稲葉浩志、デビュー35周年を機に、自身の作詞活動の原点を回顧「最初はもう苦闘の歴史。正直、苦しかった」
日本を代表するシンガーであり、誰もが口ずさめる数多くの作品を生み出してきたアーティスト・稲葉浩志(B’z)。2023年にデビュー35周年を迎える稲葉はこの夏、これまでに生み出してきた500作品以上の歌詞にフォーカスした初の作品集「稲葉浩志作品集『シアン』」を刊行する。そんな同作では、歌詞にまつわる35年の振り返りを軸に、自身の作品性・内面性にまで迫る10万字超えのロングインタビューを掲載。幼少期からデビュー前まで「文章を書くことは苦手だった」と語る稲葉が、これだけ人の心を動かす詞を生み出せた理由とは一体何か? 音楽評論家・宗像明将による15時間を超える異例の超ロングインタビューから、冒頭の一部を作品集刊行に先駆けて公開する。
初期の作品の作詞は苦闘の歴史
――稲葉さんが、膨大な歌詞、しかも人の心に刺さるようなものをなぜ書けるようになったのかを聞けたらと思うんです。B’zとしてデビューすることになって、いきなり歌詞を書くようになるわけですよね。
「アマチュアのバンドをやっていた時に多少書いたりはしていたんですが、その歌詞がいいとか悪いとかっていう評価も特にないし、気にもせずにいました。自分が歌っていたので歌いやすいように作っていたと思うんです。B’zをやることになって、当初、松本さんが曲を書くので、詞は僕がやればいい、という単純な理由でスタートしたんです。だから、(目の前に並んでいたCDの歌詞カードを持って)最初の辺りはもう苦闘の歴史ですね。音楽は好きで聴いていたので、なんとなく詞に定型があるのはわかるじゃないですか。『大変なことがいろいろあるけど頑張るぞ』みたいな(笑)。当時のプロデューサーの長戸(大幸)さんにチェックしてもらって、1枚目の時はそんなに言われることもなくて、『とりあえずやっちゃえ』みたいな感じでやって。レコード会社のディレクターの人たちにも見てもらって、出来上がった感じなんですよね。だから、『一人の天才がデビューした』とか、そういうんじゃないんですよ、全然」
――アマチュア時代はどんな歌詞を書いていたんですか?
「歌詞は洋楽を訳したような世界で…、実際は違うとは思うんですけど。だから『お茶を飲んで』とかそんなフレーズはなくて」
――当時、日本のフォークも聴いていたと思うんですけど、影響はありましたか?
「自分が歌う曲はハードロックだったので、かつての自分に刺さった、例えば小椋佳さんとか、さだまさしさんが書いたような歌詞を、自分たちの音楽に合わせて歌おうとは考えなかったですね。その時にそういうスタイルの歌詞を書いていたら、ハードロックとの組み合わせは面白かったと思うんですけど」
――B’zで作詞をすることになって、松本さんのメロディーに歌詞を乗せていく作業はいかがでした?
「基本は曲が先にあって、英語みたいな言葉をはめていたんですよ。特に最初の頃は、きちんと単語を持ってきて、文章に無理矢理はめこんで、とりあえず流れがあまり悪くならないように意味を無視して入れて、仮歌を完成させていたんです。その響きに似通った日本語を探す時もあったし、たまたま選んだその単語の意味に引っ張られて、そっちに寄った内容になったりする時もありました。まぁ、行き当たりばったりみたいな(笑)」
――英語の仮歌は、きちんとした英語だったんですか?
「デタラメ英語と正確な英語の間みたいな。英語だとメロディーがきれいに聴こえるし、流れやノリがすごくよく聴こえるんで、それを日本語に変えた時に、けっこうガタガタしちゃうのが最初の頃は苦手で。『なんかデタラメに歌っていたほうがいいな』っていう時がよくありましたね」
――以前、日本語で自分の心象風景を歌うことに抵抗があったと回想されていましたね。
「まず慣れないっていうのがあって、でも自分が聴いてきたスタイルに近づけたいと思いましたね。洋楽がメインだったんで、日本語でカチっとさせちゃうと、言葉の響きがなくなってしまうのが嫌だったんです。意味があるのが嫌だったのかもしれないんですけど(笑)」
――確かに洋楽だと意味がわからないまま聴いていることが多いですもんね。
「中学の頃に聴いていた洋楽は、英語を全部カタカナで書き起こして歌ったりしていましたから。言っている意味を気にしてなくて。それを歌っている時はめちゃくちゃ気持ちよかったですね」
――ところが、意味がある歌詞を書けとなるわけですね。
「ははは(笑)」
――そういう時に、稲葉さんにとって参考にした作詞家って、日本に誰かいましたか?
「それこそユーミン(松任谷由実)さんや桑田(佳祐)さんもそうですし、数えきれないほどいて、もちろん参考にはしたいんですけど、もう『すごいなー』と思うだけで(笑)」
――ハードロックでは、日本だと先行してLOUDNESSやEARTHSHAKERもいましたね。
「LOUDNESSは思い切りファンだったし、影響を受けているんですけども、当時の日本のハードロックの世界にはちょっとカラーがあったんです。たまに『悪魔』が出てきて…っていうところには行かなかったですね」
当時のプロデューサー・長戸大幸さんの言葉で弱点に気づかされた
――当時の作詞のやり方はどういうものでしたか?
