ビートたけしのプロフィール
ビートたけし
生年月日:1947年1月18日
出身:東京都
身長:168㎝
■概要
1980年代初頭に起こった漫才ブームの中で社会風刺を題材としたシニカルな笑いツービートで人気を獲得、フジテレビTHE MANZAIやその後継であったオレたちひょうきん族らに出演し番組が大ヒット、一般人、芸能人(特に後輩芸人)問わず未だに発言や行動に多大な影響力をもつ人物の一人。 1990年代頃より司会業や映画監督業が中心で、中には20年以上続く番組がある。
映画監督時や『平成教育委員会』(フジテレビ系列)などの番組では本名の「北野武」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは芸名の「ビートたけし」でタレント活動している。これに関して、2010年(平成22年)5月9日放送『平成教育委員会』では、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano(北野武)』だが、『Beat Takeshi Kitano(ビートたけし北野)』と、いう、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。
また、絵画では「ビートたけし・北野武」と言う名義で活躍もしている。
立川談志一門でもあり、高座名「立川錦之助」を持つ。近年は落語を口演する際、立川談春から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。
東京都立足立高等学校から明治大学工学部(現理工学部)機械工学科除籍(のちに特別卒業認定)。元・東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)
■来歴
幼少時代
塗装職人の父・北野菊次郎(1899年1月13日 - 1979年9月12日)と、母・北野さき(1904年3月5日 - 1999年8月22日)の四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武(たけし)」と命名された。『平凡パンチ』1978年11月13日号のインタビュー記事では「浅草に生まれて、下町に育った」と語っており、1982年「週刊サンケイ」の小林信彦との対談でも「生まれたのは浅草で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している。色白で細面、小柄だが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の北野うしに非常に可愛がられて育った(家族構成は、「家族・縁戚」を参照)。母親からは厳しく接せられた。
足立区立梅島第一小学校に入学。教育熱心だった母の薫陶が功を奏し成績は優秀で、特に算数と図画工作が得意だった。小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、近隣の中学ではなく、遠く離れた足立区立第四中学校へ越境入学した。中学卒業後、東京都立足立高等学校に入学。なお、小・中・高といずれも野球部に所属(高校は、軟式野球部)したが、高校時期にヨネクラジムでボクシングを習っていたという。なお、演芸場時代は、漫才師の野球チーム「メダトーズ」に加入していた。また未成年時代に飲酒していたことも自身の著書で明かしている。
・大学時代
1965年(昭和40年)に高校を卒業し、母親の薦めで、明治大学工学部(後の理工学部)機械工学科に現役合格し入学。しかし大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり、大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、新宿界隈で当ての無い日々を送るようになる。
学生運動にも参加したが熱心ではなく、ジャズに傾倒する。“LeftyCandy”や「新宿ACB(アシベ)」、名曲喫茶「風月堂」などに入り浸った。また、ジャズ喫茶のボーイもしていて、ジャズの見識は一部で有名であった。新宿のジャズ喫茶「ビザール」では、若松孝二、小水一男らと知り合う。また「ビザール」のボーイの後輩に萩原朔美がいた。ヴィレッジヴァンガードで、遅番のボーイとして働いていた時は、連続射殺事件の永山則夫が早番のボーイとして働いていた。「ジャズ・ビレッジ」の壁に書かれていた文章「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」が心に残ったという。
この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧の青春時代を過ごす。ジャズ喫茶のボーイ以外に、菓子の計り売り、実演販売員、ビルの解体工、クラブのボーイ、東京国際空港での荷卸し、タクシー運転手、ガソリンスタンド店員を転々とする。東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客だった中上健次が先輩におり共にガルーダ・インドネシア航空の荷役として働いていた。後に通訳になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの若松プロ初期作品に端役ながら出演したり、学生演劇に参加したが、ヴォードヴィルのような軽演劇で、舞台役者ではなく構成に携わっていたという。
大学は140単位のうち106単位まで取得していたにもかかわらず、結局通学せずに除籍。のち、2004年(平成16年)9月7日、明治大学より「特別卒業認定証」(明治大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる)及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。
・前座時代
学生運動が収束に向かったこともあって、自身も去就を模索する必要に迫られた。芸能に興味はあったが、アングラ演劇には馴染めず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし演芸なら自分にも理解できるだろう[10]」という理由で、いつしか芸人を志望するようになった。ただ、子供の勉学に厳しく大学にまで入らせて芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆き、子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた武は、これに猛反発。北野家においても、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていた。
