JBJ95ケンタ、“夢だけで韓国へ”群馬の少年がK-POPアイドルになるまで<モデルプレスインタビュー>

ケンタ(24)は韓国の人気オーディション番組「PRODUCE 101シーズン2」で注目を浴び、そこで出会ったサンギュンとのユニット・JBJ95(ジェイビージェー・クオ)として活動している。群馬に生まれ、夢だけを胸に韓国を目指した“高田健太”の半生に迫る。
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス

「PRODUCE 101 シーズン2」で一躍話題に JBJ95・ケンタとは

ケンタが一躍有名になったのは、2017年4~6月に放送され、韓国で社会現象まで巻き起こした「PRODUCE 101 シーズン2」。101人の練習生が過酷なサバイバルオーディションを通し、デビューできる11人の座を競う同番組。唯一の日本人として出場し、健気なキャラクターと魅力的なダンスで多くのファンを生んだ。

惜しくも上位の11人(Wanna Oneとしてデビュー)には入れなかったものの、放送後、番組で人気だった練習生が集まり6人組グループ・JBJとして同年10月にデビューを果たす。期間限定だったJBJの活動が終わり、2018年10月、JBJのラッパーだったサンギュンと共にJBJ95として再デビュー。現在は2人組ユニットとして活躍中だ。


“運命の日韓コンビ”JBJ95とは?ケンタ&サンギュンの絶妙なケミストリー&日本活動への思い<モデルプレスインタビュー>


ケンタは“成功したオタク”とも呼ばれている。大のK-POP好きだった少年が、実際にK-POPのアイドルになってしまったからだ。「HIGHLIGHT」や「TEEN TOP」のファンだったことや、日本でK-POPカバーダンス発のダンスボーカルユニット『ガラガラ蛇』として活動していた過去にも時折フォーカスが当てられる。しかし、彼がこのサクセスストーリーを掴むまでには想像を絶する過去があった。

ケンタ、K-POPとの出会いはある日突然 もともとは「芸人になりたかった」

― 一番最初にK-POPに興味を持ったきっかけは何だったのですか?

高校1年生の時に、YouTubeで偶然見つけたんです。関連動画ってあるじゃないですか、そこに色々なK-POPグループの方々の動画が出てきたんですよ。見てみたらすごくかっこいいステージで、とても興味が沸きました。実はもともと僕は芸人になりたかったんですけどね(笑)。芸人になろうと準備をしていた時期に、K-POPに出会ってそこからダンスを始めたんです。

― もともと芸能界には興味があったんですね。

そうですね。小さい時からそういうお仕事がしたいという漠然とした目標はありました。学校でも人前に出てクラスメートを笑わせたり、みんなが笑っているのを見たりするのが好きだったんです。いいタイミングでK-POPに出会ってここまで来たのですが、もし出会っていなかったら、日本で芸人をやっていたかもしれないですね(笑)。

K-POPのカバーダンスをするため毎週末東京へ 親には「隠していた」

モデルプレスの取材に応じたJBJ95のケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
モデルプレスの取材に応じたJBJ95のケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
― 高校生の頃からK-POPのカバーダンスをやっていらっしゃったんですよね。

K-POPに興味を持った時に、カバーダンスをやっている人たちの存在を知ったんです。ダンスはそれまでやったことがなかったのですが、カバーダンスだったらできるかもしれないと思って始めました。やっぱりダンス教室に通うとなると、経済面でもそうですし、少し踏み出せない部分があったんです。でもカバーダンスだったら趣味としてできるかな、と思ってやってみたのがきっかけです。

― 地元の群馬でされていたんですか?

東京です。週末は群馬から東京に出てきて、平日は高校に行きながらずっとバイトをするという生活を2年間くらい続けていました。

― 東京に行く交通費のためにバイトを?

そうですね。親にはずっと、芸能人になりたいという夢を隠していたんですよ。だから毎週「友達の家に泊まりに行ってくる」と言って東京に出てきていました。なのでお金も自分で工面しないといけなくて。

― すごい熱意ですね。

でもK-POPという存在がそれくらい大きかったですね。夢を与えてくれました。本当にアイドルになりたい、歌手になりたいという夢がそこでもっと膨らんだんです。

― K-POPカバーダンス界では有名なダンスグループに所属されていましたよね。その活動を始めたきっかけは?

