小室哲哉 こむろてつや

「小室哲哉」に関する記事の一覧です。モデルプレスでは「小室哲哉」に関する情報をいち早く皆さんにお届けしていますので、是非とも毎日チェックしてくださいね!

「小室哲哉」に関連するモデルプレス記事

小室哲哉のSNSリンク

公式サイトやブログへのリンク

小室哲哉のプロフィール

小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本のミュージシャン、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、キーボーディスト。
東京都府中市出身。元尚美学園大学芸術情報学部教授。妻はglobeのボーカルのkco。愛称は「てっちゃん」「先生」「TK」など。身長167cm、体重57kg。

【学生時代】
3歳から東京芸術大学教授の下でヴァイオリンのレッスンを始めて、音感のベースを学ぶ。小学5年生、母がエレクトーンを購入。これが鍵盤楽器との出会いとなる。
母より先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせた。同じ頃、母方の親戚の叔父からギターコードを習い、マスターするのが速くて叔父を驚かせた。
音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。
小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている。
日本万国博覧会でシンセサイザー・マルチモニター・冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。
家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。
渡辺美里の1stアルバム「eyes」に収録されている「きみに会えて」・TM NETWORKの4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという。
早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。
この頃からELP・ピンク・フロイド・レッド・ツェッペリン・キング・クリムゾン・T.Rex・ユーライア・ヒープ・コモドアーズ・Kool & the Gang・Earth, Wind & Fire・ドナ・サマー等の洋楽をプログレッシブ・ロック・ファンクを中心に漁るように聞いた。
早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、在学中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。
その後、音楽活動に没頭し、授業料を楽器代に使い廻していた為に単位が取れず除籍となる。

■TM NETWORK~TMN時代まで
1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が第28回日本レコード大賞金賞。
自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。
自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。
1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。
1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

■小室ブーム
1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵など、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行った。
1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、各メディアにおいて「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった名称でカテゴライズされる少年時代からの夢だった小室ブームという社会現象を起こした。
ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)の丸山茂雄が小室のプロデューサー活動を支援するためにアンティノスレコードを設立し、マネジメント業務もアンティノスマネジメント(現:ブルーワンミュージック)に移管した。
1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞。
この年にマネジメント業務をエイベックス子会社のプライムディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)が設置した「TKルーム」に移管した。
1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した。
1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。
安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1,500万枚以上を記録した。
さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった。
1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWS(後のRojam Entertainment)を設立した。
1997年はスピード2のテーマ曲のリミックスを手掛けるなどした。

■ブームの失速
1998年にはtohko・鈴木あみ・未来玲可をプロデュースさせたものの、1996年前後の小室ブーム全盛期と比べて勢いは劣るものとなっていた。
1997年より既存の小室ファミリー向け楽曲の曲調がポップテイストからエレクトロニカへ変化している点(特に安室奈美恵の楽曲が顕著)、小室ブーム全盛期の中心にいたTRFや安室奈美恵(出産のため休業)などが活動を縮小し、dos・篠原涼子・hitomi・観月ありさらのプロデュースが無くなり、ミリオンセラーを叩き出した華原朋美も恋愛関係の清算により離脱する等の複合的要因で小室ファミリーの規模が萎縮。
ファン離れが急速に進んだ。また、マネジメント業務をプライムディレクションからアンティノス・マネジメントへ戻し、ロサンゼルスに移住した。
1999年には“非 小室系”のJ-POPアーティスト(宇多田ヒカル・浜崎あゆみ・モーニング娘。・MISIA・Dragon Ash・DA PUMP・SPEED・椎名林檎・L'Arc~en~Cielなど)のCDがヒットチャートの中心となり、小室プロデュースのCD売り上げに急ブレーキがかかり、小室ブームが終焉した。
鈴木あみの提供曲はデビュー時から2000年までヒット上位にあったものの、鈴木側のマネジメント上の問題で2000年9月を以て関係が絶たれ、それ以後はglobe関係の活動がウエイトを占めるようになった。

■吉本興業へ移籍
2001年1月にソニー・ミュージックエンタテインメントとの専属プロデューサー契約を解除し、前受の報酬金(印税)18億円を返還。
数々のミリオンセールスを導き出した安室奈美恵が「Think of me/no more tears」を最後に小室ファミリーから独立した。5月にASAMIと再婚。
また、小室が株式の大半を握っていたRojam社が香港株式市場(H株GEM)に上場。
factoryorumokを清算後、マネジメント契約をアンティノスマネジメントから吉本興業所属に移す。
傍らでタレントとしても活動し、同年のバラエティ番組「笑う犬の冒険」のコントに「超ハンサム侍」として出演する等の話題は有ったが、プロデュース業は好転しなかった。
9月に富士銀行が日本の銀行として初めて本人所有の著作権を担保に10億円の融資を行った。
融資金は先述の専属プロデューサー契約解約による前受金返還に充てた事が後の5億円詐欺事件の公判で明らかにされた。
2002年3月にASAMIと僅か10ヶ月でスピード離婚(実子あり)。5月には吉本興業が設立したアール・アンド・シー・ジャパン(現:よしもとアール・アンド・シー)の株式70%強をRojamが買収し、吉本との関係を強化した。
そして11月にはKeikoと再婚。TBSで結婚披露宴が特別番組で生中継された事は話題となった。
しかし、ASAMIとの間で合意した約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという。
この頃より所有していた別荘、株券、高級車、クルーザーなどの資産売却を行うようになった。
2004年には約70億円の株式評価損が生じたRojam Entertainmentの出資・経営から撤退した。
さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった。
2008年11月1日にNACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り
「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」「もうやれることはやりつくした気がして貪欲になれなかった」「魚嫌いがクルーザーまで買ったのは尋常ではなかった」と語っていた。

