<女子アナの“素”っぴん/梅津弥英子アナ>「いいとも」タモリとの出会いが転機に 結婚・出産後の仕事に変化【「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載】
2018.11.16 17:00
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「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載『女子アナの“素”っぴん』―――― Vol.25~26は2000年入社の梅津弥英子(うめづやえこ・40)アナウンサー。
「才色兼備」と呼ばれる彼女たちも1人の女性。テレビ画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせて、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。本連載ではテレビには映らない女性アナの“素”(=等身大の姿)を2本のインタビューで見せていく。前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――新美有加アナの後を引き継ぎ、13人目に登場するのは新美アナ。※後編(Vol.26)は12月1日に配信予定。
梅津アナ:「プライムニュース デイズ」が始まった4月当初は、すごく緊張してしまって、オンエアで見ても分かるほど変でした(苦笑い)。仲の良いスタッフから久しぶりに連絡があって「めちゃくちゃ変な顔しているよ。“らしくない”顔をしているよ」と言われたくらい。知らず知らずのうちに無理をしていたのだと思います。
―これまでいろんな経験をしてきた梅津さんでも新しい環境とは難しいものなのですね。
梅津アナ:昼のニュースはこれまで、島田彩夏さんや木幡美子さん、田代尚子さんといった大先輩が担当していて、いわば百戦錬磨のベテランの務めというイメージがありました。かっこよく正確にポーカーフェースで次々にニュースをさばいていくような。とはいえ「この歳になって、できないと思われたくない」という意識もありましたし、「しっかりしなきゃいけない」「やれることは何でもやらなきゃ」と気を張っていたと思います。最近まで、1時間早く出社して準備していましたから。
―仲の良いスタッフさんにはそれを見抜かれてしまったと。
梅津アナ:はい(苦笑い)。きっと自分の中の「昼のニュース=完璧」というイメージに少しでも近づきたいと、自分にないものを求めてやろうとしていたのですよね。そのスタッフには「自分らしくないことはやらない方が良い。もし自分らしく仕事をした結果『やっぱり梅津は昼のニュースじゃない』と思われて担当を外されたとしても、そっちの方がきっとお互いに幸せになれる」と言われました。
―その言葉を聞いて梅津さんの考え方や行動は変わりましたか?
梅津アナ:この仕事を“私がやる”というのはどういう意味があるのかな、と考えるようになりました。今の勤務は、オンエア(11時30分~11時55分)だけでなく朝8時から午後2時まで報道センターでスタンバイをしなくてはなりません。それを理由になかなか取材に行っていなかったのですが、その話を聞いてからは外に出るようになりました。時間を見つけて裁判や会見に行ったり、流行っている場所や物をチェックしに行ってみたり。そうしたら原点に戻ったような気がして元気になりましたし、40歳で全く新しい仕事を与えられて毎日こんなに学ぶことが多いなんて、本当にラッキーなんじゃないか、と思えるようになりました。
―「とくダネ!」卒業の寂しさはなくなりましたか?
梅津アナ:はい、今は(笑)。でも思い入れが強い番組だったので、当初はとても寂しかったです。私は2人目の子どもを産んで復職してから「とくダネ!」でプレゼンターの仕事を担当したのですが、「子どものワクチン問題など、暮らしに関わるテーマを母親の視点から取材してほしい」と声をかけてもらって、とても有り難かったです。スタジオで小倉(智昭)さんや視聴者に向かって伝えることで、様々な反応がくる。番組の影響力をじかに感じる仕事でやりがいがありました。日々時間が読めない生活でしたから、家族には我慢してもらうことが多かったですけれど、「長く仕事をしていて良かった」「子どもを産んで迷った時もあったけれど仕事を諦めなくて良かった」と思えたのは間違いなく「とくダネ!」のおかげです。小倉さんは本音で語る人。その覚悟を身近に学べたことも私の糧になっています。ライブにも度々お供し、音楽の楽しさは人生の喜び!と感じさせてもらいました。今でも本番前の控室によく顔を出していますよ。
