

神田愛花、理詰めと真面目さが生んだバラエティーでの“愛され力” 「私としてはとにかく本気で臨んでいるだけ」【連載:Museの素顔 #5】

多数のフリー女性アナウンサーが所属する芸能事務所「セント・フォース」とWEBザテレビジョンがコラボした月イチ連載「Museの素顔」。本連載では、多くの情報・報道番組やバラエティー番組、さらにはCMやモデルといった幅広いジャンルで活躍中の「セント・フォース」所属の女性アナウンサーに、仕事に懸ける真摯な思いから、テレビからは伺い知れないパーソナルな一面まで、彼女たちの魅力や素顔に迫っていく。
第5回は、元NHKアナウンサーで、バラエティーに引っ張りだこの神田愛花アナ
第5回は、NHKのアナウンサーからフリーに転身後、その明るく、ユニークなキャラクターで、情報番組やバラエティー番組を中心に、今やさまざまな番組に引っ張りだこの神田愛花アナウンサー。これまでのアナウンサー人生を振り返りながら、出演が続くバラエティー番組への思いや今後の目標、愛してやまないものについて、大いに語っていただきました。
理系の学生から「ほとんど見たことがなかった」というNHKのアナウンサーに
――まずはじめに、アナウンサーを目指した経緯を教えてください。
小学校6年生のとき、中学校受験のために塾に通っていたんですが、合格した子たちを横浜アリーナに集めて祝賀会みたいなものが開催されたんです。その会に私も出席したのですが、会場では皆浮かれて、ガヤガヤとしゃべっていて。ステージ上で進行されていることには誰も注目していなかったんです。そこに、その塾とフジテレビさんがタイアップしていたテレビ番組「平成教育委員会」(1991年~1997年、フジテレビ系)でMCをされていた逸見政孝さんがゲストに来てくださったんです。正直、何をお話しになったか記憶にないんですが、逸見さんが話し始めると、うるさかった会場がシーンとなって、皆が話に聞き入っていたことがすごく印象に残っていて。「アナウンサーってすごいんだな」っていう、何か言葉にならないすごさを感じて、その瞬間に「アナウンサーになってみたい」って思ったんです。
――それから、“将来の夢”として一直線という感じですか?
いいえ、もう漠然とでした。その後、アナウンサー自体がどういう仕事かということを自ら調べることもせず、中学・高校時代は将来のことは考えず、ひたすら友達と遊んでいました。でも高校1年生のときに、理系か文系か、という選択をしなければいけなくなり、ふと、アナウンサーになりたいと思ったことを思い出したんです。でも、アナウンサーは言葉を操るお仕事なので文系のイメージがあるけれど、私は小学校のときから算数が好きで、理系に進みたかった。要は自分の進みたい道と、なりたいと思う職業がリンクしなかったわけです。そこで先生に相談したら、「まず目の前のやりたいことをやってみたら?」と言われまして。「だったら、明日したい勉強は数学だ!」と思って、理系に進み、数学科を選択して大学へ進学しました。なので、アナウンサーの夢は一度半ば諦めてるんです。
――そこからどのようにアナウンサーを志すように?
そろそろ就職活動を始めなきゃ、という時期になったとき、先輩から「就活はすごく傷つく」っていうことだけ聞いていたんです。不合格になって自分のこれまでを否定されるような気持ちになるけども、でも頑張ってやらなきゃいけないよって。じゃあ、否定されてもやりたいって思うものしか私は受けられない!と思ったときに、アナウンサーしかなかったんです。自分がやりたい職業だから、傷つけられても納得がいくと言いますか、仕方ないと思えるんじゃないかと。それで決心しました。
――最終的に、晴れてNHKに入社することになりましたね。
民放局は試験が早いのですが、全部落ちまして、最後にあったのがNHKでした。でも正直、NHKはほとんど見たことがなかったんです(笑)。バラエティー番組が好きだったので民放の番組ばかり見ていましたし、“ニュースのNHK”というイメージがあって…。でも、とにかくアナウンサーになりたかったので、「もうどこでもいいから採って!」と思っていたんです。そうしたら運よく採用してくださいました。
――ちなみに試験はNHKと民放では全然違うものなのでしょうか?
