とんねるずのプロフィール
とんねるず
石橋貴明と木梨憲武の日本のお笑いコンビ。所属事務所はアライバル。デビュー直後のブレイクから、三十年以上第一線で活躍し続けている、先輩ではあるがダウンタウン、ウッチャンナンチャンと共にお笑い第三世代を代表するコンビで関東お笑い界の代表的なコンビでもある。
■概要
1980年に高校の同級生同士である石橋と木梨により結成。1982年に『お笑いスター誕生』でグランプリを獲得。1980年代半ば『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』などの出演によって、人気を獲得。1988年には『とんねるずのみなさんのおかげです』のレギュラー放送が開始。その後1989年から番組休止の1994年まで当番組で視聴率1位を独占。さらに、『ねるとん紅鯨団』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』、『とんねるずのハンマープライス』なども好視聴率を獲得。一方、歌手活動も行い「情けねぇ」は日本歌謡大賞受賞、「ガラガラヘビがやってくる」はミリオンヒットとなる。
■メンバー
・石橋貴明(いしばし・たかあき)
生年月日:1961年10月22日
出身:東京都
愛称:貴(タカ)さん
・木梨憲武(きなし・のりたけ)
生年月日:1962年3月9日
出身:東京都
愛称:憲(ノリ)さん
■経歴
・学生時代
共に東京都出身で帝京高等学校を卒業。在学中、石橋は野球部、木梨はサッカー部に所属。この2つの部は互いに交流が盛んで、部室内でのモノマネや一発芸などの披露を通じ、それぞれの部の「一番面白いヤツ」とお互い認識したのが出会いのきっかけ。当時は主に先輩や先生のモノマネなどで、共に校内の人気者だったという。
石橋は高校在学中から『ぎんざNOW!』(TBS)や『TVジョッキー』(日本テレビ)をはじめとした、素人参加番組の常連であり、アントニオ猪木のモノマネやスポーツ選手の形態模写をはじめとする芸で一部の視聴者から注目されていた。なお同時代のライバルには竹中直人がおり、『TVジョッキー』のザ・チャレンジ(素人お笑い勝ち抜きコーナー)の第1回グランドチャンピオン大会では、第3代チャンピオン石橋と初代チャンピオン竹中が対決している。このときの勝者は石橋であり、初代グランドチャンピオンを獲得した。また、木梨も第5代チャンピオンを獲得。木梨が出場した第2回グランドチャンピオン大会には、石橋も出演している。
石橋ほどの頻度ではないが主に和田アキ子のモノマネで素人参加番組に顔を出していた木梨を、高校卒業の記念として石橋が誘い、所ジョージ司会の『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京)に出演[4]したのがコンビとして初めてのテレビ出演となる。『お笑いスター誕生!!』の出演までは、賞金を合計で多く得るために、意図的にバラバラで出演することもあったという。
・お笑いスター誕生への挑戦
帝京高校卒業後、石橋はホテルセンチュリーハイアット、木梨はダイハツと2人とも一般企業に就職するものの、「お笑いスター誕生!!」へのチャレンジ決意を機に再会。当時のコンビ名は「貴明&憲武」。漫才ではなく、モノマネや一発ギャグ、アニメの『魔法使いサリー』や『サンダーバード』のパロディ、学校やアイドルタレントの一コマを演じるコントなど面白いものは何でもエネルギッシュに演る多彩さで、素人ながら4週目まで勝ち抜く。それを契機に2人は勤務先を退社し、プロデビューへと意志を固める。
・「とんねるず」結成、プロデビュー
退社後の1980年に正式にコンビ結成。コンビ名も「とんねるず」と改め『お笑いスター誕生!!』にプロとして再挑戦して挑むが、10週目で落選してしまう。またこの時期、同番組担当の日本テレビ・赤尾プロデューサーの紹介で、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属したが、クラブの客層に芸風が合わず、受けなかった。
『お笑いスター誕生!!』では、1981年に開催されたゴールデンルーキー賞の15組にエントリー。決勝まで進むが、アゴ&キンゾーに敗れて、特別敢闘賞(事実上の第2位)に終わった。1982年4月10日には10週目に合格、グランプリを獲得した。その後も1983年末まで歌合戦などの企画や、グランプリ受賞者のネタ披露コーナーなどへ定期的に出演した。
