<欅坂46武元唯衣・田村保乃・松田里奈インタビュー>「顔色を伺ってしまっていた」グループでの“居場所”に葛藤…大きな決断に思う悔しさ
2020.09.19 07:00
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公開中の欅坂46初のドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」。5年間の活動に幕を閉じ、改名を発表した欅坂46──2期生メンバーの武元唯衣、田村保乃、松田里奈が語る“真実”とは。
欅坂46の初ドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」
2020年7月16日に開催された無観客配信ライブ「KEYAKIZAKA46 Live Online,but with YOU!」で最高のパフォーマンスを魅せながら、突如5年間の活動に幕を閉じ、改名し再スタートすることを発表した欅坂46。3月に一度は完成した映画本編だったが、公開延期を受け、急遽活動自粛を余儀なくされていたメンバーへ追加インタビュー、そして“新章”への第1歩と思われた配信ライブにも同行。ライブから数日経った7月下旬に改めてドキュメンタリーのカメラが彼女たちを捉え、“いま”の心境を率直に語った、まさにデビューから最新の姿まで、5年間の集大成とも言うべき究極のドキュメンタリー映画が完成した。
モデルプレスでは、2期生メンバーの武元、田村、松田にインタビューを実施。「申し訳ない気持ちでいっぱいでした」──欅坂46に憧れ、2018年12月にメンバーの一員となった彼女たちの口から語られたのは、それぞれが抱えていた“葛藤”と“後悔”だった。グループが転換期を迎えた今、思うことは?
「私たちは本当に何も知らなかった」…欅坂46の歴史に感じること
― 先輩たちが歩んできたこれまでの道の裏側というのは、2期生のみなさんも映画を通して初めて知った部分があったと思います。印象に残っていることや、驚いたことはありましたか?松田:印象的だったのは、「デビューカウントダウンライブ」や「サイレントマジョリティー」のMV撮影をしている時です。私たちはいつも引っ張ってくださる先輩がいて、その背中を見ながら活動をしてきたのですが、引っ張ってくれる存在がグループにいない中、自分たちだけでやっていくということを私たちは経験したことがないので、全部自分たちで一からやってくのは本当にすごいなと思いました。
― 松田さんはお姉さんが欅坂46のファンだということですが、お姉さんから聞いていた欅坂46のイメージと、実際にご自身が加入されてからの印象で変わったことはありましたか?
松田:お姉ちゃんは、私に欅坂46を知ってもらいたかったのだと思うのですが、普段から「欅坂46は普通のアイドルとは違ってすごいの!」とプレゼンをされていました(笑)。なので、加入してからも欅坂46に対する印象は変わっていないです。
田村:私たちが加入する前の、映像化もされていない、私たちも知らないライブ映像なども映画に収録されていて、今とは少し違う先輩方が映っていたのが印象的でした。初々しくて、「これからグループを作っていくんだ!」という熱意をすごく感じて、こうやってグループは作られていくんだなと思いました。
私たち自身も欅坂46として活動しているからそう思うのかもしれないのですが、欅坂46は良いところも悪いところも、すべて包み隠さずいるグループだと思います。そういうところもファンのみなさんと共有しながら、一緒に進んでいっているんだなと感じました。
武元:今私たちは欅坂46として活動しているけれど、映画を見終わった後に、「私たちは本当に何も知らなかったんだな」と率直に思いました。先輩方がどんな思いでここまで活動をしてきて、どういう壁を乗り越えて、今こういう気持ちで活動をしているという経緯や、今までの気持ちなどが、私たちが想像していたものとは違ったし、本当に何も知らなかったなと感じました。
改めて、私たちが欅坂46の2期生メンバーとしてここにいさせていただいていることも、ここまで5年間創り上げてきてくださった先輩方の存在があってこそだと感じたので、映画を観ながら感謝の気持ちが溢れました。
― 武元さんも、グループ加入前から握手会などに通っていたんですよね?