全然違いました。民放は早々にカメラテストがあって、面接はすごく短くて一言二言で終わることも。おそらく今思うと“瞬発力”を見ていたのかな、と思います。自分で言うのもなんですけど、私、意外と真面目なんです! 何でも難しく考えてしまうので、例えば、ある局でいきなり「君、面白いことできるの?」って言われて。面白いことなんかできるかどうか、考えたことがなくて、一回グッと考え込んで出たのが「仕事だったら頑張ります」っていう答えで。そうしたら、「分かった」と目の前で不合格のところに履歴書を入れられたんです。
――その場でとは、シビアですね…!
そこで考え込んでしまった時点で、私は民放のアナウンサーには向いていなかったんだと思います。一方、NHKの試験は、筆記試験と一次面接は記者の方と一緒に受けるんです。結果、そっちの方が合っていたみたいですが、一次面接で、「NHKの番組、何を見ていますか」と聞かれまして…。
――ほとんど見たことがなかったんですよね…?
はい。でも、「プロジェクトX~挑戦者たち~」(2000年~2005年、NHK総合)は有名な番組で知っていたので、「『プロジェクトX』です」と答えたら、面接官に「君、NHK見てないね」ってすぐバレまして(笑)。「戦うときは相手が何を作っているか、勉強してから来なきゃダメだろ」って怒られたんです。それなのに、通ったんですよ。入局してから、その面接官の方に廊下でお会いしたので「なぜあのとき、私は通ったんでしょうか」と聞いたら、「誰よりもアナウンサーになりたいんだ、っていう眼力が強かったから」と言ってくださって。新人研修のときに「神田は真剣になるとまばたきをしない癖がある。怖いからまばたきしなさい」って言われたことがあるんですが、おそらく面接でもまばたきをしていなかったんだと思います(笑)。本当にありがたかったです。
震災を機にフリーの道へ。理詰めで取り組むことで芽生えた希望
――新人時代に大変だったことは何ですか?
やはり漢字が読めないということでしょうか。言い訳になってしまうんですけど、数字が好きでしたし、特に微分積分が大好きで、解いていて気づいたら3時間とか経ってしまうくらい。その中で、活字を読むという習慣はほとんどなかったんですよね。結局、“初鳴き(※新人アナウンサーが初めてアナウンスすること)”も同期で一番遅かったんです。それから、ほとんど番組を見たことがなかったということもあって、とにかくNHKの番組やテイスト、そしてNHKのアナウンサーの仕事を学ぶということに必死に取り組みました。
――そこから約9年間、NHKで働き、2012年4月からフリーに転身されますが、きっかけはどんなものでしたか?
私はバラエティー番組をやらせていただくことが多かったのですが、本格的にアナウンサーを目指しはじめた頃から、報道番組のメインの女性キャスター・アナウンサーに憧れていたんです。特にNHKに入ってからその気持ちが強くなりましたし、帯で情報とか報道番組のメインを女性で張れる、安藤優子さんのような存在になりたい、と。そういう思いをずっと持ち続けて、20年ぐらい経ちましたが(笑)、それは今も変わっていません。今でこそ、若いアナウンサーが「ニュースウォッチ9」などを担当していますが、私がいた頃は、女性は、経験を積んで40歳以上になって、視聴者の皆さんから信頼を得ている方でないと帯の報道番組は担当できない、というような風潮が何となくあったんです。だから「私も頑張らなきゃ」と思った30歳ぐらいのときに、東日本大震災が起きたんです。あの光景を見たときに、「人生って突然終わってしまうことがあるんだ、これは他人事ではないんだ」と痛感して。それで、これから10年間、ここで頑張ることを目標にするのか、ここを出て今すぐにでもできるかもしれないというチャンスに向かっていくのか、と考えたときに、「明日生きているか分からない。だから今だ」と思ったのが一番大きな理由ですね。
――震災のとき、神田さんはどんな関わり方をしていたのでしょうか?
発生当時、教育テレビ(※現在はNHK Eテレ)で24時間安否情報というのを流していたんです。視聴者の方がNHKのサイトにアクセスをして家族の方などにメッセージを送り、それを発信し続けるというもので、それを約1時間交代でひたすら読むんです。「何々ちゃんへ。生きてます。連絡ください」「何々くん、元気ですか。連絡ください」「何々さん、どこにいるんですか。連絡ください」…。どこにいるかは分からないですけど、「とにかく聞いていてくれ!」と思いながら。それを読んでいたとき、すごく重みを感じて。自分が生きていることは当たり前じゃないんだ、って。それで人生の考え方がだいぶ変わりました。
――フリーとして活動し始めてみると、やはり大きな違いは感じましたか?
