中野友加里(C)モデルプレス

<元フィギュア・中野友加里インタビュー>フジテレビ退社後に描く未来・9年間の会社員生活で得たもの―高橋大輔の復帰、今のスケーター達をどう見ている?

2019.04.01 08:00

元フィギュアスケート選手の中野友加里(なかの・ゆかり/33)がモデルプレスのインタビューに応じた。回転が速く美しいドーナツスピンやトリプルアクセルを武器に、2005年にはNHK杯で優勝、2008年の世界選手権で4位など輝かしい成績を収めたが、あと一歩のところでトリノ五輪、バンクーバー五輪の代表入りを逃し、2010年に現役を引退。引退後は約9年間フジテレビに勤務したが、3月末をもって退社。今後は、妻・母として家族を支えつつ、審判員など新たな活動にも力を入れていくという。今回のインタビューでは、スケートを離れ会社員になって得たもの、スケートのジャッジをする立場になって見えてきたことなど、現役時代のエピソードを交えながらたっぷりと語ってもらった。

中野友加里、フジテレビ退社の決め手は“子どもたちの存在”

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― 先日、9年間勤務されたフジテレビを退社することを発表されました。まずは退社を決めた経緯からお聞かせ下さい。

中野:実は、2人目を産む前までは「絶対に復職してまた仕事をやりたい」と思っていたんです。それくらい、働くことが大好きでした。でも、いざ2人目を産んで2人育児をしてみると、想像以上に大変でした。これで仕事復帰するとなると、私はパンクしてしまうんじゃないか、全部を100%でやろうとすると何かができなくなってしまうんじゃないかと感じたので、夫とも相談して退職を決断しました。

― 具体的に退社を考え始めたのは、2人目のお子さんが生まれてからだったんですね。

中野:そうですね。2人目が生まれてから、最初のうちはとにかく毎日が大変で…。世の中の働いているお母さんに失礼かもしれませんが、生きることに精一杯という感じで、毎日毎日「今日も生き抜いた!」みたいな感覚(笑)。その状況でも働くことはできると思うんですけれども、そうすると子どもと向き合う時間が減ってしまう。子どもの成長はものすごく早いので、幼い子どもたちには今しか出会えない。子どもの成長過程をしっかりと見ていきたいという思いが強くなりました。

― 退社を伝えた時の周囲の反応はいかがでしたか。

中野:びっくりされた方が多かったです。私が仕事に打ち込んでいたので、またすぐに復職してバリバリ働くんだろうと思っていた、という方が多かったんですが、「本当に9年間お疲れ様でした。一緒にお仕事できて楽しかったです」と声をかけてくださる方や、「優秀な社員でした」と言ってくださる方もいらっしゃって本当に嬉しかったです。わずか9年間だったんですけれども、フジテレビの中でお仕事できて本当に良かったなと思っています。

― 9年前、フィギュアスケート一色だった人生から、全く知らない世界に飛び込むという決断は容易ではなかったと思います。

中野:最初は本当に大変な毎日で、プライドがズタズタになりました(笑)。21年間、フィギュアスケーターとして人生を送ってきて、あの広い会場の中、たった1人で観客の方の視線を一身に集めるスポーツ競技は数少ないと思うんです。表舞台で戦っていた中でいきなり裏の仕事というか真反対な世界に移って、お弁当や差し入れの発注など簡単な仕事から始まったんですけれど、最初の3ヶ月くらいは業界用語が全くわからなくて、先輩から言われたことを一生懸命メモするんですけど、そのメモした内容がよくわからない(笑)。何から手を付けていいのかもわからなくて、パニックでした。

― 9年間を振り返って、一番印象に残っていることはなんですか?

中野:いろいろありましたが、大きなイベントとしては2つあります。1つは『踊る大捜査線THE FINAL』にAP(アシスタントプロデューサー)として携わらせていただけたこと。先輩に楯突いてはいけないですけれど、プロデューサーと喧嘩したこともありました(笑)。でもすごく仲が深まりましたし、公開した時のあの達成感は忘れられないですね。長いスパンで撮影をして編集をして宣伝活動をして、本当に大変な日々だったんですが、社を背負っていると言っても過言ではないくらい大きな作品に携わることができて、良い人生経験になりました。

そして2つめは、選手時代には残念ながら行けなかったオリンピックに記者として行かせていただいたことです。これもフジテレビに入社していなかったら叶わなかったかもしれません。そう思うと感慨深いですし、良い取材ができて良かったと思います。

中野友加里、現役引退後にスケートから離れた理由

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― 現役引退後、スケートに関連した道へ進む方が多い中で一度スケートから離れたのはなぜですか?

