

ジョナゴールド、りんご娘が見ていたのは「ステージに立った先に何があるか」ソロとしての壮大な夢も明かす

りんご娘を2022年3月に卒業したジョナゴールドが、5月7日に1stシングル「7号線」をリリースし、5月13日、14日にはライブを開催、そして6月15日(水)、16日(木)にもライブを控えるなど、ソロアーティストとしての第一歩を踏み出した。
そんな彼女が、りんご娘時代のエピソードや今後の活動の他、とき、王林、彩香の卒業を受けて新メンバーでの活動を始めた現在のりんご娘などについて語ってくれた。
不安いっぱいのデビューライブは「本当に楽しく、すてきに終えられたと思う」
――まず、ソロデビューライブを終えた感想を教えてください。
一人でステージに立つことが、最初はすごく怖かったです。不安もたくさんありましたし。今までステージの上で支えてくれたメンバーがいないっていうことで、「メンバーがこんなにも心の支えになっていたんだな」って一人になってみて分かりました。
でも、今回のライブを見たいと言ってくれる方がたくさんいたので、来てくださる方の気持ちに応えようっていう一心でステージに立ちました。ファンの皆さんがいるからライブが楽しみだなと思えたし、歌っていて緊張する場面もあったんですけど、りんご娘のときから支えてくださっていた方が目の前にいるっていうことが一番安心につながって、最後は楽しく終えられました。
次の課題とか目標も見つかったので、デビューライブとしては本当に楽しく、すてきに終えられたと思います。
りんご娘卒業で改名は「区切りとして一回は考えた」
――一人でのステージが不安とのことですが、りんご娘時代と比べて他に変わったことはありましたか?
練習とかライブ前の控室とか、比べものにならないくらい静かになりました。人数が減っているから当たり前なんですけど、自分が落ち込んでいるときとか自信がないときとかに、本当に他愛もない会話で笑わせてくれていたのがすごく大事だったんだなって、今思い出すことが多くて。
なので、今のりんご娘や(姉妹グループの)ライスボールの子たちには、「メンバーを全力で大切に」っていうことを伝えています。一人でシンガーとして活動していくとなると、意識的な部分とか、お客さんからの見え方というのも変わってくると思っているので、そういうことにも対応しながら慣れていけたらいいなと思っています。
――ちなみに、ソロ活動を始めるにあたって改名は考えなかったんですか?
りんご娘を卒業した区切りとして変えるのもいいなって、一回は考えたんです。今のりんご娘もいるし、リンゴの品種を名乗っていていいのかなって思ったんですけど、スタッフさんや周りの方々が「“ジョナゴールド”という名前でここまで頑張ってきたんだから」と言ってくださって。ファンの方たちも“ジョナゴールド”っていう名前を愛してくださっていたので、まだ“ジョナゴールド”として伝えることがあるんじゃないかなと自分でも思うようになりました。
この名前で活動できることが誇りだったので、「やらせてもらえるんだったら、ぜひ!」っていう感じでした。インパクトもあるので(笑)、「私は“ジョナゴールド”で生きていこう」と決めました。
りんご娘加入後、悩んだのは「責任っていう部分だったと思います」
――りんご娘についても聞かせてください。りんご娘はNegiccoと並んで「ローカルアイドルのトップ」といった印象ですが、ジョナゴールドさんから見たりんご娘はどんなグループでしたか?
加入前は、テレビに出たり、かわいい衣装を着て歌って踊ってということができるって、うらやましいなと思いながら見ていた記憶があります。事務所に入る前、(一緒に活動したメンバーは)ときさんしかいない時代にイベントで実際に見たことがあって、地元の方にすごく愛されているっていう印象でした。いつも周りに人が集まっていて、小さい子たちがすごくキラキラした笑顔で見ているのを見て、「こういうグループが青森にいるって楽しそうだな」「すてきだな」って。
それから2年くらいたった後、事務所の社長から「オーディション受けてみませんか?」って言われたのがきっかけで練習生になりました。そのときは、ときさんと王林さんのニ人のりんご娘で、スタイルが良くて、顔も小さくて、かわいい人じゃないとりんご娘にはなれないんだと思っていましたし、住む世界が違う感じはしていました。それくらい圧倒的な先輩だったので、自分がなりたいって大きな夢を語るわけでもなく「すごいなー!」って黙って見ていただけでしたね。
でも、ありがたいことにメンバーになるチャンスが回ってきて、そのときは何も考えてなかったんですけど、メンバーになった後にどれだけ青森に貢献してきたグループだったのかとか、りんご娘になるという責任などを感じて。自分が何を求められているのかも分からない状態でのりんご娘だったので、一番悩んだのは責任っていう部分だったと思います。
外から見ていたときただ楽しそうだったグループが、こんなにもまじめに地元と向き合って活動していたっていうのをメンバーになってから気付いて、そういう積み重ねが青森の方から愛される理由なんだろうなって。実際にメンバーになってみて、先輩やスタッフさんの立ち居振る舞いを見て勉強していました。今までつないできてくださった先輩方の地道な活動が形になったということなので、先輩方と青森の皆さんに感謝ですね。
――青森県の期待を背負っている感じですね。
りんご娘を皆さんが知ってくれているという環境を先輩方が作ってくれていたので、どこに行っても名前は知られていて、“りんご娘のジョナゴールド”を知らなくても「りんご娘です!」と言ったらみんな「あぁ、りんご娘さんなんだー」と言ってくれる環境でした。うれしいことではあったんですけど、同時にどこでもりんご娘のメンバーとしてしっかりしなきゃっていう気持ちが、結構重くのしかかった記憶はあります。でも、私の中ではごく最近、青森の皆さんがアイドルグループとして受け入れてくれたような気がしていて。
ずっと青森県内の小さなお祭りとか幼稚園、保育園、老人ホームとかでもライブをしていたので、ライブハウスやホールでライブをするというイメージが県内の方にあまりなかったんですよ。どこでも見られるって思われていたので、最初に県内のライブハウスでライブするときは人が集まらなくて大変でした(笑)。青森の方は私たちのことを娘のような感じで見てくれていたので、ライブで声を出して応援するというより「よく練習してきたなー」みたいなテンションで見てくださる方が多くて、ちゃんとアイドルグループとしての見せ方を作るまで結構時間が掛かったと思いますね。
意識していたのは「ステージに立った先に何があるか」
――これまでりんご娘がアイドル界で残したものは何だと思いますか?