1972年(昭和47年)夏、浅草のストリップ劇場・浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。当時、たけしと思しき人物を見た井上ひさしは「不機嫌そうな青年[11]」と、その印象を述べている。やがて、同劇場の経営者兼座長であった深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太としてコント(軽演劇)を学ぶ。初舞台は、痴漢のコント。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人としてタップダンスの修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため、深見から気に入られた。ただ、深見は一般の場所でも唐突にギャグ(ボケ)を連発、間髪入れずに師を即興で罵倒という技術を仕込まれ、この特異な芸の仕込みに北野は深見に四六時中振り回される形となり芸を習得、模索する事になる。この指導もあり、舞台ではアドリブを駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれ、後に誕生する漫才コンビ・ツービート独自の芸風の基礎として取り入れられ漫才ブームで駆使し一気に開花する。当時は、フランス座の4畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていた。
長じて、フランス座の新人芸人とコントコンビを組むことを考える。舞台(コント)が活動の主軸を旨としていた深見は、漫才での活動を望んだ弟子の北野を即刻破門(後に解除)、漫才を主軸に活動の場を放送媒体に移す。
・ツービート結成
コントでの芸能界デビューを模索した一方、フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎からも漫才コンビを組むよう誘いを受けた。コントにこだわった武は漫才コンビに慎重だったが、当時フランス座は経営難で、給料の支払いすら事欠くようになっていたことや、コントコンビを組む予定の相方の病気もあり、また、背広一つで稼ぐことができる漫才に魅力を感じていたことから、「松鶴家次郎」の芸名で舞台に上がることを了承した(兼子の芸名は「松鶴家二郎」)。なお、深見からは引き続きフランス座の屋根裏部屋で住むことが許された。
当初は、兼子がツッコミの正統派の掛合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。兼子が一時コロムビア・ライトの付き人をして生活を凌いでいたため、その縁で空たかし・きよし(コロムビア・トップ・ライトの一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方の弟子なので「空」だけとなった。)と名乗り、営業に出たこともあった。また、当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。演芸場のギャラは安いため、地方キャバレーなども回るようになるが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また、店を誹謗したり、客やホステスに喧嘩を吹っ掛けたので、度々舞台から降ろされたため、兼子は場繋ぎに使う奇術ネタを用意していたという。そして、この頃から「暴走ネタ・危険ネタ」へシフトしていき、ボケとツッコミの役割も入れ替わった。
紆余曲折の後、2人はコンビ名を「ツービート (two beat)」へと変更し、たけしは「ビートたけし」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。
丁度その頃、大阪で頭角を現して来たB&Bのスタイルに触発され、ツービートもスピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌していった。 それに呼応するように、服装もタキシードに蝶ネクタイからアイビー・ルックへ変更することで、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは、代演で松竹演芸場の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。毒舌の限りを尽くした掟破りのたけしのツッコミネタもさることながら、ボーイズグループの楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行ったり、型破りな舞台が多いため、他の芸人が観に行ってしまうので「ツービートが漫才を始めると楽屋が空っぽになる」と評判になった。
・漫才ブームまで
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという。1976年(昭和51年)協団が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来なかった。
1978年(昭和53年)、新宿区高田馬場の芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」なる漫才ライブを開催したが、この企画をした高信太郎との繋がりでたけしも、高平哲郎や赤塚不二夫、タモリなどと一時期交友関係を持った。その後、「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わず、自ずと距離を置くこととなった。
1979年(昭和54年)、女流漫才師「ミキ&ミチ」の内海ミキと結婚。犬吠埼(千葉県)にて新婚旅行、亀有のアパートで生活を始める。
9月12日、父菊次郎逝去。
11月、『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・橘家圓蔵)の共演者に抜擢される。古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での「激突!漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がった。
・漫才ブーム
1980年(昭和55年)、「マンザイブーム」(旧来の“漫才”と区別される為にカタカナ表記)が起こり、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bやザ・ぼんち等と共に一躍知名度を上げた。
速射砲さながらに喋りまくり、時おり弾倉を交換するかのごとく首を「くっ」と捻るたけしの姿は、個性派揃いの漫才師の中でも異彩を放った。その毒舌が織りなすネタの主題となったのは、ジジイ・ババア・ブス・カッペ(田舎者)で、さらにウンコとヤクザとガキが頻繁に登場した。また、金属バット殺人事件や深川通り魔殺人事件といった時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れた。これらの不謹慎ネタは「残酷ギャグ」等と批判を受けることもあったが、たけしは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。日本船舶振興会のCMを皮肉って作られた「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にちゃんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば恐くない」「少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け。」等の一連の標語ネタは「毒ガス標語」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。
