大阪から成り上がった次世代ギャル・華って何者?異色の経歴とクレバーな素顔<モデルプレスインタビュー>
2019.12.30 08:00
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12月25日に1stフォトブック「華ギャル」を発売したギャルモデルの華(はな/20)が、モデルプレスのインタビューに応じた。
同作は、20歳を迎えた華の姿を、地元・大阪や都内のスタジオで撮影した完全撮りおろし写真集。自身が「ギャルの見本、先生」と語る母親とのロングインタビューも掲載されており、華が今日に至るまでのストーリーが惜しみなく語られている。
華は中学を卒業後、美容の専門学校に入学。同時に大阪・心斎橋OPA内のセレクトショップで販売員として働き始め、異例の若さで店長・バイヤーまで経験。その後、雑誌「小悪魔ageha」でモデルとしても活躍し、現在は若い世代を中心に“次世代ギャルのカリスマ”として高い人気を誇っている。
今回のインタビューでは写真集に込められた思いや見どころ、彼女のこれまでの生い立ちに迫った。
華:今回は自分で制作者さんやいろんなカメラマンさん、コーディネートしてくださるスタイリストさんとか、みんなと力を合わせて作った1冊なので、私の個性やセンス、自分らしさを一番出せた場所かなと思って、すごく今感動しています。たくさん撮影期間がかかったし、雑誌とは違って全部自分じゃないですか(笑)。だから変な感じではありますね。自分の本…「え?」みたいな。だけど発売が楽しみです。
― オファーを受けたのはいつ頃ですか?
華:半年以上前、私のDM(ダイレクトメッセージ)に出版社さんから声をかけていただいていて、最初「なんの話?」みたいな。まだフォロワー数も10万人くらいしかいなかったし、「本出すって書くことあるかな?」とか思っていたんです。最初ちょっと不審じゃないですか?DMからだと(笑)。事務所じゃなく私に直接だったので、とりあえずどういう会社なのか大人に調べてもらったら、知っている方も本を出しているような会社だったので、じゃあ出したいと思って。「出る前に成長しとかなきゃ」「発売して格好悪くない自分でいなきゃな」と思っていました。
華:上京してからもう2年経つんですけど、それまでずっと関西に住んでいたんですね。15歳の頃から仕事もプライベートも過ごしてきた大阪の中心であるミナミ(難波)・心斎橋は青春が一番詰まった場所でもあります。当時は、「1番目立っていたい!」というのがあって“若さ”と“自分の負けず嫌い”と“イケイケ感”で、大阪ジャックしてやろうと思って(笑)。アホみたいな目立つことしかしていなかったですね。
― 思い出に残っている撮影場所やエピソードがあれば教えて下さい。
華:そうですね。主に心斎橋とかありきたりなところ、グリコの看板とかでは撮ってなくて。フォロワーの層が9割ぐらいまだ関西なんですよ。だから地元のみんなだからこそ見てわかるような場所で撮っています。あとは、私が実際そこで育ってきたから思い出に浸りながらというか。
ひっかけ橋(戎橋)というミナミを代表する道があるんですけど、そこの結構大きい看板とかのモデルのお仕事もさせてもらっていたので、そこのドセンターで仁王立ちして写真を撮り続けましたね。しかも夜のネオン街になった時間に撮っていたので、かなり見られるし、指さされるし、「いたね」ってめっちゃDMきました(笑)。そこが1番思い出深いですね。
華:今回、私の一番好きな世界観を作り込んでもらったなと思うのが、一番カット数も多いランジェリーっぽい衣装に髪の毛も“爆盛り”で蝶々や花をつけて、ファーを羽織っているページ。フォトブック発売が決まったときにInstagramに投稿した写真でもあるんですけど、やっぱり“自分らしさ”と“ギャルっぽさ”があって一番気に入っています!一つひとつの撮影で髪型も変えてもらっているから、その辺とかも気付いてもらえたらなと思います。
― 撮影に向けてトレーニングなどはされていましたか?
華:そうですね。もともとパーソナルジムに通っていて、トレーナーさんに毎回イベントとか撮影がある前に「この日までにこうしたい」というのを伝えて、それに向けて筋トレの方法を変えてもらうんですけど、特別大事な撮影だったので「写真集を出すので」と言ったら「買うよ」と言ってくれて、「そのためにケツトレだね!」って(笑)。お尻はぺたんとしているよりも下着だったらボリュームがあるほうがかっこいいなと思ったので、お尻が毎日めちゃめちゃ筋肉痛でした(笑)。
― 今のスタイルをキープするために気をつけていることはありますか?