■5億円詐欺事件
2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を関西地方在住の個人投資家男性と締結。
前妻のASAMIが著作権使用料を差押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った。
しかし実際には仮契約段階で既に著作権の一部は、エイベックス・エンタテインメント・バーニングパブリッシャーズ・ライジングバブリッシャーズといった音楽出版社に譲渡
(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに印税を受け取ることが慣例となっている)されており、小室には著作権がなかった。
だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴。
小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった。
このため男性は地方検察庁に刑事告訴した。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握。
当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日午前7時40分頃に大阪地検特捜部は小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した。
なお、前日に大阪地検特捜部から任意出頭の要請を受けたため新大阪駅前のシティホテルに滞在しており、逮捕時はみのもんたの朝ズバッ!など一部の朝の情報番組が特別編成となり、逮捕容疑の解説とホテル上空の空撮映像を交えてホテルエントランス前から連行される様子を生中継していた。
11月21日に起訴され、同日に保釈保証金3,000万円を支払い保釈された。
2009年1月21日に大阪地方裁判所にて初公判、3月12日に第2回公判が行われ、小室側が遅延損害金を含む計6億4800万円を被害者側に振り込んだことが明らかになった
(2009年3月10日に解決金を含めて6億5000万円をエイベックスグループ代表の松浦勝人がポケットマネーで立て替え、被害者に完済した)。
被害者側に謝罪の手紙を送っているが受取りを拒否されている。
なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた。
被害者側との示談交渉においては、情状証人として出廷した松浦は「示談を申し込んだが“できない、誠意が足りない”と弁護士から聞かされた。
“誠意が足りないとはどういうことか”と代理人に尋ねたら“お金だ”と聞き、非常にショックを受けた。」と証言したが、被害男性は「そのようなことは一切言っていない」と否定し、「民事裁判で和解が成立して決着している。」と話している。
なお、SNSのmixiでは2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベースの署名活動も行われていた。(署名TVでも行われていた。)
さらに小室の母親やマネージャー、弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界関係者もいた。
第3回公判は4月23日に行われて結審。
2009年5月11日、大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、弁護側・検察側共に控訴はせずに、同年5月25日午前零時を以って刑が確定した。

■再出発
2010年5月に復帰第一作としてAAAの楽曲「逢いたい理由/Dream After Dream ~夢から醒めた夢~」をプロデュース。
また翌6月には森進一への提供楽曲が発売されることがマスメディア、及び5月2日付の小室のtwitterにて明らかとなった。
「眠らないラブソング/道標」の楽曲提供が決まり、作曲の他作詞、編曲も手掛けることとなった。その後もレコード会社を問わず超新星、SMAP、北乃きい、浜崎あゆみらへ楽曲を提供している。
小室は、アイドルなどにたくさんの楽曲を提供していた80年代の頃に感覚が似ていると語っていた。
一方で2010年9月29日にはglobeのベスト盤がリリースがされ、未発表曲や、パッケージによっては未公開映像や小室のサインも提供された。また11月にやしきたかじんへ楽曲「その時の空」を提供した。
2011年6月13日、宇川直宏の主催する音楽動画配信サイトDOMMUNEにてストリーミング配信ライヴを行う。瞬間最大視聴者は2万7000人を超え、合計視聴者数は14万4000人を記録した。
12月23日、ラフォーレミュージアム原宿にて開催される「HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE」の4日目に出演。冨田勲とのトーク&ライヴを開催した。
2012年3月20日、幕張メッセで行われた東日本大震災復興支援チャリティコンサート「ALL THAT LOVE-give&give-」に、TM NETWORKとして参加したのをきっかけに、約4年ぶりにTM NETWORKの活動を再開する。

■バイオグラフィ

1974年
ニューミュージックのアマチュアバンド「哀婉」で活動。

1975年
プロ・ミュージシャンとしての活動を開始。あのねのね、白竜、原田真二、角松敏生、パンタ、村田和人等のバックバンドを経験。

1980年
SPEEDWAYに参加。月光仮面の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。2nd.アルバム「BASE AREA」で数曲を作曲した。ミス・オレンジショックをプロデュース。

1983年
バンドを結成しては解散する時期を送る(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等)。
安岡力也の「ホタテのロックン・ロール」でアレンジを担当。SERIKA with DOGのサウンドプロデュースを行う。
SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意し村田バンドに参加。
宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成し、リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテストに応募。「1974 (16光年の訪問者)」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。

1984年
4月21日、TM NETWORKがアルバム「RAINBOW RAINBOW」とシングル「金曜日のライオン」同時リリースでデビュー。
7月、大江千里「ロマンス」の編曲を担当する。
11月、大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室哲哉の編曲である)

1985年
アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。
小室哲哉にとって初のメジャー歌手の提供曲となる岡田有希子の曲「Sweet Planet」の作曲を手掛ける。

1986年
渡辺美里に曲提供(作曲)した「My Revolution」がヒット。精力的にライブをこなす。

1987年
TM NETWORKのアルバム「Self Control」、シングル「Get Wild」がヒット。
ロサンゼルスでアルバム「humansystem」をレコーディング。Bernie Grundman Masteringにマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。

1988年
角川映画「ぼくらの七日間戦争」サウンドトラックを担当。
単身渡英し、アルバム「CAROL ~A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991~」の楽曲制作を開始。
アイドルデュオ、キララとウララのキララ(大谷香奈子)と結婚。

