浅田真央、亡き母の教えが支えた21年の現役生活 “沈黙の30秒”で涙こらえる/引退会見全文【3】
2017.04.12 15:07
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女子フィギュアスケートで世界選手権を3度制し、2010年バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した浅田真央(26)が10日、現役引退を発表。12日、都内にて会見を行った。以下、会見での質疑応答全文その3。
「目標を達成する」幼い頃からの信念
― 今日は浅田選手の、選手としての卒業式だと思うんですけど、これから始まる新しい道に進むセレモニーだと思うんですが、今新入社員の方もいると思うので、あえて浅田選手もその1人として、違う世界に進むということで考えていることを教えてください。浅田:私も本当に新たな1歩だと思っています。でも、不安とかはなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、これからも様々な経験をして、前を向いて進んでいきたいなって思います。
― ロシアのエフゲニー・プルシェンコ選手も先日引退を発表しましたが、一緒に戦ってきた仲間としてなにか思うことはありますか?
浅田:プルシェンコ選手も引退ということで、私よりも本当に長い選手生活、そして本当にたくさんの記録を残してきて、本当にたくさんの人を魅了してきた選手だと思います。なので、心から「お疲れ様でした」と言いたいです。
― 浅田真央さんの前を向く姿、いつも戦い続ける姿が本当に印象的だったんですが、その前を向く中での信念はどういったところにあったんですか?
浅田:小さい頃からこれは変わらないんですけど、1日1日もそうですけど、なにか「これがしたい」って目標を持ってずっとやってきました。だからその目標を達成するっていう強い気持ちを持ってずっとやってきたつもりです。
― 今すごく忙しかった選手生活を終えて、少し時間が出来たと思うんですが、やりたいことはどんなことがありますか?
浅田:私1月、2月、3月と時間があったので、旅行に行ったり、美味しいものを食べたりすることが出来ました。
― 先程競い合うことの大切さをおっしゃっていて、ご自身もキム・ヨナ選手と競い合ってきましたが、彼女への思いを改めてどう思いましたか?
浅田:私たちは16歳頃から一緒にジュニアの試合だったり、シニアの試合だったりで一緒に試合に出ていました。本当にお互いにいい刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなと思います。
現役生活最後の演技「もういいのかもしれない」
― 最後の全日本選手権で「もういいんじゃないかな」と思ったとおっしゃっていましたが、あの全日本に向けては、どんな気持ちで望んで滑ったのですか?浅田:試合に向かう気持ちっていうのは1つ1つの試合と変わらないんですけど、常にノーミス…さっきも言ったんですけど、ノーミスで滑る、完璧に滑る、そして自信を持って滑るっていうのを考えてました。演技が終わったあとに、やはり完璧ではなかったですし、自分の現役生活の中では最高の演技ではなかったので、少し悔しい気持ちもあったんじゃないかなと思います。でもそのあと順位が出た時に、「あ、もういいのかもしれない」ていう風に思いました。
― 「もういいのかもしれない」ってどういうことですか?
浅田:やはり全日本選手権に12歳から出場してるんですけど、1番残念な結果で終わってしまって、その結果も1つ大きな、決断に至るにあたって大きな出来事だったんじゃないかなって思います。
― もしも1度だけ過去に戻るとしたら、いつの自分にどんな言葉をかけますか?
浅田:26年間ですもんね…あー、難しい!でも本当に戻ることはないと思うので、あんまり今パッて答えは出てこないですね。
― 平昌オリンピックまでやりたいっておっしゃっていたことが(引退決断を)悩ませていたとおっしゃっていましたけど、今オリンピックについてどういう風に捉えていますか?
浅田:本当にあと1年で平昌オリンピックということで、いろいろな選手の方々はそれぞれいろんな思いを持って準備をしていると思います。なので私はエールを送りたいと思います。
― これまでオリンピックの舞台も経験されていますが、真央さんにとって、オリンピックの舞台はどんなところなのでしょうか?
浅田:選手である以上は、それを目指して私も小さい頃からやってきたので、出れたことは本当に良かったなと思いますし、オリンピックは本当に素晴らしい舞台だなって思います。
― もし生まれ変わるとしたらもう1度フィギュアスケーターになりたいですか?
浅田:今こうして26歳までスケートをやってきて、今はもう何も悔いがないので、もし、もう1度人生があるなら、スケートの道は選ばないと思います。
― 何になりたいとかありますか?
浅田:いやぁ…本当にいろいろありますね。なんだろう…。でも私は食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとかカフェとか、レストランだったりそういうのをやってたのかなって思います。
亡き母の教え
― 自分が言ったことは必ずやり遂げるというポリシーがあるとおっしゃっていました。このポリシーは、どなたから教えてもらったのでしょうか。浅田:やはり母かなと思います(※浅田の母・匡子さんは2009年に死去)。あとは自分が決めたことに関しては、一応頑固なつもりです。
― その自分で言ったことをやり遂げるポリシーを貫いた最初の体験はいつでしたか?
浅田:しっかり覚えているのは、小さい頃に毎年「野辺山合宿」っていう新人発掘合宿が長野県であるんですけど、そこで絶対トリプルアクセルを飛ぶって決めて合宿に行って、初めて飛べたのが1番記憶に残っています。
― そこが現在の浅田真央という素晴らしいアスリートの原点なんですか?
浅田:そうですね…自分でいうのもなんですけど(笑)。その時に、目標を達成するとこんなに嬉しいんだなって、また頑張りたいなって思えた時でした。
結婚の予定は?
― 結婚のご予定はないですか?浅田:ないです(笑)。もしお相手がいれば、その方と一緒に(会見に)来れたんですけどね(笑)。
― (台湾メディアより)卓球の福原愛ちゃんのように、台湾人と結婚する可能性は?台湾に来てみたいですか?
浅田:そうですね。私、愛ちゃんとお友達なので、もし台湾の方で良い方がいれば、ご紹介してもらいたいなと思います(笑)。行ってみたい国のひとつが台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます。
― 今後プロスケーターとしても活躍していくご予定だと思いますが、どういうスケートを今後見せていきたいですか?
浅田:1番近くになるのは「ザ・アイス」(7月開催)なので、まだプログラムも出来てないんですけど、エキシビションナンバーを作ります。そのエキシビションナンバーで、今までのスケート人生のすべてをそのプログラムを注ぎ込めるように、そういうプログラムを作っていきたいと思います。
最後の挨拶
皆さん今日は本当にどうもありがとうございました。発表してからは本当にこの2日間、本当に温かいお言葉をいただいて、私も本当に晴れやかな気持ちで引退を迎えることが出来ました。(約30秒沈黙。涙ぐみ言葉をつまらせ後ろを向いて涙を拭う)
スケート人生で経験したことを忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています。皆さん応援どうもありがとうございました。
会見には大勢の報道陣が詰めかけ、受付時間が30分ほど前倒しになる異例の対応でスタート。約430名の報道陣が参加した。
浅田真央「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」
浅田は10日、自身のブログにて現役引退を発表。2014年のソチ五輪では6位となり、1年の休養を経て昨シーズンに復帰したが、結果はふるわず。「このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」とつづり、「皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました」とファンへの感謝を語っている。(modelpress編集部)
情報:浅田真央オフィシャルサイト
【Not Sponsored 記事】
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