山瀬まみ
- 誕生日:
- 1969年10月2日
- 星座:
- てんびん座
- 身長:
- 167cm
山瀬まみの関連リンク
山瀬まみのプロフィール
山瀬まみ
生年月日:1969年10月2日
出身地:神奈川県
身長:167cm
血液型:O型
夫は俳優の中上雅巳。第10回ホリプロタレントスカウトキャラバングランプリを受賞して歌手デビューし、アイドルとして活動。タレントに転身後バラドルとしてバラエティ番組で活躍、『新婚さんいらっしゃい!』などでMCを務める。
■来歴
【生い立ち】
1969年10月2日、埼玉県浦和市の病院で生まれる。長女で、4歳下の弟がいる。父が転勤族だったため、幼児期を東京都文京区大塚、埼玉県浦和市、東京都豊島区駒込、江東区亀戸、小学生時代を福島県いわき市、埼玉県上尾市、中学生時代を長野県松本市、秋田県秋田市でそれぞれ過ごす。1984年11月、15歳の時に神奈川県平塚市菫平に転居して以後は父の転勤生活も終わり、現在も実家が平塚市にある。そのため、出身地は平塚市とされる。神奈川県立神田高等学校を経て堀越高等学校卒業。書道は小学5年生の時点で二段の腕前であった。
幼少期からアイドルを志し、中学生の頃には既に頻繁に路上(原宿など)でスカウトマンから声を掛けられるようになり、それをことごとく断ることで有名な少女だった。これは山瀬本人が「どうせ芸能界入りするなら、信頼できる大手事務所と契約する方が良い」と考えていたためだったという。1983年、中学1年生の時にホリプロタレントスカウトキャラバンに応募したが書類選考で落選。1985年、2度目の応募で『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に出場、見事優勝した。この時の最終審査には中村由真、我妻佳代らがいた。
【歌手デビュー】
翌1986年3月に松任谷由実作曲(クレジットは呉田軽穂名義)のシングル『メロンのためいき』でアイドル歌手デビュー。当初のキャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」だった。デビュー前の特技はクラシックバレエで、タレントスカウトキャラバンで用いられたイメージVTRではバレエを踊る映像がある。
同年、アニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』でピーチ姫の声優にも挑戦した。テレビアニメ『ホワッツマイケル』(1988年)では主題歌を歌い、声優としても出演している。
アイドルとしては大成しなかったが歌唱力に定評があり、当時マネジャーだった岡孝二郎(現:ホリプロ役員)は所属レコード会社の担当者と、正統派アイドルとしては成功しなかったが、アーティストしてはまだ可能性があるのではないかとの話になり、「山瀬まみロック化計画」としてロック歌手とコラボレーションして、オリジナルアルバム『親指姫』を発売、ヒットする。山瀬本人は後年になって「アイドルとしては背が高すぎた」と自ら評している。
【タレント・司会者として】
歌声とのギャップが激しいハスキーな舌足らず口調、明るくあっけらかんとした性格でトークが面白い、と少しずつテレビの出演が増えていき、1986年10月よりレギュラー出演した『テレビ探偵団』(TBS)をきっかけにバラエティ番組で活躍。1989年には『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のレギュラーに抜擢されるなど、のちに井森美幸、森口博子、松本明子らともに「バラドル」と称されるようになる。しかし繊細で涙もろい面もあり、1988年の『タモリのいたずら大全集』にゲスト出演した際、同じくゲスト出演者の大竹まことと口論になり、取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまう。
1991年から情報番組『ブロードキャスター』(TBS)に約18年間にわたってレギュラー出演し、「お父さんのためのワイドショー講座」コーナーを担当[6]。1997年7月より『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送テレビ)のアシスタントを務めており、2008年1月に事務所の先輩の片平なぎさが持っている10年半の記録を塗り替え、アシスタント最長記録保持者となる。この記録はなおも更新されており、2017年7月9日放送分で20年に到達した。