梅津アナ:最近改めて、夢や目標は意識すべきだと感じています。大げさなことじゃないのですが。毎日トライ&エラーを繰り返すための小さな目標と、先を想像するとワクワクするような夢を密かに持っておくことで、とっても前向きになれるのです。アナウンサーの仕事は制作から「このポジションをあなたにやってほしい」と依頼されないとできません。今のポジションもいつまで続けられるか、先のことは分からない仕事です。だからこそ、小さな目標を意識して「明日はこうしてみよう」と改善していく。例えば「今日はいきなり差し込まれた原稿を読むのに、顔がこわばってしまったから、明日そういう事があったら、もう少し冷静になれるように息を深く吐いてみよう」という感じに、変えられることに意識を向ける。そして、できたら小さなガッツポーズをする。自分で自分を褒めないと、なかなか他人には褒めてもらえないですから(笑)。
先々の夢としては、やはり声の表現の幅をひろげたいです。最近、ゴールデン帯の医療特番のナレーションを任せてもらえるようになり、毎回気合い充分で臨んでいるのですが、まだまだです(苦笑い)。いつかは「梅津ならこう表現してくれるよね」と指名してもらえるような、説得力のある声の持ち主になりたいです。そのために、今でも毎日発声練習しています!小心者の私がニュースに臨むためのルーティーンでもあるのですが。
梅津アナ:入社2年目に「笑っていいとも!」を担当したことがすごく大きかったです。アナウンサーは同じ時期に入社しても、同じように番組に起用されるわけじゃない。いわゆる“アイドルアナ”としてバラエティー番組にどんどん出る人もいれば、報道の現場で経験を積む叩き上げタイプの人もいます。それで言うと私は、そのどちらにもハマらなかった(苦笑い)。自分に自信がなかったですし、私は「アナウンサーに向いていない」と思っていました。そんな私がタモリさんと一緒にいることで変わりました。
私は小さい頃、タモリさんの家の近くに祖父と一緒に住んでいたことがあったので、そのことをタモリさんに話したら「おー。あの古い家、覚えているよ」と、ご近所トークをきっかけに可愛がってもらって。音楽やお酒、船のことなど仕事以外の楽しいことを本当にいっぱい教えてもらいました。そしてタモリさんは事あるごとに「目標は現状維持」「仕事は頑張らない」と繰り返し言っていました。当時、「求められるイメージに自分を近づけなくてはいけない。“フジテレビの女子アナ”にならなくちゃいけない」と思っていた私が、ある時からふっと肩の力が抜けるような感覚を味わったのです。芸人さんよりも絶対に前に出られないのも私、自分の話をすると声がだんだん小さくなってしまうのも私、でも「私は私ができることを見つければ良いのだ」と気持ちが変わって。スタジオに物を出す時はスタッフに協力しよう!とか、終了後は最後にスタジオから出て観客にお礼を言おう!とか。オンエアにはあまり貢献できなかったかもしれませんが、バラエティーの仕事がガラッと楽しくなりました。
―「笑っていいとも!」でタモリさんとの出会いが大きかったのですね。
梅津アナ:それに夫と出会ったのも「笑っていいとも!」。結婚・出産したことも私にとって大きなターニングポイントだと思います。結婚して子どもを産んで復職したわけですが、当時はママのアナウンサーが私を含めて5人しかいなかったのです(現在は12人)。それも私よりも年次が上、しかも報道◯年!など確固たる地位を確立したベテランばかり。当時27歳だった私は上司から「おかえり。でも仕事はどうしようか?何ならできるのかな?」と言われて。私も異動したくないと必死だったので「アナウンス室の雑務でも何でもやります」と放送外の仕事にたくさん手を挙げました。そのおかげで今でもカレンダーの制作やアナウンス室のHP(アナマガ)の運用などの仕事が続けられているので、それはそれでとても意味のある期間だったのですが、ある時、アナウンサーの先輩から「アナウンサーを諦めたわけじゃないだろ?報道の地震訓練を受けてみたら」と言われて。報道の経験がほとんどないのでドキドキしながら訓練を受けたら、週末のニュースを担当しないかと言ってもらえたのです。驚きました。それまで受け身に思えていたアナウンサーの仕事が自分の意識や行動でチャンスが繋がっていくのだと感じることができました。周りの人はもちろん、女性の就業を社会が後押しし始めた時代にも恵まれたと思います。
―アナウンサーに限らず、子育てと仕事の両立に悩む女性は多いと思うのですが、梅津さんは当時、どう考えていらっしゃいましたか?