1989年
2月、デュラン・デュランの東京ドームライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。
続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。
アルバム「Digitalian is eating breakfast」をリリース。ソロツアーも開始。シンクラヴィアを本格的に使い始めた。

1990年
当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
オリジナルアルバム「Psychic Entertainment Sound」をリリース
TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。

1991年
「SPACE WORLD」を開催し、「Think Of Earth」を披露。
XのYOSHIKIと「V2」を結成し、シングル「背徳の瞳~Eyes of Venus~」をリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。
avex traxとライセンス契約を結ぶ。自身の個人レーベル第1号となる「TK TRACKS LABEL」を設立。
ディスコイベント「TK TRACKS NIGHT」を開催する。

1992年
山羊智詞&赤羽楽団のメンバーとして参加。
提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム「Hit Factory」を製作。
初の全面プロデュースユニットとしてtrf(Tetsuya komuro Rave Factory)を結成。
大谷香奈子と離婚。

1993年
2月25日、trfがシングル「GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND」でデビュー。
6月21日、trfが2ndシングル「EZ DO DANCE」発売洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
山羊智詞、水江慎一郎(ex UP-BEAT)、横内健亨(ex ハイソサエティー、TENSAW)、朝井泰生、今川勉(ex ECHOES)とダイナマイトマシーンを結成したが、今川勉がツアー途中で体調不良により離脱。ツアー途中からに太田明(ex 筋肉少女帯)が参加するが、各メンバーの所属するレコード会社と事務所がバラバラだったため、政治的圧力がかかりアルバムリリース直前に解散。EPIC・ソニー(現エピックレコードジャパン)から発売予定だった1stシングル「No! Mercy Boy!」は、小室哲哉の作曲作品(山羊智詞 作詞)で、東京パフォーマンスドールの「キスは少年を浪費する」と同曲であった。

1994年
4月21日、TMN終了。
アニメーション映画「ストリートファイターII MOVIE」の音楽監督(鳥山雄司と共同)・主題歌制作を担当。
7月21日、篠原涼子 with t. komuroとして「恋しさと せつなさと 心強さと」を発売。初のシングル売上200万枚突破。
小室の個人事務所「TK state」を設立、2000年まで活動。
海外向けプロジェクトEUROGROOVEを開始。
hitomi、大谷健吾、ANISSのプロデュースも同時期に開始した。trfのアルバム「WORLD GROOVE」から民族音楽への関心を示す。
trf「BOY MEETS GIRL」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。

1995年
1月、幕張メッセでライブ・パフォーマンス「tk-trap」を開催。
trf、内田有紀、マーク・パンサー、MOON TRAP、伊藤彰などが出演したミュージカル「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
ジャングル・シークレット・イベント「t jungle m」を開催。
H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」でシングル売上200万枚を突破。「ジャングルで世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
フジテレビドラマ「ひとりにしないで」の音楽を久保こーじと共同で担当。
マーク・パンサー、KEIKOとともに、自身が参加するユニット「globe」を結成。
8月、「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」でオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエア・大阪万博記念公園に計6万人を動員する。
12月31日、trfの「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」で第37回日本レコード大賞を受賞。
自身のレーベル「ORUMOK RECORDS」をスタート。華原朋美、H.A.N.D.をデビューさせる。(1996年にはdosがORUMOKからデビュー)。
公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。

1996年
globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
globeのアルバム「globe」で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
華原朋美のアルバム「LOVE BRACE」が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
安室奈美恵のアルバム「SWEET 19 BLUES」が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で第38回日本レコード大賞受賞。
4月、嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレー(嘉門達夫もイニシャルは「TK」である)が発売された。
9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
11月、厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を開催する。
12月、小室哲哉とルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルずつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRing、香港からgrace ipをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。
12月31日、23時から24時間の間にインターネットイベント「TK Trillion Net」が開催された。

1997年
4月6日、祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。記念式典にも出席した。
「TK presents こねっと」として「YOU ARE THE ONE」をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場へのインターネット普及に貢献した。
globeの2ndアルバム「FACES PLACES」で売上300万枚を突破。また、 日本史上初の東京、名古屋、大阪、福岡4大ドームツアーを敢行。
台湾で初の海外ツア「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」を開催する。
7月、アニメーション映画「エルマーの冒険」の音楽監修を務める。
20世紀フォックス配給映画「スピード2」のメインテーマのリミックスを手掛ける。
中日邦交正常化25周年記念公演「TK Presents GROOVE MUSEUM」を開催する。
DJ DRAGONとプロデュースユニット「tatsumaki」を結成。後に鈴木あみ、BALANCe等に関わっていく。
安室奈美恵のシングル「CAN YOU CELEBRATE?」で売上が200万枚を突破、小室プロデュースのアーティストのシングルとしては最高の売り上げを記録、 第39回日本レコード大賞を受賞。

1998年
ニューヨークでインディーズレーベル「TRUE KiSS DiSC」(1999年正式に設置)を始動。鈴木あみ、甲斐よしひろ、Ring、白竜などをプロデュースした。
グアム観光政府局より親善大使として「グアムアートイルミネーション」を総合プロデュース。
SEIKOと共同で腕時計「frequency」を開発する。
globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」で第40回日本レコード大賞を受賞。
香港の中国返還1周年記念式典に参加。香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「Rojam Entertainment」を設立。中国・上海に「ROJAM DISCO」をオープン。
東京にメディアファクトリーなどとの合弁会社「factoryorumok」を設立。
「YAMAHA EOS SOUND CONTEST98」の審査委員長を務める。(ちなみに副審査委員長は浅倉大介。)
トーコが、小室哲哉と日向大介の共同プロデュースでデビュー。
未来玲可が小室哲哉と久保こーじの共同プロデュースでデビュー。
サッカー・W杯フランス大会の公式アルバムにジャン・ミッシェル・ジャールとともに「TOGETHER NOW」で参加。
パリ祭のメインイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」をジャン・ミッシェル・ジャールと共同で開催する。
日本テレビ系列ドラマP.A.のサウンドトラックを担当。