中野:元々いつかは辞めなくてはいけない、という思いがありました。プロスケーターやコーチという道もありましたが、プロになってもいつかは滑れなくなってしまうし、現役の頃と比べてしまう自分が嫌なんです。見ている方にも劣化していくであろう私をお見せしなければならないと思うと、プロはないかなと思いました。

コーチにいたっては、私自身が元から才能があったわけではなく、とにかく練習だけはサボらず積み重ねて結果を出してきたタイプだったので、たぶん生徒さんにも同じことを押しつけてしまう可能性があるんですよね。今、それは育児でも学んでいます。

― 自分と同じレベルの努力を要求してしまうと。

中野:そうです。そう考えるとコーチには絶対向いていないですし、気が短いので気長に待てないと思います。

― 成長を待っていられないんですね(笑)。

中野:はい。種を蒔いたら次の日には花が咲いていてほしいんです(笑)。コーチも向いていないと考えたら、スケートの道はないかなと思いました。

あとは、21年間スケートに賭けていたので社会人としての知識があまりにも乏しくて。自分で働いてお金を稼いで生活して基盤を築いていく、ということをやらなければいけないと思ったのも会社員の道を選んだ理由のひとつです。フジテレビに入社した際は骨を沈める覚悟でいましたし、一生懸命働かせていただきました。

― スケーターのセカンドキャリアとしては珍しいですよね。でも、その選択もまた中野さんらしいと思いました。

中野:選手時代から気は強かったですけど、そんな私がボロボロになるくらい最初の頃は打ちのめされていました(笑)。“フィギュアスケーター・中野友加里”というプライドを捨てなければ社会人として働いていけないと気づいてからは、すごく仕事に打ち込みやすくなったかなと思います。それが2年目の頃ですね。

― 1人の社会人として生きていく覚悟ができたと。

中野:はい。自分が変わらなければ、どの会社でもやっていけないと気付きました。周りがどう感じていたかはわからないですけど、自分の中では少し変われたかなと思っています。

― プライドを捨てられたのはなにかきっかけがあったんですか?やはりとにかく仕事が大変だったから?

中野:本当に些細なことなんですけれど、ある時、両手に持ちきれないくらいの差し入れを抱えて電車に乗っていた時に「私、この間までスケートやっていたのに、なんでこんなことやってるんだろう」と思ったことがあったんです。でも、普通の社会人になりたくて会社に入ったんだから、これを当たり前だと思わなきゃいけないんだ、こういうことも勉強するために会社に入ったんだ、と悟ったんです。

― すごい変化ですよね。スケーター時代の栄光は全て捨てて、というか。

中野:もちろん中野友加里という名前を知ってくださる方も多かったですし、それが武器になることもあったので、全てを捨てたわけではなかったかもしれません。生意気ですが、“元フィギュアスケーターの中野友加里”という面だけでなく、“中野友加里”という一個人としての働きも見てほしいという気持ちがありました。

― 現役時代はすごく気が強かったとおっしゃっていましたが、会社勤めをしたことで性格に変化はありましたか?

中野:私の中ではすごく角が取れたと思っているんですけれど、気が強いのは変わらないと皆によく言われます(笑)。角という角は全部ピーラーで削ぎ落とされた感じです(笑)。確かに気の強さというか芯の強さは変わっていないと自分でも思いますし、それが自分らしさなのかなと思っています。

― 反対に、会社勤めをして見つけた自分自身の新たな一面はありましたか?意外に向いていたこととか。

中野:一番最後はスポーツ番組の予算を管理する部署にいたんですけれど、その時に実は私って数字を見るのが好きだったんだということに気が付きました。毎日毎日電卓との戦いだったんですけれど、そういった細かい作業や庶務的な仕事も苦にならない。それまでは、取材をしてネタを取ってくるような現場の仕事が向いていると思っていたんですが、意外と一日中パソコンと向き合うデスク業務も性に合っていたのかもしれないと思いました。

― そういうのってやってみなきゃわからないですよね。

中野:本当にそうなんです。異動になって最初に上司に挨拶した時、「中野にはこういう部署が向いている」と言われたこともとても励みになっていたと思います。もちろん最初はまたゼロからのスタートで勉強の日々でした。

― 元々、新しいことを習得するのは得意な方ですか?