1980年(昭和55年)6月、ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、大金が転がり込んだという。
この時期に、ツービートとして出演していた『スター爆笑座』(TBS) の初代司会であったせんだみつおと楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「コマネチ!」のギャグが生まれた。
1981年(昭和56年)1月、TBSで『二百三高地』の連続ドラマが製作され、ツービートは兵卒役として出演したが、たけしは乱戦の最中「コマネチ!」で自己主張をはかり、監督以下の顰蹙を買った。なお後年、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した際には、『コマネチ!』という記念本に寄せてコマネチ本人から祝福の手紙が贈られた。
1980年(昭和55年)10月、漫才師による昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)で、ツービートは火曜日のレギュラーとなった。1982年(昭和57年)10月、ブームの終焉と共に番組も終了したが、最終回でたけしは客に対し「何でもゲラゲラ笑いやがって! 本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ!」と語った(なお、フジテレビからオファーのあった後番組の司会をたけしは断り、代わりに『森田一義アワー 笑っていいとも!』が開始された)。
1982年(昭和57年)の夏にはブームは完全に終息し、たけしは“タレント・ビートたけし”として、この頃以降は、単独で司会をする番組を多く持つようになるなどしていった。
・漫才ブーム以後
漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していく。
1981年(昭和56年)元旦からニッポン放送・NRN系のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。
1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為“ボーヤ”と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。日本テレビ『スーパージョッキー』、TBS『笑ってポン!』等が始まった。また、博識が評価されて、毎日放送『世界まるごとHOWマッチ』等で文化人的な出演要請も増えた。
スーパージョッキー(日本テレビ)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)
ビートたけしのスポーツ大将(テレビ朝日)
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城 (TBS)
OH!たけし(日本テレビ)
世界まるごとHOWマッチ(毎日放送)
オレたちひょうきん族(フジテレビ)
オールナイトニッポン(ニッポン放送)
上記は、1985年(昭和60年)当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。
その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、ファミリーコンピュータのゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・明石家さんまと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。
漫才を披露する事はほとんどなくなったが、かつてはTVでは島田洋七との「B & Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある。
過去に4回「クイズ$ミリオネア」に挑戦した。
1回目は博士とタカと3人で100万円獲得。
2回目は1人で100万円獲得(テレフォン3回使用)。
3回目は15問連続正解で1000万円を獲得した。
4回目は9問正解で10万円獲得した(テレフォン2回使用)。
2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷のCBGKシブゲキ!!にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週ニュースキャスターの楽屋で、朝ズバッ!なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、イタズラ書きをしてはニュースキャスター後のS1でTBSに来ていた、爆笑問題田中の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、何処の局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった。
■テレビ
テレビ番組
レギュラー番組
ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日系 / 日曜日11:55 - 12:55)
世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ系列 / 月曜日 19:56 - 20:54)
たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学(朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 火曜日 20:00 - 20:54)
ビートたけしPresents 奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ系列 / 木曜日 19:57 - 20:54)
たけしのニッポンのミカタ!(テレビ東京系列 / 金曜日 22:00 - 22:54)
新・情報7DAYS ニュースキャスター(TBS系列 / 土曜日 22:00 - 23:24)
NHK
北野武の宵越しスーパートーク(1998年元旦、井上ひさし・諏訪内晶子・市川猿之助との対談)
第51回NHK紅白歌合戦(氷川きよしの応援)
第52回NHK紅白歌合戦(同上)
二人のTAKESHI(特番)
たけしアート☆ビート(NHKBSプレミアム / BS放送)
たけしの“これがホントのニッポン芸能史”(同上)
海洋アドベンチャー タラ号の大冒険(2016年7月18日) - 海洋観測船・タラ号日本大使として出演
TBS系列
特記のないものはTBS製作
たけしのお笑いサドンデス
たけしのホッカホッカタイム
笑ってポン!