1999年
1月末、華原と破局する。
TM NETWORKを再結成し「GET WILD DECADE RUN」を発売した。
元dosの吉田麻美と「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成し、TOTOの代表曲「AFRICA」をカバー。
TLCのLeft Eyeが名付け親のBLAQUE IVORYを「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。
インドネシアバリ島クタビーチにて「GOA IN BALI」をDJ DRAGONと共同で開催し、2万人を動員した。

2000年
国際麻薬統制委員会を訪問し、UNODC親善大使を授与される。
ニューヨークの国連本部で開催された国連親善大使会議に参加する。
TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。個人レーベル「Tatsumaki Records」を設立。
アーティスト養成通信講座「TK MUSIC ONLINE」を開始。
Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。RojamからはZoieとCELINA。factory ORUMOKからは坂口実央、MIYUKI、清水まなぶ、ステレオリキッドなどがデビュー。
ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。
11月、麻薬・覚醒剤乱用防止活動としてTRF、BALANCeと共に「イェス・トゥ・ライフ東京大会」に参加。
12月31日~元日、沖縄県・宜野湾海浜公園トロピカルビーチで「Rendez-vous in Space 2001」が開かれた。

2001年
1月、Sony Music Entertainmentとの専属契約を解消し、factory ORUMOKから撤退。
5月、吉本興業とマネージメント契約を結ぶ。吉本興業内のレーベル「R&C JAPAN」(現R and C)の設立に参加、一時期オーナーを務める。
同日Kiss DestinationのASAMI(吉田麻美)と再婚。
DJ DRAGON、原田大三郎とともに「GABALL」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。Rojamのレコード販売事業は縮小。
SAMプロデュースクラブ・イベント「zento」にTRF、BALANCe等と共に、参加・楽曲提供。
9月、フジテレビ単発テレビドラマ「プラトニック・セックス」の音楽監督を担当(橋本慎と共同)。
10月より放送を開始したアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」の音楽監督(多田彰文、松尾早人と共同)を担当。

2002年
トランス・イベント「TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE」を主催。
中国映画「恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)」の音楽監督・主題歌制作を担当。
3月、吉田麻美と離婚。
11月22日、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeにはX JAPANのYOSHIKIが加入した。

2003年
4月より3年間「キャットミュージックカレッジ専門学校」の名誉校長に就任した。
初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
全米先行放送アニメ(後に2004年10月より日本でも放送)「ゾイドフューザーズ」の音楽監督を担当。
新型肺炎や鳥インフルエンザの流行などにより、韓国での開催を予定していた黄砂対策チャリティライブが中止。globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。

2004年
Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
個人スタジオ兼イベント運営会社として「Tribal Kicks」を新たに設立。
サッカーJリーグの大分トリニータのスーパーバイザーに就任。
4月21日 TM NETWORKデビュー20周年を記念して横浜アリーナでライブを行った。
日中国交正常化30周年記念NHKドラマ「世紀末の晩鐘」の音楽監督を担当。
11月2日 globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。
大晦日、BLACK JAXXと共に六本木ヒルズ52FにてカウントダウンLIVEを行う。

2005年
クラブ・イベント「Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party」を開催した。
avexの手掛ける高音質ネット配信の研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイザーに就任。
「@MUSIC HD Sound」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
2月、中国の女優である陳好に楽曲提供する。

2006年
ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
3月、エプソン 品川アクアスタジアムのアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行い「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
10月、米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム「Be What It Is」の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
11月、自身のMySpaceオフィシャルサイトを開設。
12月、音楽配信を主とした新たなインディーズレーベル兼個人スタジオ「TKCOM」を立ち上げる。

2007年
Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
4月、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。著作権を巡る詐欺事件(前述)のため同大学は2008年11月4日付けで小室哲哉を懲戒解雇処分した。
6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
7月、DJ TK名義で「Cream Of J-POP ~ウタイツグウタ~」をリリース。
11月2日 - 3日、楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
11月8日 - 11日、秋葉原のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した。
12月、音楽プロダクションイーミュージックの制作総指揮に就任。同月に設立された芸能事務所「Empire Play Music」に所属。
大晦日から元旦にかけて多福寺にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を開催する(この模様はYouTubeで公式配信された。)

2008年
2月、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Winter」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
3月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Spring」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
5月、「MTV Video Music Awards Japan 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
6月、江の島アイランドスパの新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
7月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Summer」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
8月、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
9月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Autumn」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
11月4日、兵庫県内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、大阪地検特捜部に逮捕される。これを受け、「Empire Play Music」は同日付で小室を契約解除した。

2009年
5月11日、大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡される。
8月1日、個人事務所「a nine」を設立し、エイベックスと専属契約を結んだ。
8月22日、「a-nation'09」にglobeのメンバーと共にシークレットゲストとして出演、音楽活動を再開。
11月13日、クラブイベント「HOUSE NATION」にスペシャルゲストDJとして参加。