中野:最初に新しいことをした時は、嵐か台風でも来たみたいに頭の中がグルグルしています(笑)。なるべく早くそこに馴染んで習得しなければいけないという気持ちが自分の中に芽生えてからは、一生懸命、一つ一つの言葉を吸収してこぼさないように拾って、早く戦力になれるようにといつも心がけていました。

― 場所が変わっても、向上心の強さは変わらないんですね。

中野:そういうのが好きなんだと思います。だから生きていて疲れるんです、何事にも全力投球なので(笑)。

中野友加里、今後の活動は?

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― 体型が全然変わっていないことにもびっくりしました。2人のお子さんのママにはとても思えません。

中野:本当ですか?母乳で育てているからだと思いますが、職業病でしょうか(笑)。

― 元々太りにくいタイプですか?

中野:いえ、全然です。太りやすいタイプで、現役の頃は体型管理にものすごく苦労しました。500mlのペットボトルがあったとして、「これを全部飲みきったら500g増えるんだ」と思ってしまうほどストイックに体重管理をしていました。

― そのエピソードからもうかがえるように、現役時代の中野さんはすごく練習熱心で、真面目というか計画的に物事を進めるタイプの選手というイメージが強いです。

中野:おっしゃる通りですね。物事全て先々のことまで自分でレールを敷いて計画通りに進まないと気がすまないタイプで、ちょっと途中で雑念が入ってしまうと混乱するくらい計画的に進めたい性格なんです。でも、育児をしているとそういうわけにいかなくて、突発的にいろんなことが起こるので、1人目が生まれた頃は毎日必死に育てていました(笑)。スケートをやっている頃から今も、生き方が不器用なところは変わらないなという感じです。手抜きが上手にできない難しい性格なんです(笑)。

― 0か100なんですね。

中野:そうなんです。0か100か、白か黒か。グレーを作ったほうが楽だろうとは思う事もよくあります。

― でも、そういった芯の強い凛とした女性を演じられているときの中野さんは特に素敵でした。「SAYURI」大好きです。

中野:本当ですか?ありがとうございます。「SAYURI」が選手時代の中で一番好きなプログラムです。私自身も、芯の強い女性を演じるのが好きでした。

― 4月からは育児と新たにお仕事も?

中野:はい。義父が経営している医療法人社団 清光会グループの一員として手伝いをする予定です。子育てをしながら、少しずつ仕事も両立していけたらと思っています。

― すごい。止まらないんですね。

中野:結局何かをしていないとダメな性格なんだと思います。マグロみたいにずっと泳ぎ続けないと死んじゃうような感じです(笑)。

中野友加里、今だからわかるジャッジの難しさ

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― そして、今後はジャッジの勉強もしていきたいというお話もありました。お子さんがいる中で勉強していくのは大変そうですが…。

中野:大変ですよね。ジャッジの中にもランクがありまして、上のランクに行くためにはテストを受けなければいけないんです。実際にジャッジをして点数をつける実技試験だけではなく、ペーパーの試験もあるので、育児しながら勉強できるのかしら、と思っています(笑)。ただ将来的には、自分が戦っていた全日本選手権の舞台で審判員をやってみたいと思っているので、いつかは取りたいです。

― 長期戦で考えているんですね。

中野:そうですね。資格を取ってからも、例えばあるランクの審判員だったら3年間続けなければ昇格できなかったり、条件も厳しいんです。だから、全日本選手権のジャッジをするのはもしかしたら十年くらい先になってしまうかもしれません(笑)。

― ファンとしても、ルールが毎シーズンごとに変わるのでついていくのが大変です。

中野:難しいですよね。地方大会の審判をしているんですけれど、細かいところまでルールが決まっているので、必ずルールを把握しておかなければならないので大変です。なるべく選手たちの励みになるような点数をつけなきゃと思いつつ、ルールに則ってフラットな状態で見なければいけないので、甘くても辛くてもいけないんです。

― 審判員になろうと思ったのはいつ頃ですか?

