衣笠乃愛が“ビーチの女神”になるまで――原点になった「日本一きつい練習」
プロビーチバレーボール選手であり、インフルエンサーとしても活動する衣笠乃愛。その可憐なルックスと明るい笑顔から「ビーチバレー界のニューヒロイン」「かわいすぎるビーチバレー選手」と称される彼女だが、その裏には想像を絶するほどの経験が隠されていた。名門校で過ごした日本一きつい練習の日々、大怪我からの再起、そしてSNSで発信する意味とは。彼女の強さの原点に迫った。(前後編の前編)
――現在は「ビーチバレー界のニューヒロイン」とも呼ばれていますが、まずはその原点を探るためにも、活発だったという少女時代のお話からお聞かせいただけますか?
衣笠 1歳下に弟がいるんですけど、小さい頃は本当によく喧嘩をしたり、走り回ったりしていました。いとこも親戚もみんな男の子で、私だけが女の子だったので、ごっこ遊びもプリキュアじゃなくて仮面ライダーごっこだったんです(笑)。男の子がやるような遊びばかりして育ちました。
――女の子らしい遊びはあまりしなかったんですか?
衣笠 そうですね。周りが男の子ばかりだったので、サッカーをしたり、鬼ごっこをしたりすることが多かったです。保育園や小学校のときも、男の子に混じってドッジボールをしていました。走るのは昔から速くて、小学校の校内マラソン大会は、6年間ずっと1位でした。本当は短距離の方が得意なんですけど(笑)。
――そんな活発な少女が、最初は踊る方のバレエを習っていたそうですね。
衣笠 はい。保育園のときから小学校1年生くらいまで習っていました。でも、もともと性格が活発だったので、だんだん「自分には合わないな」と感じてきて。お上品な感じが、少し窮屈に思えてきっちゃったんです。
――そこで、バレーボールに転向したわけですね。
衣笠 はい。祖父も母もずっとバレーボールをやっていたんです。近所のお姉さんや友達もみんなバレーボール部に入っていたし「一度、体験に行ってみない?」と誘われて。行ってみたら「こっちの方がいい!」って私自身がなで肩なので、バレエはやめました。
――現在も続けられているということは、楽しく活動できていたんですね。
衣笠 いえ…。当時住んでいた地域の小学校チームが偶然にも強豪校で、最初からすごく厳しかったんです。もう、本当に厳しくて…。よく泣きながら「やめたい」って親に言っていました。
――ご両親は「やめたい」という言葉にどう反応を?
衣笠 「行け」って(笑)。母もバレーボール、父はラグビーをずっとやっていたので、厳しい世界で生きてきた人たちなんです。だから「やめたい」なんて言おうものなら、鞄を家の外に放り投げられて「行ってこい!」って言われるような感じでした。完全にスポーツ一家ですね。
――ご両親も徹底されていますね。その後の高校進学ですが、東京の名門・共栄学園を選ばれています。
衣笠 スポーツ推薦のお話を3つか4つ、全部県外の高校からいただいて。その中で一番強くて、一番遠かったのが東京の共栄学園でした。寮生活になるし、家を出たくない気持ちも強くて、最初は「嫌だ」と言っていたんです。でも、親に「絶対に行け」と。最終的には「頑張る」と心を決めて、進学しました。
――名門と言われるだけあり、やはり練習は厳しかったですか?
衣笠 想像を絶する厳しさでした。全部がきつかったんですけど……一番は合宿ですね。夏休みや春休みにあるんですけど、一番長くて14泊15日でした。
――14泊15日!?
衣笠 はい。合宿中は、朝4時50分に起きて、5時から10kmランが始まるんです。もちろんタイムも計られて。終わったら朝ごはんの前に1時間の朝練。そのあと、朝9時から夕方の6時までぶっ通しで練習か、他校との練習試合です。
――上下関係も厳しそうです。
衣笠 私が1年生のときはかなり厳しかったです。例えば、先輩と話すときは、何も悪いことをしていなくても「〇〇さん、すみません」から会話を始めて、最後も「すみません」と言って去る。それがルールでした。
――そんな厳しい環境で、ささやかな楽しみや思い出はありましたか?
衣笠 合宿中に1回だけ、脱走とまではいかないんですけど、夜中にこっそり抜け出したことはあります(笑)。練習がきつすぎて夜中にお腹が空いちゃって。4人くらいで「コンビニ行ってみる?」となって、誰にもバレないように抜け出したんです。コンビニで買い食いして、花火もして。バレたら次の日とんでもなく怒られるんですけど、幸いバレませんでした。今となってはいい思い出です。
――バレなくてよかったですね。ビーチバレーとの出会いについても教えていただけますか。
衣笠 共栄学園では夏のトレーニングの一環として、年に2回くらいビーチバレーをやる機会があったんです。それで、私が高校3年生のとき、国体(国民体育大会)に「少年少女の部」が新設されることになって。その強化選手として学内で選ばれたのが本格的なスタートでした。インドアのバレーボールと両立しながら「国体で優勝する」という目標を掲げて、本格的に始めましたね。
――高校3年生のときには、インドアとビーチの両方で結果を残されています。
衣笠 インドアでは、夏のインターハイで準優勝、春の高校バレー(春高バレー)では3位になりました。そして、ビーチバレーの方では、高校生の全国大会であるマドンナカップで優勝して、その後の国体でも優勝することができました。
――この結果を残せた理由は何だとお考えですか?
衣笠 インドアに関しては100%練習量です。どこのチームの話を聞いても「日本一きついのは共栄学園だな」って思えるくらい練習していたので、それが自信になっていましたし、何より「負けたら怒られるから、やるしかない」っていう気持ちでした(笑)。
――ビーチバレーの方はどうでしたか? 当時ペアを組んでいたのは菊地真結さんですよね。
衣笠 ビーチは、ペアを組んでいる中でも私たちが一番仲がよくて、コミュニケーションが取れていた自信があります。3年間同じクラスで部活も一緒だったので、すごく息が合っていました。大学生のチームと試合をしても勝てていたので、試合で負ける気はしなかったです。
▼衣笠 乃愛(きぬがさ のあ)2001年6月14日生まれ、滋賀県出身。バレーボール一家に育ち、小学2年生から競技を始める。中学時代は滋賀県の選抜チームで活躍し、高校はバレーの名門・共栄学園へ進学。高校3年時には、インドアでインターハイ準優勝・春高バレー3位、ビーチバレーでマドンナカップ優勝・国体優勝。明海大学在学中には前十字靭帯断裂の大怪我を負うも、リハビリを経て復帰。現在はプロビーチバレー選手として国内外のツアーに参戦。インフルエンサーとしても活動し「ビーチバレー界のニューヒロイン」として注目を集めている。
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