華:人として当たり前のことってあまりできている人がいないなって思っていて。例えば、お金をかけずお家で半身浴をすることがどんなにエステに通うことよりも体にいいとか、睡眠をちゃんと取るとか、野菜を摂って、朝昼晩ちゃんとした食事をちゃんと噛んで食べるとか。やっぱりエステとか運動とかジムも大事だと思うんですけど、衣食住をきちんと守ることですかね。健康第一なんで。
華:(写真集の発売を)お母さんが1番喜んでくれて、絶対的信頼のあるお母さんに1番に見せたいというのもあったし、やっぱり自慢の母というかギャルになったきっかけもお母さんだったので。お母さんも「あんたは私の作品だからね!」って感じだったから「確かにね!」と思って。逆に嬉しいし、厳しいことも言われたけど、それを苦に感じたことはなくて。言っていることが正しいこともわかっていたし、「そんな私のお母さんを見て」って気分で(笑)。
― 小さい頃からギャルに目覚めたと聞いたのですが、お母様の影響も?
華:可愛いと思うものが9割型派手なものだったので、それがギャルなのかどうかは正直わかってなかったんですよね。ギャルっていう単語もいつから使い始めたのかもあんまり覚えてないです。特に、お母さんがトータルビューティー系の職業だったので、まつエクとかの練習台にされたり。中学校とかにもバレない程度に地まつに近いまつ毛をいかに付けて行くかみたいな。「あれ?今日なんかまつげ濃くない?」みたいに言われたときは、「いや、そんなことない」とか言ってめっちゃ擦って、めっちゃ抜く(笑)。
爪もギリギリバレない感じでネイルされていたんですけど、髪の毛は大人になってからじゃないと傷むからみたいな感じでされなかったですね。中学校2年生のときには、すでに眉毛も目も口もアートメイクとかを入れていたので、本当のすっぴん、生まれたての状態は中2まで(笑)。それを考えたら私ってめっちゃギャルだなって思って、そんな感じでした。なんでもありでしたね。
華:そうです。中学校を卒業して、美容系の専門学校に通い出した15歳の時からアルバイトで働き始めました。そのときから仕事が好きすぎて夏休みとかも休みゼロでほとんどそこに入り浸っていました(笑)。もともと親がそのショップの顧客で服もいっぱい持っていて、店長にスカウトされて入ったんですよ。学校が2年制だったので卒業してすぐ社員になって、店頭に立って気づいたら本気になっていましたね(笑)。
― そこから店長にもなられたということですが、どのタイミングで店長になったんですか?
華:17歳になったぐらいのとき。やっぱり大阪なんで接客命なんですよ。めちゃくちゃ喋らないと売れない。1日平均でも、1人の個人売上10万以上売らなきゃいけないときにレディースの服って2900円とか単価がめちゃめちゃ安いので大変で。商品自体は本当に可愛かったし、自分でもいいと思っておすすめしていたので、売れる快感に溺れていったというか。「売っちゃった」という感じで楽しかったですね。
― アパレル時代の経験でモデル業に活かされていることはありますか?
華:そうですね。当時、海外インポート物を扱っていたので、ファッションに関しては本当に詳しくなりました。週に1回、店のプロデューサーと店長とスタッフでファッション会というのがあって、本当に1年後の話をしていたりとかしていて。つい最近とかはFENDIのズッカ柄が流行ってましたよね。
それもかなり前からヴィンテージで取り扱っていたりとかするので、やっぱりファッションの勉強にもなるし、店長としてはスタッフを育てる力であったり。納品さばいてレイアウトを変えたり、ボディ着替えさせたり…全てが勉強になりましたね。
― 順風満帆だったアパレル時代から、芸能界に入ろうと思ったきっかけは何ですか?