感じましたね。アナウンサーの仕事であれば、ある程度自分でいろいろシミュレーションしたり、勉強したり、計算のもとでやっていくことができると思うんですよ。でも、バラエティー番組にゲストで呼ばれるという訓練は受けてこなかったものですから、どうしていいか分からなくて、うまくできない時期が続きました。どうしてもアナウンサーの気持ちしか分からないんですね。アナウンサーの方の進行の邪魔にならないような存在でいなきゃ、っていう発想しかなかったんですよ。そうすると、黙ることしかできなくて、もうまったくハマらなくて…。
――そんな中でターニングポイントになったお仕事は?
一番印象に残っているのは初めて「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出させていただいた(2018年11月18日放送)ときです。まず、こんなすごい番組に呼んでいただいて大丈夫なのであろうか、とすごく考えたんです。NHKのアナウンサーには、コメンテーターの要素なんか一切ないんですよ。ニュースは原稿を読んで、伝えるのが仕事なので、ニュースや芸能界で起こったことに対して自分の考えを言うという思考回路がなかったんですが、それを仕事とするときがきてしまった。だから、すごく時間をかけて準備しまして。しゃべりたいコメントも付箋に50枚ぐらい書いて、それを持っていきましたら、皆さんが笑いに変えてくださった部分もありつつ、何とか放送できないというレベルではなかったんですね(笑)。バラエティー番組はいくら準備をしても、皆さんの流れで、自分の想像なんか超えてしまって対応できなくなってしまうんですけど(笑)、「ワイドナショー」では「神田さんどう思いますか?」と聞かれて、自分の考えを述べる時間をいただけた。「こういう番組なら、しっかり準備すれば、私もできるかもしれない!」と初めて希望みたいなものを感じましたね。
――どちらかというと理系的な考え方なのでしょうか。
そうかもしれません。理屈で理解できないと思考が止まって、何もできなくなっちゃうんです。そんなに柔軟な頭じゃないんです。
「真面目に臨む」ことで生まれた神田ならではのバラエティー力
――今ではバラエティー番組に引っ張りだこですが、最初の頃は苦戦していた部分も?
ずっと苦戦していたんですが、あるとき、アドバイスをいただいたんです。「周りにバラエティー番組で大活躍されている方がいっぱいいるから、私が何かしなきゃ、と思うこと自体がまずおこがましい。とにかく目の前で起きていることを楽しんで、自分で思ったことをふざけないで真面目に言えば、周りの人が助けてくれて、面白くしてくれるから、とにかく真面目に臨め」と。“真面目に臨む”って自分としては得意だぞ!と思って、それを心掛けるようになってから、私が何でも本気で言うものですから、それをMCの芸人さんが面白がってイジってくださる、というような機会が増えていったように思います。
――なるほど、その構図が面白いんですね!
私は面白いことをやってるつもりはないんです。思ったことを言っているんですけど、切り取り方とか視点がちょっとズレているようで、それを真面目に言うから、ツッコんでいただくと面白くなる、っていう場面が多いんですよね。決して私がバラエティーに向いているとか、そういうことじゃないんですよ(笑)。
――いろんな番組に出演されている今、課題にしていることは?
私、どうやら興味があることと、ないことに対しての熱が顔に出るようで…。言い訳になりますけど、それも真面目に取り組んでいるがゆえなんですよ。でも、テレビってそういうことじゃないよね、と思い始めまして。興味がないことでも、すごく考えていけば絶対興味が沸くと思うんですよね。例えば(と、取材中テーブルに用意されていた飲み物を手に取り)抹茶ラテはあまり好みじゃないと思っても、抹茶は好きだから「どこの抹茶を使っているんだろう」とか、軽く分析して、自分の興味のあるものを見つけ出して、そこで迫って真剣に取り組めば、全部興味あることになるはず。今後、その訓練をしていかなきゃって思っています。
――バラエティー番組でも、“伝える”というお仕事ではあると思います。コメントやお話しをするときに心がけていることはありますか?
NHKのアナウンサーは“半分ジャーナリストだ”っていう認識を教わるんです。現実としてそれができていないんですけど、その精神だけはずっと持っていたいなと思っているので、バラエティー番組に臨むときも“私は半分ジャーナリストだ”と思いながら椅子に座っています。だから、嘘をつかず、本当のことを忠実に伝える、ということはいつも心掛けています。それがその場にそぐわない場合もありますし、そのことに気付けなくて、レールから外れてしまうこともあるんですけど、でも私にはそれしかないので、思ったことをちゃんと言おうと思っています。
――昨年末に放送された「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)はかなり話題を呼びましたね。
番組に呼んでいただいて、今回初めて「自分はしくじっているんだ」ということが分かったんです。打ち合わせのときに、私から「これをしくじりました」という話をするわけではなくて、昔の出来事をお話しさせていただく中で、制作さんが「あ、それしくじりですね」って。「これがこうなっちゃったから、しくじってます」って言われて、「あ、私そんなにしくじってるんだ」と気付くんです(笑)。
――そうなんですか! では、オファーが来たときは驚きましたか?