梅津アナ:今思えば、どっちもいい加減だったな、と思います(苦笑い)。ただ子どもを産んで大きく変わったのは、仕事のオンオフがはっきりするようになったこと。仕事が好きだったので、独身の時は物理的な時間も精神面も人間関係も、9割9分9厘が仕事で埋まっても良いと思っていました。
ですが、子どもがいるとそうはいきません。家に帰ればご飯を作らないといけないし、そのためにスーパーに食材を買いに行かないといけないし、そうしたらスーパーで子どもがひっくり返ってワーワー泣くわけです。で、そばにいるオバ様に「あらあら…笑」って声をかけてもらいながら、なんとか乗り切る。必死に日々くぐり抜けている感じでしたが、仕事をしている時は家事や育児の息抜きの時間になって、家庭のことをしている時は仕事の悩みが解消されていくようになっていきました。独身の時にはない、良いバランスが生まれたと思います。
なーんちゃって。調子の良い時は本当にそう思えるのですが、悪い時はどちらも落第するのでは?と不安になったり、綱渡りの日々に疲れ果てたり(苦笑い)。特に子どもが病気の時、泣かれながら家をあとにする瞬間の切なさは、一生忘れないと思います。もちろん両立できるように、会社の方もたくさん協力してくれました。最近も、娘の行事と仕事が重なる悩みを相談した時にママの先輩がうるうるしながら話を聞いてくれて、とっても有り難かったです。ワークとライフのバランスも人それぞれ。育児を抱える女性だけではなく、すべての人が色んな選択肢の中で仕事ができるようになるといいなと思います。若い人には、少なくとも話を聞いてくれる人・共感してくれる人をなんとか見つけて、諦める前に相談してほしいと思います!
―きっとお子さんの協力もありましたよね。
梅津アナ:もちろん。子どもたちにはとっても感謝しています。「とくダネ!」をやっている時、娘が保育園児だったのですが、家族が起きる時間には私はもう出社していたので毎朝モーニングコールをしていたのです。それである時期、娘に電話口で「なんでいないの?なんで仕事に行かなくちゃいけないの?」と毎日のように泣かれてしまって…寂しい思いをさせていたと思います。ただ、テレビに映っている私を見たり、保育園のお友達に「とくダネ!です!!」と声をかけられたりするうちに、少しずつ納得してくれたみたいです。最近はというと、小さい頃はメイクをすると「仕事に行っちゃうの?」と涙目になっていた息子も中学生になり「学校来るなら、ちゃんと化粧してきて」「お金のために仕事は辞めないでよ」なんて生意気を言ってくるようになりました。寂しいと言ってくれるのは、ほんの一瞬ですね。
梅津アナ:2つあります。1つはヒントをくれそうな人に会いに行くこと、もう1つはやれることを見つけて動くこと!です。
そもそも私がアナウンサーになりたいと思ったきっかけは高校野球が大好きだったからなのです。「熱闘甲子園」という番組を毎年録画して見ていたし、甲子園に通って、贔屓にしている学校の合宿所には差し入れをするぐらい高校野球にハマっていた時期がありました。
それである時、知り合いがフリーアナウンサーの事務所のパンフレットを見せてくれて、そこに「熱闘甲子園」のキャスターを担当していた勝恵子さんが写っていたのです。「この人に会いたい!」と思って、すぐにパンフレットに書かれた連絡先に電話したら、事務所の方が話を聞いてくれて、勝さんにも会わせてくれました。その事務所で「学生のうちから、そういう仕事をやってみない?」と声をかけてもらってお天気キャスターを経験できることになり、結果的にそれが今に繋がっているのです。なので、やりたいことがはっきりしている場合や、ヒントをくれるのじゃないかと思える人が見つかった場合は、迷わずに会いに行くこと。意外と会ってくれますから。
―もう1つの「やれることを見つけて動くこと」とは何でしょうか?
