成瀬瑛美
- 身長:
- 160cm
成瀬瑛美の関連リンク
成瀬瑛美に関する画像
成瀬瑛美のプロフィール
成瀬 瑛美(なるせ・えいみ)
生年月日:2月16日
出身:福島県
血液型:B型
■略歴
・生い立ち
福島県郡山市出身。父、母、祖母、妹のいる5人家族の長女として出生。
母親が趣味で作品を描くほどの漫画好きであった影響から、自身も幼少期から漫画に興味を持つようになった。幼稚園からりぼん、なかよし、ちゃお、そして週刊少年ジャンプの4誌をチェックしており、当時から将来の夢として漫画家を挙げていた。幼少期は周囲にアニメや漫画好きの者がいなかったため、自身を「最先端で超かっこいい」と思っていたと述懐している。幼稚園時代から大声で歌っており、親に「当時からうるさかった」と指摘される一方で、いわゆる「目立ちたがり屋」というタイプではなく、空気を読んですぐ引っ込んでしまうことが多かったため、クラスの中心に居るようなタイプにはならなかったという。
小学校進学後はSPEEDに憧れるようになり、当時の友人に声の高さを指摘されたことから、特に島袋寛子のパートを真似して歌っていた。一方で、漫画と比較するとアイドルに対してはあまり興味を抱かなかったとも述べており、「自分の中で漫画はカッコいいと思っていたが、アイドルをカッコいいと思ったことが一度もなかった」と述懐していた。小学生時代から「東京大学物語」を愛読しており、過激な性的描写が多いながらも「こういう変な考え方を持って生きていい」ということに気付かされたという。また、当時の郡山市ではテレビアニメの放送が少なく、その中で個人的にさまざまなアニメを調べて視聴し「周囲が知らないアニメを私は知っている」という「謎の優越感」を得ていたと述べている。
小学校6年からバンドに興味を持ち始め、いとこから黄色のフェルナンデス・ZO-3を借り、バンドスコアを購入してコピーしていた。いわゆる「ロキノン系」と呼ばれるバンドに興味を持っていたと述べており、当時は定期試験で上位に入るとお小遣いが貰えるルールであったため、欲しいCDを買うために勉強を頑張ったとしている。同時に漫画への情熱も強くなっていき、「全ての作品を網羅してやろう」という気持ちが芽生え始める。売れている作品を調査したり同人活動に精を出す一方、インターネットにも触れ始め漫画雑誌の批評サイトを立ち上げたりしていた。この行動の根底には「将来的に漫画やアニメの業界に入りたい」という気持ちがあったとしており、「将来漫画家として成功するためにはどうすれば良いか」を考えるために、漫画雑誌の売れ行きや出版社の動向の調査・分析を行っていた。
高校進学後はビジュアル系バンドに興味を持ち始める。バンドそのものが好きになったというよりは、それを追っかけている女の子達との繋がりを観察するのが面白かったのだという。高校在学中は中華料理店でアルバイトをしており、そこで得た給料で地元郡山のライブハウス「HIPSHOT JAPAN」へ通い詰めていた。その一方で、CDを買う余裕はあまりなかったとしており、放課後は毎日タワーレコード郡山店に通いながら試聴機コーナーのCDを全部聴いていたという。同様に郡山ビッグアイの展望台にも頻繁に通い詰め、景色を眺めながら「地元も大好きだが、いつかここを出てでかいことをしたい」と考えていたという。この中華料理店でのアルバイト経験は、後にメイド喫茶で働くにあたっての礎になったとしている。
・メイド喫茶
高校卒業後は、漫画やアニメの仕事に就きたいという理由で都内の美術系大学へ進学した。しかし、自分に美術の才能がないことに気付き引きこもり状態に陥り、半年ほどオンラインゲームしかしなかったという。貯金が底をつき始めたため、「働かなければならない」ことをゲーム内のチャットで相談したところ、メイド喫茶でのアルバイトを勧められ、インスピレーションを感じ、すぐに秋葉原のメイド喫茶で働き始めた。前述した中華料理店でのアルバイトでは、客とコミュニケーションを取ることが非常に楽しく、自分と会話したあと幸せそうに帰っていく人々を見て感銘を受けた経験から、メイド喫茶では絶対に成功する自信があったという。
実際にメイド喫茶での勤務は性に合っており、自分の天職であると感じ、秋葉原へ骨を埋めようとすら思ったという。また、それまで人前で歌った経験はなかったが、店長に頼んでステージを設けてもらい、ライブを行った。当時も「アイドルになりたい」という気持ちは持っておらず、ただ人前で歌って盛り上がっていくのが楽しかったのだという。後にでんぱ組.incのメンバーとなる夢眠ねむは、デビュー前の美大生時代にメイド喫茶へ行った際、成瀬の接客を受けた経験がある。夢眠は美術に関して悩んでいた時期であったが、成瀬による手厚い接客を受けて「これは説明書きの要らない作品だ」「このようなダイレクトに幸せになるものを美術に取り入れた方が未来は明るい」と感じ、一緒にメイドとして勤務するようになった。