1981年には西城秀樹司会の朝の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ)にレギュラー出演したが、些細なことから赤尾プロデューサーと衝突。一貫して日本テレビ系番組出演タレントだったとんねるずは同局から完全に干されることになる。この間は新宿御苑のパフォーマンスバー「昆」(後にKONと改名)に出演するなど、下積み時代を過ごした。また、この頃は同じショーパブ系タレントであるビジーフォー(いそがしバンド)やアゴ&キンゾーらと交流を持ち、グッチ裕三宅に居候していたこともある。
スーパーの駐車場やデパートの屋上などで木箱をステージ代わりにして営業回りをしていたこともあった。しかし営業は結構いいお金稼ぎになり、食べていくには苦労しなかったと明かしている。さらにこの頃は既に『オールナイトフジ』への出演が決まっていたので、夜は連日豪遊していた。
その後、西城秀樹の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「オフィスAtoZ」の所属第一号タレントになり再浮上の機を窺うことになった。秦野は、当時のお笑い芸人には無縁だったスタイリストをとんねるずに付け、派手なブランドの代名詞でもあったK-FACTORYの衣装をコンセプトとするなど、イメージプロデュース戦略を図った。また現在に至るまでとんねるずの重要なブレーンであり、彼らの楽曲の作詞を行っている秋元康との出会いもこの時期である。
・人気の拡大
1983年12月、フジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』を皮切りにテレビ復帰。当初は番組後半に5分のコーナー「とんねるずの見栄講座」をもらったものの、番組内での些細なトラブル(石橋曰く「誤解によるもの」)によって、1984年1月に一旦降板。半年後の同年6月にレギュラーへと復帰している。その後「とんねるずの何でもベストテン」「とんねるずなっわけだぁ!」とコーナーや番組内の放送時間が早まるにつれ人気を集め、翌1984年に放送した同番組の「女子高生スペシャル」の発展形としてスタートした『夕やけニャンニャン』(フジテレビ、1985年 - 1987年)では片岡鶴太郎、吉田照美を脇役に追い立てるほどだった。
その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)『深夜劇場・トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)などレギュラー番組を増やしていく。『とんねるずのオールナイトニッポン』(1986年 - 1992年)では火曜1部を担当し、数々のコーナーを輩出。『トライアングル・ブルー』では、可愛かずみ、川上麻衣子、前田耕陽などと共演する。
またこの頃、『新・ど根性ガエル』(日本テレビ)のテーマ「ピョン吉・ロックンロール」の後にリリースされた「ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト」以来のシングル「一気!」をリリース。その際には、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』でのコーナー「今週のスポットライト」に登場。この出演をきっかけに、深夜番組だけでなく、本格的にとんねるずが世に知られることとなった。同曲は『オールナイトフジ』のコーナーでも毎回歌われ、勢い余ってセットの高所や吊り下げられた照明によじ登ったり、1500万円のテレビカメラを壊すなどの行動や、自ら勝手に「カリスマ芸人」と名乗るなどの行動や言動を見せた。1985年には、「一気!」の人気から断交状態にあった日本テレビが動き、ビートたけし司会の『スーパージョッキー』に歌手としてとんねるずを呼ぶことで、当時の関係者だけが知る「確執の事実上の“手打ち”」となった。この際、ビートたけしととんねるず(特に石橋)はお互いに意識しあい打ち解けるような雰囲気ではなく、緊張感が漂っていたという。後にこの2人は番組で共演することになる。
この当時は『新春かくし芸大会』(フジテレビ)にも出場しており、映画『南極物語』のパロディに、ペンギンの着ぐるみ姿で顔すら判別しにくい状態でセリフなしの数秒のチョイ役出演や、中森明菜と体を張ったカマヌンチャク芸を披露するなどしていた。彼らは不遇な扱いを受けていた頃を皮肉る時に「あの時はペンギンでした」と例にとって挙げることがある。