梅津アナ:どうしても人は「夢を叶えるために何をしたら良いのだろう」と考えると“できること”か“できないこと”か、というものさしで考えがち。でも、どんなに小さなことでも“やれること”を探して動くと、夢に向かうエネルギーが出てくる気がします。私は最近、「フランス語がちゃんと話せるようになりたいな」と思ったので、近所で教えてくれる先生を探しました。小さな一歩でも、夢に向かって動いていると、生活に張りも出ますし、ウキウキしますよね。私もいつも元気ハツラツ!とはいきませんが、いくつになっても小さなエネルギーの種を持っていたいな、と思っています。
―素敵なお話をありがとうございました。
11時25分 放送5分前にスタジオに入ります。
11時55分 オンエア終了 ホッと一息。
15時 『畑でmarry me!』(木曜22時時54分~)のナレーション収録へ。
(modelpress編集部)
<担当番組>
FNN プライムニュース デイズ
入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで10月1日より販売中。
新美有加アナをプロデューサーに迎えて2年目の今年は、色にこだわった去年から、『より一層アナウンサーを身近に一緒に季節を感じて頂きたい!』という想いを込めて作りました。月ごとの設定や衣装のイメージも新美Pを中心にアナウンサーで話し合って決めましたし、撮影・写真選びやデザイン・販促活動に至るまで、男女11人のアナウンサーがとことん関わりました。放送とは違う表情やシチュエーションはもちろん、私物を多用した小物に至るまで、ぜひ細部までお楽しみいただけたら幸いです。アナウンサーがここまでやっている局、他にあるんでしょうか?(笑)
― 梅津アナの一押しがあれば教えてください。
どの月も手前味噌ながら『うちの子最高!』と今年も大満足していますが、やはり新美Pが被写体になっている月を探して頂いて、ハニカミPを確認していただけたら嬉しいです。表紙の並びを考えるのも新美Pだけに、いつも控えめなポジション。それが新美ちゃんらしさ、なんですけどね。
――――新美有加アナの後を引き継ぎ、13人目に登場するのは新美アナ。※後編(Vol.26)は12月1日に配信予定。
「朝の顔」から「昼の顔」へ
梅津アナは2000年4月にフジテレビに入社し「森田一義アワー 笑っていいとも!」「発掘!あるある大事典II」など人気番組を担当。2014年からサブキャスターを務めた「情報プレゼンター とくダネ!」を今年卒業し、現在は「FNN プライムニュース デイズ」月~金曜日のキャスターを担う。梅津弥英子アナ「とくダネ!」卒業で新たな環境へ
―長年続けてきた「とくダネ!」を今年3月に卒業されましたね。入社19年目でまた大きく環境が変わったかと思いますが、いかがですか?梅津アナ:「プライムニュース デイズ」が始まった4月当初は、すごく緊張してしまって、オンエアで見ても分かるほど変でした(苦笑い)。仲の良いスタッフから久しぶりに連絡があって「めちゃくちゃ変な顔しているよ。“らしくない”顔をしているよ」と言われたくらい。知らず知らずのうちに無理をしていたのだと思います。
―これまでいろんな経験をしてきた梅津さんでも新しい環境とは難しいものなのですね。
梅津アナ:昼のニュースはこれまで、島田彩夏さんや木幡美子さん、田代尚子さんといった大先輩が担当していて、いわば百戦錬磨のベテランの務めというイメージがありました。かっこよく正確にポーカーフェースで次々にニュースをさばいていくような。とはいえ「この歳になって、できないと思われたくない」という意識もありましたし、「しっかりしなきゃいけない」「やれることは何でもやらなきゃ」と気を張っていたと思います。最近まで、1時間早く出社して準備していましたから。
―仲の良いスタッフさんにはそれを見抜かれてしまったと。
梅津アナ:はい(苦笑い)。きっと自分の中の「昼のニュース=完璧」というイメージに少しでも近づきたいと、自分にないものを求めてやろうとしていたのですよね。そのスタッフには「自分らしくないことはやらない方が良い。もし自分らしく仕事をした結果『やっぱり梅津は昼のニュースじゃない』と思われて担当を外されたとしても、そっちの方がきっとお互いに幸せになれる」と言われました。
―その言葉を聞いて梅津さんの考え方や行動は変わりましたか?
梅津アナ:この仕事を“私がやる”というのはどういう意味があるのかな、と考えるようになりました。今の勤務は、オンエア(11時30分~11時55分)だけでなく朝8時から午後2時まで報道センターでスタンバイをしなくてはなりません。それを理由になかなか取材に行っていなかったのですが、その話を聞いてからは外に出るようになりました。時間を見つけて裁判や会見に行ったり、流行っている場所や物をチェックしに行ってみたり。そうしたら原点に戻ったような気がして元気になりましたし、40歳で全く新しい仕事を与えられて毎日こんなに学ぶことが多いなんて、本当にラッキーなんじゃないか、と思えるようになりました。
―「とくダネ!」卒業の寂しさはなくなりましたか?
