浅野ゆう子 あさのゆうこ

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浅野ゆう子のプロフィール

浅野ゆう子(あさのゆうこ)
生年月日:1960年7月9日
本名:赤沢 裕子(あかざわ ゆうこ)
趣味:読書

■略歴

・生い立ち
本名の裕子の「裕」の字は、石原裕次郎に由来。裕次郎のファンだった母によって名付けられた。父親は裕子が生まれた直後、新しい女性を連れて産婦人科に離婚話を持って来た。3歳の時に両親が離婚。親戚の家を母と共に転々とした。幼いころから芸能志望で、母親も娘を芸能人にさせるべく小学生のころから歯の矯正をさせたり、足が綺麗に伸びるように正座を禁止させたりしていた。幼少時代から大人びており、小学4年生の時で既にナンパされるほど。神戸青い鳥幼稚園から神戸市立東灘小学校へ進み、小学校6年生の秋、母や友人と神戸三宮のサテライトスタジオであったラジオの公録を見た帰り、研音の関係者から「歌は好きですか? 歌手になってみませんか」とスカウトされる。小さいころから歌手に憧れていたため、母を懸命に説得し、一年間レッスンを受けた後、母を神戸に残し単身上京した。12歳の時にCMオーディションで入賞したことをきっかけにスカウトされた。

中学生のころは、京王線代田橋駅そばの寮から学校へ通う。TBS系列で放送されていた『歌う新人王決定戦』で優勝したことがデビューのきっかけとなる。

・デビュー
初め浅野は、アイドル歌手としてデビュー(当時、研音/RCAレコード所属)し、「ジャンプするカモシカ」をキャッチフレーズに活動していた。デビューした1974年に「恋はダン・ダン」で、第16回日本レコード大賞新人賞受賞。1976年には、8枚目のシングル「セクシー・バス・ストップ」がヒットを記録する。

しかし、当時の女性アイドルは小柄であることが好ましいとされており、浅野のような長身で日本人離れしたプロポーションのアイドルは珍しかった。また、ミニスカートやホットパンツなどでスタイルを強調していた浅野は女性からの反撥を受けたこともあり、アイドル歌手としては大成しなかった。

一方、ルックスが大人びていた浅野は、中学生ながらテレビドラマ『太陽にほえろ!』に警察署・捜査第一係の2代目内勤員(お茶くみ)役として出演した。

・モデルから本格的に女優へ
歌を実質休業状態になった1980年代からは、様々な会社の水着キャンペーンモデルなど企業広告で活躍した。ただし、水着での初出は1979年(昭和54年)のカネボウ化粧品CM「一気にこの夏チャンピオン」から。1981年の洋酒の悩殺ポスターは世の男性の目を楽しませた。

この頃、テレビの仕事は2時間ドラマが年2本程度だった。しかし1988年(昭和63年)にフジテレビの連続ドラマ『君の瞳をタイホする!』のヒロイン・シングルマザー役に抜擢され、さらにドラマ『抱きしめたい!』で『W浅野』と呼ばれた浅野温子との競演で、女性からの圧倒的な人気を得た。これ以降は「トレンディドラマの女王」と称される程にブレイクし、1990年代初頭には、W浅野を意識した服装が大いに流行した。

・人間関係など
憧れの女優は、野際陽子である。また、野際も浅野を評価しており、自身が多くのドラマで幾度となく演じた姑役について、「私の後(の姑役)は、浅野ゆう子さんにでもお願いしようかしらね。」と、浅野を後継者にしたいと語っている。

俳優として駆け出しで、なかなか仕事に恵まれなかった頃の唐沢寿明に「爽やかな路線でいってみてはどうか?」とアドバイスをした結果、後のブレイクに繋がったとして「(浅野は)私の恩人」と著書で評されている。

2014年11月2日早朝に自宅で交際中の田宮五郎が、クモ膜下出血で倒れ、浅野に看取られ11月6日未明に死去した。

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