華原朋美のプロフィール
華原 朋美(かはら ともみ、1974年8月17日 - )は、日本の歌手、タレント、ミュージカル女優。本名、下河原 朋美(しもがわら ともみ)。
東京都江東区生まれ、千葉県浦安市育ち。身長156cm[1]。体重42kg[2]。血液型A型。スリーサイズはB86・W58・H84。愛称は「朋ちゃん」。
代表曲はミリオンセラーを記録した「I’m proud」「I BELIEVE」「Hate tell a lie」など多数。当初のプロデューサー・小室哲哉に申し子として「彼女の声は涙腺を刺激します。天性の声質を持っているアーティストと言っていい。」「愛を歌うことが出来る人」と称された。また、女優・深田恭子、歌手・浜崎あゆみなど後のアーティストにも影響を与えた。
2007年6月以降、芸能活動を長期休業していたが、2012年11月23日、同年12月1日付での旧所属事務所への復帰および、年末の12月5日に「FNS歌謡祭」で5年半ぶりに芸能活動を再開することが、プロダクション尾木から正式発表され、復帰を果たした。[3]
【人物】
四人兄弟の一人娘として生まれる。千葉県の昭和学院小学校卒業後、私立松蔭中学校・高等学校を卒業する。 3歳頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に出場した1992年山形べにばな国体で4位入賞という好成績を修めている。将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級・一般クラス3級)も持っており[1]、NHK衛星第2テレビの大逆転将棋で司会も務めた。 2012年5月普通自動車免許を取得する。
【来歴】
◆グラビアアイドル時代( - 1995年)
中山美穂に憧れ、高校1年(1990年)の時に全日本国民的美少女コンテストに応募。本戦の事前親子面接にて母親が「娘の芸能界入りには反対」と発言したために、本戦には出場できなかった。それから自宅に他の事務所からのスカウトの電話が入ってくるようになり、芸能界入りを強く意識するようになる。高校3年の時、渋谷の吉野家で当時の事務所アバンギャルドにスカウトされ芸能界入り。高校卒業後は、美容師を目指し山野美容専門学校に入るも、芸能界入りを決意し退学した。
1993年から「さんまのナンでもダービー」(テレビ朝日系)でレギュラーアシスタントを務め、テレビ初出演を果たす。雑誌「CanCam」、「ViVi」等でモデルを務める。1993年秋にはMBSラジオ「茶屋町学園」のオーディションを受けるが落選。しかし、このオーディションがきっかけで雑誌「MABU」の巻頭グラビアを飾る。当時の芸名は同事務所の三浦早苗に因んで付けられた三浦 彩香(みうら あやか)を主としていた。
1994年4月、遠峯 ありさ(とおみね ありさ)の芸名を使用開始し、持田かおり(現:持田香織)らが在籍していた黒BUTAオールスターズの第4期生に選抜されるも、すぐに脱退。深夜番組等でアイドルとして活動。当時は毎日のようにオーディションも多数受けていたという。また、カラオケ映像にも出演していた。バラエティ「とんねるずのみなさんのおかげです」のコント「近未来警察072」の女性隊員役のオーディションでは、松嶋菜々子とともに最終選考の2名まで残ったが、身長の低さが原因で落選した。
その後、アイドルとしてバラエティ番組「今田耕司のシブヤ系うらりんご」や「天使のU・B・U・G」等に出演。「天使のU・B・U・G」(1994年10月~1995年3月)にレギュラー出演していた際、視聴していた小室哲哉に見初められ、番組プロデューサを介して小室が当時青山で経営していた店「TJM」に呼ばれたことがきっかけでほどなく小室との交際が始まる。
華原は女優志望だったが、出会って間もない頃に何気なく歌声を聴いた小室は涙を流して感動し「涙腺を刺激する歌声」と称し、歌手デビューが決定(華原が初めて買ったレコードが中山美穂の「50/50」で、奇遇にも小室作曲の作品であった)。また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた週刊誌の記者に対し、小室は「アーティストに手をつけたのではない。恋人に曲を書いてデビューさせただけだ。」と語っている。1995年4月には、小室が手掛けるTV番組TK MUSIC CLAMPのエンディングでTM NETWORKの「Get Wild」を歌っている。