梅津アナ:はい、今は(笑)。でも思い入れが強い番組だったので、当初はとても寂しかったです。私は2人目の子どもを産んで復職してから「とくダネ!」でプレゼンターの仕事を担当したのですが、「子どものワクチン問題など、暮らしに関わるテーマを母親の視点から取材してほしい」と声をかけてもらって、とても有り難かったです。スタジオで小倉(智昭)さんや視聴者に向かって伝えることで、様々な反応がくる。番組の影響力をじかに感じる仕事でやりがいがありました。日々時間が読めない生活でしたから、家族には我慢してもらうことが多かったですけれど、「長く仕事をしていて良かった」「子どもを産んで迷った時もあったけれど仕事を諦めなくて良かった」と思えたのは間違いなく「とくダネ!」のおかげです。小倉さんは本音で語る人。その覚悟を身近に学べたことも私の糧になっています。ライブにも度々お供し、音楽の楽しさは人生の喜び!と感じさせてもらいました。今でも本番前の控室によく顔を出していますよ。
梅津弥英子アナ、将来の展望は?
―40歳という節目の年で新たな発見ややりがいも見つかったと思いますが、今後の目標や夢はあるのでしょうか?梅津アナ:最近改めて、夢や目標は意識すべきだと感じています。大げさなことじゃないのですが。毎日トライ&エラーを繰り返すための小さな目標と、先を想像するとワクワクするような夢を密かに持っておくことで、とっても前向きになれるのです。アナウンサーの仕事は制作から「このポジションをあなたにやってほしい」と依頼されないとできません。今のポジションもいつまで続けられるか、先のことは分からない仕事です。だからこそ、小さな目標を意識して「明日はこうしてみよう」と改善していく。例えば「今日はいきなり差し込まれた原稿を読むのに、顔がこわばってしまったから、明日そういう事があったら、もう少し冷静になれるように息を深く吐いてみよう」という感じに、変えられることに意識を向ける。そして、できたら小さなガッツポーズをする。自分で自分を褒めないと、なかなか他人には褒めてもらえないですから(笑)。
先々の夢としては、やはり声の表現の幅をひろげたいです。最近、ゴールデン帯の医療特番のナレーションを任せてもらえるようになり、毎回気合い充分で臨んでいるのですが、まだまだです(苦笑い)。いつかは「梅津ならこう表現してくれるよね」と指名してもらえるような、説得力のある声の持ち主になりたいです。そのために、今でも毎日発声練習しています!小心者の私がニュースに臨むためのルーティーンでもあるのですが。
梅津弥英子アナのターニングポイント
―今の梅津さんを語る上で、ターニングポイントとなった出来事は何ですか?梅津アナ:入社2年目に「笑っていいとも!」を担当したことがすごく大きかったです。アナウンサーは同じ時期に入社しても、同じように番組に起用されるわけじゃない。いわゆる“アイドルアナ”としてバラエティー番組にどんどん出る人もいれば、報道の現場で経験を積む叩き上げタイプの人もいます。それで言うと私は、そのどちらにもハマらなかった(苦笑い)。自分に自信がなかったですし、私は「アナウンサーに向いていない」と思っていました。そんな私がタモリさんと一緒にいることで変わりました。
私は小さい頃、タモリさんの家の近くに祖父と一緒に住んでいたことがあったので、そのことをタモリさんに話したら「おー。あの古い家、覚えているよ」と、ご近所トークをきっかけに可愛がってもらって。音楽やお酒、船のことなど仕事以外の楽しいことを本当にいっぱい教えてもらいました。そしてタモリさんは事あるごとに「目標は現状維持」「仕事は頑張らない」と繰り返し言っていました。当時、「求められるイメージに自分を近づけなくてはいけない。“フジテレビの女子アナ”にならなくちゃいけない」と思っていた私が、ある時からふっと肩の力が抜けるような感覚を味わったのです。芸人さんよりも絶対に前に出られないのも私、自分の話をすると声がだんだん小さくなってしまうのも私、でも「私は私ができることを見つければ良いのだ」と気持ちが変わって。スタジオに物を出す時はスタッフに協力しよう!とか、終了後は最後にスタジオから出て観客にお礼を言おう!とか。オンエアにはあまり貢献できなかったかもしれませんが、バラエティーの仕事がガラッと楽しくなりました。
―「笑っていいとも!」でタモリさんとの出会いが大きかったのですね。