1990年代後半には金鳥(キンチョウリキッド)のCMで、河童の着ぐるみ(当初のロケはニュージーランドで行われたが、最近は日本でロケを敢行)と関西弁風の台詞「油とちゃうちゃう」のセリフで有名になる。
ラジオでは1996年秋以降、ニッポン放送でレギュラー番組を持ち続けていた。特に同局の上柳昌彦アナウンサーと番組で共演することが多く、一時期は名コンビともリスナーから評判だったが、2015年3月を持ってニッポン放送のラジオ番組を降板し18年半の歴史にピリオドをうった。
『ブロードキャスター』は1991年春の番組開始から2008年秋の番組終了まで唯一出演し続けた(メイン司会の福留功男の出演は番組開始半年後からである)。なお出演番組の長寿ぶりについては「仕事を選んできてくれるマネジャーさんの力量ですかね」と語っている。
2012年3月18日に自らの出身地としている神奈川県平塚市から、『ひらつか観光大使』に任命された。
2017年9月21日、東京麹町の日本テレビのスタジオで『天才!志村どうぶつ園』の収録前に転倒し、右膝蓋骨と左足第5中足骨の骨折で全治3か月と診断される。当初は自宅で療養する予定だったが、両足骨折のため治療や日常生活に困難をきたし、22日に都内の病院に入院した。10月20日放送の『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』(TBSラジオ)で、1か月ぶりに仕事復帰。『新婚さんいらっしゃい!』には、同月24日の収録(11月12日放送分)から復帰。
日本の芸能界の大物であり、病気でこの世を去った逸見政孝と志村けん司会の番組にレギュラー出演していた唯一の人物である。
【私生活】
1999年6月26日に俳優の中上雅巳と結婚。ジューンブライドに憧れ、レギュラー番組の『ブロードキャスター』で真っ先に結婚報告をするために大安の土曜日を選んだ結果、この日の婚姻届提出となった。本人が語るところによると、「お試し期間」として実際に夫婦としてやっていけるかどうかを試すため、結婚前に3年ほど同棲生活を送っており、写真週刊誌などにスクープされるだろうと思っていたが、結局は自ら結婚報告を行った。 なお2020年2月2日放送の「新婚さんいらっしゃい!」にて阪神ファンである事が判明した。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
生年月日:1969年10月2日
出身地:神奈川県
身長:167cm
血液型:O型
夫は俳優の中上雅巳。第10回ホリプロタレントスカウトキャラバングランプリを受賞して歌手デビューし、アイドルとして活動。タレントに転身後バラドルとしてバラエティ番組で活躍、『新婚さんいらっしゃい!』などでMCを務める。
■来歴
【生い立ち】
1969年10月2日、埼玉県浦和市の病院で生まれる。長女で、4歳下の弟がいる。父が転勤族だったため、幼児期を東京都文京区大塚、埼玉県浦和市、東京都豊島区駒込、江東区亀戸、小学生時代を福島県いわき市、埼玉県上尾市、中学生時代を長野県松本市、秋田県秋田市でそれぞれ過ごす。1984年11月、15歳の時に神奈川県平塚市菫平に転居して以後は父の転勤生活も終わり、現在も実家が平塚市にある。そのため、出身地は平塚市とされる。神奈川県立神田高等学校を経て堀越高等学校卒業。書道は小学5年生の時点で二段の腕前であった。
幼少期からアイドルを志し、中学生の頃には既に頻繁に路上(原宿など)でスカウトマンから声を掛けられるようになり、それをことごとく断ることで有名な少女だった。これは山瀬本人が「どうせ芸能界入りするなら、信頼できる大手事務所と契約する方が良い」と考えていたためだったという。1983年、中学1年生の時にホリプロタレントスカウトキャラバンに応募したが書類選考で落選。1985年、2度目の応募で『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に出場、見事優勝した。この時の最終審査には中村由真、我妻佳代らがいた。
【歌手デビュー】
翌1986年3月に松任谷由実作曲(クレジットは呉田軽穂名義)のシングル『メロンのためいき』でアイドル歌手デビュー。当初のキャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」だった。デビュー前の特技はクラシックバレエで、タレントスカウトキャラバンで用いられたイメージVTRではバレエを踊る映像がある。
