冨永愛、いじめ・孤独感という“怒り”からトップモデルへ 知られざる壮絶な日々を告白 モデルプレスインタビュー
2014.10.20 18:00
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モデルの冨永愛(32)の初の自叙伝「Ai 愛なんて 大っ嫌い」が10月29日に発売される。今回、モデルプレスではインタビューを行い、冨永の知られざる幼少期や母子の奮闘記、息子への想いなど、同誌では伝えきれなかった心境を赤裸々に語ってもらった。
冨永は音楽家・長渕剛のオフィスと業務提携を行い、師弟関係を結んだ。同誌は冨永の師である長渕がプロデュース。幼児期のたったひとつの父親の思い出や、奔放な母親に翻弄された幼少期、身長がゆえにいじめられた思春期、荒れた反抗期のなかで見つけたモデルへの道など、知られざる半生をはじめて語る。さらに、アジア人への偏見の中、怒りだけをバネにのし上がっていった二十代、恋愛、結婚、出産、離婚についても言及。さらに、引退宣言と母としての葛藤にも触れていく。
冨永:過労が原因だったと思うのですが、昨年、原因不明の高熱が1週間以上続き入院したときに、自分の生き方や考え方、仕事と子育ての両立を見直そうと思いました。2010年にコレクションモデルを引退して「芸能界でやっていこう」と決意し、芸能界で頑張らせていただいたのですが、それが果たして子どものためなのか、これで本当にいいのか、たぶん多くの方が日々悩んでいるように私も悩んでしまいました。そんなときに、長渕さんご夫妻と知り合い、この悩みを相談させていただきました。長渕さんご夫妻は「自分自身や息子との向き合い方を変えていきたい」という私の想いを受け取って、親身になって私たち親子のことを考えてくださいました。長渕さんに「自分自身をちゃんと見つめて、しっかり考えなさい」と助言を頂いたことをきっかけに自叙伝を書くことになりました。
― そうなんですね。長渕さんは冨永さんの人生を見直すきっかけとなってくださったのですね。
冨永:長渕さんは、世界で1番厳しい父親で、優しい父親でもあります。みなさんご存知のように中途半端な気持ちで人と関わるような方ではないので、私や息子との時間を作ってくださり、たくさんのアドバイスをしてくれます。
― 自叙伝には、冨永さんのこれまでの想いが詰め込まれているそうですが…
冨永:幼少期の父と母の離婚による寂しさ、小学校でのいじめ、中高生では自分のコンプレックスに悩んでいた時期。その後、たまたま見つけたモデルの道で、「ここで生きていくしかない」と思ったのに、海外に行ったら、アジア人として差別や偏見。モデルの表現の中に果たして自分が存在しているのか。自分という生き物がわからなくなってしまったのです。そして子どもを産み、悩みながら日本に戻ってきて、芸能界で働かせて頂いた中で作られた自分のイメージや母親としての葛藤をそんなこれまでの32年間を振り返りながら書きました。
― そんな困難を乗り越えながらも、日本を代表するトップモデルにまで上り詰め、幸せを掴んだように見えますが…
冨永:モデルという職業は、撮影現場ではカメラマンの、コレクションではデザイナーのイメージに埋没していく“カメレオン”でなくてはいけないと思っていました。だから、冨永愛であって冨永愛じゃない。ファッション業界で成長させてもらえた部分もありますが、私自身が感じていた矛盾もたくさんありましたね。でも、モデルを一生懸命やってこれたエネルギーは“怒り”だったということに気が付いたんです。自分に対するコンプレックスやアジア人の偏見に対する怒り…、その怒りのエネルギーがあったからこそコレクションモデルとして10年間やってこれたんだと思います。
― “怒り”ですか!?では、コレクションモデルを引退してからは、どのような葛藤があったのでしょうか?