残したものですか!? 大きなことを成し遂げたとは思っていないんですけど(笑)、自分のためにステージに立つんじゃなくて、私たちだったら「青森のために」っていう感じで、有名になりたいからステージに立つんじゃなくて、ステージに立った先に何があるかっていうのを意識して活動していました。「応援してくださる方のために」っていうのはもちろんなんですけど、それだけじゃなくて自分たちは何のためにステージに立っているのかを考えて。そういう部分では、他のグループに負けてなかったと胸を張って言えます。
――王林さんがグループ活動と同時に、全国放送のテレビなどでも活躍されていました。
王林さんが東京と青森を行き来するようになってからは4人での時間も取れなくなって、ライブの練習とかも前とは比べものにならないくらい大変になったんです。リーダーの王林さんがいないと進められない部分も多くて大変ではあったんですけど、東京と青森の行き来を頑張っていた本人が、絶対にメンバーの前で「疲れた」とか「つらい」って言わなかったのが、すごいなと思っていました。新幹線の始発で東京に行って、終電で帰ってきて、次の日も朝から青森で4人でロケして練習やリハみたいな毎日だったのに、弱音を吐かずにずっとりんご娘の仕事に来てくれていて。
今考えてみると本人はすごく無理していたんじゃないかなと思いますし、そのときに「大丈夫?」とか声を掛けてあげられなかったという後悔もあるし、そこにメンバーとして寄り添っていけたらもっと良かったなと思うんですけど、そのとき私たちは私たちなりに精いっぱいだったので、そんなこともできずに…。
でも、そうやって大変なことでも大変と言わず、青森のために慣れない場所に一人で向かっていくというのは本当に格好良い姿だったし、「こういう人が常識を変えていくんだろうな」って、同じメンバーにそういう人がいるのを誇りに思っていました。元々強がる人で具合が悪くても言わないし、「やるしかない!」って頑張っていた人だったので、今はメンバーがそばにいない状態ですけど、無理せずに頑張ってほしいなと思っています。
――王林さんの活躍で、新たにりんご娘を知った人も多かったですよね。
それをきっかけにMVを見てくださったり、ライブに来てくださったりっていうこともあったので、本当にうれしいことですね。
今後の目標は「いかに青森を“音楽を楽しむ街”にできるかが今からすごく楽しみ」
――では、今のりんご娘に思うことを、改めてお聞かせいただけますか?
今のメンバーは、すごく大変な時期にりんご娘になったと思うんです。自分で言うのもあれなんですけど、私が在籍していた時期に青森から全国にりんご娘っていう名前が広がって、広がりきらないくらいのタイミングで今の4人に変わっているので。今のメンバーがどう思っているか分からないですけど、私だったらそれを引き継ぐっていうのは大変だなって思いますね。実際、今のりんご娘を支えるっていうか、悩んだときとか分からないことが出てきたときに話を聞いてあげたいし、先輩としてやらなきゃいけないことがあると思ったのもあって、私は青森に残るっていう選択をしました。
りんご娘ってずっとタスキをつないできたグループなので、それが完全に全く違うタスキに切り替わるんじゃなくて、りんご娘の根っこにある考え方みたいなところはこれからも受け継いでいってもらいたいと思っているので、何かあれば支えられる先輩でありたいです。私に何ができるか分からないですし、自分のこれからのこともあるので、どこまで寄り添えるか分からないんですけど。
メンバーも全員変わったので、「次のりんご娘になりました」っていうのを県内の方に知っていただくことが第一に優先することだと思うので、いろんな所のライブで今のりんご娘を知ってもらって、今の4人なりのりんご娘の形っていうのを見つけていってほしいなと思っています。
ジョナゴールドの考えている壮大な目標
――最後に、ソロアーティストとして今後目指すものや、それ以外で挑戦していきたいことを教えてください。
大きい会場でライブしたいとか、CDをいっぱい売りたいとかではなく、私はいかに青森を“音楽を楽しむ街”にできるかが、今からすごく楽しみなんです。りんご娘っていうグループを通して、日本全国や海外からライブという時間を共有するために同じ場所に集まるって、すごく楽しくてすてきなことだなって思ったので、その中心地を青森にしていきたいと思っています。そのお手伝いが、私の歌やライブで少しでもできていったらいいなって考えているので、「音楽を楽しむために青森に来る」っていうのが、皆さんの生活の中に定着していったらうれしいと思っています。
――すごく壮大な目標ですね。
そうなんです、壮大なことを語らせてもらっています!
――音楽以外でやってみたいことはありますか?
ずっとお芝居をやりたいと思っていて、りんご娘のころに映画に出させていただいたんですけど、そういうものを通して私自身も成長していきたいなと思いましたし、音楽でもお芝居でも表現するっていうところは同じだと思うので、自分なりの表現の仕方や表現力をいろんなところで養っていきたいです。もっといろんな現場、いろんな世界を見て、自分なりの表現方法が見つかったらいいなって思っています。
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