渡辺正行が振り返る芸人への道「きっかけは落研、先輩・立川志の輔さんの落語を見て衝撃を受けた」
明治大学在学中にラサール石井、小宮孝泰とコントグループ「コント赤信号」を結成したリーダーこと渡辺正行。『ひょうきん族』でビートたけし、明石家さんまらと共演し、『M-1グランプリ』では6回もの審査員を務め、どの時代も第一線で活躍している。一方、1986年からは若手お笑い芸人の育成のための場、「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。現在発売中の著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)では、バナナマンやオードリーなど数々のお笑いスターたちの若き日々を綴っている。今回、改めてその濃厚すぎる、リーダーのお笑い人生について話を聞いた。(前中後編の前編)
──『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(以下『関東芸人のリーダー』)は、これまでの芸人人生、そこで直に見てきた数々のお笑いスターのエピソードなどを綴った半自伝的な内容ですが、改めて過去を振り返ってみていかがでしたか?
渡辺 ずいぶん前にも本を出したことはあったんですが、60歳を過ぎてから改めて人生を振り返って、自分の中で整理することで新たに見えるものもあって面白かったですね。
──もともとお笑い芸人は目指していなかったそうですが、芸能界に興味はあったんですか?
渡辺 中学高校と剣道に打ち込んでいたので、お笑いどころか芸能界にも一切興味がなかったんです。きっかけは明治大学の落研(落語研究会)に入ったことです。先輩に立川志の輔さんや三宅裕司さんがいらして、当時から落語も面白くて、僕にとって憧れの方々だったんです。
──高校時代から人前に出るのは好きなほうだったんですか?
渡辺 あまり意識はしていなかったんですが、そういうことをやっていたんですよね。たとえば文化祭では、自分で劇の台本を書いて、役者としても出ていたんです。あと剣道部の予餞会で、女子からスカートを借りて、同級生と2人でカツラを被ってベッツイ&クリスのモノマネみたいなこともしていました(笑)。後から考えると、そういうことが好きだったんでしょうね。
──落研はどうして入ろうと思ったんですか?
渡辺 落語が好きで落研に入った訳ではないんですよね。何かクラブ活動をやりたいなと思っていたんですが、楽しい大学生活を送りたいと思っていたので、もう剣道はいいやと。そんなときに落研の先輩たちが、着物を着て「落研楽しいよー」って新入生を勧誘していたんですよ。その姿を見て「バカな人たちが集まっていて楽しそうだな~」と思ったんです。
そんな軽い気持ちで入ったんですが、けっこう真面目に落語をやらなきゃいけない。確かに仲間といるのは楽しいんだけど、ちゃんと落語も見て勉強しなきゃいけない。僕は全く落語に興味がなかったですし、先輩の落語を見ても全然面白くなかったんですよ。古典落語や、こういう噺家がいるってことも勉強したんですが、面倒くさくて辞めようかなと思っていたんです。
──どうして思いとどまったのでしょうか?
渡辺 大学の教室を借りて、一般の生徒もお客として入れて「金曜昼席」という落語の会を開いていたんですけど、そのときに初めて志の輔さんの落語を見たんです。それがものすごく面白かったんです。初めて生で見る面白い落語が志の輔さんで、大きな衝撃を受けたんですよ。それまで「笑点」に出ている落語家さんしか知らないような人間だったんですけど、すっかり志の輔さんのファンになって。それからは落語ってこんなに面白いんだ、自分もきちんとやろうと思って、寄席にも行くようになりました。
落研だと寄席は学生学割みたいなのがあって安くなるんです。それで末廣亭なんかに行って、生でいろんな落語家さんを見ました。こういう世界があるんだって、どんどんハマっていきましたね。ライブ感も良かったんですよ。そうやって勉強をしていくうちに、「人を笑わせるってこういうことなんだ」と分かってきて。人を笑わせるためにはテクニックがあったり、奇妙奇天烈な発想があったり、いろいろ笑わせるパターンがあるというのを落研で学んだんです。
──ただ『関東芸人のリーダー』によると、大学在学中は落語家ではなく役者を目指したとか。
渡辺 当時は志の輔さんと三宅さんも役者を目指していたんですよ。それまで僕は芸能界なんて考えたこともなかったんだけど、芸能界を目指す人が自分の大好きな先輩だったから、じゃあ俺も目指してみようということでお芝居をやり始めたんです。それで落研の同期だった小宮(孝泰)と、「劇団テアトル・エコー」という劇団の養成所に入りました。
──当時から小宮さんとは気が合うなと感じていたんですか?
渡辺 そうですね。彼は高校時代から落研にいたので、落語のこともよく知っていましたし、新しいことも積極的に勉強していました。落研で大喜利をやるんですけど、発想がすごかったので刺激を受けましたね。文章を書くのも上手かったし、当時からお笑いのセンスは認めていました。あと小宮は小田原出身なんですけど、僕は千葉の田舎者だったので、都会的でセンスのいい奴だなって思っていたんですよ。
──ラサール石井さんとも、劇団の養成所で知り合ったそうですね。
渡辺 石井君も年は同じなんですけど、その養成所に1期先に入っていたので先輩になるんです。僕と小宮でコントをやっていたんですけど、石井君もお笑いが好きなので、「僕も一緒にやらせてくれないか」と。もともとお芝居の一環でコントを始めたので、グループを組むって感覚もなかったんですけど、石井君は先輩だし、「全然いいですよ」ってことでコント赤信号の原型になる活動を一緒に始めました。
石井君は劇団がとってきた芸能界の仕事として、放送作家をやっていたんです。だから台本も書けるしいいなと思っていたんですけど、結成以来、石井君が台本を書いてきたことは1度もないです(笑)。
──どうしてコントをやろうと思ったんですか?
渡辺 お芝居を勉強するには舞台に立つのが一番ですが、舞台に立つにはお金もかかります。コントだったら、どこでもできるし、自分たちのセリフも多くなる。それで3人でネタを作って、大学の文化祭でやったら、「俺ら天才じゃない?」って勘違いするぐらい、めちゃめちゃウケたんですよ。当時は、東京乾電池、つかこうへいさんの劇団、劇団東京ヴォードヴィルショーなど、いわゆる新劇で笑いを中心にした劇団がどんどん出てきていた時代だったんです。
そこに僕らも強く影響を受けていたんですが、このままお芝居を続けていても、売れるまでに10年かかっちゃうなと思って。これだけコントでウケるんだから、そっちのほうが向いているんじゃないかということで、文化祭を回ったり、自分たちから問い合わせて町のお祭りなんかにも出たりするようになって、お芝居からお笑いのほうにシフトチェンジしていきました。
そのうちお笑いの方とも知り合いになって、その縁で「道頓堀劇場」というストリップ劇場に出るようになって、改めてお笑いを勉強するようになりました。
──当時、コントをやっている劇団員は他にいたんですか?
渡辺 ほぼいなかったですね。当時、僕たちがお世話になったのは、「コント太平洋」さん。ネタも見てもらっていたんですが、こういうパイプは絶対に放しちゃいけないなと(笑)。そういう風にして、お笑いの人たちとも交流を持つようになりました。(中編へつづく)
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