脚本家・橋田壽賀子さん、死去
2021.04.05 17:17
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脚本家の橋田壽賀子さん(本名:岩崎壽賀子)が、急性リンパ腫のため4日午前9時13分に死去した。95歳だった。
橋田文化財団は「今年2月下旬、都内の病院に入院し、治療に専念してまいりました。3月中旬、熱海市内の病院に転院。4月3日、熱海市内の自宅に戻り、翌4日、静かに息を引き取りました」と説明。「ここに生前のご厚誼に深く感謝いたしますと共に謹んでご報告申し上げます」と報告した。
「また、故人の遺志により、通夜、告別式は執り行わず、本日5日、荼毘に付されました。皆さまへ事前にお知らせできませんでしたことをお詫び申し上げますと共に、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。弔電、供花供物、香典につきましてはすべてご辞退させていただきます。なお、お別れの会等につきましても、遺志に従い、行う予定はございません」とした。
なかでも橋田壽賀子ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』は、1990年のスタートから2011年までの20年に亘り、10シリーズ・511話という歴史に残る連続ドラマとなり、現在もスペシャルドラマとして「家族」の物語が続いている。また、20歳で終戦を迎えた戦争経験者として、戦争に翻弄される庶民の姿を描いた作品『百年の物語』、『ハルとナツ 届かなかった手紙』、『99年の愛 JAPANESE AMERICANS』などの大型企画作品も手がけた。2020年文化勲章を受賞。
さらに、テレビ文化全般に対する関心も高く、1993年、自身が設立した橋田文化財団による「橋田賞」を創設。「日本人の心や人の触れ合いを取り上げ、放送文化に大きく貢献した番組や人物」を毎年表彰し、また「新人脚本賞」を通じて、新たな才能の発掘にも取り組んできた。
橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。
今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。
橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。
今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。
(modelpress編集部)
「また、故人の遺志により、通夜、告別式は執り行わず、本日5日、荼毘に付されました。皆さまへ事前にお知らせできませんでしたことをお詫び申し上げますと共に、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。弔電、供花供物、香典につきましてはすべてご辞退させていただきます。なお、お別れの会等につきましても、遺志に従い、行う予定はございません」とした。
橋田壽賀子さん来歴
橋田さんは1964年、TBS東芝日曜劇場『袋を渡せば』の脚本でデビュー。以来、今日まで55年以上にわたり、テレビドラマの脚本家として、数々の名作・ヒット作を生み、第一線で活躍し続ける。その筆致は常に市井の民に寄り添い、とりわけ女性を主人公とした作品は、テレビドラマ史上最高視聴率を記録した『おしん』、戦国の世に語られることの少なかった女性たちを描いた大河ドラマ『おんな太閤記』、『春日局』など数多くの名作が並ぶ。また、石井ふく子プロデューサーとともに100作以上を描き上げた「東芝日曜劇場」で“ホームドラマ”のジャンルを確立し、『ただいま11人』、『つくし誰の子』、『おんなは一生懸命』など多くの連続ドラマを執筆。なかでも橋田壽賀子ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』は、1990年のスタートから2011年までの20年に亘り、10シリーズ・511話という歴史に残る連続ドラマとなり、現在もスペシャルドラマとして「家族」の物語が続いている。また、20歳で終戦を迎えた戦争経験者として、戦争に翻弄される庶民の姿を描いた作品『百年の物語』、『ハルとナツ 届かなかった手紙』、『99年の愛 JAPANESE AMERICANS』などの大型企画作品も手がけた。2020年文化勲章を受賞。
さらに、テレビ文化全般に対する関心も高く、1993年、自身が設立した橋田文化財団による「橋田賞」を創設。「日本人の心や人の触れ合いを取り上げ、放送文化に大きく貢献した番組や人物」を毎年表彰し、また「新人脚本賞」を通じて、新たな才能の発掘にも取り組んできた。
石井ふく子プロデューサーコメント
橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。「あなた一人でどこに行ったのよ」という思いでいっぱいです。橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。
今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。
泉ピン子さんコメント
昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。
今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。
(modelpress編集部)
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