◆小室哲哉プロデュース時代(1995年 - 1998年)
1995年6月、事務所を移籍し、小室のイニシャルと同じT. Kで、なおかつ本名に近い華原朋美に改名。8月には小室が音楽を担当したイメージビデオ「PARADOX」を発売し、フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー’95に選出。そして9月、パイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル・ORUMOK RECORDSの第一弾アーティストとして、シングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。オリコン・シングルチャート最高8位を記録した。翌10月には、2枚目のシングル「I BELIEVE」を発売し、オリコン最高4位を記録。同曲で年末の新人賞を総なめにした。
1996年、3月に3枚目のシングル「I’m proud」を発売。同3月25日付で「I BELIEVE」がミリオンセラーを達成、新人としては異例の快挙となった。「I’m proud」も続いてミリオンセラーを記録、同曲で年間シングルチャート女性ソロアーティスト最高位の8位、年間カラオケリクエスト首位を獲得するなど、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。6月にはファーストアルバム「LOVE BRACE」を発売し、初のオリコン首位を獲得とともに、ファーストアルバムの歴代最高初動売上を記録した(後に宇多田ヒカル、倉木麻衣が更新)。同作は最終的に出荷ベース300万枚を突破するダブルミリオンを記録した。同月、新高輪プリンスホテルで“華原朋美ヒット記念パーティー”を開催。小室やdosらがお祝いに駆けつけ、業界・報道関係者1,000人が出席した。10月には5枚目のシングル「save your dream」を発売し、シングルでは初の首位を獲得。大晦日には「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場し、小室のピアノ演奏で「I’m proud」を歌唱した。
1997年4月、カネボウ化粧品「ブロンズラヴ」のイメージキャラクターに初起用され、タイアップソング「Hate tell a lie」を発売。3週連続首位を獲得し、シングル3作目のミリオンセラーを記録した。6月からはフジテレビ「TK MUSIC CLAMP」3代目のパーソナリティを担当。7月には「LOVE IS ALL MUSIC」、10月には小室との共作詞による「たのしく たのしく やさしくね」、12月には2枚目のアルバム「storytelling」を発売(ミリオンセラー)と、この年発売したCDはいずれも首位を獲得した。同月、香港で開催された「TK GROOVE MUSEUM」に出演し、globe「DEPARTURES」のカバーを披露。「第48回NHK紅白歌合戦」では第2部トップバッターで登場し、小室がギターで飛び入り参加して「Hate tell a lie」を歌唱した。
1998年2月、自身出演のJT「桃の天然水」のCMオンエアがスタートする。6月にはレコード会社をワーナーミュージック・ジャパンに移籍し、桃の天然水のタイアップが付いた11枚目のシングル「tumblin’dice」を発売する。7月にはフジテレビ月9ドラマ「ボーイハント」で主人公の女子大生(演: 観月ありさ)の同級生役としてドラマ初出演。同月、同クールの別のドラマ「ランデヴー」主題歌に起用された「here we are」を発売。11月には3枚目のアルバム「nine cubes」を発売したが、12月に小室と破局を迎える。破局後、3年連続出場となった「第49回NHK紅白歌合戦」では、小室プロデュース最後のシングル曲「daily news」を歌唱した(小室のバック演奏はなし)。
雑誌「JUNON」で“なりたい顔1位”にも選ばれるなど、同性を中心に絶大な支持をされた。安室奈美恵の“アムラー”に対して、華原は“カハラー”と呼ばれ、“平成のシンデレラ”などとも呼称された。ハローキティ再流行のきっかけ(当時、サンリオ社長も華原朋美効果を認めた)や、牛丼の「つゆだく」、CMで“ヒューヒュー”のフレーズが強調された「桃の天然水」が年間1,600万ケースを売り上げる商品となるなど、ブームリーダーにもなった。
