レースクイーン央川かこ「これで自由になれる!」宝塚音楽学校を約1年で退学した過去
宝塚音楽学校に入学するも、1年余りで退学したレースクイーンでモデルの央川かこ。幼少期から父親の意向でレッスン漬けの日々を送り、退学をめぐって半年間口をきかなかった過去を持つ。22歳では父親に黙って家出し、東京へ。芸能活動に当初は興味がなかったという彼女が、気づけば約10年にわたり活動を続け、2024年度には「レースアンバサダーアワード2024」を受賞。波瀾の半生と、ファンへの感謝を胸に走り続ける現在に迫った。(前後編の前編)
――兵庫県ご出身ですが、幼少期はどのように過ごされていたのでしょうか。
央川 兵庫時代の思い出は、本当にずっとレッスンをしていた記憶しかないです。
――宝塚音楽学校を目指されていたんですよね。
央川 はい。親戚に宝塚出身者が3人いて、皆さん有名な方だったんです。それもあって、父が「女の子が生まれたらタカラジェンヌにする」と決めていたみたいで。物心がついた頃から、宝塚の映像ばかり見せられていました。本当はアニメを見たいのに、「そんなしょうもないものは見るな、宝塚を見ろ」って(笑)。
――まさに英才教育ですね。レッスン漬けの毎日だったとのことですが、どのような生活だったんですか?
央川 学校が終わってからレッスンを2つやって、家に帰ってくるのが夜の12時くらい。そこから「今日はこういうことをしました」って父に報告しなきゃいけなくて……。睡眠時間は毎日4時間くらいでした。朝も学校に行く前に歌のレッスンに行ったりしていましたね。
――そこまでして入学した宝塚音楽学校を、1年ちょっとで辞められています。何かきっかけがあったのでしょうか。
央川 入ってすぐに「辞めよう」と思っていました。そもそもダンスも歌も好きじゃなかったし、お芝居は特に好きじゃなかったんです。学校の授業で先生が「これやりたい人?」って聞いたときに、私だけ手を挙げないこともありました。やりたくないから挙げていないのに、周りはみんな手を挙げるので、「なんで手を挙げないの?」って言われたりして……。
――周りの生徒さんとの温度差があったんですね。
央川 私は父に言われて入学していて、みんなは自分が好きで入っている。その温度差がすごくて、「こんなに好きじゃないことをずっと続けるのは無理だな」と思いました。
――ご両親に「辞めたい」とは伝えなかったのですか?
央川 レッスン時代からずっと言っていました。学校に入ってからも、1カ月くらいで「辞めたい」って伝えたんです。でも、「頑張って。宝塚歌劇団に入ってくれればもういいから」と言われて……。学校は2年制なんですけど、「こんな生活を2年も続けるのは無理だ」と思っていました。
――そのような状況の中、退学はすんなり受け入れられたのでしょうか?
央川 それが、ずっと退学届を受理してもらえなかったんです。私の前にも2人辞めた子がいて、その子たちは結構すんなり辞めていったので、「あ、辞められるんだ」と思って退学届を持っていったら、私だけ受理してもらえなくて。
――なぜ央川さんだけ退学届を受理してもらえなかったのでしょう。
央川 親戚が宝塚にいたこともあって、学校の偉い方たちから「あなたはいい路線に行けるから辞めてほしくない。人気が出ると思う」と言っていただいていました。ありがたいお話ではあったんですけど、それでも続けるのは絶対に無理でしたね。
――最終的には、どうやって辞めることができたんですか?
央川 父は絶対に賛成してくれないと思ったので、父には頼れないと思って。おばあちゃんを学校に連れていって、それでようやく退学届を受理してもらえました。
――辞められたときは、どんなお気持ちでしたか?
央川 「これで自由になれる!」って。もう人生が変わると思いました。レッスンもしなくていい、宝塚を目指さなくていい、「もう自由だ!」って。めちゃくちゃうれしかったです。
――その当時、何かほかにやりたいことがあったのですか?
央川 いえ、なかったです。とにかく辞めたかった。これまで「友達とご飯に行きたい」とか、私が何かをやりたいと言うと、全部「ダメだ」って言われて育ってきたんです。「それ、何のメリットがあるの?」って。友達とご飯に行くだけでもそう言ってくる父だったので、何かを目標にするという発想自体がなかったんです。
――お父様は、退学のことを知って激怒されたのでは?
央川 父が沖縄の家に行っている隙を狙って、退学届を出したんです。「当分は怒られないかな」と思って(笑)。でも、退学したことを知ったら、速攻で帰ってきましたね。そこから半年くらい、口をききませんでした。
――半年も。
央川 父は話しかけてこようとしていたんですけど、私は「こんなに10何年もレッスンして、宝塚音楽学校に入っただけでもすごいじゃん!」って思って、「うるさい!」って部屋に閉じこもっていました。
――その半年間は、どう過ごしていたんですか?
央川 本当に引きこもりみたいな生活でした。おばあちゃんがいつも部屋の前にご飯を置いてくれたので、それを食べて、お皿を戻す。誰ともしゃべらなくていいし、レッスンもしなくていい。ご飯はあるしで、めちゃくちゃ幸せでした。
――その引きこもり生活で、かなり体重が増えてしまったんですよね。
央川 20キロ太りました(笑)。変わり果てた姿で部屋から出てきたら、父にめちゃくちゃ怒られましたね。「とにかく痩せろ!」って。それで15キロくらい戻しました。
――その後、お父様との関係はどうなりましたか?
央川 最初は、父と壮絶な話し合いをしました。最終的には父も、「俺の願いを叶えてくれてありがとう」という感じになって。一応、落ち着きましたね。
――現在は芸能活動をされていますが、ご自身の活動にはあまり執着がないのでしょうか。
央川 はい、昔から「いつ辞めてもいい」と思っています。宝塚を辞めるまでは、「私って何のために生まれてきたんだろう」っていう意味で、「死にたい」とずっと思っていたんです。でも今は、毎日が楽しいから「いつ死んでもいい」と思える。考え方が全然変わりました。本当に、めちゃくちゃ幸せです。
▼央川かこ(おうかわ・かこ)兵庫県出身。宝塚音楽学校を1年余りで退学。父親の会社で秘書として勤務した後、22歳で上京。レースアンバサダー、ラウンドガールとして活動し、2024年度の「レースアンバサダーアワード2024」を受賞。パーソナルトレーナーとしても活動している。
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