華:例えば「シャネル」の服って、みんな「シャネル」っていうブランドの名前を知っているから買うじゃないですか。それと一緒で拡散する力、知名度とか自分の認知度でこんなにも売れるんだってことを肌で感じたんです。当時、大阪にいたときからもうインスタには2、3万人くらいフォロワーはいました。
ただただ日々の生活を投稿していただけだったんですけど、それで会いに来てくれるファンの子たちが服を買ってくれたりして。「あ~自分でブランドやりたい」って思って上京したんですけど、それよりも先に自分が若いうちにできること、ただただ遊んで仕事バリバリやるんじゃなくて、生き方から改めて、コンプライアンスというか(笑)、ミナミの女感を消して、ちょっと東京っぽくしてたくさんの人に愛されることで、もっと多くの人が私の言っていることに耳を傾けてくれるんじゃないかなって。将来何をするにも芸能活動をしておいた方が良いんじゃないかと思ってやっていくうちに、この仕事のやりがいや楽しさに気付きましたね。
華:「小悪魔ageha」は本当に小学校ぐらいから読んでいて、超憧れの雑誌だったのでスカウトされたときは「きたー!」みたいな感じだったんですけど、世界観であったりファッションを作り込むのがすごい好きだったから、編集長とかに「こういう企画どうですか?」とか相談に乗ってもらっているうちに編集部に入ることになって。一緒に雑誌を作るっていう立場になったときにモデル兼編集部だったから、モデルとして忘れられてないかとか、自分よりも他のモデルさんを大きく特集してあげるとか、人を自分以上に可愛く見せてあげたりとかしてて。
やっぱり人を可愛くしたり、可愛いものを作るのが大好きでも、そのときまだ18歳とかだったので嫉妬もあったし、悔しいからこそ、「頑張って雑誌を良くすることで私が良くなるんだな」と思いながら頑張ってましたね。でも、そのときかなりしんどかったかな。すごい切羽詰まっていました。ラフ描いて、モデルさんたちの香盤表作って。どんだけ頑張っても、もらえるページは数ページだったりしてすごく悔しかった。でも最終号では私のページが組まれていたり、私が作ったページじゃなくてもカット数も多くて好きなカットランキングでも上位になれたから、やりがいあったなと思います。かなり成長しました。
― 2019年5月、残念ながら「小悪魔ageha」が休刊。そこから苦労したことや大変だったことはありますか?
華:「小悪魔ageha」自体がなくなったことは確かに悲しいことだったんですけど、ある意味一つの夢が叶って自分でもかなりいいところまで成長できたなって気持ち的に思っていたので、あまり「うわ、やばい、どうしよう、私いなくなっちゃう」みたいな気持ちはなくて。
当時、「小悪魔ageha」だけでやっていた同年代の子たちは「どうしよう、お仕事ない」っていう状況だったと思うんですけど、私は雑誌を作る側もやっていたし、SNSでフォロワーを増やすことだったり、自己ブランディングも得意だったので、「小悪魔ageha」って言う縛りがなくなったら、逆に仕事が増えて(笑)。このフォトブックも(「小悪魔ageha」を)辞めてからお話が来ましたし、すごい色んなドレスブランドさんとかアパレルとか、めっちゃ仕事が来て「あ、モデルで生きていけんじゃん」って。
最初はモデルは趣味ぐらいが良かったんですよ。「小悪魔ageha」も趣味でやって、「さっさとアパレル行きたいな」とか思っていたんですけど、そこからガチで毎日撮影の日々になりましたね。
華:やっぱり自己発信とは言え、ちゃんとモデルっていう肩書きをもらったと同時に、人に見られる立場をわきまえようって思い始めてから増えたかなって。今までは「おいしかった、楽しかった、おやすみ」って感じだったのが、「みんなも明日体に気を付けてね!」とか、みんなに「ここおすすめだよ」とか私を何の目的で見てくれているか、ただ「楽しそう、可愛い、キラキラしてる」じゃなくて、私を見ることによってメリットがあるって思わせたいし、マネしたいって思われたほうが憧れに繋がる。
そこからコアなファンの方が増えるようになりましたね。写真が大優先だったとしてもその中の文、内容をすごいギャルっぽく書くんですよ。やっぱりキャラもあるし(笑)。だけどすごい伝わるようにというか、「誤字脱字ないように、でも伝わるように」とか。思っていることとか、そのときの心境とか書くようにはしていますね。
― 「小悪魔ageha」休刊後、さらにファンが増えた感覚はありますか?
華:そうですね。やっぱりフォロワーもフォトブック発売までに20万人にしようと決めていて、それはやっぱり20歳っていう節目で2020年だし、「20良くね?」って。20ってきりがいいし。まだ10代だったからというのもあるんですけど、結構私、吸収というか成長スピードが自分でも早いと思っていて、田舎から出てきたのもあると思うんですけど、すべてが新しく見えるんですよ。
東京にいると。だから、「え!こんなことあるんだ」とか逆に「東京に住んでいる子たちはこんなのが目の前にあるのになんでこれしないの?」というのが多くて、毎日新しいものを取り入れていたら、結構雪だるま方式でフォロワーも増えるし、1日100人だったのが200人、300人、今では1日1000人とか増える日もあるし、目でわかる自分の成長ってSNSなんですよね。だから「華ちゃんすごいね」って思ってほしいから、成長過程を暇さえあれば投稿するって感じです。正直、自己満ですよね(笑)。
― これまでもずっとギャル一筋の華さんにとって「ギャル」はどんな存在ですか?
