

「配合変化」空手家から看護師、女優へ…長野じゅりあが語るひとつに絞らない生き方
脳外科の看護師として働きながらTikTokのフォロワーは90万人。5歳から始めた空手では世界一になったことも。アクション女優、タレントとしても活躍する“四刀流”長野じゅりあが、今度はプロレスラーとしてリングデビューを果たした。「自分に妥協することが許せない」と言い放つド根性の持ち主だけに、その突貫ファイトは壮絶そのもの。なぜ彼女はプロレスデビューに至ったのか。その波乱に満ちたこれまでの半生を振り返りつつ、今後の目標を熱く語ってもらった。(前中後編の中編)
──空手のことしか頭になかった少女時代の長野選手。医療や女優の道に進んだのは、どういうきっかけだったんですか?
長野 うちは母親が看護師なんですよ。だから母の中でも「この子はいろいろやっているけど、最終的には看護師になってもらいたい」という気持ちが強かったみたいで。ところが14歳のとき、空手の試合結果が載っている「JKFan」というサイトをチェックしていたら「映画オーディション開催!」みたいな広告が目に入ったんですよ。それは田﨑竜太監督の『サルベージ・マイス』という作品だったんですけど。
──女優に対する憧れがあった?
長野 いや、そういうわけでもなかったんです。ただ、空手の師匠がブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を「これ観たほうがいいぞ」ってよく貸してくれたんですね。空手のための教材としてなのか、単なるエンターテインメントなのか、そこは今でもわからないんですけど……。とにかくオーディションの広告を見つけたときに私が感じたのは「空手の技を使ってアクションできそうだな」ということ。それで通行人役でもいいから記念に受けてみようかなと思ったら、いきなりヒロインに選ばれたんです。ちょっと信じられないくらい恵まれていましたね。
──では女優業の下積みもなければ、ヒロインになる覚悟もなかったわけですよね。
長野 そうなんですよ。監督からは「じゅりあちゃんは空手をカッコよくやってくれたらそれでいい」と言われていましたし、実際、自分も演技なんてまったくできないので、とにかく空手のアクションをするということに集中していました。だから気持ちのうえでは「女優デビューしました!」という感じでもなかったんですよ。本当に空手の延長線上だったので。
──周囲の見る目は違ったんじゃないですか? 急に学校でモテ始めたりもしたのでは?
長野 いやいや、全然ですよ。たしかにネットニュースとかで「空手美少女が銀幕デビュー!」とか書かれたこともありましたけど、「そんなことより私は空手で世界一を獲るほうが大事だから」という気持ちだったんですね。そもそも1年365日ずっと練習しているわけだから、他の子みたいにカラオケとかで遊ぶ時間がなかったんです。だから浮ついた気持ちにもなりようがなくて(笑)。女優の現場でも「すいません。今日は空手の稽古があるので、このへんで……」とか抜け出していたくらいですから。──そこから空手と女優業の二刀流を続けたんですか?
長野 それがですね、15歳くらいから空手のほうでスランプみたいになっちゃったんですよ。成績がどうにも思わしくなくて……。最初の映画のあともドラマとかに何本か出させていただいたんですけど、「これはもう女優とかやっている場合じゃないな」と思い詰めて、演技のほうがスッパリやめちゃったんです。今思えば、もったいなと自分でも思うんですけど(苦笑)。空手に関してはそこからも必死で頑張ったものの、18歳のときのインターハイ予選でギリギリ決勝に進めなかったんですね。そこで競技人生に終止符を打ちました。
──それまで全人生を空手に捧げてきたわけだから、別の道へ行くのも大変だったのでは?
長野 そうですね。18歳のインターハイ予選で負けてから慌てて塾に通い出して、看護学校の受験に備えました。正直、勉強はすごく苦手だったんですけど、面接では空手仕込みのハキハキしたしゃべり方とコミュニケーション能力でなんとか乗り切りまして。女優業をやっていたこともあって高校を休む日も多かったんですけど、そこを面接官に突っ込まれたら「はい! 私、空手の世界チャンピオンなものですから! その延長で映画のヒロインもやらせていただきました! だから身体の丈夫さには絶対の自信があります!」みたいにアピールしていましたね。たぶんそれで受かったんだと思います(笑)。
──実際に看護師になったのは何歳のときですか?
長野 学校が3年制だったので、20歳のときでした。母親が看護師だったことに加えて、『救命病棟24時』とかを観てカッコいいなと思っていたんですけど、実際にやってみると本当に業務が大変で……。常にバタバタ慌ただしくしているし、配属されたのが三次救急というところだったので、大袈裟じゃなく生きるか死ぬかギリギリの攻防みたいなことが多いんですよ。リアルに「私が患者さんの異変に気付いたから命が助かった」みたいな例もありましたし。ものすごくヒリヒリする現場だし、ドラマのイメージとは全然違っていたけど、やりがいはとても感じましたね。
──そこまで激務だと、芸能界に復帰しようなんて発想にもならなかったのでは?
