【障害のある人の仕事・第2回】アートを仕事にする福祉施設「PICFA」が軌道に乗るまで
2024.08.27 09:30
提供:ママスタ☆セレクト
前回からの続き。障害のある方がアートを通して仕事をする福祉施設「PICFA」。第2回では、PICFAの具体的な取り組み内容や、現在のような活動に至るまでの経緯について、PICFA施設長の原田啓之さんに詳しくお伺いしました。原田さんの行動力と熱意、そして障害のある方への深い愛情が伝わってくるお話です。
――PICFAでは、具体的にどのような取り組みをされているのでしょうか?
PICFA施設長 原田啓之さん(以下、原田さん):PICFAでは、利用者さんたちが自由に絵を描いたり、作品を制作したりすることで賃金を得ています。
描いた絵の原画やデータの販売、企業から依頼されるデザインの仕事、ライブペイントなど、活動は多岐に渡ります。たとえば、福岡ソフトバンクホークスさんの応援グッズや、LAWSONさんのコーヒーカップのデザイン、からあげクンのデザインなども手掛けました。
――なぜアートという分野を選ばれたのですか?
原田さん:僕が大学時代に療育のアルバイトをしていたとき、障害のある子どもたちの多くが絵を描くことが好きだったんです。好きなことをするときの彼らは集中力も高く、普段は5分とじっとできない人でも、絵を描くことや何かを作ることが好きな人は3〜4時間座って黙々と作業をしていることもありました。言葉の発達の遅れから、視覚効果が有効な方は自分がご飯を食べたいときに、言葉や文字はなかなか出ないけれど、絵で伝える子もいたんです。
この経験から、彼らは好きなことであれば、楽しく続けることができる。また、健常者が押し付けで何かをやらせるのではなく、自分で決定して自由に行うことができるアートには彼らの才能を開花させ、仕事に繋げる可能性があると感じました。
――アートを障害者の仕事にするという取り組みは大変だったのではないでしょうか?
原田さん:「そんな施設、できるわけない」最初は、そんな風に言われることばかりでした。障害者のアートを企業が使うことも、福祉施設の施設職員が企業へ赴き営業をするという概念もまだ一般的ではなかったんですよね、「寄付をしてほしい」「イベントの協賛になってほしい」というようなお願いをすることはあっても、「仕事をください」とお願いすることなんて考えられなかったんです。
それでも僕は諦めませんでした。企業の社長室にアポなしで突撃して、「5分だけ時間をください!」と直談判しました。なかには、僕の熱意に押されて話を聞いてくれる社長さんもいて、「面白いじゃないか」「応援するよ」と言ってくださる方もいました。
――障害者のアートをどのように仕事に繋げていったのですか?
原田さん:今となっては恥ずかしいんですが……(笑)。最初は、原画販売のできる仕組みを作れていなかったので木工で製作したCDラックを作って販売してました。100個ずつ作って段ボールに詰めて、飛び込みで話を聞いてくれた社長さんのところに、次の日に持っていったんです。最初は「こんなのいらないよ」と言われましたが、「今は売れるものがこれしかない」と説明して、売れたらそのお金で画材などを買いたいと話をすると笑って全部買い取ってくれたんです。そのときの僕は領収書というものすら知らなくて、呆れられてしまいましたが……。
結局、その会社さんから年賀状のデザインを発注いただけることになりました。その年賀状に「施設名と担当者名と電話番号、『お仕事がある方はご連絡ください』と書いておきなさい」と言ってくれて。その会社は大手企業にもたくさん年賀状を送っていたんです。年賀状を広告代わりにして、僕たちの名前も広めてくださったんですね。
その後、年賀状を受け取った有名企業から僕に電話が来て、販促用のカタログの表紙の絵を描いてほしいと依頼があったんです。見積書にいくらの金額を書けばよいのか分からず、今度は有名デザイン事務所に押しかけて相談しました。クリエイティブな企業は、「面白い人が来た」みたいに、そういうことを歓迎してくれるんですよね。結果、「見積書には30万円と書いとけ」と言われ、震える手でFAXを送ったのを覚えています。こうやって経済って回るんだな、価値を伝えて対価を決めていくって面白いなと、そのときに学びました。
それからも地道に飛び込みの営業を続け、少しずつ応援してくれる人が増えていきました。
今でこそ、障害者のアートにも対価が支払われることが当たり前になってきましたが、当時は本当に前例のないことばかりでした。
編集後記:
原田さんの行動力に本当に驚かされました。「障害者のアートを仕事にする」という強い信念を持ち、諦めずに挑戦し続ける原田さんの信念が、少しずつ環境を変えていったんですね。第3回では、障害のある方、そしてそのご家族がより良く生きるために、原田さんが伝えたいメッセージについてお伺いします。
※取材は2024年6月に行いました。記事の内容は取材時時点のものです。
【インタビューをもっと読む】バスケットボール・河村勇輝選手、EXILEのメンバー、そのほか専門家多数
取材、文・nakamon 編集・しらたまよ
アートを収入につなげるPICFAの活動
――PICFAでは、具体的にどのような取り組みをされているのでしょうか?