梅津アナ:それに夫と出会ったのも「笑っていいとも!」。結婚・出産したことも私にとって大きなターニングポイントだと思います。結婚して子どもを産んで復職したわけですが、当時はママのアナウンサーが私を含めて5人しかいなかったのです(現在は12人)。それも私よりも年次が上、しかも報道◯年!など確固たる地位を確立したベテランばかり。当時27歳だった私は上司から「おかえり。でも仕事はどうしようか?何ならできるのかな?」と言われて。私も異動したくないと必死だったので「アナウンス室の雑務でも何でもやります」と放送外の仕事にたくさん手を挙げました。そのおかげで今でもカレンダーの制作やアナウンス室のHP(アナマガ)の運用などの仕事が続けられているので、それはそれでとても意味のある期間だったのですが、ある時、アナウンサーの先輩から「アナウンサーを諦めたわけじゃないだろ?報道の地震訓練を受けてみたら」と言われて。報道の経験がほとんどないのでドキドキしながら訓練を受けたら、週末のニュースを担当しないかと言ってもらえたのです。驚きました。それまで受け身に思えていたアナウンサーの仕事が自分の意識や行動でチャンスが繋がっていくのだと感じることができました。周りの人はもちろん、女性の就業を社会が後押しし始めた時代にも恵まれたと思います。
―アナウンサーに限らず、子育てと仕事の両立に悩む女性は多いと思うのですが、梅津さんは当時、どう考えていらっしゃいましたか?
梅津アナ:今思えば、どっちもいい加減だったな、と思います(苦笑い)。ただ子どもを産んで大きく変わったのは、仕事のオンオフがはっきりするようになったこと。仕事が好きだったので、独身の時は物理的な時間も精神面も人間関係も、9割9分9厘が仕事で埋まっても良いと思っていました。
ですが、子どもがいるとそうはいきません。家に帰ればご飯を作らないといけないし、そのためにスーパーに食材を買いに行かないといけないし、そうしたらスーパーで子どもがひっくり返ってワーワー泣くわけです。で、そばにいるオバ様に「あらあら…笑」って声をかけてもらいながら、なんとか乗り切る。必死に日々くぐり抜けている感じでしたが、仕事をしている時は家事や育児の息抜きの時間になって、家庭のことをしている時は仕事の悩みが解消されていくようになっていきました。独身の時にはない、良いバランスが生まれたと思います。
なーんちゃって。調子の良い時は本当にそう思えるのですが、悪い時はどちらも落第するのでは?と不安になったり、綱渡りの日々に疲れ果てたり(苦笑い)。特に子どもが病気の時、泣かれながら家をあとにする瞬間の切なさは、一生忘れないと思います。もちろん両立できるように、会社の方もたくさん協力してくれました。最近も、娘の行事と仕事が重なる悩みを相談した時にママの先輩がうるうるしながら話を聞いてくれて、とっても有り難かったです。ワークとライフのバランスも人それぞれ。育児を抱える女性だけではなく、すべての人が色んな選択肢の中で仕事ができるようになるといいなと思います。若い人には、少なくとも話を聞いてくれる人・共感してくれる人をなんとか見つけて、諦める前に相談してほしいと思います!
―きっとお子さんの協力もありましたよね。
梅津アナ:もちろん。子どもたちにはとっても感謝しています。「とくダネ!」をやっている時、娘が保育園児だったのですが、家族が起きる時間には私はもう出社していたので毎朝モーニングコールをしていたのです。それである時期、娘に電話口で「なんでいないの?なんで仕事に行かなくちゃいけないの?」と毎日のように泣かれてしまって…寂しい思いをさせていたと思います。ただ、テレビに映っている私を見たり、保育園のお友達に「とくダネ!です!!」と声をかけられたりするうちに、少しずつ納得してくれたみたいです。最近はというと、小さい頃はメイクをすると「仕事に行っちゃうの?」と涙目になっていた息子も中学生になり「学校来るなら、ちゃんと化粧してきて」「お金のために仕事は辞めないでよ」なんて生意気を言ってくるようになりました。寂しいと言ってくれるのは、ほんの一瞬ですね。
梅津弥英子アナの夢を叶える秘訣
―なるほど、ありがとうございます。では最後のお話になりますが、モデルプレス読者には夢を叶えたいと頑張っている女性がたくさんいます。これまで様々な経験をしてきた梅津さんが思う“夢を叶える秘訣”は何でしょうか?梅津アナ:2つあります。1つはヒントをくれそうな人に会いに行くこと、もう1つはやれることを見つけて動くこと!です。
そもそも私がアナウンサーになりたいと思ったきっかけは高校野球が大好きだったからなのです。「熱闘甲子園」という番組を毎年録画して見ていたし、甲子園に通って、贔屓にしている学校の合宿所には差し入れをするぐらい高校野球にハマっていた時期がありました。
それである時、知り合いがフリーアナウンサーの事務所のパンフレットを見せてくれて、そこに「熱闘甲子園」のキャスターを担当していた勝恵子さんが写っていたのです。「この人に会いたい!」と思って、すぐにパンフレットに書かれた連絡先に電話したら、事務所の方が話を聞いてくれて、勝さんにも会わせてくれました。その事務所で「学生のうちから、そういう仕事をやってみない?」と声をかけてもらってお天気キャスターを経験できることになり、結果的にそれが今に繋がっているのです。なので、やりたいことがはっきりしている場合や、ヒントをくれるのじゃないかと思える人が見つかった場合は、迷わずに会いに行くこと。意外と会ってくれますから。
―もう1つの「やれることを見つけて動くこと」とは何でしょうか?