刑事ヨロシク
世界まるごとHOWマッチ!!(毎日放送制作)
ギミア・ぶれいく
たけし・所のドラキュラが狙ってる(毎日放送制作)
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
たけしの頭の良くなるテレビ
ここがヘンだよ日本人
総天然色バラエティー 北野テレビ
たけしのお年玉だよ!!初笑い海外演芸慰問団
スーパーサッカー(1994年1月~8月まで、バイク事故で休養しそのまま降板)
乱!衆議院・参院選(衆議院選挙もしくは参議院選挙実施時にスペシャルコメンテーターとして出演)
たけし・所の二人テレビ(テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送)
たけしの人体科学SP 人はなぜ老いるのか(2012年1月5日)
日曜ゴールデンで何やってんだテレビ
ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV(TBS系列 / 年2回位放送)
たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5~6個のこと(TBS系列 / 不定期特番)
ビートたけしの勝手にスポーツ国民栄誉SHOW 豪華アスリート総登場 5時間半生放送SP(TBS系列 / 大晦日特番)
ビートたけしのガチバトル(TBS系列 / 年末年始特番)
北野演芸館~たけしが本気で選んだ芸人大集結SP~(毎日放送製作・TBS系列 / 不定期特番、2011年9月28日・2012年2月8日「水曜エンタ!」枠)
オールスター感謝祭(TBS系列) - 2011秋以降出題者として[注 10]
TBSテレビ60周年特別企画「ものづくり日本の奇跡」(2015年3月23日 - 3月26日、3月28日) - ご意見番
ものづくり日本の奇跡 日の丸テクノロジーがオリンピックを変えた元気が出る60年物語(2016年9月3日) - ご意見番
日本テレビ系列
特記のないものは日本テレビ製作
テレビに出たいやつみんな来い!!
わっ!!ツービートだ
OH!たけし
蝶々・たけしの21世紀まで待てない!!(読売テレビ制作)
スーパージョッキー
天才・たけしの元気が出るテレビ!!→超天才・たけしの元気が出るテレビ!!
ビートたけしの全日本お笑い研究所→番組の途中ですが…再びたけしです
ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
新橋ミュージックホール(読売テレビ制作)
世界超偉人伝説
たけしとひとし(「金曜スーパープライム内」 / 不定期特番、2010年12月10日)
たけしの超新説研究所 最新科学が歴史を暴く(2012年3月20日)
ビートたけし特別主催 おバカンヌNo.1映像祭(不定期特番)
たけし・所の二人テレビ(テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送)
世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史(2013年12月30日、2015年2月16日、2016年2月22日)
さんま&所の大河バラエティ!超近現代史!人間は相変わらずアホか!?(不定期特番、特別ゲスト出演)
ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎(日本テレビ系列 / 年1回放送)
緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!(日本テレビ系列 / 年1回放送)
ビートたけしの今まで見たことないテレビ(日本テレビ系列 / 不定期特番)
テレビ朝日系列
特記のないものはテレビ朝日製作
アイドルパンチ
ザ・ベストヒット'83
'83サマースペシャル
ビートたけしのスポーツ大将
スポーツシャワー~ヒーローに花束を~(朝日放送制作)
有名人の皆様ゴメンなさい…ビートたけしの超国民的バラエティ噂のあの人この事件 そこまでバラすか! ウワサの真相 年内決着スペシャル
神出鬼没!タケシムケン
ビートたけしのD-1グランプリ
たけしの万物創世紀(朝日放送制作)
たけし・所のWA風が来た!(朝日放送制作)
ビートたけしの!こんなはずでは!!
たけしのポリスアカデミー(朝日放送制作)
最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学(朝日放送制作)
たけし・所の二人テレビ(テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送)
名球会VSビートたけし&芸能界ドリームチーム(テレビ朝日系列 / 正月特番)
ビートたけしの禁断の大暴露!!超常現象(秘)Xファイル(テレビ朝日系列 / 年1回放送)
緊急!世界サミット“たけしJAPAN”(朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 不定期特番)
朝までたけし軍団 → 朝までたけし的ショー → たけスポ(テレビ朝日系列 / 原則年1回放送)
KAMIWAZA~神芸~(朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 年1回放送、番組ゼネラルマネージャー)
ビートたけしのいかがなもの会(テレビ朝日系列 / 不定期特番)
ビートたけしの知らないニュース(テレビ朝日系列 / 不定期特番)
テレビ東京系列
特記のないものはテレビ東京製作
世界おもしろネットワーク
気分はパラダイス
たけしの誰でもピカソ
古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議(テレビ東京系列 / 2014年正月特番)
フジテレビ系列
特記のないものはフジテレビ製作
オレたちひょうきん族
たけし・逸見の平成教育委員会
FNSの日
FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(1987年、1990年)→FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91→平成教育テレビ→FNSの日
FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!