2010年
2月 - 3月にかけて、再開後初めてのソロコンサートを崇城大学市民ホール・福岡市民会館・鹿児島市民文化ホールで開催された。
5月5日 - AAAに提供した「逢いたい理由/Dream After Dream ~夢から醒めた夢~」が発売。オリコンチャートで初登場1位を獲得する。
5月16日 - AAA Heart to ♥ TOUR 2010 東京公演(NHKホール)に登場し、ピアノソロおよび「逢いたい理由」(作曲:小室)のピアノ伴奏を披露した。
9月7日 - 「globe デビュー15周年記念ベスト盤、サイン書き特番」をUstreamにて配信。
9月22日 - 「globe デビュー15周年記念ベスト盤、完成記念特番」をUstreamにて配信。
10月13日 - 14日、KREVAのコンサートイベント「意味深3」日本武道館2Days公演にサポートキーボーディストとして出演。
12月14日 - 「DATV「ほほえみプロジェクト」チャリーティイベント「Message! to Asia」」にGACKT、ペ・ヨンジュンらとともにゲスト出演。

2011年
4月29日 - 国連"Friend's Whistle!" プロジェクトに坂本美雨、mihimaru GT、May J.らとともに参加。小室が制作したテーマソング(Always be there)を参加アーティスト全員で歌唱した。
5月4日 - オリジナルアルバム「Digitalian is eating breakfast 2」をリリース。
5月25日 - 小室哲哉のヒット曲を集めた「TK BOX ~TETSUYA KOMURO HIT HISTORY~」がmu-mo shop限定で発売された。
6月1日 - オリジナルアルバム「Digitalian is eating breakfast 2 インストバージョン」を配信開始。
6月13日 - 「DOMMUNE「TK Presents BROADJ ♯331」2-Hour Special Live Set by TETSUYA KOMURO」を音楽動画配信サイトDOMMUNEにてストリーミング配信。来場者数はのべ14万人以上にものぼり、ネット上で大きな話題となった。
7月18日 - 「国連UN-OHRLLS・国連の友 "Friend's Whistle! Act for Tomorrow! Vol.2"」に出演。
7月23日 - 24日 - 「a-nation Charge & Go! ウイダーinゼリー THE PREMIUM NIGHT in nicofarre」に出演。
7月30日 - 「Yamaha & Steinberg EXPO 2011 ”TK Special Talk & Live”」に出演。
8月19日 - 「FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011」に出演予定だったが暴風雨のため中止される。
8月20日 - 早朝、中止された「FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011」を「今日やらないと意味が無いセットリスト」とのことでスタジオより急遽配信。
9月21日- 22日、30日 - 「TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~」を開催。
10月15日 - 「ASOBISYSTEM & PIF presents ASOBINITE!!!」に前回のASOBINITEと同じく、中田ヤスタカとともにゲスト出演。
10月24日 - globeのボーカルで妻のKCOが24日(月)夕方、自宅で倒れ都内病院に緊急搬送された。
幸運なことに小室が傍にいたため迅速な対応が出来た。(翌日はテレビ収録の仕事が入っていた。)医師に「くも膜下出血」と診断され、25日未明より緊急手術を行い無事成功。
その後意識も回復した。KCOとglobeのホームページには小室のコメントが掲載された。
11月5日 - 「早稲田祭2011「UBC-jam vol.25」」に出演。
12月23日 - 「HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE」に出演。冨田勲とのトーク&ライヴを開催。

2012年
3月7日 - ボーカルで参加したジュリアン・レノンとともにピアノで参加したNick Woodの新曲「HOPE」がiTunesで配信開始。
3月10日 - 「キーボードマガジン 2012年4月号 SPRING」に小室が審査を務めるキーボードマガジンコンテストについて掲載。付録のCDには小室が制作したコンテストの課題曲が収録されている。
3月20日 - 幕張メッセで開催された東日本大震災復興支援チャリティコンサート「ALL THAT LOVE -give & give-」に米米CLUB、PRINCESS PRINCESSとともにTM NETWORKで出演。
3月21日 - ライヴDVD「TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)」をリリース。
3月21日 - リミックスアルバム「Digitalian is remixing」をリリース。
3月28日 - 配信限定だった「Far Eastern Wind」がデジタルリマスタリングを施されCDとして「Far Eastern Wind -Complete-」「Far Eastern Wind -Spring / Summer-」「Far Eastern Wind -Autumn / Winter-」の3形態でリリース。
3月28日 - コンピレーションアルバム「小室哲哉 meets VOCALOID」をリリース。
4月18日 - 「ガンダムフロント東京オープニングセレモニー」にゲスト出演。
4月24-25日 - 日本武道館にて「TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-」をTM NETWORKで開催。25日公演は日本全国、香港、台湾の映画館にて同時生中継された。
4月25日 - TM NETWORKとして約5年ぶりのシングル「I am」をリリース。TM NETWORKとして12年ぶりにオリコントップ5にランクイン。
6月1日 - 小室哲哉のFacebookページとスタッフのTwitterがスタートした。
7月15日 - 「Keyboard Magazine Festival 2012」にH ZETT M、nishi-kenとともに出演。シンセサイザーオーディションの課題曲の監修、審査も担当した。
8月3-26日 - 野島伸司原作・脚本の舞台「ウサニ」の音楽を担当。
8月12日 - 「FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO 2012」に出演。YouTubeでも生中継で配信され、全体の来場者数は約72万人を記録した。
8月12日 - WOMBで行われる音楽イベント「WEEKENDLESS」にm-floのVERBAL、RE:NDZ a.k.a kz(livetune)らと共に出演。
8月26日 - 「ライブDVD & Blu-ray「TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-」発売記念スペシャルイベント@渋谷公会堂」を開催。TMと縁の深い渋谷公会堂でIncubation Periodの特別版を放映、その後メンバーが登場し、一連の活動について解説をした。また、未発表の新曲を小室が生でミックスする作業をファンの前で披露した。
10月1日 - JFN系全国ネット「小室哲哉 Radio Digitalian」がスタート。3月まで月1回でオンエアされていた「RADIO SESSIONS 小室哲哉 Digitalian」が週1回に変更され、再開する。”今話題の楽曲や小室自身が手がけた楽曲を2012年の小室目線”で紹介する内容となっている。
10月3日 - ニッポン放送「オールナイトニッポンモバイル」がスタート。”TM NETWORKの結成に大きく関わった映画話”や、”シンセサイザーの話”などがアーカイブされていき、それぞれ違ったテーマで小室哲哉の過去・現在・未来が語られていく番組となっている。
10月18日 - ドライブのための音楽ナビゲーションサービス「music Chef」に新しいシェフとして小室哲哉が登場。小室が影響を受けた音楽や、自身が手がけた楽曲をセレクション。
10月21日 - フジテレビ系新番組「スナック喫茶エデン」にレギュラー出演。バラエティ番組のレギュラーは初である。
11月15日 - 小室によるトータルプロデュースでモデルの壱岐尾彩花が「GLOWING」でメジャーデビュー。小室が新人をプロデュースするのはFemale non Fiction・R9以来約10年ぶりとなる。
11月21日 - TRFがシングル全31曲を収録したベスト盤「TRF 20th Anniversary COMPLETE SINGLE BEST」をリリースする。16年ぶりにプロデュースを手がけた新曲が収録される。
11月25日 - エイベックス主催のダンスイベント&オーディション「DANCE NATION 2012」のスーパーバイザーを務める。