華:強くて、個性を持っていて、芯のあるマインド。私自身が「人と同じが嫌い」とか「普通が嫌」っていう考えで。「絶対このつけまで、絶対このチークで」とか超しょうもないことだけど、その曲げない気持ちがギャルの子にはみんなあると思っていて。見た目が派手というよりかは「私はこうなんだ」っていう芯があるのがギャルだなって思います。
― 先輩ギャルとして今を生きているギャルたちに伝えたいことはありますか?
華:ギャルって派手だから後ろ指指されるし、今までのギャルはもっとたぶん激しかったから「ギャルきた!」って言われる。でもそれに負けずに自分が本当に可愛いとか、好きって思うことを貫いて法に触れない程度に頑張ってほしい(笑)。私も「周りに迷惑をかけない程度に派手に生きる」をモットーにしてるんで(笑)。迷惑かけちゃダメですよね。
― ギャルの先輩・ゆきぽよさんともすごい仲が良いですが、華さんにとってゆきぽよさんはどのような存在ですか?
華:3つくらい年上のお姉さんのギャルの先輩なんですけど、本当に段違いというか、もちろんギャルで憧れている部分もありますし、もともと14、15歳くらいのときに流行ったVine(動画配信サービス)っていうアプリでゆきぽよさんが話題になっていたときから知ってたんですよ。でも、関コレかなんかのときに向こうから声かけてくださって。会ったこともないのに「華ちゃんだよね!インスタ見てるよ!」って。「インスタやってて良かった」「ギャルやってて良かった」ってめっちゃ思いました(笑)。
私にそうやって声をかけてくださって、人を見下したりもしないし、自分がすごいとも言わないし、謙虚で優しくて人間性がすごい勉強になります。聞き上手だし、やっぱり年齢関係なく経験値だなって。人としてももちろん好きだし一緒にいても楽しいって部分もあるけど、この人といて「吸収したい」「学びたい」って思うから「お誕生日祝わせてください!」とか、私から連絡しますね。だからこそ、もらってばっかりじゃダメだなって思うからすごい感謝しています。人として良すぎてダメなところがないんですよ。尊敬+大好きですね(笑)。
先輩だから私は気を遣うけど、ラフに接してくれるんですよね。「プリクラ撮りに行こうよ」とか「華ちゃんセンスいいから家具選んでくれない?」とか(笑)。普通私だったら頼るのは嫌だっていうプライドがあるんですけど、すごい好かれる理由がわかるっていうか、ゆきぽよさんを怖いって言う後輩はいないですね。でも礼儀とかはやっぱりギャルなんで厳しいところはあります(笑)。
― これまで色々と努力されて、夢を叶えてきたと思うのですが、同年代のモデルプレス読者に、華さんが今思う、夢を叶える秘訣を教えてください。
華:私よく紙に書くんですよ。超小さいことから大きいことまで大雑把に、明日から、来週から、来月、来年のことまで書いて1個ずつ×つけてって、クリアするためにどうしたらいいか、小さいことだったら簡単にわかると思っていて。「何月までにこれをしたいからいくら貯める」とか「こういうものに出たいからそのためにこういう自分になっておこう」っていう小さいことを地道にコツコツとしていくことですかね。「華ちゃんになるにはどうしたらいいですか?」っていう質問とかも結構来るんですけど、こうなるまでの経緯を私だったら調べるんですよ。
憧れのモデルさんは私の年齢のとき何をしていたんだろうとか、めっちゃ生い立ちとか探るんですよ。Wikipediaで(笑)。大阪にいる子たちから「急にすごい変わったね」って言われるんですけど、そうでもなくてテレビもそんなに経験ないし、ネット番組も出たわけでもないのでバズったというよりかは本当にコツコツ自分が正しいと思う方向を選んでちょっとずつ頑張ってみたいな感じで今があります。失敗を恐れることはないって言うけど、失敗はしたくないじゃないですか。だからちょっとずつ慎重に選んで、1個ずつ叶えていくほうがいいかなって。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
中学を卒業後、美容の専門学校へ入学し、その後大阪・心斎橋OPA内のセレクトショップで働き始める。18歳の頃には、雑誌「小悪魔ageha」のモデルとして活躍。現在も若い世代を中心に人気を集め、“次世代カリスマギャル”として注目を浴びている。
華は中学を卒業後、美容の専門学校に入学。同時に大阪・心斎橋OPA内のセレクトショップで販売員として働き始め、異例の若さで店長・バイヤーまで経験。その後、雑誌「小悪魔ageha」でモデルとしても活躍し、現在は若い世代を中心に“次世代ギャルのカリスマ”として高い人気を誇っている。
今回のインタビューでは写真集に込められた思いや見どころ、彼女のこれまでの生い立ちに迫った。
華、写真集発売のきっかけは“出版社からのDM”
― 写真集発売おめでとうございます。実際に出来上がりを見た感想はいかがですか?華:今回は自分で制作者さんやいろんなカメラマンさん、コーディネートしてくださるスタイリストさんとか、みんなと力を合わせて作った1冊なので、私の個性やセンス、自分らしさを一番出せた場所かなと思って、すごく今感動しています。たくさん撮影期間がかかったし、雑誌とは違って全部自分じゃないですか(笑)。だから変な感じではありますね。自分の本…「え?」みたいな。だけど発売が楽しみです。
― オファーを受けたのはいつ頃ですか?