FNS27時間テレビ2017‐総合司会
ビートたけしのつくり方
たけしのここだけの話(関西テレビ制作)
北野ファンクラブ
北野富士
足立区のたけし、世界の北野
たけしの斉藤寝具店
タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ
たけし・さんまの有名人の集まる店
たけしの日本教育白書
北野タレント名鑑
チャンネル北野eX(フジテレビ721)
チャンネル北野NEO(フジテレビ721)
熱血!平成教育学院
スター千一夜(1980年~1981年)
ビートたけしの21世紀毒談(フジテレビONE / CS放送)
所さんの世田谷ベース(BSフジ / 不定期出演ゲスト)
たけしのコマネチ大学数学科
たけしの等々力ベース(BSフジ)
平成教育委員会スペシャル(フジテレビ系列 / 1月・5月・8月・11月に放送)
たけしの日本教育白書 → たけしのニッポン人白書(フジテレビ系列 / 年1回放送)
地球45億年の奇跡I(フジテレビ系列)
地球45億年の奇跡II(フジテレビ系列)
FNSの日『さんま・中居の今夜も眠れない』(フジテレビ系列 / 2008年 - 2009年、2011年 - 2012年度の中継特別ゲスト)
THE MANZAI(フジテレビ系列 / 年1回放送、大会最高顧問)
オモクリ監督 ~O-Creator's TV show~
■ラジオ番組
ビートたけしのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
ビートたけしのラジオ黄金時代 街でいちばんの男 ビートニクラジオ(TOKYO FM)
ビートたけしの文学夜話 (NRN)
国際紳士交遊録(文化放送、山口敏夫と共にレギュラー出演)
■テレビドラマ
【主演】は主演ドラマ。★印は連続ドラマ。
草野球・草家族(1980年、テレビ朝日) ★
青春諸君!夏(1980年、TBS) - 測量士 役 ★
二百三高地(1981年、TBS) - 第七連隊の補充兵 役 ★
意地悪ばあさん(1981年、フジテレビ) ★
われら動物家族(1981年 - 1982年、TBS) ★
刑事ヨロシク(1982年、TBS) - 原平太 役【主演】★
幕末青春グラフィティ 坂本竜馬(1982年、日本テレビ) - 山内容堂 役
ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難(1982年 - 1983年、MBS) - 特別出演
みだらな女神たち(1983年、TBS) - 花森武市 役【主演】
昭和四十六年 大久保清の犯罪(1983年、TBS) - 大久保清 役【主演】
学問ノススメ(1984年、TBS) - 夏目宝石 役【主演】★
ビートたけしのこにくらじいさん(1984年、フジテレビ)【主演】
ビートたけしのこにくらじいさん2(1984年、フジテレビ)【主演】
イエスの方舟(1985年、TBS) - 京極武吉 役【主演】
青春夫婦物語 恋子の毎日(1986年、TBS) - 星永小百合 役
雨の降る駅(1986年、TBS)【主演】
立体ドラマ5時間 1987年の大晦日「昭和大つごもり」(1987年、フジテレビ) - 脚本:倉本聰【主演】
青春夫婦物語 恋子の毎日II(1988年、TBS) - 星永小百合 役
向田邦子ふたたび(1988年、日本テレビ)
ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編(1988年、テレビ朝日) - 目立つ客 役
男たちの激突! 前編・後編(1988年、フジテレビ) - 時造 役
時間ですよ 新春スペシャル(1989年、TBS)
御存知!鞍馬天狗(1989年、フジテレビ) - 近藤勇 役 ※特別出演
ビートたけし殺人事件(1989年、TBS) - ビートたけし 役
ビートたけし殺人事件~失われた魔人の伝説(1989年、TBS) - ビートたけし 役
美空ひばり物語(1989年、TBS) - 田岡一雄 役
なめくじ長屋捕物さわぎ(1990年、TBS) - 大道の砂絵師 役【主演】
柳生武芸帳(1990年、日本テレビ) - 万里小路充房 役
高円寺純情商店街(1990年、テレビ朝日)★
