

武田鉄矢「時代とは“後ろ姿”で決まる、振り返ると意外といい時代だった」“昭和100年”の節目に馳せる思い

2025年は昭和元年から100年目、「昭和100年」にあたる年。昭和の文化・人物を深掘りする「武田鉄矢の昭和は輝いていた」(毎週金曜夜8:00-、BSテレ東)が、この節目を記念した特別編として「武田鉄矢とゆく〜激動の昭和100年に贈る言葉」を6月27日(金)に放送する。MCの武田鉄矢がスタジオを飛び出し、日本各地に残る「激動の昭和」の痕跡を訪問。戦争、高度経済成長期、バブル崩壊など、“昭和とは何だったのか”を考える内容となっている。WEBザテレビジョンは番組放送を前に武田鉄矢にインタビューをおこない、武田にとっての“昭和”、番組の見どころなどを聞いた。
“昭和”というのを知れば知るほど、どんどん興味が湧いてくるんです
――2025年が「昭和100年」に当たる年ということで、“昭和”という年号が取り上げられることも多くなっております。しかし番組「武田鉄矢の昭和は輝いていた」があるので、武田さんにとって“昭和”は遠いものではないのかなと思うのですがいかがでしょうか。
そうですね。やっぱり少年期から青年期、中年まで“昭和”の中におりましたので、身体の中の3分の2は昭和でできているような感覚です(笑)。昭和生まれですから平成、令和と年号が変わっても、昭和は自分にとっての出身地みたいな感じもありますね。
大好きな作家さんに司馬遼太郎という方がいらっしゃいまして、この方は“明治”に対して強い思いを持っているんですね。エッセイ集に「明治は遠くになりにけり」というのがあります。このタイトルは明治生まれの歌人・中村草田男さんの句「降る雪や明治は遠くになりにけり」が元になっていて、「明治というのは過ぎ去っていけば行くほどボーッと輝いて見える、そんな時代だった」という意味が込められているんです。
司馬さんは明治を思う人たちのことをどこかうらやましいと思っていたんでしょうね。それで、私たちはこれほど美しい歌が昭和について残せるだろうか、ということをエッセイに書かれていました。でも今振り返ると、明治時代もすごかったかもしれないですけど、昭和もそれなりに近代の中でよく頑張った時代だったんじゃないかなと思うわけです。
――平成を経て、令和になった今だからこそ感じられる“昭和”の良さもたくさんある、と。
はい。60年以上の歴史があるわけです、昭和は。“昭和”という時代を知れば知るほど、どんどん興味が湧いてくるんです。
ただ「昭和は輝いていた」という番組をやってますけど…正直に言うと、最初この番組にあんまりノッてなかったんです(笑)。
“時代とは後ろ姿で決まる”、昭和の身立て直しをこの番組でできれば
――そうだったのですか。かなり意外です。
「昭和は輝いていた」というタイトルがあまり好きではなくて…「輝いてたか?」と思ったりしていたんですよ。ところが自分が年を取り、時間がだんだん経ってきて昭和の後ろ姿が遠くなればなるほど「意外といい時代だったんじゃないか」と見えてきたわけです。
私は“時代とは後ろ姿で決まる”と思っています。今だからこそ「昭和の後ろ姿っていいんじゃない」と感じられるようになりました。
昭和の中に生きて去っていった人たちって、みんな後ろ姿がいいんですよね。美空ひばりさん、石原裕次郎さん、長嶋茂雄さん…。いい後ろ姿ですねぇ。最初の頃こそ番組タイトルについて「どうかな?」という気持ちがありましたが、今は昭和の見立て直しというのをこの番組の中でできればなと思ってやっております。
――今回の特番では、スタジオを飛び出して日本各地に残る「激動の昭和」の痕跡を訪ねられたということですが。
今回はたくさんのお金を費やしていただきました。ヘリコプターで俯瞰で東京を見るというところから、下町は足立区にある子どもしか入れないような防空壕の中に入るという経験までさせてもらいました。
他にも昭和のいわゆる“時代を作った”ポイントまで行ってみたのですが、あっちこっちに令和の世の中に“昭和”が突き刺さっているんですよね。
GHQ最高司令官だったマッカーサーが使っていた部屋(執務室)にも入れてもらいました。今はそのビルのオーナーは生命保険の方なんですけど、飾ってあった絵から敷いていた絨毯、カーテンまで大事に取っていらしたわけです。「ここにマッカーサーが座ってた」と。戦後昭和のスタートですよね。そういうところも訪れたことで“昭和”を強く感じることができました。
新宿・ゴールデン街を訪れた時、縁のある人と偶然に再会が
――武田さんが上京した時の思い出の街である“新宿”も訪れたということですが、いかがでしたか?
インディーズですけど、僕たち海援隊のデビュー作を出してくれた「エレックレコード」という会社のあった場所に行ったんです。しかし、もうすっかり新しいビルに成り変わってました。
2枚目のアルバムで「望郷篇」というのがあるんですが、このジャケットの撮影を新宿ゴールデン街の横手にある引き込み線で撮影しました。しかしその場所に行ってみると、今はインバウンドで外国人の観光客でぎっしり…!昔は誰もいなくて、ただの貨物列車の引き込み線で、横にゴールデン街があって、という場所だったのに(笑)。
それで「ここがあのアルバムのジャケット撮影をした場所で」という話をしていたら、驚くなかれ、向こうからそのレコードをプロデュースした男がやってきたんです。まったく偶然に。…ちょっと声上げちゃいましたね。
――そんな偶然が!何か引き合うものがあったのかも知れないですね。
はい、そうかも知れません。「望郷篇」に収録されている曲の1つが「母に捧げるバラード」でした。この曲で日本中に海援隊の名を売ることになったんですけど、そういう奇遇もあったり、楽しくもあり、いろいろと考えさせられるロケになりました。
――この番組を見た人も“昭和”を改めて考えるきっかけになりそうですね。
そうですね。さっき「エレック・レコード」の話もしましたが、昭和の時代の音楽もすごく良かったんです。1970年代から青春が始まり、フォークソングに打ち込んで。その後は小銭を稼ぐためにいろんな商売を始めちゃいますけど、なんとか昭和を生きて、生き残ったわけです。
昭和はものすごいライバルがたくさんいた、嫉妬の炎が上がりました
皆さんにわかってほしいのは、ものすごいライバルがたくさんいたということ。20代の時には沢田研二がいて、井上陽水がいて、吉田拓郎がいて。その後にサザンオールスターズという日本語を英語のように歌うバンドが出てきて、私の心の中に嫉妬の炎が上がりました(笑)。
そんな熾烈な昭和の歌謡界で生きてきたわけですけど、「負けてたまるか」という気持ちで生き抜いてきました。今“昭和歌謡”などが再び注目されたりしていて、すごくうれしいです。この番組を見てくださる方も、ご自身の中の“昭和”はどんな時代だったか、というのを思っていただけるといいなと思います。
◆取材・文=田中隆信
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