その頃から、客より「個性的で変な子が集まっている店ができた」「よく分からないがパワーの凄い店がある」という情報を得てライブ&バー「秋葉原ディアステージ」の存在を知り、再びインスピレーションを感じて「ここなら毎日歌える」「ここに行けば絶対将来なにか起きる」と思い、2008年6月にメイド喫茶を退職した。1回目の応募では不採用になり、まんだらけでのアルバイトやインディーズでのアイドル・バンド活動と並行しつつ応募し続け、2009年の夏に3回目の応募で採用された。
・デビュー
当時の成瀬は、アニソンシンガーになりたいという夢を持っており、ディアステージへ入店した理由もそれが主軸であった。前述の通りアイドルになりたいという気持ちは全く持っておらず、むしろアイドルはカッコ悪いというイメージを持っているほどであった。入店時は既に「でんぱ組.inc」は結成されており、SHIBUYA BOXXで開催された初ステージも目の当たりにしているが「正直、自分とはかけ離れている感じがした」と述べている。一方、古川未鈴とはアイドルユニット「水玉おんらいん」を結成し、活動を行っていた。
入店してから1年程経ったところで、プロデューサーであるもふくちゃん(福嶋麻衣子)から「えいちゃん入りなよ~」と誘われ、2010年6月3日に跡部みぅと共にでんぱ組.incへ加入。当時は加入を決めたきっかけとして「(アニソンで知られる)畑亜貴や小池雅也が作詞作曲を手がけた楽曲を持っているグループである」という理由が強く、当初はソロ志向が強いまま活動を行っていた。
加入して1 - 2年は何回も辞めようと思っていたが、後にファッション関係の仕事が増えていったり、「最前ゼロゼロ」のライブあたりから「秋葉原以外の人間がでんぱ組.incを面白がってくれるような実感」から急激に手応えを感じ始め、でんぱ組.incをメインに尽力するようになったという。また、加入前のでんぱ組.incは全体的におとなしいイメージであり「自分には合わない」と感じていたが、加入後に「わっほい? お祭り.inc」などの「明るくはっちゃけた感じ」の楽曲が制作され、自分のイメージに合っていたことから「ひょんな気持ちで加入してしまったが、(グループのカラーを変えたという意味では)もしかして入って良かったのかもしれない」と感じたと述べている。
2015年1月から3月に放映されたアニメ「ドアマイガーD」では法堂アンナ役として声優出演。同年5月にはフジテレビオンデマンドにて「でんぱ組.inc 成瀬瑛美がアゲアゲでマンガを紹介する番組」の配信が開始。これは成瀬による「初の冠番組」として報じられた。
■作品
・参加作品
『JOYSOUND presents アニソントランス ラボラトリー ~ファースト レポート~』(2011年3月2日、ユニバーサルミュージック)
侵略ノススメ☆(ボーカル参加)
■出演
・ネット配信
「LOVEきゅんフィッシング」(2013年 - 2015年、テレ朝動画)
水鏡レポート『ブラウザ三国志』『ブラウザ キングダムライジング』(2013年、ニコニコ生放送)
でんぱ組.inc 成瀬瑛美がアゲアゲでマンガを紹介する番組 (2015年5月22日 - 2016年5月27日、フジテレビオンデマンド、隔週金曜日18:00配信)
・テレビ番組
でんぱ組.inc 成瀬瑛美がアゲアゲでマンガを紹介する番組 (2015年7月24日、9月17日、2016年1月13日、4月26日、フジテレビジョン) - 上記番組の地上波放送版
いらこん〈フジテレビからの!〉 (2014年5月16日 - 2015年3月20日、フジテレビジョン)
・テレビドラマ
OLですが、キャバ嬢はじめました(2016年6月 - 、MBS・TBS系) - アリス役
・アニメ
アイカツ! 挿入歌「Wake up my music」歌唱担当 - 星宮りんご(ミヤ)役
ドアマイガーD (2015年1月 - 3月、京都放送/テレビ神奈川) - 法堂アンナ役
■書籍
・電子写真集
月刊 でんぱ組.inc×米原康正(成瀬瑛美 EDITION) (2013年5月27日、月刊デジタルファクトリー、月刊シリーズ)
・インタビュー
読むアイドルマガジン IDOL AND READ 003「成瀬瑛美 マキシマムバビューン!」(2015年3月25日、シンコーミュージック・エンタテイメント)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
