自分にないものを持っている人と付き合いたいのですが・・・【ひとみしょうのお悩み解決】
“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお便りの中から、お悩みをひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えします。
「ありちゃさん24歳」のお悩み
いつも様々なコラムを拝読させていただいております。ひとみしょうさんの書くことばで心救われております。と、同時に私どんだけ悩むんだよと自分につっこみながら、本も購入しました。いつもありがとうございます。
思ってたことがあり意見を聞きたく送らせていただきます。
第一印象や、話してるいるうちに、自分が勝手に「なんか世界線違うなあ、なんか素を出せないなあ」みたいな人に会います。そういう人っていわゆるイケメンだったり、私自身のタイプだったりするのですが、あまりにも性格がもうまるっきり合わないみたいな感じがして、(勝手にそう思っているだけでしょうか?)もはや恋愛感情に自ら発展できません。
「なんか世界線違うなあ」の「なんか」って何でしょうか?憧れでしょうか。
憧れたものは一生憧れたもののままなのでしょうか。同じ人間と頭で分かってるものの、憧れの正体って何なのでしょうか。自分にはないものを持っているからでしょうか。
どうしても自分にはないものを持ってる人に憧れるし魅力を感じるし付き合ってみたいです。けど、同じくらいそうなれない自分が悔しくて、恥ずかしいです。
自分が自分のまま肯定できるにはどうしたらいいのでしょうか。
〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜
本を買ってくださり、ありがとうございます!購入特典として、このお答えは出血大サービス的にありとあらゆることを述べたいと思います(?)。
さて、まずはざっくりとしたお答えから。
「なんか世界線違うなあ」の「なんか」って憧れです。
憧れたものは一生憧れたもののままではありません。
憧れの正体とは「遠い昔になくした自分」です。
シャドウについて
遠い昔になくした自分とは、いわばシャドウです。
シャドウ、影、という概念は、ユングという人がその概念を使って人の心理を説明しています。ユングについては、河合隼雄先生のご著書に詳しいです。
また、村上春樹は、シャドウ概念を使って、その小説世界を構築しています。たとえば、『ダンス・ダンス・ダンス』という小説に出てくるアメというお母さんのシャドウは、ユキという娘です。娘のユキからすれば、アメという母親は自分のシャドウです。
ところで、人はつねに葛藤する存在だとキルケゴールは言いましたが、その葛藤は、自分とシャドウをめぐる葛藤のことです。
たとえば、イケメンで頭が良い男子に対して、「なんか世界線違うなあ、なんか素を出せないなあ」と思う場合、そのイケメンで頭がいい男子は、ありちゃさんのシャドウです。別の言い方をするなら、ありちゃさんが遠い昔なくしたもうひとりの自分です。さらに別の言い方をするなら、ありちゃさんは、そのイケメンで頭がいい男子に憧れているのです。
憧れは一生憧れのままではありません
ところで、憧れは一生憧れのままではありません。憧れの人が住む世界に、自分が努力して飛び込んだ時、憧れの度合いが弱くなります。
たとえば、ありちゃさんが好きなイケメンで頭のいい彼が東大生なら、ありちゃさんも努力して東大に入ると憧れの度合いが弱くなります。東大が無理ならそれに近い大学に入るといいです。早慶上智、ICUあたりでしょうか?
努力した結果入れなくても、努力する過程で、イケメンで頭のいい彼もなんとなくこういう努力をしてきたのだろうという「あたり」がつきますね。そしたら、「そこまで憧れるほどでもない」とか「一生憧れのままでも全然いいや=私とはまるっきり別世界の人でしかない」とかと思えてくる。割り切れる。つまり、「憧れの落としどころ」が見えてきます。
生身の人間とシャドウはかならずセット
さらに言えば、もっともっと時間が経ったとき、「なんか世界線違うなあ、なんか素を出せないなあ」という相手が、完全に自分のシャドウだと認識できればしめたものです。
なぜなら、シャドウもありちゃさん抜きで生きれないからです。シャドウ、つまり影は、影だけでは生きていけません。現実の生身の人間、つまりありちゃさんがいてこそのシャドウです。同様に、ありちゃさんもシャドウなしで生きられません。影のない人なんていないからです。
生身の人間とシャドウは、かならずセットなんですね。ニコイチなんです。つねにふたりでひとりなんです。
もっともっと時が経って、30歳とか40歳になったとき、憧れの気持ち、言い方を換えると自分にとってのシャドウ、をすっと受容できるようになります。それは、「これまでわたしのことを苦しめてきたシャドウ」としてではなく、これまで苦楽をともにしてきた「愛おしいシャドウに感謝できるから」です。
「ああ、これか」とすっとわかるとき
キルケゴールという哲学者は、著作のなかでシャドウという言葉を(たぶん)使っていませんが、彼が言いたかった「関係」のベースにある経験とは、生身の自分と自分のシャドウとの葛藤のことだとぼくは考えています。
キルケゴールはレギーネさんというかわいらしい女性と婚約し、それを自ら破棄しましたが、キルケゴールにとってレギーネはシャドウです。彼は晩年まで、レギーネ=シャドウをめぐって葛藤しました。
その結果、その苦しい葛藤から解脱する方法として、キルケゴールはキリスト教に生きるという道を選びました。あるいは、人々を教化するという道を選択しましたし、教会そのものを「教化」しにかかりました。とことん神を信じればシャドウに惑わされずに済む、彼はこう考えたのです。
でも、そう考えて、その考えに激しく生きたこと自体が、シャドウと和解していない証左ではないかとぼくはひそかに考えています。あのキルケゴールとて、やっぱり死ぬ直前までずっと、自分のシャドウに苦しめられていたのではないか?「もうひとりの自分」と融和したくてでもできなくてつらかったのではないか?憧れに苦しめられ続けた生涯ではなかったか?アカデミズムの世界でこのようなことを言う先生は(たぶん)誰もいないのですが、でもぼくはそういう仮説を持っています。
自分が自分のまま肯定できるにはどうしたらいい?
「なんか世界線違うなあ、なんか素を出せないなあ」という人のことを、もしできれば、遠くからでもいいので、ずっと観察し続けてください。「なぜ」その人のことが「その角度で」気になるのか、考え続けてください。
いつか自分のシャドウ=影が、「ああ、これか、こういうことか」と、すっとわかるときが来ます。そしたら生きることがまあまあ楽しくなります。「自分が自分のまま肯定できる」ようになります。
人は誰しも、自分にとってのシャドウを知り、そのシャドウとともに精神的に死に、復活する――この過程を経ないと「自分のままを肯定する」なんてできないのです。
自己啓発本のメインのお客さんは女性なので、自己啓発本は「一度精神的に死んで復活しましょう」とは口が裂けても書かないと思います。メインのお客さんが忌避することを書くと本が売れなくなるから。
でも、ここだけの話、シャドウとともに精神的に死んで復活したときはじめて、わたしたちは自分を生きることが可能になるのです。これがキルケゴールの言う「受け取り直し=反復」です。
お互いがんばっていきましょう!
(ひとみしょう/作家・キルケゴール協会会員)
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