浮浪雲(1990年、TBS) - 雲 役【主演】★ - 視聴率的には振るわず、自身でもしばらくの間「はずれ雲」とネタにしていた。
忠臣蔵(1990年、TBS) - 大石内蔵助 役【主演】
実録犯罪史シリーズ 金(キム)の戦争 ライフル魔殺人事件(1991年、フジテレビ) - 金嬉老 役【主演】
説得 エホバの証人と輸血拒否事件(1993年、TBS)【主演】
ゴールデンボーイズ 1960笑売人ブルース(1993年、日本テレビ) - 関武志 役
兄弟(1999年、テレビ朝日) - 原作:なかにし礼【主演】
百年の物語 第2夜「戦後編・愛は哀しみをこえて」(2000年、TBS) - 戸倉耕作 役
三億円事件~20世紀最後の謎~(2000年、フジテレビ) - 松田誠一郎 役【主演】
明智小五郎対怪人二十面相(2002年、TBS) - 怪人二十面相 役【主演】
火曜サスペンス劇場・松本清張スペシャル 鬼畜(2002年、日本テレビ) - 竹中保夫 役【主演】
松本清張没後10年記念 張込み(2002年、テレビ朝日) - 柚木 役【主演】
大河ドラマ 武蔵 MUSASHI(2003年、NHK) - 新免無二斎 役
愚痴 第三話「出てった女」(2003年、フジテレビ)【主演】
和田アキ子殺人事件(2007年、TBS)
松本清張 点と線(2007年、テレビ朝日) - 鳥飼重太郎 役【主演】
あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機 第2部ドラマ(2008年、TBS) - 東条英機 役【主演】
こちら葛飾区亀有公園前派出所(2009年、TBS) - キタノ 役(第1回ゲスト)
歸國(2010年、TBS) - 大宮上等兵 役【主演】
検事・鬼島平八郎(2010年、ABC・テレビ朝日) - 安東正親 役 ★ ※特別出演
松本清張 黒い福音~国際線スチュワーデス殺人事件~(2014年、テレビ朝日) - 藤沢六郎 役【主演】
赤めだか (2015年、TBS) - 立川談志 役
ドクターX~外科医・大門未知子~スペシャル (2016年、テレビ朝日) - 黒須貫太郎 役
破獄(2017年、テレビ東京) - 浦田進 役【主演】
■舞台
海に響く軍靴~FOOTSTEPS IN THE PACIFIC~(2015年、博品館劇場) - 原案
■著作物・出版物
連載コラムや著書の文章のほとんどは、本人が多忙であるため、北野武が口述し、それをライターに文章として起こしてもらっている(『コマネチ!2』にて、本人のコメントによる)。
・絵本
絵本
ほしのはなし(2012年12月14日、ポプラ社)
・本
写真集
武風 たとえば風のように(1986年頃、O.P.F.C)
たけし軍団(1987年11月18日、太田出版)
写真作品
「無題」(1994年、竹書房発行、月刊ザ・テンメイ1994年秋臨時増刊号「Super Tenmei」掲載)バイク事故直前に撮った(雑誌は事故後発売)、写真家としての処女作品。
「ORA-ATAI」(1998年、新潮社発行、新潮45別冊2月号「北野武責任編集『コマネチ!』ビートたけし全記録」掲載)学ラン姿のガダルカナル・タカとセーラー服姿の井手らっきょ(スキンヘッドそのまま)がカップルに扮し東京見物するコンセプト。
「海から来た、おんな」(2002年、小学館発行、2002年2月1日号「週刊ポスト」掲載)
■その他受賞歴など
東京スポーツ新聞社客員編集長、東京スポーツ映画大賞審査委員長
フランス芸術文化勲章
シュヴァリエ(騎士)(1999年)
コマンドール(騎士団長)(2010年)
シャンパーニュ騎士団
オフィシエ・ドヌール(名誉将校)(2014年)
シャンベラン・ドヌール(名誉侍従)[注 12](2015年)
レジオンドヌール勲章オフィシエ(将校)(2016年)
明治大学特別功労賞授与(2004年)
イタリアの第10回ガリレオ2000賞・文化特別賞受賞(2006年)
日本数学会出版賞受賞(2008年)
『タイム』誌アジア版2001年2月12日号の表紙を飾った。2002年には同誌の「アジアのヒーロー」の一人として選出された。
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