2013年
1月6日 - フジテレビ「みんなのKEIBA」テーマ曲を担当。タイトルは「Now1(ナウワン)」。
2月15日 - 雑誌「FRIDAY」にて自身がC型肝炎であることを告白。薬の副作用と戦いながらも、現在は順調に回復に向かっているとのこと。
2月25日 - TRFのデビュー日である2月25日に小室哲哉プロデュースによるTRFのミニアルバム「WATCH THE MUSIC」がリリースされる。これに伴い「TRF」の表記が92年のデビューから96年まで使用していた小室哲哉プロデュースを象徴する小文字の「trf」に変更にされる。
2月27日 - GyaO! ライブトークにTRFのYU-KIと共に出演。
3月6日 - 約2年ぶりのソロアルバム「DEBF3」がリリース。最新エレクトロニック・ダンス・ミュージック(EDM)を基調としたアルバムとなり、iTunes総合チャートで1位を獲得した。
3月25日 - 「Applayersコンテスト FINAL STAGE@ニコファーレ」に審査員として出演。
4月15日 - 2013年5月25日(土)と26日(日)にさいたまスーパーアリーナにて予定されていた「TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-」がボーカリスト宇都宮隆の体調不良のため、延期されることが発表された。
7月20日-21日 -「TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-」がさいたまスーパーアリーナにて開催され、全国の映画館で同時生中継された。
7月31日 - フジテレビ系「FNSうたの夏まつり」に出演。昨年に引き続き、TRFや浅倉大介、西川貴教などと共演した。
8月9日 - globeが18周年を迎え、新曲「ホワイトアウト」の制作を開始したことを発表。
8月10日 - SUMMER SONIC2013 / 東京 MIDNIGHT SONICに出演。
8月21日 - fripSideに提供した「eternal reality」のビデオクリップにゲスト出演。
8月29日 - 東京ステーションホテルで行われたファッションブランド「LOUIS VUITTON」主催のエキシビジョン「Timeless Muses(時を超えるミューズたち)」展に松浦勝人、大沢伸一らと共に来場。
9月21日 - リリー・フランキー主催のイベント「ザンジバルナイト2013」に出演。
9月25日 - リミックスアルバム「DEBF EDM 2013 SUMMER」をiTunes Storeで配信。
10月8日 - フジテレビ「ハモネプ☆スターリーグ」にチーム「TK HARMONIER」のリーダーとして出演。メンバーは坂本美雨、篠原ともえ、島谷ひとみ、DEEP。
10月29日 - TOHOシネマズ六本木ヒルズで開催される映画「Steve Jobs」 のジャパンプレミアにゲスト出演。トリビュートミニライブを行う。
10月29日 - オランダ出身のDJ Afrojackの楽曲「The Spark (feat Spree Wilson)」のTetsuya Komuro Remixが配信開始。
10月31日 - YouTube上で展開する新しい歌番組プロジェクトTOYOTA「WISH presents 白黒歌合戦」のトークセッションにヒャダインこと前山田健一と共に出演。
11月2日 - フジテレビ「フジテレビ開局55周年記念 音楽特別番組 FNS名曲の祭典」に出演。
11月14日 - ニンテンドー3DS用ソフト「大合奏!バンドブラザーズP」のプリセット楽曲を提供。
12月4日 - ヒャダインこと前山田健一とのコラボ楽曲「22世紀への架け橋」がiTunes Store限定で配信開始。
12月4日 - フジテレビ「2013FNS歌謡祭」に出演。
12月7日 - YouTube上で生配信されるTOYOTA「WISH presents 白黒歌合戦」プレミアムライブに出演。
12月11日 - さいたまスーパーアリーナで行ったライブ「TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-」がBlu-ray DiscとDVDで発売。初回限定盤では、小室のオーディオコメンタリーも収録される。
12月20日 - Le Baron de Parisにて開催された「Syn City Christmas Ball」にDJとして出演。
12月29日 - 「rockin'on presents COUNTDOWN JAPAN 13/14」にDJとして出演予定。