1980年代、巷でタレントショップブームが巻き起こった際には彼らも、「セシカ」や、当時の番組『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)とのタイアップショップ「バレンタインハウス」を原宿や京都に出店しており、関連グッズをヒットさせた。
女性からの人気も獲得しており、『ザテレビジョン』(角川書店)や『明星』(集英社)などさまざまな雑誌の表紙を飾った。
・安定期(1987年~1995年)
1987年10月『上海紅鯨団が行く』を引き継ぐ形でスタートした『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ制作、フジテレビ系)がヒット。当時IVSテレビ制作で番組の企画・総合演出などをしていた伊藤輝夫(現:テリー伊藤)や後藤喜男と出会ったのがこの時期。一般参加者による集団お見合い形式の企画が好評を得る。今では集団お見合いパーティーそのものが『ねるとんパーティー』と呼ばれることもある。また1986年から火曜ワイドスペシャルで数回特番を行い、1988年10月からは、『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラー放送を開始。番組内では、『仮面ノリダー』『保毛尾田保毛男』などのコントやパロディを披露した。1989年3月のスペシャル時には番組シリーズで過去最高29.5%の視聴率を記録した。更にこの頃には、13本のCM契約もしていた。1991年10月には、『闘牛』『カートグランプリ』『PK対決』などロケ主体のコーナーが人気を得た『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)が開始。1995年には、一時期疎遠状態になっていたTBSでの初のレギュラー番組『ねる様の踏み絵』が開始。1997年3月には『とんねるずのみなさんのおかげです』が完全終了し、同年6月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』と改題し、リニューアルしている。
レギュラー番組をこなしながら、並行して音楽活動にも行い、「情けねえ」「ガラガラヘビがやってくる」をはじめとする曲がヒット。また1995年まで毎年全国コンサートツアーも開催する。1991年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
テレビ、ラジオ、歌、CMなどメディア上での活動の傍らで、1991年から2000年にかけての10年間、苗場プリンスホテルのブリザーディウムにて、とんねるず単独コントライブ「こんと いん なえば」を開催し、一お笑いコンビとして生で客を笑わせることも重視していたが、コンビとしてのコントライブはその後行われていない。
1994年には独立し個人事務所「アライバル」を設立。石橋が社長、木梨が副社長を務めている。当時の事務所に向かっていた途中、六本木・星条旗通りでお互い運転していた車を降り、「独立すればもっと正しい方向に向かう」と考えた石橋が、立ち話で木梨に独立の話を持ちかけた。木梨は「貴明がいいならいいよ。」と二つ返事で了承したというエピソードがある。なお、1980年に就職が決まっていた時期に、石橋が渋谷パルコパート2の2階の喫茶店で「プロでやろうと思うけどどう思う?」と持ちかけた際も、木梨の「貴明がいいならいいよ。」という一言で決まったという。
・転換期(1996年~1999年)
1990年代後半(特に1996年以降)に差し掛かるとピンでの活動が活発になり始める。
木梨は1996年5月、「憲三郎&ジョージ山本」という演歌ユニットでヒットし、同年のNHK紅白歌合戦出場を果たしている。また1998年1月にはドラマ『甘い結婚』(フジテレビ)で個人初主演を果たした。
一方石橋は、1996年10月に初の単独司会によるレギュラー音楽番組『うたばん』(TBS)の放送が始まり、2010年3月までの13年半続いた。また1997年2月に工藤静香とのユニット「Little Kiss」がヒット。1998年7月には三谷幸喜脚本のドラマ『今夜、宇宙の片隅で』(フジテレビ)に主演した。
2人揃っての活動としては、フジテレビの番組スタッフと組んだ音楽ユニット、野猿で1998年4月にデビューし、2001年までCDのリリースやコンサート開催などの活動を展開した。2人が音楽活動で揃うのは1996年にシングル「おまえが欲しい」を発売して以来2年ぶりとなった。
・2000年代