華:半年以上前、私のDM(ダイレクトメッセージ)に出版社さんから声をかけていただいていて、最初「なんの話?」みたいな。まだフォロワー数も10万人くらいしかいなかったし、「本出すって書くことあるかな?」とか思っていたんです。最初ちょっと不審じゃないですか?DMからだと(笑)。事務所じゃなく私に直接だったので、とりあえずどういう会社なのか大人に調べてもらったら、知っている方も本を出しているような会社だったので、じゃあ出したいと思って。「出る前に成長しとかなきゃ」「発売して格好悪くない自分でいなきゃな」と思っていました。
“青春の地”大阪・ミナミでの撮影
― 今回、地元の大阪でも撮影をされたと伺いました。地元での撮影を選ばれた理由はありますか?華:上京してからもう2年経つんですけど、それまでずっと関西に住んでいたんですね。15歳の頃から仕事もプライベートも過ごしてきた大阪の中心であるミナミ(難波)・心斎橋は青春が一番詰まった場所でもあります。当時は、「1番目立っていたい!」というのがあって“若さ”と“自分の負けず嫌い”と“イケイケ感”で、大阪ジャックしてやろうと思って(笑)。アホみたいな目立つことしかしていなかったですね。
― 思い出に残っている撮影場所やエピソードがあれば教えて下さい。
華:そうですね。主に心斎橋とかありきたりなところ、グリコの看板とかでは撮ってなくて。フォロワーの層が9割ぐらいまだ関西なんですよ。だから地元のみんなだからこそ見てわかるような場所で撮っています。あとは、私が実際そこで育ってきたから思い出に浸りながらというか。
ひっかけ橋(戎橋)というミナミを代表する道があるんですけど、そこの結構大きい看板とかのモデルのお仕事もさせてもらっていたので、そこのドセンターで仁王立ちして写真を撮り続けましたね。しかも夜のネオン街になった時間に撮っていたので、かなり見られるし、指さされるし、「いたね」ってめっちゃDMきました(笑)。そこが1番思い出深いですね。
華、スタイルキープの秘訣は“衣食住を守ること”
― 今回写真集の中で注目してほしいカットはありますか?華:今回、私の一番好きな世界観を作り込んでもらったなと思うのが、一番カット数も多いランジェリーっぽい衣装に髪の毛も“爆盛り”で蝶々や花をつけて、ファーを羽織っているページ。フォトブック発売が決まったときにInstagramに投稿した写真でもあるんですけど、やっぱり“自分らしさ”と“ギャルっぽさ”があって一番気に入っています!一つひとつの撮影で髪型も変えてもらっているから、その辺とかも気付いてもらえたらなと思います。
― 撮影に向けてトレーニングなどはされていましたか?
華:そうですね。もともとパーソナルジムに通っていて、トレーナーさんに毎回イベントとか撮影がある前に「この日までにこうしたい」というのを伝えて、それに向けて筋トレの方法を変えてもらうんですけど、特別大事な撮影だったので「写真集を出すので」と言ったら「買うよ」と言ってくれて、「そのためにケツトレだね!」って(笑)。お尻はぺたんとしているよりも下着だったらボリュームがあるほうがかっこいいなと思ったので、お尻が毎日めちゃめちゃ筋肉痛でした(笑)。
― 今のスタイルをキープするために気をつけていることはありますか?
華:人として当たり前のことってあまりできている人がいないなって思っていて。例えば、お金をかけずお家で半身浴をすることがどんなにエステに通うことよりも体にいいとか、睡眠をちゃんと取るとか、野菜を摂って、朝昼晩ちゃんとした食事をちゃんと噛んで食べるとか。やっぱりエステとか運動とかジムも大事だと思うんですけど、衣食住をきちんと守ることですかね。健康第一なんで。
“本当のすっぴんは中2まで”お母さんに受けたギャルの英才教育
― 写真集の中で、“ギャルの先生”と呼んでいるお母様との対談もありますね。今回対談を実施されたきっかけは?華:(写真集の発売を)お母さんが1番喜んでくれて、絶対的信頼のあるお母さんに1番に見せたいというのもあったし、やっぱり自慢の母というかギャルになったきっかけもお母さんだったので。お母さんも「あんたは私の作品だからね!」って感じだったから「確かにね!」と思って。逆に嬉しいし、厳しいことも言われたけど、それを苦に感じたことはなくて。言っていることが正しいこともわかっていたし、「そんな私のお母さんを見て」って気分で(笑)。
― 小さい頃からギャルに目覚めたと聞いたのですが、お母様の影響も?