冨永:結婚して出産して離婚して…日本に戻り、芸能界に入って3年間ひたすらお仕事をさせていただきました。その中で自分をどう表現したらいいのか模索していました。皆さんが思ってくださるかっこいい女性像、シングルマザーとして仕事と子育ての両立…でも私自身はそうでないと感じていました。このままじゃいけないと思い、この1年間仕事を減らして、息子が朝学校に行くときは「いってらっしゃい」、学校から帰って来たら「おかえりなさい」、お稽古の空手から帰ってきたら自分の手料理を食べさせてあげて「おやすみ」と言える母親になりたいと。
― そんな生活の中で書き上げた自叙伝なんですね。
冨永:そうです。そういったことを振り返りながら自叙伝を書きました。これは私の心の旅です。自宅の小さな書斎でこの自叙伝を書き終えた時、それは日曜の朝でしたが、息子の「友達と遊びに行ってきます!」と元気に言った声、窓の外には東京の澄み渡る空の青。そして庭のキンモクセイが清々しく香っていました。私はそのとき初めて幸せを感じたのです。あぁ長渕さんの言いたかった事はこういうことなんだ。この自叙伝を書くことによって、今ある自分の幸せを感じしっかり生きていくんだということを感じることが、私のこれからの新たな人生の始まりなんだと思います。そして、今まで関わって下さった多くの方へ、そして自分を産んでくれた父と母への感謝が生まれました。自分がどれだけ寂しい思いをしても一生懸命育ててくれた母には愛がありました。きっと長渕さんはこのことを言いたかったんだと思います。だからこそ、今、母と子の日常の幸せを感じることができ、その幸せを大事にしていかなくてはいけないんです。息子にはこれまで本当に寂しい思いをさせてしまいました。自叙伝を書くことによって、それを感じられて気付けたのでよかったです。
冨永:もう尋常じゃないですよ(笑)。日々飛行機に乗っていましたね。ニューヨーク、ミラノ、ロンドン、パリと4都市を周ることがトップモデルとしての証です。そこで様々なオーディションを受け、コレクションに出演するんです。それが初夏と秋冬の年に2回、あとはクチュールが年に2回あります。その間には雑誌や広告の撮影が世界各国であるので、日々移動していましたね。モデルって華やかな世界と思われがちですが、そればかりではないんですよね。
― 先ほどもアジア人の偏見を受けたとお話していましたが、どのようなことがあったのでしょうか?
冨永:「アジア人には黒しか似合わない」って言われたこともありました。ものすごく屈辱でした。モデルとしてやっていくのに、黒しか着れないなんてあり得ない。だからオーディションでは派手な原色の洋服を着たりして黒は絶対に着ませんでした。そういったことがあったからこそ、それがエネルギーとなり、やってこれたんだと思います。
― 冨永さんにとってモデルとは何ですか?
冨永:モデルとはカメレオンです。マネキンです。どんなものにもならなくちゃいけない。だから、そこに自分が存在してはいけないのが“モデル”なのかもしれません。
― 現在は、長渕さんの教えで、息子さんを空手に通わせたり、一緒にトレーニングをしているそうですね。母親として今後の目標はありますか?
冨永:11月に息子の空手の大会が鹿児島であるので、親子の目標としてそこに向かって一緒にトレーニングを行っています。食事も息子の身体のことを考えて作っています。新極真会なので、直接打撃制なんですね。本当に殴る蹴るをやります。その中で初めて痛みを知り、礼儀を守り、思いやる心が育ちます。息子も必死に立ち向かっているので、私はそのサポートを一生懸命やりたいと思っています。一緒に1つの目標に向かって頑張る、それが母子の奮闘記です。
― 冨永さん自身が挑戦したいことはありますか?
冨永:まずこの自叙伝の独り舞台を成功させることです。長渕さんに対しての恩返しです。そしてそれにも関わって下さっている皆さんに対しても。
― 息子さんにも舞台を観てもらいたいですか?
冨永:もちろん、観てもらいたいです。この自叙伝は息子のために書いたものです。お母さんがどういう人間でどういう生き方をしてきたのかちゃんと伝えたいのです。
― 舞台も楽しみにしています!