中野:記者として取材したソチ五輪を終えたくらいです。現役時代の自分が公平なジャッジをされていなかったことも感じたので、取材に行ってそういうことがあってはいけないと改めて思いました。

― あと少しのところで2回オリンピックを逃してしまった経験がやはり影響している?

中野:そうですね。オリンピックに出ていたら人生が変わっていたかもしれません。でも、2回逃してしまったその経験があったからこそジャッジの活動をしてみようと思いましたし、姉がジャッジをしているのもきっかけになりました。

― そうなんですね!お姉さんは今もやられているんですか?

中野:今もやっています。

― じゃあ2人でジャッジをされているんですね!

中野:そうなんです。仲良く2人でジャッジ活動をやっています(笑)。

― 今、少しお話にもありましたが、フィギュアスケートはルール変更も含め採点競技ならではの難しさがあるスポーツだと思います。その点については、現役時代はどのように受け止めていたんですか?

中野:本当であれば、ジャッジさんが思っていらっしゃる点数をつけてはダメで、ルールに則った形でつけなければいけないと思います。もちろん理屈はそうなんですけれども、それはやっぱり難しいかなとも思います。それは自分がジャッジ側に立ってみてわかったことです。その人の理想があるし、私にももちろんこういうスケーターがいいなという理想がある。そういう思いと葛藤しながらジャッジをしている感じです。改めてジャッジをするのって難しいんだなと思っています。

― 逆にジャッジ側になったからこそ、この時もっと点がもらえても良かったんじゃないかなと思ったことも?

中野:なんでこんな結果になっちゃったんだろうという思いはあります。

― 当時見ていた側としても、納得というか理解が難しい場面がありました。

中野:ありがとうございます。そうやって見ている方に思っていただけてそういうお言葉をかけていただけるだけで私はすごく嬉しいです。

中野友加里、今のスケーター達に思うこと・高橋大輔の復帰は「本当にすごい」

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― セカンドキャリアの話にもつながりますが、フィギュアスケーターは選手生命がすごく短いですよね。そして低年齢化も進んでいます。そうなると、長く続けることがより難しくなってしまうという点はどう考えていますか?

中野:本当にそうなんです。若い世代の選手たちも強く育っていますが、早く華が咲いてしまうと散るのも早いかもしれません。若いうちから才能や技術を身につけて、開花させていくことはすごく重要ですが、女子の場合はどうしても体型の変化の時期があるので、体型維持との戦いでもある。体型の変化が落ち着いてそれを乗り越えていけば、色気だったりスケートに対する味や深みが出てくる。そして技術は若いうちから身につけたものに磨きがかかる。上手く体型をコントロールして、身につけたものを長く活かしていってほしいと思います。でも最近の若い子たちの成長は目覚ましいものがあるので頼もしいですし、見ていて楽しくなります。

― 現役を引退されてからも、スケートを見たりはされていたんですか?

中野:引退後の1年間はテレビで見るのもつらい時期がありました。「自分だったら、こういう風にやれるのに」と思うことがあったりして、靴をもう一度履こうとまでは思わなかったんですけれども、同じ土俵で戦ってきた選手たちがまだ滑っていたので、見るのがつらかったですね。

でも、ある時「もう私絶対これできないわ」と思って開き直ってからは、しっかりと見られるようになりました。辞めた直後は「私だったらこうするのに」と思っていたんですけれども、だんだんと「こういう風だったらもっといいんじゃないかな」と、いちファンとして応援するような見方に変わって。引退してから9年経つんですけれど、フィギュアスケートの見方が変わったなと思います。

― 一緒に戦ってこられた同年代の選手は、皆さん比較的長く現役を続けられています。アイスショーでももう一度混ざりたい、と思ったことはないですか?