華:可愛いと思うものが9割型派手なものだったので、それがギャルなのかどうかは正直わかってなかったんですよね。ギャルっていう単語もいつから使い始めたのかもあんまり覚えてないです。特に、お母さんがトータルビューティー系の職業だったので、まつエクとかの練習台にされたり。中学校とかにもバレない程度に地まつに近いまつ毛をいかに付けて行くかみたいな。「あれ?今日なんかまつげ濃くない?」みたいに言われたときは、「いや、そんなことない」とか言ってめっちゃ擦って、めっちゃ抜く(笑)。
爪もギリギリバレない感じでネイルされていたんですけど、髪の毛は大人になってからじゃないと傷むからみたいな感じでされなかったですね。中学校2年生のときには、すでに眉毛も目も口もアートメイクとかを入れていたので、本当のすっぴん、生まれたての状態は中2まで(笑)。それを考えたら私ってめっちゃギャルだなって思って、そんな感じでした。なんでもありでしたね。
アパレル販売員からモデルデビューまでの道のり
― その後の歩みについても伺っていきます。モデルになる前は地元のセレクトショップで販売員をされていたんですよね。華:そうです。中学校を卒業して、美容系の専門学校に通い出した15歳の時からアルバイトで働き始めました。そのときから仕事が好きすぎて夏休みとかも休みゼロでほとんどそこに入り浸っていました(笑)。もともと親がそのショップの顧客で服もいっぱい持っていて、店長にスカウトされて入ったんですよ。学校が2年制だったので卒業してすぐ社員になって、店頭に立って気づいたら本気になっていましたね(笑)。
― そこから店長にもなられたということですが、どのタイミングで店長になったんですか?
華:17歳になったぐらいのとき。やっぱり大阪なんで接客命なんですよ。めちゃくちゃ喋らないと売れない。1日平均でも、1人の個人売上10万以上売らなきゃいけないときにレディースの服って2900円とか単価がめちゃめちゃ安いので大変で。商品自体は本当に可愛かったし、自分でもいいと思っておすすめしていたので、売れる快感に溺れていったというか。「売っちゃった」という感じで楽しかったですね。
― アパレル時代の経験でモデル業に活かされていることはありますか?
華:そうですね。当時、海外インポート物を扱っていたので、ファッションに関しては本当に詳しくなりました。週に1回、店のプロデューサーと店長とスタッフでファッション会というのがあって、本当に1年後の話をしていたりとかしていて。つい最近とかはFENDIのズッカ柄が流行ってましたよね。
それもかなり前からヴィンテージで取り扱っていたりとかするので、やっぱりファッションの勉強にもなるし、店長としてはスタッフを育てる力であったり。納品さばいてレイアウトを変えたり、ボディ着替えさせたり…全てが勉強になりましたね。
― 順風満帆だったアパレル時代から、芸能界に入ろうと思ったきっかけは何ですか?