2014年
1月31日 - 小室が自宅からスタジオに向かう最中、乗っていた車が交通事故を起こし、頸椎捻挫の軽傷を負った。これにより翌日に行われるはずだった坂本美雨とのイベントは大事をみて中止となった。
4月2日 - 小室のソロアルバム「TETSUYA KOMURO EDM TOKYO」が発売。
4月5日 - 小室の交通事故によって延期されたライブイベント「ディア・フレンズ LIVE Vol.2 welcomes 小室哲哉Supported by あ・う・て」がTOKYO FMホールにて開催。
4月13日 - 「burn WORLD DJ CONTEST 2014」に小室哲哉がメンターとして参加。コンテストのファイナリストと対談し、目の前で自らのパフォーマンスを披露した。
4月22日 - TM NETWORKの39枚目のシングル「LOUD」とセルフプロダクトアルバム「DRESS2」が発売。
4月26日 -「TM NETWORK LIVE TOUR "the beginning of the end"」が東京・府中の森芸術劇場どりーむホールからスタート。
4月30日 - 違法ダウンロードの防止を目的とした「STOP!違法ダウンロード」啓発ビデオクリップに元スケボーキングのSHIGEOと共に参加。このプロジェクト用に小室が書き下ろした新曲「GOOD CLICK CREATES GOOD MUSIC!」がYouTubeで公開された。
4月30日 - 東京プリンとたいせつな仲間たちによる楽曲「明日笑っていられるように」にキーボードで参加。
5月3日 - 4月2日にリリースした「TETSUYA KOMURO EDM TOKYO」を記念して小室本人がDJとして大阪、名古屋、大分、渋谷のクラブに登場する。
5月5日 - ダンスミュージックイベント「MUSIC CIRCUS'14」にスティーブ・アオキやVERBALなどと共に出演。
5月21日 - アフロジャックのアルバム「フォーゲット・ザ・ワールド」日本盤に小室がリミックスを担当した「ザ・スパーク」が収録される。
未定 - アトラスより発売されるPS Vita用ゲーム「ペルソナ4 ダンシングオールナイト」に楽曲アレンジで参加。

■音楽性
テクノ・ファンク・ユーロビート・ジャングル・ハウス・トランス・アンビエント・HIP HOP・R&B・レイヴ・ハードロック・プログレ、果てはクラシック・フォーク・AOR・ラテン・ワールドミュージック・純邦楽・演歌など、幅広い曲調を使い分け、かつ複数のジャンルを融合させる音楽を手掛ける事を得意とする。
ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・1990年代のJ-POP、又はそれにおけるデジタル・オーディオ・ワークステーション・音楽プロデューサーの概念・音楽配信の普及の立役者として知られる。
作風の大きな特徴として「唐突な転調」があるが、それを多用するようになったきっかけは、TM NETWORKの1stアルバムのレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。因みにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している[30]。反面、発見したその後も意識的に挿入していたわけではなく、寧ろ「コンピューターの誤作動による偶然の産物であり、中々思う様に表現できなかった」「サンプラーが今の様にタイムストレッチができなくてそのままの音でキーを変えられなかった。
そのサンプラーの音を使いたいが為に機械的に転調させていた。
逆のパターンもあって転調した後にそれまで使っていたサンプラーのボイスが無くなっていてボイスのキーと合わせられなくなった」と必ずしも好意的に捉えてはなく、その後も如何に自由自在に使いこなすかの試行錯誤に腐心していた。
自らの行う転調のやり方について、「どこでキーが変わっているのか・どこがサビでどこがブリッジなのかをわからないようにする」
「声が張るピーク・一番伸びる部分をサビに持っていくため。サビに合わせるとほかのパートが低くなりすぎるため、仕方なく4度転調とか、そういう変な転調を無理やり入れる」
「周囲からは「サビでいきなり転調するよね」って言われがちだが、サビが先にあって、その前のBメロで転調しておく」「KCO・安室さん・華原さんは声が出るから転調無しの構成でも大丈夫だった」
「お互いのキーの共通コードをつないで転調する。そうすると突然転調した感じが薄れ、スムーズな感じになる」
「王道としては、サビの繰り返しで半音キーを上げて高揚感を出す。共通のコードは無いけどメロディを繰り返すことで頭にそのメロディが残る」「ブリッジで転調しておくと、その後自分の演奏テクニックを披露する等やりたいことが自由にできる展開になる」と話している[32]。
コード進行では「add9(アド・ナインス)」を多用する傾向にある。例としてglobeの「DEPARTURES」のイントロが挙げられる。

■人物

・本人について
早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。
2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌「ワセダ輝く」を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には「小室哲哉記念ホール」がある。
かなりの偏食であり、特にかつては大の魚嫌いであった。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが落ちてきて、それがトラウマになった為と言われる。
それを最初に吹聴して回ったのは、木根尚登と宇都宮隆である。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。
ただ最近はkcoに促された事もあり、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。
またかなりの小食・早食いであり、いわゆる小室ブームの時も食事の殆どはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。
当時のマネージャー曰く「世界一エンゲル係数の小さい人」とのこと。
ファミリーレストラン好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほどであった。
上記のkcoの他、逮捕された後は、松浦や千葉の指導もあって、現在は「自然なもの」を食べるようになっている。
全盛期には複数台の高級車を所有していた。大のフェラーリファンとしても有名で、色違いのフェラーリを複数台所有している。
過去にはプライベートでF1観戦に訪れ、フェラーリチームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。
また、メルセデスベンツ・CLK-GTRも所有していたが、並行輸入で購入していたものであったため乗ることができず、飾り物にしていたとのことである(なお、実際には一般人の運転には危険が伴うため、製造したダイムラーは購入者の技能を調べた上で販売している。詳細は当該項を参照)。
漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代にはアーサー・C・クラークを敬愛し、2001年には世間的な評価が低かった劇場版ファイナルファンタジーにも賛辞のコメントを呈している。
また、さくらももこの携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという。
そして最近はケロロ軍曹のファンを公言しており、自身のブログ・Twitterでも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。
左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った。
まだインターネットが一般的になる前だった90年代からネット配信に注目しており、小室が趣味でiTunes Storeからダウンロードした楽曲は2万曲に上る。
自身のTwitterで、佐久間象山と柴田勝家の血をひいている可能性があることを明らかにしている。

