めつつ、今は模索しているところです。

Q:ご自身の5年後、10年後のイメージについて、どう考えていますか?

日向:今の会社を大きくしていくのはもちろんですが、いろいろな事業に挑戦したいと考えています。飽き性なんで(笑)
でも最終的には音楽に携わる事業をやりたいという思いはあります。僕自身、ビジネスというものを全てひとくくりで考えていて、そのビジネスを5年、10年でどれだけ大きくできるかというのがテーマですね。あとは、マレーシアに住みたいとも思っています。たぶん 5年・10年後にはマレーシアにいるかもしれません(笑)それか高知県。

Q:これまでに行かれた国で、印象に残っているのがマレーシアでしょうか?

日向:マレーシアですかね。想像する人はいないと思いますが、はじめてマレーシアの空港に降り立ったとき、地域民族がいるのかなとかアナコンダ怖いなとかイメージしていたんですけど、首都クアラルンプールに行ってみたら、まるで東京のような高層ビルが立ち並ぶ大都会で、イオンやローソン、セブンイレブンもあって。。もう目が点でしたね。一方で、少し郊外に出れば驚くほどキレイな海や自然があって、心配してた食べ物も美味しく楽しめる。日本人向けの居住区にも行きましたが、治安もよくて、本当に住みやすそうでした。物価も日本の 3分の1ほどだし、税金も安いしここに住めば最高だなと思いました。

Q:最後に、インフルエンサーや起業家を目指している方へのメッセージをお願いします。

日向:あくまで自論ですが起業についてはやるべきだと思います。自分の得意分野があるなら、まずはそこをビジネス転換して考えて起業してみること。たとえ失敗しても、それはそれでいい経験になりますから。ただし、最初から資本がなく、大きな借金をするのはお勧めしません。
最初から上手くいく人なんてごく一部しかいませんから。スモールスタートで一度やってみるのはアリだと思います。インフルエンサーについては、TTP(徹底的にパクる)してバズっている人のやり方を徹底的に勉強しつつ、自分のオリジナリティをエッセンスとして振りかけていけばいいと思います。そうしたところから、ぜひスタートしてみてください。

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