冨永:自叙伝を元に長渕さんが脚本を書いてくださり、演出も担当してくださいました。私の人生をランウェイで表現します。出演して下さる方も空手4段、ダンサー、その他も一流の方達ばかり。これはいわゆるコレクションのショーではないですし、見たことのない舞台になると思います!
― ここまでお話を聞いていると、冨永さんから母としての力強さと優しさを感じることができました。
冨永:今が転機だと思っています。この自叙伝を書いたことによって、この先自分がどう生きていくのか、自叙伝第2章が始まります。まずは息子と向き合って、母子奮闘気を続けていきます。
― ありがとうございました。
モデルとしてクールなイメージの強い冨永だが、今回のインタビューでは優しい笑顔を浮かべながら母親としての想いを全て明かしてくれた。シングルマザーとして仕事と育児を両立しているかのように思えたが、「できていない」とキッパリ否定。だからこそ、息子のために自叙伝を書き上げ、「今、スタートラインに立っている最中です。ここからどうやって息子と向き合って生きていくのか見つけます」と今まで見せたことのない清々しい表情で宣言してくれた。モデルとして、母親としてリスタートを切った新しい冨永愛に今後も注目していきたい。(modelpress編集部)
■冨永愛 初の自叙伝「Ai 愛なんて 大っ嫌い」
発売日:2014年10月29日
仕様:A5判並製
発売元:株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン
■冨永愛 独り舞台「Ai 愛なんて 大っ嫌い」
公演日時:10月22日(水)開場17:30/開演18:30
場所:ラフォーレミュージアム六本木
■冨永愛(とみながあい)プロフィール
生年月日:1982年8月1日
出身地:神奈川県相模原市
血液型:B型
身長:179cm
1997年の15歳のとき、雑誌「プチセブン」でモデルデビュー。17歳のとき、雑誌「Vogue」で高校の制服を着た写真を掲載。その写真を見た海外のファッション関係者に誘われ、本格的に世界で活動を開始。2001年にニューヨークコレクション秋冬でコレクションモデルデビュー。2010年10月にコレクションモデルを引退した。
プライベートでは、2004年秋に結婚し、2005年3月に長男を出産。しかし、2009年に離婚した。
初の自叙伝に込めた想いと冨永の知られざる人生
― まずは長渕剛さんとタッグを組み、自叙伝を書こうと思ったきっかけを教えてください。冨永:過労が原因だったと思うのですが、昨年、原因不明の高熱が1週間以上続き入院したときに、自分の生き方や考え方、仕事と子育ての両立を見直そうと思いました。2010年にコレクションモデルを引退して「芸能界でやっていこう」と決意し、芸能界で頑張らせていただいたのですが、それが果たして子どものためなのか、これで本当にいいのか、たぶん多くの方が日々悩んでいるように私も悩んでしまいました。そんなときに、長渕さんご夫妻と知り合い、この悩みを相談させていただきました。長渕さんご夫妻は「自分自身や息子との向き合い方を変えていきたい」という私の想いを受け取って、親身になって私たち親子のことを考えてくださいました。長渕さんに「自分自身をちゃんと見つめて、しっかり考えなさい」と助言を頂いたことをきっかけに自叙伝を書くことになりました。
― そうなんですね。長渕さんは冨永さんの人生を見直すきっかけとなってくださったのですね。
冨永:長渕さんは、世界で1番厳しい父親で、優しい父親でもあります。みなさんご存知のように中途半端な気持ちで人と関わるような方ではないので、私や息子との時間を作ってくださり、たくさんのアドバイスをしてくれます。
― 自叙伝には、冨永さんのこれまでの想いが詰め込まれているそうですが…