武元:はい。なので、加入当初は、自分が力をもらっていた楽曲を実際に先輩方と一緒にパフォーマンスをするという状況が不思議で、夢みたいだけど、申し訳ないといういろんな感情が入り混じっていた気がします。
― 申し訳ない気持ちもあったのですね。
武元:加入前の楽曲は、2期生にはオリジナルのポジションがなかったので、加入してから1年半くらいは卒業した先輩のポジションに入ることが多かったんです。最初は、すでに完成されたところに入るのが怖いという気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
田村:そうだね。私たちは欅坂46を外から見てきた側なので、どれほどすごいパフォーマンスなのかも理解していたからこそ、その中に私たちがポツンと入って、もちろん私たちも動揺するけど、それ以上に先輩方やファンのみなさんがどう感じるんだろうと思ってしまっていました。正直あの時の2期生は、誰1人自信が持てていなくて…。
今思うと、それはパフォーマンスを届ける側として正しくない考えだったと思いますが、自分たちの気持ちより、ほかの人の顔色を伺ってしまっていたところがあると思います。パフォーマンスをする時も、どこのポジションに入るにしても、そこは先輩のポジションであった場所なので、自分たちがそこでできることを見つけることに苦戦していた時期でした。
松田:2期生は多分みんな同じことを思って活動していたと思います。私たちにできることは、そのポジションで精一杯パフォーマンスをすることしかなくて…。「私がここにいていいのかな…」というマイナスな思いもありましたが、とにかく集中して、少しでも自分もパフォーマンスに入れるようにできることをやってきました。
大きな舞台・役割に本音「怖かった」
― 東京ドーム公演では、武元さん、田村さん、松田さんそれぞれをメインで魅せる場面もありましたよね。振り返っていかがですか?松田:初めて東京ドームでライブができることを聞いた時は、本当にリアクションがとれなくて、喜びが大きすぎて逆に真顔になっちゃっいました(笑)。東京ドームに立てるのは先輩たちのおかげなので、当日は自分たちの力で立ったという感覚はなかったです。改めてライブ映像を見て、本当にすごいところに立たせていただいて、すごい経験をさせていただいたんだなと実感しました。
田村:東京ドーム公演の前のツアーから2期生もMCを担当させてもらうことになって、東京ドームでは2期生だけでMCを任せていただいたんです。ツアーの1日目は全然上手くできなくて、「公演をダメにしちゃった…」と2期生は落ち込んでたりしたんですが、毎回ライブの前に2期生だけで話し合って、MCも練習し続けました。東京ドームでもMCを2期生だけで担当させていただいて、MCだけでライブの雰囲気が変わってしまうので、メンバーがそれぞれプレッシャーを抱えながらいっぱいいっぱいでした。
― 田村さんは「不協和音」で長濱ねるさんのポジションを務めたことがすごく印象的です。
田村:そうですね。あのポジションでの緊張もありましたが、「不協和音」は久しぶりに披露する曲だったので、どれだけファンの方が待ち望んでくださっているか、十分に感じていました。だからこそ、そこに2期生が入って今までの「不協和音」を超えられるかというプレッシャーもありましたし、東京ドーム公演が選抜発表後初めてのライブだったので、「選抜に選ばれているのに」と思われるのがすごく怖くて、東京ドームに立つこと自体も怖かったです。
武元:今までの5年間、欅坂46を作ってきたのは先輩たちとファンのみなさん、ライブを支えてくれているスタッフなので、最初に東京ドーム公演が決まった時、自分たちの喜びというよりは、先輩方に「本当におめでとうございます」という気持ちで、私たちは“チーム欅坂”の力添えができたら良いなという感覚でした。
その頃は先輩のポジションに入ることに対して気持ちにも変化があって、やっと欅坂46メンバーの一員だと考えられるようになってきたんです。なので、東京ドームでの公演は歴史に残る瞬間で、「やっぱり欅坂46はすごい」と思っていただくためには今までで1番最高の欅坂46を見せないといけないので、先輩たちの気合いに必死についていって、私たちが入ったことでパフォーマンスレベルなどを崩すわけにはいかないという思いもありました。
― 先輩のポジションに入ることへの「申し訳ない」という思いが変化したのは、「夏の全国アリーナツアー2019」を通してだったのですか?