◆所属事務所移籍後(1999年 - 2001年)
1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。この時、初めて年明けから休養していたことと小室との破局が報じられる。翌2月、休養中に初のベストアルバム「kahala compilation」を発売し、首位を獲得。5月、芸能事務所をプロダクション尾木に移籍し、新聞社向け限定の復帰会見を行うが、わずか一週間後に自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院。翌6月17日、御殿場市の乗馬クラブ・アルカディアで不完全なまま2度目の復帰会見を行った。
同年7月には初のファンクラブ・Pretty Eyeを発足し、復帰シングル「as A person」を発売、オリコン6位を記録した。全国4都市でPRイベントを開催し、「ミュージックステーション」を皮切りに8ヶ月ぶりにテレビ復帰した。11月には全曲自身作詞で松浦勝人プロデュースによるアルバム「One Fine Day」を発売し、オリコン初登場7位を記録。初のファンイベントも開催した。しかし、翌2000年早々に再び「100%の自分を取り戻す」ために無期限休養に入り、カナダへ留学する。
同2000年1月、休養中に初のフォト&エッセイ集「未来を信じて」を発表。7月、カナダから一時帰国中に日本テレビ「進ぬ!電波少年」から全米デビュー企画のオファーを受け出演。翌8月から「進ぬ!電波少年 ~華原朋美の電波少年的全米デビューへの道~」のオンエアがスタート。洗車場でのアルバイト、自炊生活、クラブでのステージ、ボイスレッスンなど経験を積む。翌2001年1月、セリーヌ・ディオンやダイアナ・キングなどを手がけるアンディ・マーベル(Andy Marvel)プロデュースのオーディションに合格し、全米デビューへの切符を掴む。アンディのコンピレーションアルバムに華原歌唱の「NEVER SAY NEVER」が収録されたが、CDは未発売。翌2月、約8ヶ月ぶりに日本へ帰国し、SHIBUYA-AXで凱旋ライブを開催した。
◆本業以外の活動開始(2001年 - 2004年)
凱旋帰国後の2001年、4月に復帰シングル「Never Say Never」を発売し、オリコン初登場10位を記録。7月にはフォト&エッセイ集第2弾「苦あり楽あり ~未来を信じて Part2~」を発売し、初の握手会を開催した。8月にはイン・シンクなどを手がけるヴィンセント・ディジョルジオ(Vincent Degiorgio)プロデュースによる「PRECIOUS」を発売し、デビュー7年目にして初の単独ツアーとなった「TOMOMI KAHALA FIRST LIVE 2001 ~待っててくれてアリガトウ~」を開催した。10月からはレギュラーラジオ番組の文化放送「華原朋美のLIPS PARTY 21.jp」がスタート(年末まで)。11月には5枚目のアルバム「Love Again」を発売し、“DJ Tomo”名義で発売記念DJイベントを開催。12月には雑誌「プチセブン」で連載されていた自身脚本の漫画「SHOWIZ」を発売し、二度目の握手会を実施した。この年から本格的にバラエティ番組へも出演し始める。
2002年、NHK総合テレビの公開収録番組「にっぽん愉快家族」でコロッケと司会を担当し、4月に番組がスタート。同月、自身出演のポッカ缶コーヒーCMソング「あきらめましょう」を発売。7月にはベストアルバム「Natural Breeze ~KAHALA BEST 1998-2002~」を発売し、翌8月からホールツアー「Tomomi Kahala Concert Tour 2002 "Natural Breeze"」を開催。4年ぶり4度目の返り咲き出場を果たした「第53回NHK紅白歌合戦」ではZONEがバックバンドで参加し、「あきらめましょう」を歌唱した。