2000年代以降、石橋は得意分野の知識を生かしたレギュラー番組や特番の司会、木梨もレギュラー番組や自身のキャラを生かしたCM出演、お笑いの舞台・絵画の個展を主催するなど、コンビとしてもソロとしても活動の幅を広げている。個人の活動歴に関しては、石橋貴明・木梨憲武を参照のこと。
2000年1月3日には、『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』(テレビ朝日)が、正月番組として開始。番組内ではとんねるずが、一年を通して活躍した話題のプロスポーツ選手を迎えて様々な競技で対決している。10周年を迎えた2009年以降は5時間の特番として放送されている。
2004年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ)内で放送された『笑わず嫌い王決定戦』で、久しぶりにコンビ漫才を披露した。
2004年 - 2007年、木梨は歌・コント・フリートークを交えたソロライブ「NORITAKE GUIDE LIVE」を開催した。
2008年10月、フジテレビの木曜9時枠で冠番組をスタートさせてから丸20周年を迎えた。なお、同枠は1988年10月に『とんねるずのみなさんのおかげです』が正式なレギュラー番組となって以来、途中ドラマ出演による半年間の充電期間や『ラスタとんねるず'94』『とんねるずの本汁でしょう!!』などを挟み、現在放送中の『とんねるずのみなさんのおかげでした』まで続いており、厳密には2009年3月で20周年となる。
2008年9月25日、同年5月から『とんねるずのみなさんのおかげでした』の企画として始動していた「矢島美容室」をDJ OZMAと結成する事を発表し10月29日にデビュー。2人が揃って音楽活動するのは2001年に野猿が解散して以来であり、実に7年半ぶり。CDリリースやライブもさることながら、2010年には当ユニット名義の映画を公開した。
・2010年代
2010年、コンビ結成30周年を迎えた。ちなみに石橋は美空ひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われて以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年以降からカウントすることがある。
2012年3月、木梨は5年ぶりとなるソロライブ「NORITAKE GUIDE 5.0」を開催。最終日には石橋がサプライズ出演し、1995年のコンサートツアー以来のとんねるずとしての客前歌披露を行った。
2012年9月10日、視聴者参加型特別番組『ハレバレとんねるず 略してテレとん』(テレビ東京)が放送される。テレビ東京へのコンビとしての出演は、同じく素人参加番組だった『ドバドバ大爆弾』以来32年ぶりとなり、プロになってからは初めての同局での冠番組となる。
2013年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)が放送25周年を迎える。2013年11月7日の放送では、放送25周年を記念してとんねるずvs矢沢永吉の「新・食わず嫌い王決定戦」特別対決が行われた。
2014年1月14日、『笑っていいとも!』(フジテレビ)放送第8000回目のテレフォンショッキングにて、不定期の番組レギュラー出演することが決定した。自身がメインではない番組でのテレビでのレギュラー番組は『夕やけニャンニャン』の終了時(1987年)以来27年ぶりとなる。またテレフォンショッキングの史上最長記録は1984年以来、長らく黒柳徹子(46分)が最長となっていたが、番組終了を目前にして彼らが48分22秒で更新した。
2017年6月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が単独放送開始20周年を迎える。
2017年9月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が『とんねるずのみなさんのおかげです』『ラスタとんねるず'94』『とんねるずの本汁でしょう!!』時代を含めて放送開始30周年を迎える。
■出演
・現在の出演作品
テレビ番組
レギュラー番組
とんねるずのみなさんのおかげでした(1988年10月 - 、フジテレビ)
スペシャル番組
夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル(2000年1月 - 、テレビ朝日)
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