武元:個人的には、何かがあったから欅坂46のメンバーだと自覚できたわけではないのですが、野外ライブやツアー、選抜発表、東京ドーム公演と続いた期間の中で、変化を感じた気がします。2期生が状況に対応することや環境にも少しずつ慣れてきたからかなと思います。
欅坂46の“大きな決断”に思う悔しさ
― 憧れていた存在の欅坂46が区切りをつけることになりましたね。2期生のみなさんは、1期生とは違う思いがあると思いますが、改名を発表したことへの気持ちを教えてください。田村:私は欅坂46が好きで加入したので、改名を聞いたときは、その欅坂46が無くなるということがただただ悲しかったですし、同時に「もっとできるのに」とすごく悔しかったです。正直私たち2期生は、欅坂46の中で何もできていなかったので、このまま終わってしまうのも寂しかったですし、これからも欅坂46で頑張っていきたかった、という思いが強かったので、悔しいし、悲しいし、寂しいという気持ちでした。
でも、正直最初は「なんで?」と思うことの方が多かったのですが、今となっては改名することでグループが良くなるならと、私たちも受け入れています。グループをもっと良くしたいという気持ちや覚悟が本気であるので、そこに賭けて心機一転、もう1度頑張っていきたいなと思います。
松田:最初は「嫌だな。できれば改名したくないし、寂しい」と思っていました。みんなほど前からではないかもしれないけど、私も欅坂46が好きで入ったので…。もちろん、今まで活動してきた過去が消えるわけではないですが、私たちも欅坂46で何か残せたものがあったかなと思って悔しかったです。寂しいけど、頑張らなきゃという気持ちが交互に押し寄せていました。
― 映画には「誰がその鐘を鳴らすのか?」初披露時の映像も収められていますが、1人ひとりの表情がとても印象的でした。
松田:パフォーマンスの時は、とにかく曲を伝えたいという一心でパフォーマンスをしていたような気がします。
武元:私は“改名”という選択肢があることがそもそも頭に全くなかったので「なるほど、そういう道も存在するんだ」と率直に思いました。その時はそれくらいの覚悟をもってやりなさいとメッセージだと思っていたので、前向きな気持ちで1から頑張るしかないと自分の中で腹をくくっていたつもりだったんです。
菅井(友香)さんがファンの方に改名について発表している時も、絶対にファンの方を不安にさせたくないし、心配をかけたくないので、力強く前を向いて立っていようと決めていたのですが、前を向かなきゃいけないという気持ちと、寂しくてしょうがないという相反する感情が次から次へと自分に襲ってきて、何がなんだかわからなくなってしまって…。気づいたら涙が止まらなくなっていました。
なので、その後のパフォーマンスも正直全然覚えていないのですが、ずっと長い間ファンの方が待っててくれていたシングルの初披露だったので、とにかくお待たせしてしまった分、この曲が伝われば良いなと思って、曲を届けることに集中していたと思います。
田村:私は、ライブが終わるまで「自分は欅坂46の一員なんだ」という意識をしっかり持って、泣かないと決めていたのですが、パフォーマンスが終わってから隣にいた森田ひかるちゃんと目が合って、そこで号泣しました。ライブが始まる前にもずっと2人でぎゅーっとしていたし、いろんな思いを持って臨んだライブだったので、2期生のみんなとも抱き合っていました。言葉を交わさなくてもみんな気持ちは一緒だというのがなんとなくわかるんです。みんな口には出さないけど、思いは一緒なので、すごく支えられています。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
武元唯衣(たけもと・ゆい/18)プロフィール
生年月日:2002年3月23日/出身:滋賀県/身長:158.5cm/星座:おひつじ座/血液型:O型田村保乃(たむら・ほの/21)プロフィール
生年月日:1998年10月21日/出身:大阪府/身長:163cm/星座:てんびん座/血液型:A型松田里奈(まつだ・りな/20)プロフィール
生年月日:1999年10月13日/出身:宮崎県/身長:159.5cm/星座:てんびん座/血液型:O型
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