最初はTwitterを通してチームを一緒にやらないかという話が来たんです。期間限定のグループのつもりで、1、2回イベントに出るために集まってみようという感じで始めたのですが、意外に反応が良くて、「このままやってみようか」と。それでカバーダンスのグループから、自分たちのオリジナル曲を作って、地下アイドルのような感じで活動を始めました。

― 親御さんには?

高校生の時はずっと秘密にしていたのですが、高校3年生の進路を決める時に、「実は僕は今こういうことをやっている」と告白しました。芸能人になりたい、歌手になりたいという夢をそこで初めて伝えたんです。できる限りバックアップはしていきたいと言ってくれました。そこからはもう、イベントとかがあるとすごく応援してくれましたね。

ケンタ、運命の一言で韓国行きを決意

ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
― 韓国に進出しようと思ったきっかけは何だったのですか?

地下アイドルのような活動をしながらも、並行してK-POPカバーダンスはずっとやっていたんです。ある時に、韓国でK-POPカバーダンスのイベントに出ることになって、ソウルに行きました。その時に、当時のグループのリーダーの友人で、韓国で既にデビューされた方にお会いする機会があって。やはり僕も悩んでいて、「この先どうしていこう」というのを相談させて頂いたのですが、その方が「1回やってみたら?来てみたら?」と言ってくださったんです。もうその一言でした。それを聞いて「あ、やってみよう。今しかない」と思いましたね。このタイミングを逃したら多分もう行けないだろうと。

そこからはグループも辞めて、8ヶ月間くらい朝昼ずっとバイトをしてお金を貯めて、それで韓国に行ったんです。丁度20歳が終わる時。20歳と21歳って何か違うじゃないですか。21歳越えたら無理だ、このチャンスはきっとやってこないと感じて、2015年の12月29日に行きました。この年が終わる前に絶対に行こうと。

― 親御さんには反対されませんでしたか?

「韓国に行きたいです」と言った時には、さすがに反対はされましたね。「お金どうするの」とか。僕の家は裕福ではなかったので、心配な部分は多かったみたいです。けどやっぱり、「これくらい情熱があって、本当にこの夢を叶えたくて行くんだ」というのを伝えました。そうしたら「じゃあ行っておいで。成功するまで帰ってこないように」と最後に言われたんです。その言葉を胸に行きました。

「何のつてもなかった」韓国語も分からぬまま毎週オーディションへ

― 向こうには何かつてがあったのですか?

いえ、本当にお金と気持ちだけで行ったんです。何のつてもなく、住む場所もなかったので、コシウォンという一部屋2畳くらいの、シャワーも共同の下宿所に住んで、そこから事務所を探しました。

― ものすごい勇気ですね。

でも当時はワクワクの方が大きかったんです。心配とか一個もなくて、「早く行って早くやりたい!」という気持ちの方が大きかったです。

― 事務所に所属するまではどのような生活を?

最初は韓国語が全くできなかったので、まずは語学塾に2ヶ月間だけ基本を習いに行きました。塾に通いながら、大体どこの事務所も週末にオーディションをやっているので、色んなところを毎週受けに行っていました。そんな中で、さっき話した“韓国に来ちゃいなよ”と言ってくださった先輩に「うちの事務所に来て一緒にダンスしようよ」と言われて、遊びに行って、その事務所のオーディションを受けたんです。それが今の事務所です。

「出口の無いトンネル」過酷な練習生生活

ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
― 韓国で芸能事務所に所属すると、いつデビューできるのか分からない練習生生活が始まりますよね。やはり日本での活動時と、韓国での練習生としての生活は違いましたか?

違いますね。やっぱり練習生って、1日中練習しかしないし、先が見えないし、本当に不安との戦いでした。それに日本だったら言葉も通じるし、親もいるし、何か本当に困ったら実家に帰ればいいかもしれない。向こうではそういう風にはいかないじゃないですか。海外だし、友達もいないし、言葉も通じないし、自分で全部やるしかない状況だったので大変でした。けどいい経験になりましたね。

― 練習生になってから「PRODUCE 101 シーズン2」に出られるまではどれくらいかかったんですか?

