八村塁(はちむらるい)

誕生日:
1998年2月8日
星座:
みずがめ座
身長:
203cm
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八村塁のプロフィール


八村塁(はちむら・るい)

日本の男子バスケットボール選手
生年月日:1998年2月8日
出身地:富山県
身長:203cm
ポジション:SF/PF

■経歴

若齢期・高校
富山県で日本人の母・麻紀子とベナン人の父・ザカリの長男として生まれ、幼少時は陸上の短距離と野球をやっていた。投手と捕手を兼任しており、イチローに憧れていた。

同級生から、バスケットボールを勧められ、入部した。

富山市立奥田中学校で第42回全国中学校バスケットボール大会準優勝、大会ベスト5に選出される。1年生の時には2年先輩に馬場雄大がいた。

宮城県の私立明成高等学校に入学し、1年生で出場した第44回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会では、決勝戦でゴール下を支配し、32得点を挙げ、明成高等学校の優勝に貢献した。

2年生の第45回大会に於いても2年連続優勝に貢献し、第44回から2大会連続でベスト5に選ばれている。また2015年夏に開催された第68回インターハイでは、決勝で愛知県の桜丘高等学校を92-69で破り初優勝した[9]。ウインターカップ2015の男子決勝では34得点、19リバウンドを記録し、明成が78-73で土浦日大に逆転勝利で大会三連覇を達成した。

カレッジ
ゴンザガ大学に進学を決めて渡米し、2016年11月5日に初出場を果たし、11分出場で、9得点、3リバウンドを記録した。チームはWCCカンファレンスで優勝してNCAAトーナメントに進出。八村は1回戦で1分出場し、NCAAトーナメントに日本人として初めて出場した。さらに準々決勝・ゼイビア大戦の残り1分を切ったところで出場機会を与えられると3ポイントシュートで日本人初得点を決めた。ゴンザガ大はトーナメントで準優勝した。八村は28試合に出場、1試合平均4.6分で2.6得点1.4リバウンド。2017-18シーズンは2試合のスターターを含む37試合に出場し、11.6得点、4.7リバウンドの記録を残した[13]。2018年3月22日、2年連続で進出したNCAAトーナメントでは、フロリダ州立大学に敗れ、スウィート16に終わった。2年連続のファイナル4進出とはならずゴンザガ大2年目のシーズンを終えた。

NBA
2019年のNBAドラフトにてワシントン・ウィザーズから一巡目9位指名を受ける。「皆さんやりました。NBAです」と述べた。 2019年6月22日、日本人初となるエア・ジョーダンと契約したことが発表された。 7月6日、サマーリーグにてNBAデビュー。34分の出場で14得点5リバウンド1アシスト2ブロックを記録した。トータル3試合に出場し、チームトップの1試合平均19.3得点。

代表経歴
2013年9月イランで行われたバスケットボールアジアU-16選手権に、日本代表として出場、チームの大黒柱として活躍し3位に入り[17]、1998年の田臥勇太世代以来、日本のジュニア代表を15年振りに世界選手権出場に導いた。
2014年8月ドバイで行われたU-17世界選手権で日本代表としてアメリカの代表と対戦した。日本代表は高校生のベストメンバーを揃えて臨んだが、122対38の大敗を喫した中で、八村はチームの38点のうち25得点を奪う孤軍奮闘を見せ、試合後のインタビューで八村は「すごく楽しかったです。苦しくないです。楽しくて苦しいんです。」と語っている。八村はこの世界選手権で大会得点王(平均22.6点)を獲得した。

2015年にバスケットボール男子日本代表候補に高校生選手としては唯一選ばれている。代表の長谷川健志監督は「高校生離れしている」と語り、4年ぶりに代表候補に復帰した田臥も「能力がある。うらやましい」と語っている。
2018年6月、韓国との強化試合で日本代表デビュー。アメリカがバスケシーズンとなるまでの間に出場したワールドカップ予選4試合で勝利に貢献し、予選突破に貢献した。
2019年7月、ワールドカップ中国大会の日本代表に選出。大会直前の強化試合で世界ランク22位のドイツに勝利し、自身はチーム最多の31得点。W杯では対戦相手の徹底マークに苦しみ、アメリカ戦ではハリソン・バーンズのマークに苦しみ4得点に封じられたが、NBAブロック王のマイルス・ターナーのブロックをかわして決めたダンクは大会6日目のトップ3プレーに選出された。1次リーグ終了後、八村は膝の不安と疲労のため日本チームを離脱した。

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