「死んだらダメよ」――朝ドラ『あんぱん』に響いた母・登美子の“個の言葉”が現代に突きつけるもの

2025.06.10 16:40

提供：ENTAME next

今田美桜がヒロインを務める連続テレビ小説『あんぱん』（NHK総合・月曜～土曜8時ほか）。第10週「生きろ」では、嵩（北村匠海）の出征を前に、母・登美子（松嶋菜々子）が叫んだ「死んだらダメよ！」「生きて帰ってきなさい！」という一言が大きな話題を呼んだ。

登美子の叫びは、当時の“世論”を踏まえるととてつもなく異端な叫びだったと言えるだろう。今作で描かれている戦時下は、「出征は誇らしいもの」「日本は必ず戦争に勝つ」といった戦争を肯定する価値観に支配されていた。ほんの少しでも疑問を口にすれば「非国民」と見なされ、周囲から排除されてしまうのだ。

現代にも、“世論”という名の空気が確かに存在している。そして私たちの価値観もまた、知らぬ間にその空気に流されている。本来は人それぞれ多様な意見があって然るべきなのに、ニュースやSNSで何度も“世論の声”を目にするうちに、「これが正解なんだ」と思い込んでしまってはいないだろうか。

SNSで多くの人の意見を手軽に見えるようになったからこそ、「多数派の意見に従っていれば安心」「反対意見を言えば、仲間外れにされるかもしれない」…そんな恐怖心が、一人一人の言葉の力を薄めてしまっている。また、SNSには本音を書き込めても、現実社会では自分の意見を言えない、という人も多いはずだ。

実際、私自身も人に意見を求められたとき、よく考えもせず“それっぽい世論”を口にしてしまうことがある。それは安全で無難なコミュニケーションではあるが、自分の意思や気持ちはほとんど込められていない。本音が必要とされる場面であれば、なおさら問題は大きいだろう。

どれだけ大きな“世論”に乗っていたとしても、時代が変われば正義も価値も簡単にひっくり返る。だからこそ、他人の目を恐れず心のままに発された言葉は、たとえ少数派の意見であっても人々の胸を打つ。実際、これまで「ひどい母親」と評されることもあった登美子に対しても、多くの人が「よくぞ言ってくれた」と感じたのではないだろうか。

戦争が終わったとき、「日本は勝つ」と世論を信じ切っていた人たちこそ、登美子以上に深い傷を負うことになるだろう。一方で、自分の視点と言葉で現実を見つめていた人は、どんな逆風にも耐える力を持っているはずだ。

世論に流されずに生きるには、まず「自分の意見を持つこと」、そして「それを言葉にして伝えること」が必要だ。さらに、それを受け止める側にも、他者の言葉を“否定せずに認める”姿勢が求められる。たとえ理解できなくても、「そういう考えもあるんだな」と思える人が増えれば、きっと世の中はもっと寛容になるだろう。

登美子の叫びは、今の時代にこそ必要な「個の言葉」の力を思い出させてくれた。長い朝ドラ史の中でもひときわ輝く一シーンになったに違いない。