生年月日:2月16日
出身:福島県
血液型:B型
■略歴
・生い立ち
福島県郡山市出身。父、母、祖母、妹のいる5人家族の長女として出生。
母親が趣味で作品を描くほどの漫画好きであった影響から、自身も幼少期から漫画に興味を持つようになった。幼稚園からりぼん、なかよし、ちゃお、そして週刊少年ジャンプの4誌をチェックしており、当時から将来の夢として漫画家を挙げていた。幼少期は周囲にアニメや漫画好きの者がいなかったため、自身を「最先端で超かっこいい」と思っていたと述懐している。幼稚園時代から大声で歌っており、親に「当時からうるさかった」と指摘される一方で、いわゆる「目立ちたがり屋」というタイプではなく、空気を読んですぐ引っ込んでしまうことが多かったため、クラスの中心に居るようなタイプにはならなかったという。
小学校進学後はSPEEDに憧れるようになり、当時の友人に声の高さを指摘されたことから、特に島袋寛子のパートを真似して歌っていた。一方で、漫画と比較するとアイドルに対してはあまり興味を抱かなかったとも述べており、「自分の中で漫画はカッコいいと思っていたが、アイドルをカッコいいと思ったことが一度もなかった」と述懐していた。小学生時代から「東京大学物語」を愛読しており、過激な性的描写が多いながらも「こういう変な考え方を持って生きていい」ということに気付かされたという。また、当時の郡山市ではテレビアニメの放送が少なく、その中で個人的にさまざまなアニメを調べて視聴し「周囲が知らないアニメを私は知っている」という「謎の優越感」を得ていたと述べている。
小学校6年からバンドに興味を持ち始め、いとこから黄色のフェルナンデス・ZO-3を借り、バンドスコアを購入してコピーしていた。いわゆる「ロキノン系」と呼ばれるバンドに興味を持っていたと述べており、当時は定期試験で上位に入るとお小遣いが貰えるルールであったため、欲しいCDを買うために勉強を頑張ったとしている。同時に漫画への情熱も強くなっていき、「全ての作品を網羅してやろう」という気持ちが芽生え始める。売れている作品を調査したり同人活動に精を出す一方、インターネットにも触れ始め漫画雑誌の批評サイトを立ち上げたりしていた。この行動の根底には「将来的に漫画やアニメの業界に入りたい」という気持ちがあったとしており、「将来漫画家として成功するためにはどうすれば良いか」を考えるために、漫画雑誌の売れ行きや出版社の動向の調査・分析を行っていた。
高校進学後はビジュアル系バンドに興味を持ち始める。バンドそのものが好きになったというよりは、それを追っかけている女の子達との繋がりを観察するのが面白かったのだという。高校在学中は中華料理店でアルバイトをしており、そこで得た給料で地元郡山のライブハウス「HIPSHOT JAPAN」へ通い詰めていた。その一方で、CDを買う余裕はあまりなかったとしており、放課後は毎日タワーレコード郡山店に通いながら試聴機コーナーのCDを全部聴いていたという。同様に郡山ビッグアイの展望台にも頻繁に通い詰め、景色を眺めながら「地元も大好きだが、いつかここを出てでかいことをしたい」と考えていたという。この中華料理店でのアルバイト経験は、後にメイド喫茶で働くにあたっての礎になったとしている。
・メイド喫茶
高校卒業後は、漫画やアニメの仕事に就きたいという理由で都内の美術系大学へ進学した。しかし、自分に美術の才能がないことに気付き引きこもり状態に陥り、半年ほどオンラインゲームしかしなかったという。貯金が底をつき始めたため、「働かなければならない」ことをゲーム内のチャットで相談したところ、メイド喫茶でのアルバイトを勧められ、インスピレーションを感じ、すぐに秋葉原のメイド喫茶で働き始めた。前述した中華料理店でのアルバイトでは、客とコミュニケーションを取ることが非常に楽しく、自分と会話したあと幸せそうに帰っていく人々を見て感銘を受けた経験から、メイド喫茶では絶対に成功する自信があったという。
実際にメイド喫茶での勤務は性に合っており、自分の天職であると感じ、秋葉原へ骨を埋めようとすら思ったという。また、それまで人前で歌った経験はなかったが、店長に頼んでステージを設けてもらい、ライブを行った。当時も「アイドルになりたい」という気持ちは持っておらず、ただ人前で歌って盛り上がっていくのが楽しかったのだという。後にでんぱ組.incのメンバーとなる夢眠ねむは、デビュー前の美大生時代にメイド喫茶へ行った際、成瀬の接客を受けた経験がある。夢眠は美術に関して悩んでいた時期であったが、成瀬による手厚い接客を受けて「これは説明書きの要らない作品だ」「このようなダイレクトに幸せになるものを美術に取り入れた方が未来は明るい」と感じ、一緒にメイドとして勤務するようになった。