2003年、「クレヨンしんちゃん」原作者の臼井儀人と華原がお互いファンであることから、テレビアニメ「クレヨンしんちゃん」のオープニングテーマを担当することになり、2月に「PLEASURE」を発売。4月にはNHK教育テレビのドラマ愛の詩「パパ・トールド・ミー ~大切な君へ~」で約5年ぶりにドラマ復帰し、「にっぽん愉快家族」と並行して収録を行う多忙な日々を送る。同4月、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」(映画シリーズ第11弾)で自身モチーフのアイドル歌手・トモちゃん役で声優に初挑戦し、試写会に出席。10月には「にっぽん愉快家族」で共演するコロッケからのラブコールで誕生した朋ちゃん&コロッケとしてデュエット・シングル「ありがとね!」を発売。12月には自身初のディナーショーを開催し、2年連続5度目の出場となった「第54回NHK紅白歌合戦」では、“華原朋美 with コロッケ”として「ありがとね!」を歌唱した。
2004年、3月からドラマ出演が続き、9月には時代劇「水戸黄門」の第33部最終回2時間スペシャルにSAYAKA、MEGUMIと助っ人出演。凄腕の娘剣士役で殺陣に初挑戦し、得意の馬術も披露した。本業では2月にクアラルンプールで開催された「J-ASEAN POPS」に出演し、「I BELIEVE」を歌唱。5月からは3度目のコンサートツアーを開催。同年8月にはレコード会社をユニバーサルシグマのA&Mレコードレーベルに移籍し、自身のローマ字表記を“Kahara”に変え、30歳の誕生日を迎えた。翌9月、K-POPバラード「君さえいれば」を日本語詞でカバーした「あなたがいれば」を発売、オリコン16週連続ロングチャートインを記録した。11月にはフジテレビ「僕らの音楽」に出演し、原曲者であるカン・ヒョンミンとのデュエットが実現。同曲で「第46回日本レコード大賞」金賞を受賞、8年ぶりにレコード大賞のステージにカムバックを果たした。
◆デビュー10周年(2005年 - 2006年)
デビュー10周年を迎えた2005年、5月に過去の失恋を歌った「涙の続き」を発売し、6月に10周年記念となる6枚目のアルバム「NAKED」を発売。ジャケットでタイトル通りの背中を大胆に見せたセミヌードを披露した。同6月から10周年記念コンサートツアー「10th Anniversary Celebration 華原朋美 Concert 2005」を開催。8月には「赤毛のアン」主人公アン役でミュージカルデビュー。9月からはフジテレビ「新堂本兄弟」に深田恭子らとレギュラー出演。12月には初の写真集「Crystallize」を発売し、セミヌードを披露した。同じく2005年、パチンコ機「CR華原朋美とみなしごハッチ」(フィールズ)でキャラクターものとしてパチンコ機化。
2006年2月、「桃の天然水」の発売10周年を記念した復刻版のイメージキャラクターに8年ぶりに再起用され、対比CMのオンエアがスタート。同月、イメージソングを収録した初の両A面シングル「華/Keep On Running」を発売。春には櫻井翔主演のミュージカル「ビューティフルゲーム」に出演。7月には中島みゆきの書き下ろしによる「あのさよならにさよならを」を発売。以前から憧れていた中島作品を歌いたいとの華原の熱望に、中島も快諾して楽曲提供が実現した。8月には2年連続でミュージカル「赤毛のアン」に主演(翌年は療養のため降板)。12月には松任谷由実の楽曲のみで構成された異例の“ユーミン”ソング・ミュージカル「ガールフレンズ」に主演。公演中に急性気管支炎と急性声帯炎を併発し一部を休演する事態となるも復帰し、映像化されたDVDでは復帰した回の模様が収録された。またこの年だけで3本の舞台に出演し、ミュージカル女優としての活動を本格化させていた。
◆所属事務所との契約解除・芸能界長期活動休止へ(2007年 - 2011年)
年末の気管支炎の影響から2007年年明けから4月いっぱいまで自宅療養し、3度目の休養に入る。5月に仕事再開、翌6月から本格復帰していたが、6月29日、所属事務所のプロダクション尾木が6月28日付で専属契約の解除を発表。事務所側は「突然の仕事キャンセル等が続き予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、これ以上芸能活動を支えることは不可能」と判断[4]。公式ファンクラブも6月29日付で解散し、事務所の意向を受け所属レコード会社のユニバーサルミュージックとの契約も28日付で終了した。3ヶ月後の同年9月20日にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白し、今は完全に完治し健康である事を綴っていた[5]。しかし、マスコミで報道された直後の9月29日に、わずか9日間でブログは突然閉鎖された。
