ジャニー喜多川さんにもらったスカウト時の名刺披露 野村義男「宝物」
2019.07.10 15:34
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ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)が9日に亡くなったことを受け、かつて同事務所で「たのきんトリオ」として活躍したギタリストの野村義男が、自身の公式サイトにてコメント。自身のスカウト時、ジャニーさんからもらった名刺を公開した。
「たのきんトリオ」野村義男、ジャニーさんの名刺公開
公式サイト内のコラム『野村哲学道』にて、ジャニーさんの死に触れ「本当に、もっともっと長く長く現場に出ていて欲しかったと思う反面、やっと、ゆっくり休めますね。とも思っちゃいました。お疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。僕にとっては、あなたの存在が今日までギターを弾かさせてくれました」と思いをつづった野村。コラムの最後では「僕が小学校6年生の時に、ジャニーさんがスカウトしてくれた時に渡してくれた名刺、今でもずっと僕の机の上に、パッケージして、毎日見えるようにしてあります。宝物ですから」と明かし、ジャニーさんの当時の名刺の写真を公開した。
「Johnny H. Kitagawa」「ジャニーズ事務所」と書かれた古き名刺とともに、「本当に長い間お疲れ様でした。もう、ゆっくりしてくださいね。心から感謝しています」と、野村は改めて感謝をつづっている。
「退所した人間までプロデュースし続けてる」溢れる思い綴る
また同コラムで野村は、ジャニーさんとの思い出を回顧。「本当にギターを弾きたいのなら、ジャンルも関係なくもっと色々な音楽を聴きなさい。」「リズムが悪い。上手くなりたいのなら、フレーズよりも、まずはリズムを正しく、正確に刻める様にしないと、うるさいだけだよ」と、ギターの事についてたくさん怒られたと明かし「でも、1度も『ギター辞めちゃいなよ』とは言わなかったのは、今、思えば不思議でしたね」と吐露。「歌って、踊れるタレントの卵たちの中で、歌えない、踊れない卵も捨てずにちゃんと見ていてくれた事、本当に『ありがとう』だけでは、返しきれません」と感謝の気持ちをあらわにした。
さらに、ジャニーズ事務所を辞めた後についても「テレビ局やスタジオで偶然会うと、たくさん話しかけてくれましたね。本当に嬉しかったし、周りのメンバーにも自慢でしたよ」と振り返った野村。
「あそこの事務所出で、ギターなんか弾けるの?音楽を作れるの?って言われ続けても、とにかく事務所を辞めてからの二十数年間、ダメ元でぶつかって来ました。それは『ダメ元=Youやっちゃいなよ』だったからです」とつづった野村は「本当にすごい人。僕みたいに退所した人間までプロデュースし続けてるんです。思い出だったり、言葉だったり、ここでは書ききれない事ばかりです」と、溢れる思いを言葉にしている。
野村は、近藤真彦、田原俊彦と共に「たのきんトリオ」と呼ばれ、1980年代前半に絶大な人気を博した。
ジャニー喜多川さん、死去
ジャニーさんは、9日午後4時47分、都内病院にて、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため永眠。事務所がホームページで発表したコメントによると、搬送後、集中治療室にて延命措置を行った結果、一般病棟に移動。毎日年長のタレントからJr.までが入れ替わり病室に訪れ、ジャニーズの楽曲を流しながら同じ空間でジャニーさんとの思い出を語り合い、ジャニーさんの好物を食べることが日課に。また、危険な状態に陥ることもあったがタレントたちの呼びかけによって何度も一時的に危機を脱したという。
通夜、告別式は、“子供”であるタレントとJr.のみで行う家族葬となり、別途お別れ会が行われる予定。(modelpress編集部)
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