その頃から、客より「個性的で変な子が集まっている店ができた」「よく分からないがパワーの凄い店がある」という情報を得てライブ&バー「秋葉原ディアステージ」の存在を知り、再びインスピレーションを感じて「ここなら毎日歌える」「ここに行けば絶対将来なにか起きる」と思い、2008年6月にメイド喫茶を退職した。1回目の応募では不採用になり、まんだらけでのアルバイトやインディーズでのアイドル・バンド活動と並行しつつ応募し続け、2009年の夏に3回目の応募で採用された。
・デビュー
当時の成瀬は、アニソンシンガーになりたいという夢を持っており、ディアステージへ入店した理由もそれが主軸であった。前述の通りアイドルになりたいという気持ちは全く持っておらず、むしろアイドルはカッコ悪いというイメージを持っているほどであった。入店時は既に「でんぱ組.inc」は結成されており、SHIBUYA BOXXで開催された初ステージも目の当たりにしているが「正直、自分とはかけ離れている感じがした」と述べている。一方、古川未鈴とはアイドルユニット「水玉おんらいん」を結成し、活動を行っていた。
入店してから1年程経ったところで、プロデューサーであるもふくちゃん(福嶋麻衣子)から「えいちゃん入りなよ~」と誘われ、2010年6月3日に跡部みぅと共にでんぱ組.incへ加入。当時は加入を決めたきっかけとして「(アニソンで知られる)畑亜貴や小池雅也が作詞作曲を手がけた楽曲を持っているグループである」という理由が強く、当初はソロ志向が強いまま活動を行っていた。
加入して1 - 2年は何回も辞めようと思っていたが、後にファッション関係の仕事が増えていったり、「最前ゼロゼロ」のライブあたりから「秋葉原以外の人間がでんぱ組.incを面白がってくれるような実感」から急激に手応えを感じ始め、でんぱ組.incをメインに尽力するようになったという。また、加入前のでんぱ組.incは全体的におとなしいイメージであり「自分には合わない」と感じていたが、加入後に「わっほい? お祭り.inc」などの「明るくはっちゃけた感じ」の楽曲が制作され、自分のイメージに合っていたことから「ひょんな気持ちで加入してしまったが、(グループのカラーを変えたという意味では)もしかして入って良かったのかもしれない」と感じたと述べている。
2015年1月から3月に放映されたアニメ「ドアマイガーD」では法堂アンナ役として声優出演。同年5月にはフジテレビオンデマンドにて「でんぱ組.inc 成瀬瑛美がアゲアゲでマンガを紹介する番組」の配信が開始。これは成瀬による「初の冠番組」として報じられた。
■作品
・参加作品
『JOYSOUND presents アニソントランス ラボラトリー ~ファースト レポート~』(2011年3月2日、ユニバーサルミュージック)
侵略ノススメ☆(ボーカル参加)
■出演
・ネット配信
「LOVEきゅんフィッシング」(2013年 - 2015年、テレ朝動画)
水鏡レポート『ブラウザ三国志』『ブラウザ キングダムライジング』(2013年、ニコニコ生放送)
でんぱ組.inc 成瀬瑛美がアゲアゲでマンガを紹介する番組 (2015年5月22日 - 2016年5月27日、フジテレビオンデマンド、隔週金曜日18:00配信)
・テレビ番組
でんぱ組.inc 成瀬瑛美がアゲアゲでマンガを紹介する番組 (2015年7月24日、9月17日、2016年1月13日、4月26日、フジテレビジョン) - 上記番組の地上波放送版
いらこん〈フジテレビからの!〉 (2014年5月16日 - 2015年3月20日、フジテレビジョン)
・テレビドラマ
OLですが、キャバ嬢はじめました(2016年6月 - 、MBS・TBS系) - アリス役
・アニメ
アイカツ! 挿入歌「Wake up my music」歌唱担当 - 星宮りんご(ミヤ)役
ドアマイガーD (2015年1月 - 3月、京都放送/テレビ神奈川) - 法堂アンナ役
■書籍
・電子写真集
月刊 でんぱ組.inc×米原康正(成瀬瑛美 EDITION) (2013年5月27日、月刊デジタルファクトリー、月刊シリーズ)
・インタビュー
読むアイドルマガジン IDOL AND READ 003「成瀬瑛美 マキシマムバビューン!」(2015年3月25日、シンコーミュージック・エンタテイメント)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.