中野:いやー、とてもとても。皆様にお見せできるような演技はできないと思います(笑)。ちょっと話が戻りますけれども、私は引退後の最初の1年間「戻ったらどこまでいけるんだろうな」と思うことはあっても、実際に復帰する勇気はなかったんです。でも高橋大輔くんは4年のブランクを経て復帰しました。その勇気は本当にすごいなと思いました。私はもう一度やりたいと思っても、足踏みどころか尻込みしてしまって、とてもじゃないけど無理だなと思っていたんですけれども、彼は昨シーズン、どんな結果にもしっかり向き合って全日本まで戦い抜いた。その姿に感銘を受けました。この気持ちは、同じ時代を戦ってきた選手の一人だからかもしれないですね。

― 高橋選手の復帰は皆が衝撃を受けましたよね。

中野:本当に。同い歳なんです。33歳のおじさんですよ?おじさんとか言っちゃいけないですけれど(笑)。でも私もおばさんだから(笑)。

― 必ずしも表彰台を目指す戦い方だけが現役としてのあり方ではないと。

中野:そういう滑り方でしたよね。あの場に立ちたい、達成感を味わいたいという気持ちで戻れるというのは本当に素晴らしい。演技を見ていて思いが伝わってきました。

中野友加里、同世代スケーター&佐藤信夫コーチとの交流は?

中野友加里(C)モデルプレス
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― 同世代で戦ってこられた方々の中には、お子さんがいらっしゃる方も多いですよね。交流はあるんですか?

中野:連絡は時々取っています。一番多いのは小塚(崇彦)くんです。お仕事を一緒にやらせていただいたりして連絡を取ることがあるんですけれど、母親になってからなかなか会えていないので、もう少ししたらアイスショーも観戦しに行きたいと思っていますし、子育ての話もしてみたいなと思っています。

― 現役時代はやっぱりスケートの話ばかりでしたか?

中野:スケートの話以外しなかったですね(笑)。

― それが唯一の共通点ですもんね。

中野:そうなんです。荒川(静香)さん、安藤美姫ちゃん、織田(信成)くん、無良(崇人)くん、小塚くんが皆ママやパパになっていて、私もその仲間に入ったみたいな感じでちょっと嬉しいです。皆に会って子どもの話ができたら楽しいですね。

― もし、お子さんがスケートをやりたいと言い出したらどうしますか?

中野:「他の道もあるんじゃない?」と伝えます(笑)。「自分に向いていることが他にもきっとあるよ」って。

― 勧めはしないんですね。

中野:やはり茨の道というか、スケートは大変なスポーツです。精神的にも体力的にも削られていくし、そんな思いはできれば子どもにはさせたくありません。本当のことを言ってしまうと、お金がかかる競技でもあるので、「別の競技があるんじゃない?」と教えようと思っています(笑)。

― (笑)。最後まで師事されていた佐藤信夫コーチや久美子コーチとは今も交流が?

中野:はい。信夫先生には一度子どもを連れて会いに行きました。取材の現場だったり大会のジャッジでお会いした時には、必ずお話ししています。

― 現役時代、中野さんがあまりにも休まないので信夫先生から「休むことを覚えなさい」と指導されたというエピソードを聞いたことがあります。

中野:休むと不安になるんです。信夫先生にもよく覚えていると今でも言われるんですけれど、「休め休め」と言われたことに対して「何で練習しちゃいけないんですか!?」って私が噛み付いたことがあります(笑)。それで、先生が何も言えなくなったことがあって、「そんな子初めてだった」と言われたことが今でも心に残っています。

― 強気ですね…!

中野:強気ですよね(笑)。結局休むことにしたんですけれど、休むことの大切さを知りました。やっぱり人間にはリフレッシュが必要。どこかで休まないと、と言っても今はマグロのような止まらない生活をしていますけれど(笑)、それでも休息を取らないと倒れてしまうし、息抜きが必要なんだとその時に学びました。

― スケートに限らず、人生における教訓ということですね。

中野友加里が考える“夢を叶える秘訣”

中野友加里(C)モデルプレス
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― 夢を追いかけるモデルプレス読者に向けて、中野さんが実践してきた“夢を叶える秘訣”を教えてください。

中野:夢を持ち続けないとやっぱり人生って楽しくないと思いますし、夢がないとそこに突き進んでいく意味がないと思うので、私は必ず目標設定だったり、夢を思い描くようにしています。「夢を必ず持ち続ける」というのは、佐藤信夫先生からいつも言われていた言葉です。

― 現役時代から今まで、夢に向かって頑張っている途中で、挫折してしまいそうなこともあったと思いますが、その時はどうやって乗り越えていましたか?