梅津アナ:どうしても人は「夢を叶えるために何をしたら良いのだろう」と考えると“できること”か“できないこと”か、というものさしで考えがち。でも、どんなに小さなことでも“やれること”を探して動くと、夢に向かうエネルギーが出てくる気がします。私は最近、「フランス語がちゃんと話せるようになりたいな」と思ったので、近所で教えてくれる先生を探しました。小さな一歩でも、夢に向かって動いていると、生活に張りも出ますし、ウキウキしますよね。私もいつも元気ハツラツ!とはいきませんが、いくつになっても小さなエネルギーの種を持っていたいな、と思っています。
―素敵なお話をありがとうございました。
梅津アナのとある一日
7時~8時 出社後メイク室へ。11時過ぎ 徐々に原稿がくるので、下読みをします。
11時25分 放送5分前にスタジオに入ります。
11時55分 オンエア終了 ホッと一息。
15時 『畑でmarry me!』(木曜22時時54分~)のナレーション収録へ。
(modelpress編集部)
梅津弥英子(うめづ・やえこ)プロフィール
生年月日:1978年1月30日/出身地:東京都/出身大学:青山学院大学/血液型:O型/入社年:2000年<担当番組>
FNN プライムニュース デイズ
フジテレビ×モデルプレスの女子アナ連載「女子アナの“素”っぴん」
— モデルプレス (@modelpress) 2018年11月16日
今回は #梅津弥英子アナ です🎤✨
テレビには映らない、梅津アナの素顔に迫ります!
▼インタビュー&写真https://t.co/mWCjncfXOL#女子アナの素っぴん pic.twitter.com/mYXj7ilvtE
「フジテレビ女性アナウンサーカレンダー2019-OUR SEASONS-」
昨年に続き、新美アナを中心としたフジテレビアナウンサー室が完全プロデュースし、各月の季節感を色濃く反映しながら日常生活の一場面を切り取った写真は、普段テレビには映らないアナウンサーの素顔が盛りだくさん。入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで10月1日より販売中。
梅津弥英子アナに質問!
― 今回もカレンダー制作に携わっていますが、今回の見所は?新美有加アナをプロデューサーに迎えて2年目の今年は、色にこだわった去年から、『より一層アナウンサーを身近に一緒に季節を感じて頂きたい!』という想いを込めて作りました。月ごとの設定や衣装のイメージも新美Pを中心にアナウンサーで話し合って決めましたし、撮影・写真選びやデザイン・販促活動に至るまで、男女11人のアナウンサーがとことん関わりました。放送とは違う表情やシチュエーションはもちろん、私物を多用した小物に至るまで、ぜひ細部までお楽しみいただけたら幸いです。アナウンサーがここまでやっている局、他にあるんでしょうか?(笑)
― 梅津アナの一押しがあれば教えてください。
どの月も手前味噌ながら『うちの子最高!』と今年も大満足していますが、やはり新美Pが被写体になっている月を探して頂いて、ハニカミPを確認していただけたら嬉しいです。表紙の並びを考えるのも新美Pだけに、いつも控えめなポジション。それが新美ちゃんらしさ、なんですけどね。
【Not Sponsored 記事】
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