翌2008年7月10日、東京ミッドタウンで開かれたパーティに出席。「年内には復帰したい」と語ったものの、それから約半年後の2009年1月17日、急性薬物中毒で倒れ病院に緊急搬送されてしまう[6]。医師から処方された精神安定剤を多く所持しており、「大量服用による薬物中毒」と報道されていた。 翌2010年8月29日にも、新宿・歌舞伎町でタクシー乗車中に意識もうろうとなり、救急車で病院に搬送されたと報道された[7]。後のテレビ番組の取材で、見かねた家族が2010年夏に閉鎖病棟に強制入院させ、3ヶ月間過ごしたことを明かした[8]。退院後は父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めでボランティア活動に従事。現地の孤児院で子供の世話などをした[9]。
◆芸能活動再開(2012年 - )
2011年、自身の誕生日である8月17日に、兄[10]のブログで現在の姿と海外で自分磨きをしていることを報告した。同年10月30日付のブログで再びメッセージを掲載し、年内に帰国して復帰に向けて準備することを報告した[11]。帰国後は兄が経営する介護施設を手伝いながら、ボイストレーニングに通い、旧所属事務所の尾木徹社長宛にカラオケで録音したデモテープを送るなどして復帰に向けて動いた[8]。翌2012年7月11日付のブログにも「朋美は復帰に向けて様々なことを楽しんでいます。もうすぐこのブログも卒業だね」等の記事が掲載されていた[12]。そして9月頃から旧所属事務所との交渉の結果、同年12月1日付でプロダクション尾木との再契約および、復帰後初ステージがフジテレビ系「FNS歌謡祭」への出演となることが発表された[3]。
2012年12月5日、「2012 FNS歌謡祭」に生出演し、「I’m proud」を歌唱。5年半ぶりに復帰を果たし、大きな話題を呼ぶ[13]。同年12月24日にはライブイベント「MUSIC FOR ALL,ALL FOR ONE」に出演し、約6年ぶりにライブステージにも復帰した。
2013年、2月にユニバーサルミュージックと再契約し、4月に「レ・ミゼラブル」の劇中曲「夢やぶれて」の日本語カバーで7年ぶりとなったシングル「夢やぶれて -I DREAMED A DREAM-」を発売。6月にはセルフカバー・ベストアルバム「DREAM -Self Cover Best-」を発売し、6年ぶりにオフィシャルファンクラブ“DREAM”を開設した[14]。11月には「DREAM」のロングセールスを記念して、完全生産限定のプレミアム・エディション盤を発売することが発表された。また同月、7年ぶりの単独ライブとなる“DREAM ~TOMOMI KAHARA CONCERT 2013~”(追加含む3公演)を開催予定。
【受賞歴】
◆音楽賞
1995年
第28回日本有線大賞 新人賞、最優秀新人賞 - 「I BELIEVE」
第28回全日本有線放送大賞 最優秀新人賞 - 「I BELIEVE」
第37回日本レコード大賞 新人賞 - 「I BELIEVE」
1996年
第10回日本ゴールドディスク大賞 ベスト5ニュー・アーティスト賞
第29回日本有線大賞 有線音楽優秀賞
第29回全日本有線放送大賞 読売テレビ・ゴールドアーティスト賞
第38回日本レコード大賞 優秀作品賞 - 「I’m proud」
1997年
第11回日本ゴールドディスク大賞 ベスト5アーティスト賞
第30回日本有線大賞 有線音楽優秀賞 - 「Hate tell a lie」
第30回全日本有線放送大賞 読売テレビ・特別賞 - 「Hate tell a lie」
1998年
第12回日本ゴールドディスク大賞 ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー - 「storytelling」
2004年
第46回日本レコード大賞 金賞 - 「あなたがいれば」
◆その他
1995年
フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー’95 - 「PARADOX」