華:例えば「シャネル」の服って、みんな「シャネル」っていうブランドの名前を知っているから買うじゃないですか。それと一緒で拡散する力、知名度とか自分の認知度でこんなにも売れるんだってことを肌で感じたんです。当時、大阪にいたときからもうインスタには2、3万人くらいフォロワーはいました。
ただただ日々の生活を投稿していただけだったんですけど、それで会いに来てくれるファンの子たちが服を買ってくれたりして。「あ~自分でブランドやりたい」って思って上京したんですけど、それよりも先に自分が若いうちにできること、ただただ遊んで仕事バリバリやるんじゃなくて、生き方から改めて、コンプライアンスというか(笑)、ミナミの女感を消して、ちょっと東京っぽくしてたくさんの人に愛されることで、もっと多くの人が私の言っていることに耳を傾けてくれるんじゃないかなって。将来何をするにも芸能活動をしておいた方が良いんじゃないかと思ってやっていくうちに、この仕事のやりがいや楽しさに気付きましたね。
「小悪魔ageha」時代、苦悩を乗り越えられた理由とは
― そうして、「小悪魔ageha」のモデルに。当時を振り返って挫折したエピソードなどがあれば教えて下さい。華:「小悪魔ageha」は本当に小学校ぐらいから読んでいて、超憧れの雑誌だったのでスカウトされたときは「きたー!」みたいな感じだったんですけど、世界観であったりファッションを作り込むのがすごい好きだったから、編集長とかに「こういう企画どうですか?」とか相談に乗ってもらっているうちに編集部に入ることになって。一緒に雑誌を作るっていう立場になったときにモデル兼編集部だったから、モデルとして忘れられてないかとか、自分よりも他のモデルさんを大きく特集してあげるとか、人を自分以上に可愛く見せてあげたりとかしてて。
やっぱり人を可愛くしたり、可愛いものを作るのが大好きでも、そのときまだ18歳とかだったので嫉妬もあったし、悔しいからこそ、「頑張って雑誌を良くすることで私が良くなるんだな」と思いながら頑張ってましたね。でも、そのときかなりしんどかったかな。すごい切羽詰まっていました。ラフ描いて、モデルさんたちの香盤表作って。どんだけ頑張っても、もらえるページは数ページだったりしてすごく悔しかった。でも最終号では私のページが組まれていたり、私が作ったページじゃなくてもカット数も多くて好きなカットランキングでも上位になれたから、やりがいあったなと思います。かなり成長しました。
― 2019年5月、残念ながら「小悪魔ageha」が休刊。そこから苦労したことや大変だったことはありますか?
華:「小悪魔ageha」自体がなくなったことは確かに悲しいことだったんですけど、ある意味一つの夢が叶って自分でもかなりいいところまで成長できたなって気持ち的に思っていたので、あまり「うわ、やばい、どうしよう、私いなくなっちゃう」みたいな気持ちはなくて。
当時、「小悪魔ageha」だけでやっていた同年代の子たちは「どうしよう、お仕事ない」っていう状況だったと思うんですけど、私は雑誌を作る側もやっていたし、SNSでフォロワーを増やすことだったり、自己ブランディングも得意だったので、「小悪魔ageha」って言う縛りがなくなったら、逆に仕事が増えて(笑)。このフォトブックも(「小悪魔ageha」を)辞めてからお話が来ましたし、すごい色んなドレスブランドさんとかアパレルとか、めっちゃ仕事が来て「あ、モデルで生きていけんじゃん」って。
最初はモデルは趣味ぐらいが良かったんですよ。「小悪魔ageha」も趣味でやって、「さっさとアパレル行きたいな」とか思っていたんですけど、そこからガチで毎日撮影の日々になりましたね。
“華流”SNSを通じた自己ブランディングの成功法
― フォロワーを増やすためのコツは?華:やっぱり自己発信とは言え、ちゃんとモデルっていう肩書きをもらったと同時に、人に見られる立場をわきまえようって思い始めてから増えたかなって。今までは「おいしかった、楽しかった、おやすみ」って感じだったのが、「みんなも明日体に気を付けてね!」とか、みんなに「ここおすすめだよ」とか私を何の目的で見てくれているか、ただ「楽しそう、可愛い、キラキラしてる」じゃなくて、私を見ることによってメリットがあるって思わせたいし、マネしたいって思われたほうが憧れに繋がる。
そこからコアなファンの方が増えるようになりましたね。写真が大優先だったとしてもその中の文、内容をすごいギャルっぽく書くんですよ。やっぱりキャラもあるし(笑)。だけどすごい伝わるようにというか、「誤字脱字ないように、でも伝わるように」とか。思っていることとか、そのときの心境とか書くようにはしていますね。
― 「小悪魔ageha」休刊後、さらにファンが増えた感覚はありますか?
華:そうですね。やっぱりフォロワーもフォトブック発売までに20万人にしようと決めていて、それはやっぱり20歳っていう節目で2020年だし、「20良くね?」って。20ってきりがいいし。まだ10代だったからというのもあるんですけど、結構私、吸収というか成長スピードが自分でも早いと思っていて、田舎から出てきたのもあると思うんですけど、すべてが新しく見えるんですよ。
東京にいると。だから、「え!こんなことあるんだ」とか逆に「東京に住んでいる子たちはこんなのが目の前にあるのになんでこれしないの?」というのが多くて、毎日新しいものを取り入れていたら、結構雪だるま方式でフォロワーも増えるし、1日100人だったのが200人、300人、今では1日1000人とか増える日もあるし、目でわかる自分の成長ってSNSなんですよね。だから「華ちゃんすごいね」って思ってほしいから、成長過程を暇さえあれば投稿するって感じです。正直、自己満ですよね(笑)。
― これまでもずっとギャル一筋の華さんにとって「ギャル」はどんな存在ですか?
