

マリリン・モンロー=“色気だけ”ではなかった 輝きを増していた“真面目で努力家”な一面が明らかに
「金髪美女」の象徴とされた女優の真の姿を追う『マリリン・モンロー 私の愛しかた』が5月30日公開。

1950年代、「セックス・シンボル」と崇められ、セクシーな女性の代名詞とされたマリリン・モンロー。
そんな彼女の素顔に迫るドキュメンタリー『マリリン・モンロー 私の愛しかた』が5月30日より公開になります。はたしてマリリンの武器は、セクシーさだけだったのでしょうか?
実は真面目な努力家

『マリリン・モンロー 私の愛しかた』を手がけたのは、イアン・エアーズ監督。数々のドキュメンタリー作品を制作し、特に本作のためには、12年の歳月をかけて緻密な調査を行ってきたそう。
それに加え、マリリン本人の映像はさることながら、マリリンの関係者たちによる貴重なインタビューが満載。
例えば、『ウエスト・サイド物語』(1961年)で有名なジョージ・チャキリスは、マリリンの作品にバックダンサーとして参加した当時の様子を語り「セクシーさ」だけが売りではない、練習熱心な「マリリン・モンロー」の新たな一面が見えてきます。
マリリン・モンローができるまで

1926年6月1日、アメリカのロサンゼルスで生まれたマリリン。本名は、ノーマ・ジーン・モーテンセンといいますが、フィルムの編集係として働く母のグラディスがシングルマザーだったことから、孤児院などに預けられて育ちました。
1942年、16歳の時に近所に住む21歳のジムと結婚しますが、おりしも時代は第二次世界大戦の真っただ中。軍務についたジムは家を空け、マリリンは軍事工場で働くようになります。すると軍のカメラマンの目にとまり、写真モデルの仕事を開始。
人気モデルとなったマリリンは、ラスベガスに移住し、20歳で20世紀フォックスと契約。「マリリン・モンロー」となり、女優への道を歩みはじめるのでした。
「セクシー」という名の武器

本作では、マリリンが出演した映画のシーンが登場しますが、裏でマリリンがどれほど真面目に役作りに取り組んでいたか、その舞台裏と共に明かされていきます。
個人的には、1953年の『紳士は金髪がお好き』で、見事に歌い踊るマリリンが、どのような努力を重ねていたのかを知り、関心せざるをえませんでした。この作品は彼女にとって初めて挑んだミュージカルで、当時第一線の振付家だったジャック・コールによる振付を、こんなにさらりとこなしているからです。
実は真面目で勤勉で、「セックスシンボル」として、自ら演出をしていたマリリン。1962年、36歳の若さで亡くなってしまいますが、もう少し長く生きていたとしたら、新たな時代の女性の代名詞になった可能性は十分ありえます。
2017年、性暴力の被害女性が声を上げるMeToo運動が広まって以降、「セクシー」という名の武器の扱い方を、私たちはマリリンから学ぶ時期に来ているのかもしれません。
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『マリリン・モンロー 私の愛しかた』
5月30日(金)より ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
公式サイトはこちら!
(文/Sirabee 編集部・尾藤 もあ)
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