2005年
第3回全納連・納豆クイーン
【ディスコグラフィ】
◆シングル
1:keep yourself alive
2:I BELIEVE
3:I’m proud
4:LOVE BRACE
5:save your dream
6:Hate tell a lie
7:LOVE IS ALL MUSIC
8:たのしく たのしく やさしくね
9:I WANNA GO
10:YOU DON’T GIVE UP
11:tumblin’dice
12:here we are
13:daily news
14:as A person
15:be honest
16:Believe In Future ~真夜中のシンデレラ~
17:Blue Sky
18:Never Say Never
19:PRECIOUS
20:あなたのかけら
21:あきらめましょう
22:PLEASURE
23:あなたがいれば
24:涙の続き
25:華/Keep On Running
26:あのさよならにさよならを
27:夢やぶれて -I DREAMED A DREAM-
◆アルバム
・オリジナルアルバム
1:LOVE BRACE
2:storytelling
3:nine cubes
4:One Fine Day
5:Love Again
6:NAKED
・ベストアルバム
kahala compilation
Best Selection
Natural Breeze ~KAHALA BEST 1998-2002~
Super Best Singles ~10th Anniversary~
DREAM -Self Cover Best-
DREAM -Self Cover Best- Premium Edition
◆その他
・企画シングル
YOU ARE THE ONE / TK PRESENTS こねっと
ありがとね! / 朋ちゃん&コロッケ
・コーラス参加CD
BABY’S GROWING UP / 内田有紀
BRAND NEW TOMORROW / trf
MUSIC TAKES ME HIGHER / globe
You’re my sunshine / 安室奈美恵
REMEMbER ME? / 木根尚登
Close to the night / 木根尚登
・アナログ
save your dream - 非売品
Tears Don’t Lie - 非売品
I BELIEVE 2004 - 12inch mix
・ミュージカル関係
サウンド・オブ・ミュージック(レガシー・エディション リミテッド・ジャパニーズ・ヴァージョン)- オリジナルサウンドトラック
サウンド・オブ・ミュージック <ファミリー・バージョン>(2006年5月26日) - DVD
ユーミンソング・ミュージカル「ガールフレンズ」(2007年3月28日) - DVD
◆書籍
・単著
未来を信じて(2000年1月27日、ワニブックス)ISBN 4-84-701329-8 - 初のフォト& エッセイ集
苦あり楽あり―未来を信じて〈Part2〉(2001年7月25日、ワニブックス)ISBN 4-84-701397-2
・共著
吉永記子「ショウビズ」(2001年12月、小学館)ISBN 4-09-398011-X - プチセブンに連載されていた華原朋美原作コミックの単行本化
・写真集
Crystallize(2005年12月17日、ワニブックス、撮影:藤代冥砂)ISBN 4-84-702906-2 -
華原朋美BOX CrystallizeII(2006年3月27日、ワニブックス、撮影:藤代冥砂)ISBN 4-84-702912-7 - 写真集& DVD・限定プレミアムBOX 予約受注制
【出演】
◆CM
日本オラクル 企業イメージ(1995年秋) - 小室哲哉と出演
「登場 篇」
「keep yourself alive 篇」
ミナミスポーツ「’96 JOY OF SPORTS」(1996年)
TBC東京ビューティセンター「the レディーエステティックTBC」(1996年春) - 小室哲哉と出演
DDIポケット(現・ウィルコム)(1996年夏)
ロッテチョコレート「紗々」(1996年秋)
カネボウ化粧品(1997年 - 1998年)
「REVUE / ブロンズラヴ」(1997年4 - 6月)