冨永:幼少期の父と母の離婚による寂しさ、小学校でのいじめ、中高生では自分のコンプレックスに悩んでいた時期。その後、たまたま見つけたモデルの道で、「ここで生きていくしかない」と思ったのに、海外に行ったら、アジア人として差別や偏見。モデルの表現の中に果たして自分が存在しているのか。自分という生き物がわからなくなってしまったのです。そして子どもを産み、悩みながら日本に戻ってきて、芸能界で働かせて頂いた中で作られた自分のイメージや母親としての葛藤をそんなこれまでの32年間を振り返りながら書きました。
― そんな困難を乗り越えながらも、日本を代表するトップモデルにまで上り詰め、幸せを掴んだように見えますが…
冨永:モデルという職業は、撮影現場ではカメラマンの、コレクションではデザイナーのイメージに埋没していく“カメレオン”でなくてはいけないと思っていました。だから、冨永愛であって冨永愛じゃない。ファッション業界で成長させてもらえた部分もありますが、私自身が感じていた矛盾もたくさんありましたね。でも、モデルを一生懸命やってこれたエネルギーは“怒り”だったということに気が付いたんです。自分に対するコンプレックスやアジア人の偏見に対する怒り…、その怒りのエネルギーがあったからこそコレクションモデルとして10年間やってこれたんだと思います。
― “怒り”ですか!?では、コレクションモデルを引退してからは、どのような葛藤があったのでしょうか?
冨永:結婚して出産して離婚して…日本に戻り、芸能界に入って3年間ひたすらお仕事をさせていただきました。その中で自分をどう表現したらいいのか模索していました。皆さんが思ってくださるかっこいい女性像、シングルマザーとして仕事と子育ての両立…でも私自身はそうでないと感じていました。このままじゃいけないと思い、この1年間仕事を減らして、息子が朝学校に行くときは「いってらっしゃい」、学校から帰って来たら「おかえりなさい」、お稽古の空手から帰ってきたら自分の手料理を食べさせてあげて「おやすみ」と言える母親になりたいと。
― そんな生活の中で書き上げた自叙伝なんですね。
冨永:そうです。そういったことを振り返りながら自叙伝を書きました。これは私の心の旅です。自宅の小さな書斎でこの自叙伝を書き終えた時、それは日曜の朝でしたが、息子の「友達と遊びに行ってきます!」と元気に言った声、窓の外には東京の澄み渡る空の青。そして庭のキンモクセイが清々しく香っていました。私はそのとき初めて幸せを感じたのです。あぁ長渕さんの言いたかった事はこういうことなんだ。この自叙伝を書くことによって、今ある自分の幸せを感じしっかり生きていくんだということを感じることが、私のこれからの新たな人生の始まりなんだと思います。そして、今まで関わって下さった多くの方へ、そして自分を産んでくれた父と母への感謝が生まれました。自分がどれだけ寂しい思いをしても一生懸命育ててくれた母には愛がありました。きっと長渕さんはこのことを言いたかったんだと思います。だからこそ、今、母と子の日常の幸せを感じることができ、その幸せを大事にしていかなくてはいけないんです。息子にはこれまで本当に寂しい思いをさせてしまいました。自叙伝を書くことによって、それを感じられて気付けたのでよかったです。
モデル“冨永愛”とは?
― “怒り”というエネルギーに溢れていたコレクションモデル時代はどのような生活を送っていましたか?冨永:もう尋常じゃないですよ(笑)。日々飛行機に乗っていましたね。ニューヨーク、ミラノ、ロンドン、パリと4都市を周ることがトップモデルとしての証です。そこで様々なオーディションを受け、コレクションに出演するんです。それが初夏と秋冬の年に2回、あとはクチュールが年に2回あります。その間には雑誌や広告の撮影が世界各国であるので、日々移動していましたね。モデルって華やかな世界と思われがちですが、そればかりではないんですよね。
― 先ほどもアジア人の偏見を受けたとお話していましたが、どのようなことがあったのでしょうか?