PICFA施設長 原田啓之さん(以下、原田さん):PICFAでは、利用者さんたちが自由に絵を描いたり、作品を制作したりすることで賃金を得ています。
描いた絵の原画やデータの販売、企業から依頼されるデザインの仕事、ライブペイントなど、活動は多岐に渡ります。たとえば、福岡ソフトバンクホークスさんの応援グッズや、LAWSONさんのコーヒーカップのデザイン、からあげクンのデザインなども手掛けました。
――なぜアートという分野を選ばれたのですか?
原田さん:僕が大学時代に療育のアルバイトをしていたとき、障害のある子どもたちの多くが絵を描くことが好きだったんです。好きなことをするときの彼らは集中力も高く、普段は5分とじっとできない人でも、絵を描くことや何かを作ることが好きな人は3〜4時間座って黙々と作業をしていることもありました。言葉の発達の遅れから、視覚効果が有効な方は自分がご飯を食べたいときに、言葉や文字はなかなか出ないけれど、絵で伝える子もいたんです。
この経験から、彼らは好きなことであれば、楽しく続けることができる。また、健常者が押し付けで何かをやらせるのではなく、自分で決定して自由に行うことができるアートには彼らの才能を開花させ、仕事に繋げる可能性があると感じました。
「そんな施設、できるわけない」から始まった、前例のない挑戦
――アートを障害者の仕事にするという取り組みは大変だったのではないでしょうか?
原田さん:「そんな施設、できるわけない」最初は、そんな風に言われることばかりでした。障害者のアートを企業が使うことも、福祉施設の施設職員が企業へ赴き営業をするという概念もまだ一般的ではなかったんですよね、「寄付をしてほしい」「イベントの協賛になってほしい」というようなお願いをすることはあっても、「仕事をください」とお願いすることなんて考えられなかったんです。
それでも僕は諦めませんでした。企業の社長室にアポなしで突撃して、「5分だけ時間をください!」と直談判しました。なかには、僕の熱意に押されて話を聞いてくれる社長さんもいて、「面白いじゃないか」「応援するよ」と言ってくださる方もいました。
――障害者のアートをどのように仕事に繋げていったのですか?
原田さん:今となっては恥ずかしいんですが……(笑)。最初は、原画販売のできる仕組みを作れていなかったので木工で製作したCDラックを作って販売してました。100個ずつ作って段ボールに詰めて、飛び込みで話を聞いてくれた社長さんのところに、次の日に持っていったんです。最初は「こんなのいらないよ」と言われましたが、「今は売れるものがこれしかない」と説明して、売れたらそのお金で画材などを買いたいと話をすると笑って全部買い取ってくれたんです。そのときの僕は領収書というものすら知らなくて、呆れられてしまいましたが……。
結局、その会社さんから年賀状のデザインを発注いただけることになりました。その年賀状に「施設名と担当者名と電話番号、『お仕事がある方はご連絡ください』と書いておきなさい」と言ってくれて。その会社は大手企業にもたくさん年賀状を送っていたんです。年賀状を広告代わりにして、僕たちの名前も広めてくださったんですね。
その後、年賀状を受け取った有名企業から僕に電話が来て、販促用のカタログの表紙の絵を描いてほしいと依頼があったんです。見積書にいくらの金額を書けばよいのか分からず、今度は有名デザイン事務所に押しかけて相談しました。クリエイティブな企業は、「面白い人が来た」みたいに、そういうことを歓迎してくれるんですよね。結果、「見積書には30万円と書いとけ」と言われ、震える手でFAXを送ったのを覚えています。こうやって経済って回るんだな、価値を伝えて対価を決めていくって面白いなと、そのときに学びました。
それからも地道に飛び込みの営業を続け、少しずつ応援してくれる人が増えていきました。
今でこそ、障害者のアートにも対価が支払われることが当たり前になってきましたが、当時は本当に前例のないことばかりでした。
編集後記:
原田さんの行動力に本当に驚かされました。「障害者のアートを仕事にする」という強い信念を持ち、諦めずに挑戦し続ける原田さんの信念が、少しずつ環境を変えていったんですね。第3回では、障害のある方、そしてそのご家族がより良く生きるために、原田さんが伝えたいメッセージについてお伺いします。
※取材は2024年6月に行いました。記事の内容は取材時時点のものです。
【インタビューをもっと読む】バスケットボール・河村勇輝選手、EXILEのメンバー、そのほか専門家多数
取材、文・nakamon 編集・しらたまよ
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