「REVUE エステクチュール ジェルファンデーション」(1997年9 - 11月)
「REVUE エステクチュール ジェルファンデーション クール」(1998年4 - 6月)
NTTPCコミュニケーションズ 「インフォスフィア」(1997年12月 - 1998年3月)
明治乳業「フォレット とろけるプリン」(1998年春)
JTハーフタイム「桃の天然水」(1998年2月 - 1999年3月)
「バスローブ 篇」
「ベッド 篇」
「ボクサー 篇」
「浴衣 篇」
「スーパーマーケット 篇」
「桃の日 篇」
「ブティック 篇」
資生堂オービット「化粧惑星 SUN BLOCK」(2001年5月)
ローソン弁当キャンペーン「駅名ダジャレシリーズ」(2001年6 - 9月) - 桂三枝(現・六代目桂文枝)らと共演
JRA(2001年秋) - ユースケ・サンタマリアとナレーション出演
ポッカ缶コーヒー「FIRST DRIP BLACK」(2002年4 - 5月)
FIELDS「CR華原朋美とみなしごハッチ」(2004年12月)
日清食品(2005年)
「日清焼きそば」(2005年2月)
「やきそばできました。」(2005年4月) - 北海道地区限定
コーセー(2005年 - 2006年)
「清肌晶 ムースクレンジングオイル」(2005年4 - 6月) - 「舞妓 篇」
「清肌晶 パーフェクトクリアジェル」(2005年6 - 8月) - 「演歌 篇」
TU-KAホン関西 「プリケイ」(2005年) - 関西地区限定
JT Miss Parlor(2006年)
「桃の天然水 復刻版」(2006年2 - 3月) - 「ヒュー ヒュー!復活 篇」
「りんごの天然水」(2006年8月) - 「桃の天然水& りんごの天然水 篇」
au(KDDI/沖縄セルラー電話)「MNP・大満足キャンペーン」(2006年)
「替える理由“無期限くりこし(華原朋美)” 篇」(2006年9 - 10月) - 仲間由紀恵と共演
「端末ラインナップ 篇」(2006年) - 速水もこみち、榮倉奈々、大沢あかね、いとうせいこうと共演
・その他のイメージキャラクター
フジボウアパレル「KANGOLジーンズ」(2006年) - ポスター・雑誌広告
コーセーボディ用美容液「スタイリス」(2006年) - ポスター・WEBサイト・雑誌広告
◆テレビ
フジテレビ「TK MUSIC CLAMP」(1997年6月 - 1998年4月) - 3代目パーソナリティー
日本テレビ「進ぬ!電波少年 ~華原朋美の電波少年的全米デビューへの道~」(2000年8月 - 2001年2月)
NHK総合テレビ「にっぽん愉快家族」(2002年4月 - 2005年3月) - コロッケと司会
フジテレビ「新堂本兄弟」(2005年9月 - 2007年6月頃) - 深田恭子らとレギュラー出演
NHK衛星第2テレビ「大逆転将棋」(2002~2006年) - パーソナリティー
毎日放送「情熱大陸」(2013年8月18日)
◆ドラマ
フジテレビ月9ドラマ「ボーイハント」(1998年7月6日 - 9月21日) - 屋祖島エリカ 役
NHK教育テレビドラマ愛の詩「パパ・トールド・ミー ~大切な君へ~」(2003年4月12日 - 6月28日) - 的場百合子 役
TBS月曜ミステリー劇場「棟居刑事シリーズ3・棟居刑事の“追跡”」(2004年3月8日) - 日下真里子 役
テレビ朝日金曜ナイトドラマ「霊感バスガイド事件簿」第1話「しのび泣く木」(2004年4月16日 - 6月18日) - 春田のぞみ 役
TBSナショナル劇場「水戸黄門 ~第33部最終回秋の2時間スペシャル~」(2004年9月20日) - 古頭棗 役
TBS月曜ミステリー劇場「棟居刑事シリーズ4・棟居刑事の“復讐”」(2004年12月20日) - 日下真里子 役
TBS「和田アキ子 特別企画ドラマ ザ・介護番長」(2005年4月7日) - こずえ 役
◆アニメーション映画
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード(2003年4月公開、東宝) - アイドル歌手・トモちゃん役
◆ラジオ
BAY-FM「CATCH A BRANDNEW」(1996年7月 - 1999年1月)
文化放送「華原朋美のLIPS PARTY 21.jp」(2001年10 - 12月)