華:強くて、個性を持っていて、芯のあるマインド。私自身が「人と同じが嫌い」とか「普通が嫌」っていう考えで。「絶対このつけまで、絶対このチークで」とか超しょうもないことだけど、その曲げない気持ちがギャルの子にはみんなあると思っていて。見た目が派手というよりかは「私はこうなんだ」っていう芯があるのがギャルだなって思います。
― 先輩ギャルとして今を生きているギャルたちに伝えたいことはありますか?
華:ギャルって派手だから後ろ指指されるし、今までのギャルはもっとたぶん激しかったから「ギャルきた!」って言われる。でもそれに負けずに自分が本当に可愛いとか、好きって思うことを貫いて法に触れない程度に頑張ってほしい(笑)。私も「周りに迷惑をかけない程度に派手に生きる」をモットーにしてるんで(笑)。迷惑かけちゃダメですよね。
― ギャルの先輩・ゆきぽよさんともすごい仲が良いですが、華さんにとってゆきぽよさんはどのような存在ですか?
華:3つくらい年上のお姉さんのギャルの先輩なんですけど、本当に段違いというか、もちろんギャルで憧れている部分もありますし、もともと14、15歳くらいのときに流行ったVine(動画配信サービス)っていうアプリでゆきぽよさんが話題になっていたときから知ってたんですよ。でも、関コレかなんかのときに向こうから声かけてくださって。会ったこともないのに「華ちゃんだよね!インスタ見てるよ!」って。「インスタやってて良かった」「ギャルやってて良かった」ってめっちゃ思いました(笑)。
私にそうやって声をかけてくださって、人を見下したりもしないし、自分がすごいとも言わないし、謙虚で優しくて人間性がすごい勉強になります。聞き上手だし、やっぱり年齢関係なく経験値だなって。人としてももちろん好きだし一緒にいても楽しいって部分もあるけど、この人といて「吸収したい」「学びたい」って思うから「お誕生日祝わせてください!」とか、私から連絡しますね。だからこそ、もらってばっかりじゃダメだなって思うからすごい感謝しています。人として良すぎてダメなところがないんですよ。尊敬+大好きですね(笑)。
先輩だから私は気を遣うけど、ラフに接してくれるんですよね。「プリクラ撮りに行こうよ」とか「華ちゃんセンスいいから家具選んでくれない?」とか(笑)。普通私だったら頼るのは嫌だっていうプライドがあるんですけど、すごい好かれる理由がわかるっていうか、ゆきぽよさんを怖いって言う後輩はいないですね。でも礼儀とかはやっぱりギャルなんで厳しいところはあります(笑)。
― これまで色々と努力されて、夢を叶えてきたと思うのですが、同年代のモデルプレス読者に、華さんが今思う、夢を叶える秘訣を教えてください。
華:私よく紙に書くんですよ。超小さいことから大きいことまで大雑把に、明日から、来週から、来月、来年のことまで書いて1個ずつ×つけてって、クリアするためにどうしたらいいか、小さいことだったら簡単にわかると思っていて。「何月までにこれをしたいからいくら貯める」とか「こういうものに出たいからそのためにこういう自分になっておこう」っていう小さいことを地道にコツコツとしていくことですかね。「華ちゃんになるにはどうしたらいいですか?」っていう質問とかも結構来るんですけど、こうなるまでの経緯を私だったら調べるんですよ。
憧れのモデルさんは私の年齢のとき何をしていたんだろうとか、めっちゃ生い立ちとか探るんですよ。Wikipediaで(笑)。大阪にいる子たちから「急にすごい変わったね」って言われるんですけど、そうでもなくてテレビもそんなに経験ないし、ネット番組も出たわけでもないのでバズったというよりかは本当にコツコツ自分が正しいと思う方向を選んでちょっとずつ頑張ってみたいな感じで今があります。失敗を恐れることはないって言うけど、失敗はしたくないじゃないですか。だからちょっとずつ慎重に選んで、1個ずつ叶えていくほうがいいかなって。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
大阪から成り上がった次世代ギャル・華さんからモデルプレス読者にメッセージ💞@hana87hana1029 #華ギャル
— モデルプレス (@modelpress) 2019年12月30日
🔻生い立ちに迫るインタビュー&撮り下ろしショットhttps://t.co/peAC761siC pic.twitter.com/hxpiTA3M6N
華プロフィール
大阪府出身、1999年10月29日生まれの20歳。中学を卒業後、美容の専門学校へ入学し、その後大阪・心斎橋OPA内のセレクトショップで働き始める。18歳の頃には、雑誌「小悪魔ageha」のモデルとして活躍。現在も若い世代を中心に人気を集め、“次世代カリスマギャル”として注目を浴びている。
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