漢字の読み間違いで「『しくじり先生』、どうですか?」というお話しをいただいたんですが、人気番組ですし、たくさんアナウンサーがいる中で、漢字の読み間違いだけで私を選んでいただけたなんて、ありがたいなと思いました。そうして打ち合わせをしましたら、漢字の読み間違いどころじゃないな、みたいなことがいっぱい出てきて(笑)。6時間ぐらい打合せしてくださって、丁寧に教科書にして、面白いところを編集してつないでくださったんです。本当によくできた、すばらしい番組だなと思いましたね。
インスタの意味深なハッシュタグに込められた“念願”
――では、とても充実しているInstagramのこともお聞かせください。まず、テレビ局などの楽屋で、その日に用意されているお弁当を紹介するという“お弁当動画”はずっと続けていらっしゃいますよね。
私、SNS世代じゃないもので…っていつも世代のせいにしちゃうんですけど(笑)、SNSを上手に使って、見てくださっている方に喜んでもらうとか、自己プロデュースをするようなことが苦手で…。やれることと言えば、お弁当を紹介することしかなくて、ずっとやっていますが、始めた頃から何の進化もないんです。ただ見せるだけ(笑)。でも、あれも一応、理屈としては“半分ジャーナリスト”ですから、撮り直しはしていなくて、一発なんですよ! 本当に初めてフタを開けて、中を見たリアクションですし、フタを開けやすいように調整することもしていなくて、時間内にギリギリで開かないっていうこともあります(笑)。やむを得ず2回目になったときは、ちゃんと「2回目です」って言っているんです(笑)。
――お弁当に入っているとテンションが上がるものはありますか?
唐揚げですね。しかも唐揚げだけがうれしいです。要は、唐揚げ弁当ですね。唐揚げって冷めても間違いないし、持って帰ってるとしても汁が出ない。1個だけ食べても結構満足感がありますし、私の中では、歯を磨いた後に食べてもあんまり歯に挟まらない、というメリットもあるんですよ(笑)! 手も汚れないし、衣装に汁がはねることもないし、本当に仕事の現場には最高です!
――ちなみに素朴な疑問なのですが、いつからか#(ハッシュタグ)にNYC、ニューヨーク、Barbie、バービー、pink、ピンク、と書かれるようになりましたよね。あれはどんな意味があるのですか?
来ました! ようやく聞いてくださる方が現れました(笑)! 私、ニューヨークとバービーとピンクが好きなんです。それを何度かテレビで申したんですけど、それに関する仕事が全く来ないんです(笑)。そうしたらマネジャーさんが、「その投稿に関係なくても、ハッシュタグに毎回付けてみたらどうですか。いいネタになりますよ」って言ってくれたんです。それ以来ずっと付けているんですけど、今のところ誰も聞いてくださらなくて(笑)。もうとにかくニューヨークが好きで、ニューヨークに行く仕事がしたいんです!
――なるほど、隠れたアピールだったんですね!!
アピールなんです。大っぴらに。もう完璧な下心です(笑)。やっとメディアで扱ってもらえて、うれしいです! ニューヨークは行って好きになりました。社会人になって自分のお給料で初めて行く海外旅行がニューヨークだったんです。もう、本当に感動しまして! 人の歩くスピードも東京より全然速い。グランド・セントラル・ステーションの回転ドアもグルングルン回って、どんどん人が抜けていくんです。株価の字幕もビュ~~ン!って一回であんな数字読めないよというペースで流れてくる。これまで体験してきたスピード感と何もかもレベルが違って、「これが世界の中心なんだ…」って思ったときに、私が悩んでいることなんて小っちゃいし、何やってたんだろうって思ったんです。本当に刺激だらけでした。ちょっと疲れたらハドソンリバー沿いのベンチに座るとすごい静寂が待っていたり、セントラルパークへ行けば自然に癒やされたり。マンハッタンというあの端っこの地区に、いろんなものがキュッと揃っているんですよね。今は行くことができないので、YouTubeでタイムズスクエアを毎日、定点カメラで生中継している映像があるので、それをよく見ています。
――せっかくなので、バービー愛とピンク愛もぜひ。
私の世代はリカちゃん派が多かったんですけど、なぜか私は最初からバービーを持っていまして。小さい頃に母から与えられたんでしょうね。それからずっとバービー派。ピンクも小さい頃から好きで、小学生のときのランドセルもピンクだったんですけど、当時あまりいなくて、いじめられたんですよ。「ピンクちゃんだ」とか言われて。でも全然悲しくなかったんです。自分にとっては今でもラッキーカラーです。
――海外ロケは世の中が落ち着くのを待つしかありませんが、ニューヨークとバービーとピンク、全部掛け合わせたようなお仕事があったらいいですね!