・仕事について
楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORK、globe、GABALLなどのユニットの一員としても活動する。
現在は国際麻薬統制委員会(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から2008年11月4日まで尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任して、音楽特論(新世紀音楽概論)を担当していた。
他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。
小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと。
しかし、後に「僕は事業運営に向いていなかった」と親交のあるテリー伊藤に述懐していた。
雛形あきこの歌手デビューにあたって雛形の所属事務所からプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに浅倉大介を起用させた。
華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った。
そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。
シンセサイザーの使い方はハードウェア・シンセサイザーを重視する傾向が強く、レコーディング作業時のみソフトウェア・シンセサイザーを「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」
「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」「つまみがあって二度と出せない音を作り出せる機材に可能性を感じてしまう性分なので、マウスや数値だけでは限界がある」「基本的にステップ入力はしない。
1974の時その手法でイントロを作るだけでも大変苦労した」として使用していなかった。
音自体はMIDIで作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それをPro Tools・ACID等でエディットしていく形を好んでいるが、椎間板ヘルニアによる身体への負担・コンプレッサーの性能と音圧の高さとハードウェアタイプとの差の大きさ・マウスの操作性の向上(主に応答時間)
他のクリエイターからの影響を考慮し、2013年3月に個人所有のスタジオを改装する際にソフトウェアタイプの機種を導入した。
また、同年の7月20・21日にさいたまスーパーアリーナで行われたTM NETWORKのコンサート「TM NETWORK FINAL MISSION -START investigation-」では初めてソフトシンセをライブで使用した。
ライブのリハーサル中、PCが頻繁にフリーズしてしまったため、急遽パソコンをもう一台購入し、ソフトシンセももう一式購入した。
そのため、「結果ハードシンセよりも高くついた」と小室は語っている。
それでも2013年の時点で「記念館を作れる」くらいに私的にハードウェアタイプの機種を所有している。
新しくシンセサイザーを購入した時、マニュアルは読まずに予備知識なし・直感で操作する。
レコーディングスタジオに対しては、トラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、特に機材・設備・果ては土地の空気・気圧・温度・湿度・静電気・シールドケーブルに拘りを見せる。
また、短いサイクルでスタジオを世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う。拠点を固定してしまうと時代・テクノロジーとの矛盾を起こしてしまう為、もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている。
ただ、全ての作業を自分のスタジオで行うほどの完璧主義ではなく「場所が滞在先のホテルでも機材が置いてあって制作ができれば、そこはもう立派なスタジオ」「5千万円あったら機材を買うより他のスタジオを回って何枚かアルバムを作った方がいい。
今はどんなに高級な機材でもリースすれば簡単に届く為に、あのスタジオにはあの機材があるからすごいという訳ではなくなってきている」と話している。
自宅でのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている。プロデュースに専念するようになった頃から、レコーディングではギターも演奏するようになった。
テレビでギター演奏するのを披露したのは篠原涼子とミュージックステーションに出演した時に披露した「もっと もっと…」がはじめてである。
小室が作曲をする際には世界中の楽曲の音源から採取したフレーズ・リズム・メロディを音楽ジャンル別に分けて、更に「イントロ用」・「サビ用」・「アウトロ用」等に分けて記憶させた(その数は2万~3万という)シンクラヴィア(後にPro Toolsにシフト)を駆使して行う(TMデビュー前より、既にリズム先行による作曲を行っていた)。
レコーディングの際にはいかに自らの曲のイメージにすり合わせながら「カードの様に」組み合わせ、「小室サウンド」としてサンプリング、アレンジして完成させるかがポイントになっている。
工程としては、メロディが全く思いついていない状態で「このイントロ・コード進行・アウトロでいこう」と決めて、プリプロダクションを行わずにライヴを行う感覚で制作し、シンセサイザーの担当するパート・クリック音・リズムで構成されたオフヴォーカル音源ができてからヴォーカル・ギター専用のメロディの譜面を「ギターのソロパートを振られたときにギターを弾くような感じで乗っけるように」作る。
作詞は必ずオフヴォーカル音源が完成してから取り掛かる。以上の制作方法を確立したのは渡辺美里の「My Revolution」を作った辺りとのこと。
作曲家のポリシーとしては「一度書いたメロディは必ず使う」「メロディがボーカリストの心身にどんな作用をもたらすか細かくイメージする」「楽曲のジャンルを確立するためにデモテープのミックスの名残を出来る限り残す」事を心掛けている。
TMでのレコーディング作業時、宇都宮に負担を掛けすぎた事への反省から篠原涼子をプロデュースした1990年代中頃からボーカルディレクションを自ら行う様になった。
また、複数の楽曲を同時進行で作成する為に1つの部屋に4軒のスタジオを建てていた。
小室はその状況を「羽生善治さんのCMと似ています」「globeの曲を作りながら安室さんの「Don't wanna cry」を作っていました」とコメントした。
常に楽曲は100曲の
小室哲哉を「ウィキペディア」で参照する