同年、アニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』でピーチ姫の声優にも挑戦した。テレビアニメ『ホワッツマイケル』(1988年)では主題歌を歌い、声優としても出演している。
アイドルとしては大成しなかったが歌唱力に定評があり、当時マネジャーだった岡孝二郎(現:ホリプロ役員)は所属レコード会社の担当者と、正統派アイドルとしては成功しなかったが、アーティストしてはまだ可能性があるのではないかとの話になり、「山瀬まみロック化計画」としてロック歌手とコラボレーションして、オリジナルアルバム『親指姫』を発売、ヒットする。山瀬本人は後年になって「アイドルとしては背が高すぎた」と自ら評している。
【タレント・司会者として】
歌声とのギャップが激しいハスキーな舌足らず口調、明るくあっけらかんとした性格でトークが面白い、と少しずつテレビの出演が増えていき、1986年10月よりレギュラー出演した『テレビ探偵団』(TBS)をきっかけにバラエティ番組で活躍。1989年には『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のレギュラーに抜擢されるなど、のちに井森美幸、森口博子、松本明子らともに「バラドル」と称されるようになる。しかし繊細で涙もろい面もあり、1988年の『タモリのいたずら大全集』にゲスト出演した際、同じくゲスト出演者の大竹まことと口論になり、取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまう。
1991年から情報番組『ブロードキャスター』(TBS)に約18年間にわたってレギュラー出演し、「お父さんのためのワイドショー講座」コーナーを担当[6]。1997年7月より『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送テレビ)のアシスタントを務めており、2008年1月に事務所の先輩の片平なぎさが持っている10年半の記録を塗り替え、アシスタント最長記録保持者となる。この記録はなおも更新されており、2017年7月9日放送分で20年に到達した。
1990年代後半には金鳥(キンチョウリキッド)のCMで、河童の着ぐるみ(当初のロケはニュージーランドで行われたが、最近は日本でロケを敢行)と関西弁風の台詞「油とちゃうちゃう」のセリフで有名になる。
ラジオでは1996年秋以降、ニッポン放送でレギュラー番組を持ち続けていた。特に同局の上柳昌彦アナウンサーと番組で共演することが多く、一時期は名コンビともリスナーから評判だったが、2015年3月を持ってニッポン放送のラジオ番組を降板し18年半の歴史にピリオドをうった。
『ブロードキャスター』は1991年春の番組開始から2008年秋の番組終了まで唯一出演し続けた(メイン司会の福留功男の出演は番組開始半年後からである)。なお出演番組の長寿ぶりについては「仕事を選んできてくれるマネジャーさんの力量ですかね」と語っている。
2012年3月18日に自らの出身地としている神奈川県平塚市から、『ひらつか観光大使』に任命された。
2017年9月21日、東京麹町の日本テレビのスタジオで『天才!志村どうぶつ園』の収録前に転倒し、右膝蓋骨と左足第5中足骨の骨折で全治3か月と診断される。当初は自宅で療養する予定だったが、両足骨折のため治療や日常生活に困難をきたし、22日に都内の病院に入院した。10月20日放送の『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』(TBSラジオ)で、1か月ぶりに仕事復帰。『新婚さんいらっしゃい!』には、同月24日の収録(11月12日放送分)から復帰。
日本の芸能界の大物であり、病気でこの世を去った逸見政孝と志村けん司会の番組にレギュラー出演していた唯一の人物である。
【私生活】
1999年6月26日に俳優の中上雅巳と結婚。ジューンブライドに憧れ、レギュラー番組の『ブロードキャスター』で真っ先に結婚報告をするために大安の土曜日を選んだ結果、この日の婚姻届提出となった。本人が語るところによると、「お試し期間」として実際に夫婦としてやっていけるかどうかを試すため、結婚前に3年ほど同棲生活を送っており、写真週刊誌などにスクープされるだろうと思っていたが、結局は自ら結婚報告を行った。 なお2020年2月2日放送の「新婚さんいらっしゃい!」にて阪神ファンである事が判明した。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.