◆コンサート
TOMOMI KAHALA FIRST LIVE TOUR 2001 ~待っててくれてアリガトウ~(2001年8月) - 6箇所
Tomomi Kahala Concert Tour 2002 “Natural Breeze”(2002年8~9月、追加公演11月) - 13箇所
TOMOMI KAHARA CONCERT 2004(2004年5~6月、9~10月) - 7箇所
華原朋美コンサート2005(2005年3月)
10th Anniversary Celebration 華原朋美 Concert 2005(前半:2005年6~7月、後半:9~11月及び2006年2月) - 15箇所
華原朋美コンサート2006(2006年9月)
DREAM ~TOMOMI KAHARA CONCERT 2013~(2013年11月予定、追加公演同月) - 3箇所予定
◆ディナーショー
Tomomi Kahala Dinner Show(2003年12月 - 2004年1月) - 2箇所
Tomomi Kahara Summer Dinner Show(2004年8月) - 2箇所
Tomomi Kahara Christmas Dinner Show 2004(2004年12月) - 2箇所
Tomomi Kahara Christmas Dinner Show 2005(2005年12月) - 5箇所)
華原朋美 NEW YEAR LIVE 2006(2006年1月)
Tomomi Kahara Christmas Dinner Show 2006 ~華やかに艶やかに~(2006年12月) - 3箇所
◆ミュージカル
赤毛のアン(2005年8月、全国) - 主人公アン・シャーリー役
ザ・ビューティフル・ゲーム(2006年3 - 4月、東京・大阪) - クリスティーン・ワーナー役
赤毛のアン(2006年8月、全国) - 主人公アン・シャーリー役
ユーミンソング・ミュージカル“ガールフレンズ” - (2006年12月1 - 26日、東京銀座博品館劇場) - ヒロイン真理子役
◆「NHK紅白歌合戦」出場歴
第47回(1996年) - 「I’m proud」(ピアノ:小室哲哉)
第48回(1997年) - 「Hate tell a lie」(ギター:小室哲哉)
第49回(1998年) - 「daily news」
第53回(2002年) - 「あきらめましょう」(バックバンド:ZONE)
第54回(2003年) - 「ありがとね!」(コロッケとデュエット。CDは朋ちゃん&コロッケ名義でリリースされている)
【脚注】
[1]フォト&エッセイ集「未来を信じて」より
[2]華原朋美「一般の方はシビア」 復帰すぐチェックしたネットの評判2013年1月13日スポーツニッポンより
[3]華原朋美 5年半振りに芸能界復帰 - デイリースポーツ 2012年11月24日
[4]華原朋美 専属契約解除のご報告~(プロダクション尾木)より
[5]華原朋美ブログ(アメーバブログ)より
[6]華原朋美さんが急性薬物中毒? 体調不良、救急車で運ばれる - MSN産経ニュース 2009/1/19[リンク切れ]
[7]華原朋美…薬物に依存か、過去にも搬送歴、日刊スポーツ2010-8-29(2010-8-29閲覧)
[8]2012年12月7日オンエア「情報プレゼンター とくダネ!」などフジテレビの密着取材映像より
[9]“フィリピンの孤児院で子供の世話し人間的に成長した華原朋美”. 週刊ポスト. 2012年12月28日閲覧。
[10]下河原忠道。株式会社「シルバーウッド」代表。住宅の設計施工や新工法開発特許販売、高齢者向け賃貸住宅の経営などを行っている。
[11]華原朋美、芸能界復帰へ意欲「本当に元気になりました」サーチナ2011-10-31(同日閲覧)
[12]華原朋美、兄のブログで芸能界復帰示唆デイリースポーツ2012-7-12(同日閲覧)
[13]華原朋美5年ぶり復帰 目潤ませ「I’m proud」生披露 - スポーツニッポン 2012年12月5日
[14]華原朋美 Official Fan Site “DREAM"(スマートフォンのみ対応)
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