冨永:「アジア人には黒しか似合わない」って言われたこともありました。ものすごく屈辱でした。モデルとしてやっていくのに、黒しか着れないなんてあり得ない。だからオーディションでは派手な原色の洋服を着たりして黒は絶対に着ませんでした。そういったことがあったからこそ、それがエネルギーとなり、やってこれたんだと思います。
― 冨永さんにとってモデルとは何ですか?
冨永:モデルとはカメレオンです。マネキンです。どんなものにもならなくちゃいけない。だから、そこに自分が存在してはいけないのが“モデル”なのかもしれません。
母と息子の関係を語る
10月22日には同作の出版を記念して、自身初となる独り舞台作・演出:長渕剛「Aiなんて大っ嫌い」を開催する。― 現在は、長渕さんの教えで、息子さんを空手に通わせたり、一緒にトレーニングをしているそうですね。母親として今後の目標はありますか?
冨永:11月に息子の空手の大会が鹿児島であるので、親子の目標としてそこに向かって一緒にトレーニングを行っています。食事も息子の身体のことを考えて作っています。新極真会なので、直接打撃制なんですね。本当に殴る蹴るをやります。その中で初めて痛みを知り、礼儀を守り、思いやる心が育ちます。息子も必死に立ち向かっているので、私はそのサポートを一生懸命やりたいと思っています。一緒に1つの目標に向かって頑張る、それが母子の奮闘記です。
― 冨永さん自身が挑戦したいことはありますか?
冨永:まずこの自叙伝の独り舞台を成功させることです。長渕さんに対しての恩返しです。そしてそれにも関わって下さっている皆さんに対しても。
― 息子さんにも舞台を観てもらいたいですか?
冨永:もちろん、観てもらいたいです。この自叙伝は息子のために書いたものです。お母さんがどういう人間でどういう生き方をしてきたのかちゃんと伝えたいのです。
― 舞台も楽しみにしています!
冨永:自叙伝を元に長渕さんが脚本を書いてくださり、演出も担当してくださいました。私の人生をランウェイで表現します。出演して下さる方も空手4段、ダンサー、その他も一流の方達ばかり。これはいわゆるコレクションのショーではないですし、見たことのない舞台になると思います!
― ここまでお話を聞いていると、冨永さんから母としての力強さと優しさを感じることができました。
冨永:今が転機だと思っています。この自叙伝を書いたことによって、この先自分がどう生きていくのか、自叙伝第2章が始まります。まずは息子と向き合って、母子奮闘気を続けていきます。
― ありがとうございました。
モデルとしてクールなイメージの強い冨永だが、今回のインタビューでは優しい笑顔を浮かべながら母親としての想いを全て明かしてくれた。シングルマザーとして仕事と育児を両立しているかのように思えたが、「できていない」とキッパリ否定。だからこそ、息子のために自叙伝を書き上げ、「今、スタートラインに立っている最中です。ここからどうやって息子と向き合って生きていくのか見つけます」と今まで見せたことのない清々しい表情で宣言してくれた。モデルとして、母親としてリスタートを切った新しい冨永愛に今後も注目していきたい。(modelpress編集部)
■冨永愛 初の自叙伝「Ai 愛なんて 大っ嫌い」
発売日:2014年10月29日
仕様:A5判並製
発売元:株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン
■冨永愛 独り舞台「Ai 愛なんて 大っ嫌い」
公演日時:10月22日(水)開場17:30/開演18:30
場所:ラフォーレミュージアム六本木
■冨永愛(とみながあい)プロフィール
生年月日:1982年8月1日
出身地:神奈川県相模原市
血液型:B型
身長:179cm
1997年の15歳のとき、雑誌「プチセブン」でモデルデビュー。17歳のとき、雑誌「Vogue」で高校の制服を着た写真を掲載。その写真を見た海外のファッション関係者に誘われ、本格的に世界で活動を開始。2001年にニューヨークコレクション秋冬でコレクションモデルデビュー。2010年10月にコレクションモデルを引退した。
プライベートでは、2004年秋に結婚し、2005年3月に長男を出産。しかし、2009年に離婚した。
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