長野 特に1年目は毎日が勉強の繰り返しだから、看護師の業務以外は頭になかったです。看護師の世界では「一人前になるのに3年かかる」とよく言われるんですね。だから3年経ったら女優に復帰しようと密かに考えていました。なぜなら、やっぱり心残りがあったんですよ。女優としてデビューしたとは言っても、結局、空手の片手間でやっていただけだから、すごく中途半端だったし、もったいないことをしたなという後悔がありまして。映画のヒロインにしたって、600人の中から選ばれたということのありがたさを当時は全然理解できていなかったんです。だから、もう一回ちゃんとした気持ちでアクションに臨みたいという思いが自分の中で大きくなっていったんですよね。
──でも、そうなると病院勤務は続けられないのでは?
長野 そうなんです。だから「やりたいことが見つかったので、辞めさせてください」と病院側には伝えたんですよ。だけど病院がすごく理解のあるところで、「女優業で休んでもいいから、長野さんにはぜひ続けてほしい」と言ってくれまして。今は6年目になるんですけど、以前と変わらず医療の現場に立たせていただいております。(後編に続く)
▽PROFILEながの・じゅりあ◎1996年2月10日、島根県生まれ。T159cm、B80・W60・H86。趣味:筋トレ、旅行。最近、ハマっていること:洋服の毛玉取り。最近の悩み:身体を絞りたいけど、シュークリームやドーナツがやめられないんです。好きな男性のタイプ:強そうな格闘家タイプに守られたいという気持ちもあるけど、どういうわけか「僕を守って~」みたいな弱々しい男性に好かれる傾向があります(笑)。でも今は恋愛よりも自分の夢を実現させることに熱中しているので、胸キュン要素は韓国ドラマだけで十分かな。
5歳より空手を始め、2006年の「第5回糸東流空手世界選手権大会 形の部 9歳~10歳 女子3級以上」にて優勝を飾り世界王者に。2011年には『サルベージ・マイス』で女優デビュー。看護師として病院に勤務しつつ、グラビアやバラエティなどでもマルチに活躍を続ける。2022年3月、東京女子プロレスの両国国技館大会でリングデビュー。TikTokやYouTubeでも絶大な人気を誇る。
関連記事
-
SKE48 古畑奈和、「自分は誰かの役に立てている」10年突き進んだ"アイドル"という職業ENTAME next
-
美女コスプレイヤー・蒼猫いな、フェチ感じる衣装で美スタイル完全解禁【写真10点】ENTAME next
-
10年ぶりの写真集、中川翔子「過去最大の露出に挑戦したきっかけは江頭2:50さんの一言」ENTAME next
-
中川翔子、すべてを出した10年ぶり写真集を語る「血管を褒められる体験は初」ENTAME next
-
桃月なしこ、話題のフォトスタイルブックからナチュラルな白ランジェリーショット公開ENTAME next
-
似鳥沙也加、まん丸バストを置きパイした泡風呂グラビアに「キュンが止まらない」ENTAME next
「ニュース」カテゴリーの最新記事
-
木村沙織、2歳息子へのお手製キャラ弁披露「マリオ可愛い」「クオリティ高い」と反響モデルプレス
-
リュ・スンリョン、ヤン・セジョン、ユンホら出演「パイン ならず者たち」7月16日(水)配信 ティザーポスター&予告も解禁WEBザテレビジョン
-
生田絵梨花、共演歌手と食事へ「2人ともプライベートモード」頬寄せ合う2ショットに反響モデルプレス
-
岩田剛典主演ドラマの主題歌がOmoinotake書き下ろし新曲「フェイクショー」に決定<DOCTOR PRICE>WEBザテレビジョン
-
NCT 127ユウタ、Number_i平野紫耀との2ショット公開「びっくりして頭が混乱」「並びが激アツ」の声モデルプレス
-
玉川徹氏「午後の情報番組がまた騒ぎ出す」“梅雨明け”めぐり他局をチクリ!ENTAME next
-
Snow Man目黒蓮、自分らしくいるために謙虚な姿勢貫く「家に帰ったら必ずリセット。初心の気持ちで過ごせたら」WEBザテレビジョン
-
【TIF2025】出演者第18弾発表、「Negicco(Nao☆、Megu)」が7年ぶりに出演!「清竜人25」や「RiNCENT#」など全6組asagei MUSE
-
Snow Man目黒蓮、“サンカットグラス”選びでご満悦「めっちゃ楽しい!もっと時間かけて選びたいな」WEBザテレビジョン