すばらしいですね! それこそ一度だけですが、バービーが60周年の時(※2019年)、エンパイアステートビルがピンクにライトアップされて、ピンクのパンツスーツを着たバービーが写真を撮っている、ということがあったんですよ。全部が融合していますよね。いつか、そんなお仕事に関われたらうれしいです。
アナウンサーの先輩から教えられた“放送の重み”
——では最後に、言葉を生業にするアナウンサーということにちなみ、「仕事で大切にしている言葉」、「誰かに言われた心に残っている言葉」、「好きな言葉」、この3つを教えていただけますか?
■仕事で大事にしている言葉:真実
何でもかんでも本当のことを言えばいいということではないんですが、例えば、コメンテーターの仕事で、誰かに対して「私は、それは違うと思うんです」と言うとき、その方にもご家族がいらっしゃいますし、自分のようなものが言うのはおこがましいんですけれど、でも言うのが仕事なので、きちんと言葉を選びながら、相手を傷つけずに本音を言う、ということは本当に大事にしてます
■誰かに言われた心に残っている言葉: 君にとっては何百回のうちの1回でも、その人にとっては一生のうちの1回だよ
NHKのアナウンサーの先輩に言われた言葉です。私からしてみたら、テレビに出ている回数ってトータルで言うと何百回とあると思うんですけど、地元の方にお話を聞くとき、「この方にとっては、テレビに映るのは一生のうちの1回かもしれない。だからこの方が『今日、出てよかった』と思えるような仕事を現場でしよう」と。バラエティー番組でも、例えば、見ていた子供が私の発言に影響を受けて夢を持つとか、逆に傷つくことだってあるわけですよね。先輩からこの言葉を言われたとき、放送の重みと言いますか、自分にとっては仕事の一つだけれども、「そうじゃないんだ」と感じて、すごく重かったです。
■好きな言葉:芍薬(しゃくやく)
私が目指しているものと言いますか、芍薬のような存在でありたい、と思っているんです。花はあんなに大きくボンッと咲いて華やかで、それを支える茎はしっかりとしていて、まっすぐでブレない。すごく強くて、きれいなお花ですよね。
神田愛花 プロフィール
かんだ・あいか=1980年5月29日生まれ、東京都出身。O型。2003年にNHKにアナウンサーとして入局し、2012年4月からフリーに。NHK時代は「爆笑オンエアバトル」の司会などを担当。フリーになってからは「めざにゅ~」(フジテレビ系)のメインキャスターを担当。現在は司会進行やコメンテーターなど様々な番組で活躍している。
交流のある同事務所所属のアナウンサーは「後輩の馬場ももこちゃん。馬場ちゃんとはご飯にも一緒に行きますし、本当に真面目でいい子。昨年「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」(フジテレビ系、2021年10月23日放送分)でドッキリを仕掛けるのも心苦しかったんです。でも、馬場ちゃんがドッキリだと分かったときの表情を見たい、というスタッフさんの熱意が本当にすごくて。『馬場ちゃん、こんな愛されてるんだ~』と思いまして、それなら真剣にダマさなきゃ、と。(連載#3で川田裕美アナウンサーが「LINEで連絡を取り合っている。いいお姉さん」と言っていたことをお伝えすると)いやいや、その逆で私の方が助けてもらっています。でも、うれしいです。現場に川田ちゃんがいると、自由にできるんです。トーク番組でも、私が本題から逸れてしまっても、川田ちゃんはちゃんと台本が頭に入っていて「このお話はこういうアレでしたよね」って上手に面白く言いながら戻してくれるんです。だから川田ちゃんがいると私はすごく気が楽ですし、すごく安心しています!」
取材・文=四戸咲子
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