「曲によって本当に違うんですけど、例えば誰かのことを思い浮かべながら書く、っていう歌詞もあったと思いますね。歌詞に英語が入っている曲は、もしかしたら仮歌に入っていた英語がそのまま残っているケースかもしれません」
――作品集の撮影の際に作詞ノートを拝見しましたが、ガムテープで補強されたりして、一冊のノートをものすごく使い込んでいましたね。
「あれは古いからああなっちゃったんです(笑)。スマホを使うようになるまでは、基本はもうずっと同じスタイルで。レコーディングをしている時期が多かったんで、ノートをカバンに入れて持ち歩いている時が多かったですね」
――結果的に作品集ができるほどたくさんの歌詞を生み出すことになりますが、そのエネルギーはどこから湧いてきたのでしょうか?
「1枚目(『B’z』)をレコーディングした時、全部書けなくて、1曲は亜蘭知子さんにお願いしたんです。そのレコーディングが終わってすぐ2枚目(『OFF THE LOCK』)のレコーディングが始まったんですよ。『出し切ったな』というところでもう次がスタートしちゃって(笑)。そこから急に変わるわけじゃないけど、1枚目をやり切ったことで、対処の仕方が少し身についたのかもしれないです。決して楽じゃなかったですけど」
――やっぱりその頃は「やらねばならぬこと」みたいな。
「そこに迷いはないというか、もうやるしかないっていう。1枚目をやった時には、とりあえず形になって出せたんですけども、2枚目に入った時から、長戸さんの詞のチェックが厳しくなったんです。当時、ビーイングにはいろいろなアーティストがいて、ブルースミュージシャンとか、スタッフにも元ミュージシャンの人が非常に多くて。夜中までずっとレコーディングをしていた時に、途中まで書いた詞を持ってオフィスに行ったら、元ミュージシャンのスタッフだとかがみんないて。車座になって、ああだこうだって、もう夜中に(笑)。詞に対して、みんなで意見を言って、今思い返すとめちゃくちゃクリエイティブだな、って思うんです。みんな、だんだん恥ずかしいようなアイデアもどんどん気持ちがノってきて言うんですよ。で、それに対してまた誰か何か言って」
――長戸さんをはじめとするスタッフの人たちの稲葉さんの歌詞への指摘はどんなものでしたか?
「『面白くない。なにが言いたいの?』っていう。僕が曲ごとに選んでいるテーマも、無理やりひねり出したようなもので、あからさまになにかを表現することに、気恥ずかしさや抵抗があったのか、壁があったのか…、わからないですけど。みんな『あと一歩を踏み出せてない、そこを越えてほしい』みたいなところがあったと思うんですけど、『越えてこない』みたいな感じだったと思うんです」
――クリエイティブな視点が複数入る良い機会ですね。
「みんな元気だったなぁと思って。気付くと朝なんですよ。で、みんなは言うだけ言って、もう寝ているっていう(笑)。その場で歌詞は出来上がらないので、僕は『なるほど』っていうところで持ち帰ってまた考えて書いて。それを何回か繰り返す感じで一曲ずつ完成させていったんです。その頃は(徹夜をして)いつも朝の六本木を歩いていたイメージがありますね。討論して、焼肉を食べに行って(笑)。まぁ、当時よくやっていましたね。逆に今それをやったら面白いんじゃないかなと思い始めました」
――長戸さんから言われて、一番覚えている言葉は何ですか?
「その座談会は、2枚目のときに一番やっていたんです。いろいろなスタッフがいて、それぞれ面白いことを言ったりするんですけど、特に長戸さんは、やっぱり気持ちが少年というか若いというか。今覚えているのは、(歌詞の束から探しながら)『夜にふられても』の『まだ一台も抜かれてないよ』っていうフレーズ。これは長戸さんから言ってもらったフレーズなんです。すごく少年っぽい、負けん気の強さをうまく表せているな、と当時思ったことを覚えています。いい意味での子どもっぽさとか、子どもが持っている忖度のない意見というのが、当時の僕が表現できていなかった一番のウィークポイントだったと思います」
――「まだ一台も抜かれてないよ」というフレーズの「少年性」が印象的だったと。
「『まだ一台も抜かれてないよ』っていうフレーズに関しては、僕はそうは思わない性格なんです。それってすごくやんちゃなフレーズじゃないですか。『そんなところで自慢しているの?』みたいな。それが出てこなかったな、という風に思ったことを今でも覚えているんですよ」
――リアルな稲葉さんとはちょっと離れたキャラクターの言葉ということですよね。初期から自分とは違ったキャラクターで歌詞を作ることもあったのでしょうか?
「曲の中で、そういうキャラクターが出てくるんです。だけど、当時はアーカイブやストックがなかったので、座談会の時も、ずっと『なるほど、なるほど』『いいですね』『ああー』って(笑)」
――当時、稲葉さんにとって作詞は楽しかったですか?
「正直、苦しかったですね。1枚目より2枚目のほうが大変だったかな。(座談会は)みんな一応言うだけ言って『後は自分で考えて』っていうことじゃないですか。作詞教室じゃないし、作詞の正しいやり方みたいなものに陥ってもしょうがないし。それじゃあ、わざわざ自分が書いている意味もないわけで。だから、自分なりに何回も書いては消して、書いては消して、というようなことをやって」
――型にはまったものよりは、稲葉さん自身が書いている意味があるもの、という点は一貫されていたんですね。
「そうですね。基本、やっぱり歌う人が書かなきゃダメ、っていうことでしたね」
「稲葉浩志作品集『シアン』」は完全受注生産となる「特装版」が2023年7月10日(月)発売予定(2月28日予約締切)。15時間超のロングインタビューのほか、未公開詞や作詞ノート、稲葉浩志自ら撮影した写真、完全撮り下ろしのPHOTO BOOKなどを収録したスペシャルBOX仕様となる。また、特装版からシングル、ソロ作品にフォーカスした「SINGLE & SOLO SELECTION」が特装版に先駆けて、2023年5月29日(月)に発売予定。(取材・文=宗像明将)
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