1年と2、3ヶ月ですね。その間はずっと練習生として生活していました。

― 当時は何が一番辛かったですか?

先が見えないことですね。本当に、出口のないトンネルにいるような感覚なんです。一生懸命練習しても成果が見えなかったりすると、自信もなくなっていったり、気持ち的にも落ち込んでしまったりとか。あとはお金の面でも苦労しました。ご飯を買うお金がなくて、コシウォンって自由に食べていい白米とキムチが置いてあるんですけど、1週間まるまる白米とキムチだけで生活した時があるんです。その時は精神的にも肉体的にも、本当にきましたね。

「もう無理かも」『PRODUCE 101 シーズン2』で見えた光

ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
― その状況で「PRODUCE 101シーズン2」への出演が決まったわけですね。

実は、「もう無理かも」と思って一旦日本に帰って、整理をした時期があったんです。韓国に行って1年経って、これ以上お金ないし、精神的にも無理なんじゃないかと。一週間くらい帰ってきていたのですが、「ラスト3ヶ月間だけ行ってみよう」と韓国に戻った時に丁度「PRODUCE 101シーズン2」の話を聞いたんです。それで会社に出たいと言って、オーディションを受けて出演することになりました。

― 自分から出たいと言ったんですね。

そうです。前年に放送されていた「PRODUCE 101」の男子版をやるという話を聞いて、すぐ事務所に「絶対出たいです。出ないとだめなんです」と話して、オーディションを受けにいきました。

―「PRODUCE 101シーズン2」はすごく過酷なプログラムですよね。何が一番大変でしたか?

一番最初の時期ですかね。「ナヤナ(Pick Me)」という全員で踊る表題曲を練習した時がとても辛かったです。最初の収録から、まるまる3日間くらいほぼ睡眠時間がなくて、その間に歌とダンスを覚えなきゃいけなかったんですね。寝てないのでダンスを覚えたくても頭に入って来ないですし、僕は1人だけ日本人だったので言葉も通じず、助けを求めたくても求められないという状況で、メンタル的にも大変でした。

― 最終順位は24位という結果でした。

101人でスタートしたので、本当は「70番台までに行ければいい」と会社と話していたんです。そうしたら一番最初のランキングが21位だったんですよ。もうビックリして、「あ、もっと頑張ろう。頑張ったら本当に先が見えるかもしれない」と。そこからはもっと目標を高くするようになって、そうするとおのずとエネルギーもどんどん湧いてくるんですよね。それもあって、最終24位という結果までいけたのかな、と思います。

“韓国で成功”…友人たちの希望になったケンタ

― 今日本に戻ってくるタイミングで、昔の友達と会うことはありますか?

日本で活動していた頃のメンバーには、帰ってきた時にたまに会います。日本での僕のライブに呼んだりとか、時間があったらご飯を食べに行ったりもしますね。彼らは今日本でアイドル活動をしていたりとか、歌手をしていたりとか、もう普通に仕事をしていたりとか、バラバラなんですけど。

― その時はどんな話を?

やっぱり当時のメンバーの中では僕が1番最初にデビューまで行けたので、「勇気をくれてありがとう」とか「ケンタを見てもっと頑張ろうと思えた」といつも言ってくれるんです。だから僕もそれを聞いて「もっと頑張ろう」「もっとみんなに力を与えられたら」と思いますね。

僕自身K-POPに勇気や夢をもらった立場でしたし、だからこそ自分が歌手になる時は、僕も夢を与えられる人間になりたいという目標があったんです。ファンの人だったり、家族だったり、身近な人だったり、みんなに夢を与えられる人間になれているのであれば、デビューしてよかったなと思います。

最近の“日本人のK-POP進出”も実感

ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
― 最近、ケンタさんのようにK-POPのカバーダンス出身の日本人の方が、たくさん韓国で活躍されていますね。

多いですね。昔じゃ考えられなかったのですが、先日韓国で音楽番組に出た時に、日本人が14、5人いたんです。1つの番組にそんなに日本人がいるなんて、今まであり得なかったんですよ。いても4人くらいとか…。それを見た時は「本当に時代が変わったな」と思いましたね。

― 日本人同士で交流はあるのですか?