中野:一回、冷静になって立ち止まって辞めてみる。現役の頃、何もかも嫌になってしまいスケート靴を脱いだことがありました。

― それはいつですか?

中野:何度もあったんですけど、一番しんどかったのは2008年です。2008年の地方大会で、練習でもやったことがないくらいひどい演技をしてしまいまして、母からも叱られました。今でもよく覚えています。自分が親になった今なら「こんなに手をかけているのにどうしてできないの」という母の心情が理解できるんですが、当時はそれがわからなかったので悲しくて悔しくて、その感情を通り越したら今度はやりたくなくなってしまったんです。だから母に「辞めたい」と言ってみたら、「じゃあ辞めてみれば?」と。それでスケート靴を脱いだ時期があったんですけれども、それもたった4日間のことでした(笑)。

― でもたった4日間ですら、休んだことがなかったんですよね。

中野:はい。4日間もスケート靴を脱いでいたことがなかったので、戻れるか心配でした。バレリーナの方が1日でも休んではいけないと言いますけど、私にとっては同じ気持ちになるくらい長い4日間でした。

― そういう心が折れそうな時に支えになっていた存在や言葉はありますか?

中野:その時、信夫先生とお話ししたら「あなたがここで辞めたらどれだけの人に迷惑をかけるんだ」と結構強いことを言われました(笑)。それでも「辞めたいなら辞めればいい。まだやれると思うならやった方がいい」と言ってくださったんです。「まだやれると思うならやった方がいい」。その言葉ですね。信夫先生には、6年間指導していただいたんですけれども、とても信頼していましたし、その6年間は密度の濃い時間でした。スケーターとしての人生だけではなくて、その先の人生のことも見据えて育ててくれた恩師です。

― 素敵な関係ですね。

中野:すごく良い先生に巡り会えましたし、私をすごく成長させてくれた先生でもありました。もちろん信夫先生だけではなく奥様の久美子先生にも支えられて、スケート人生を終えられたかなと思います。

― 中野さんの今後の夢はなんですか?

中野:小さい夢なんですけれども、まずは子どもたちが笑顔でいることです。私が完璧主義なところがあるので、それを子どもに押し付けてしまうことが時々あるので、子どもが楽しく過ごせるように本当に小さいことなんですけれども、日々子どもと向き合っていきたい。母として子どもたちと一緒に成長していきつつ、夫に支えてもらいつつ、家族全員で楽しく過ごしていきたいです。そしてまた4月から新しい環境で働きますので、少しでも医療法人社団 清光会のお役にたてればと思っています。

― では最後に、ファンの方にメッセージをお願いします。

中野:フィギュアスケート人生は21年間、フジテレビ生活は9年間でしたけれども、本当に辞めたくなる時もつらい時もありつつ、楽しいことや嬉しいこともたくさんあって、いろんな出会いがありました。それも皆さんのお力添えのお陰だと思っておりますので、これからも中野友加里を応援していただければうれしく思います。

― ありがとうございました。

彼女がスケートで培ってきたものは技術や表現力だけではなく、目の前のこととひたむきに向き合う力。1人の社会人として、妻として、そして母として―。ひとつひとつの役割を全うしようとする真摯な姿勢は、スケートを離れてからも活かされていた。「才能があったわけではない」と現役時代を振り返っていたが、周囲が驚くほど練習に打ち込むその不器用なまでの真面目さも、才能のひとつに違いない。どうかときには休みながら、新たな目標に向かって邁進してほしい。いつか全日本のジャッジ席に彼女の姿を見つけられますように。(modelpress編集部)

中野友加里(なかの・ゆかり)プロフィール

中野友加里(C)モデルプレス
中野友加里(C)モデルプレス
1985年8月25日生まれ、愛知県出身。33歳。主な実績に2005年NHK杯優勝、同年グランプリファイナル3位など。体の柔らかさを活かした回転の速いドーナツスピンやトリプルアクセルで人気を集めたが、2010年に現役を引退。

引退後はフジテレビに入社。2015年に一般男性と結婚し、2016年に第1子となる長男を出産。2018年に第2子となる長女を出産している。

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