交流まではないですが、日本で一緒にイベントに出ていた方にお会いする機会もあって、「お久しぶりです」と挨拶はします。僕を見て韓国に来る目標にしたと言ってくださる方にもお会いして、本当にありがたいですね。

― 今やっている「PRODUCE X 101」にも、日本人の方が何人か参加していますね。先輩としてアドバイスをするとしたら?

やっぱり、諦めないで欲しいです。「PRODUCE 101 シーズン2」に出演していた時、代表だったBoAさんが僕たちに言ってくださった言葉が「諦めるな」の一言だったんです。「諦めない」って単純な言葉だけど、すごく難しいことですよね。このシンプルな言葉に込められた思いって、ものすごいと思います。“大変でも諦めない”これに尽きると思います。僕もすごく大事にしている言葉です。

ケンタが語る「夢を叶える秘訣」

― 最後に、様々な困難を乗り越えてきたケンタさんから、モデルプレス読者に向けて「夢を叶える秘訣」のアドバイスをお願いしたいです。

続けること。続ける努力だと思います。何か1つを続けることって本当に大変じゃないですか。並大抵のことじゃないですよね。続ける努力やエネルギー、情熱があれば、夢はなんでも叶えられるんじゃないかと思います。

― ありがとうございました。

―――――「夢を与えられる人間になりたい」そう語ったケンタ。憧れのK-POPアイドルになるためつてもなく韓国に渡り、自分からオーディション番組に参加してデビュー、音楽番組で1位も獲得した彼に、夢を与えてもらった人間がどれだけたくさんいることだろう。K-POPの世界に身を置くこと、ましてや成功するまで続けることは、並大抵の努力ではなりたたない。想像を絶するほどに厳しい世界だ。しかしその過酷さを乗り越えて夢を手にするからこそ、より多くの人々に希望を与えることができる。謙虚にインタビューに応じる彼が語った劇的な道のりから、熱意を持って誠実に努力し続けることの価値を改めて教えてもらった。

“運命の日韓コンビ”JBJ95とは?ケンタ&サンギュンの絶妙なケミストリー&日本活動への思い<モデルプレスインタビュー>


ケンタ プロフィール

ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
ケンタ(高田健太) (C)モデルプレス
本名:髙田健太
1995年1月10日生まれ
日本・群馬県出身
日本でK-POPカバーダンスチームで活動後、単身渡韓。語学学校に通いながら現事務所の練習生となり「PRODUCE101 シーズン2」に唯一の日本人として参加。優しく朗らかな性格と、高いファッションセンスでも人気。

JBJ95(ジェイビージェー・クオ)

JBJ95(ケンタ、サンギュン) (C)モデルプレス
JBJ95(ケンタ、サンギュン) (C)モデルプレス
「PRODUCE 101」シーズン2から派生した6人組グループ・JBJとしての期間限定活動が終了したのち、日本人のケンタと韓国人のサンギュンが再び集まり結成。チーム名は、自分たちの原点と初心を忘れないためにという思いから、JBJという名前を残し、ケンタとサンギュンの生まれ年95(韓国語での読み方:クオ)を合わせ決定した。

JBJ95は2018年10月にミニアルバム『HOME』でスタートを切り、2019年3月には、セカンドミニアルバム『AWAKE』を発売。6月14日にJAPAN FFICIAL FANCLUBをオープンする。



JBJ95 JAPAN OFFICIAL FANCLUB JJAKKUNG(チャックン)詳細

<オフィシャルサイト> https://jbj95fc.com/ ※2019年6月14日(金)オープン
<モバイルサイト> https://jbj95mobilefc.com/ ※2019年6月14日(金)オープン

(modelpress編集部)
【Not Sponsored 記事】
モデルプレス
モデルプレス - JBJ95ケンタ、“夢だけで韓国へ”群馬の少年がK-POPアイドルになるまで<モデルプレスインタビュー>
今読んだ記事

JBJ95ケンタ、“夢だけで韓国へ”群馬の少年がK-POPアイドルにな…

この記事を気に入ったら
いいね!してね

関連記事

「韓国エンタメ」カテゴリーの最新記事