武尊のプロフィール
武尊(たける、1991年7月29日)は、日本のK-1fighter、鳥取県米子市出身。K-1 GYM SAGAMI-ONO KREST所属。現K-1 WORLD GPスーパーフェザー級王者。元K-1 WORLD GPフェザー級王者。元K-1 WORLD GPスーパーバンタム級王者。K-1 WORLD GP3階級制覇。
アグレッシブに攻め続ける攻撃的なファイトスタイルが持ち味。『ナチュラル・ボーン・クラッシャー』の異名を持つ。
◆来歴
1991年、鳥取県米子市に生まれる。
小学2年生の頃、テレビで見たK-1に憧れ空手を始める。
子供好きで保育士になる事を夢見ていた事から、ボクシング部があって保育士の資格もとれる高校に進学するが、素行が悪く三か月で退学になる。
キックボクシングに転向。K-1甲子園に出場するため、通信制の高校へ再入学をする。
2008年、アルバイトでお金を貯めタイに単身武者修行に行く。様々なアマチュア大会に出場して経験を積む。
2009年、念願のK-1甲子園出場を果たすも、関西地区予選の2回戦で敗退し、あまりの悔しさに涙を流しながら本部席にいた前田憲作に「僕こんな弱くないんで。もっと強くなりたいです」と訴えたところ、前田にチームドラゴンに来れば強くなれると入門を勧められる。
2010年、上京する資金を貯めるためにアルバイトを掛け持ちして、高校卒業後すぐに「チームドラゴン」に入門。
2011年9月24日、Krush.12にてプロデビュー。
Krush王座獲得
2013年5月12日、Krush.28にてKrush -58kg初代王者決定トーナメント決勝で寺戸伸近と対戦し、3-0の判定勝ちで王座獲得。
2014年3月8日、Krush.39にてKrush -58kg王座の防衛戦で神戸翔太と対戦し3-0の判定勝ちで初防衛に成功。
2014年8月9日、Krush.44にてKrush -58kg王座の防衛戦で鈴木雄三と対戦し、3-0の判定勝ちで2度目の王座防衛に成功。
2014年11月3日、新生K-1の旗揚げ戦となったK-1 WORLD GP 2014 ~-65kg初代王座決定トーナメント~にて現役王者同士の対決が実現。階級を-55kg級に落とし、Krush -55kg王者・大雅と対戦した。試合は18歳で無敗の大雅の若さと怖いもの知らずの勢いに押され序盤から劣勢が続いたが、カウンターの右バックブローで3ラウンド逆転KO勝ちを収めた。
2015年2月6日、Krush.51にてKrush -58kg王座の防衛戦で大滝裕太と対戦し、3-0の判定勝ちで3度目の王座防衛に成功。
K-1 WORLD GP王座獲得
2015年4月19日、K-1 WORLD GP 2015 IN JAPAN~-55kg初代王座決定トーナメント~に出場し、一回戦でアレクサンダー・プリリップに2ラウンドKO勝ち。続く準決勝で瀧谷渉太に1ラウンドKO勝ちを収めると、決勝は大雅との再戦となり、お互いに真っ向勝負の壮絶な殴り合いを繰り広げ、激闘の末に3-0の判定勝ちでトーナメント優勝を飾り、初代K-1 WORLD GP -55kg王座を獲得した。
2015年8月5日、K-1 WORLD GP -55kg王座の防衛に専念するため、Krush -58kg王座を返上。
2015年11月21日、K-1 WORLD GP 2015 IN JAPAN~THE CHAMPIONSHIP~にてK-1 WORLD GP -55kg王座の防衛戦でチャールズ・ボンジョバーニと対戦し、1ラウンドにダウンを奪われるが、2ラウンドに3度のダウンを奪い返して逆転KO勝ちで初防衛に成功。試合後、「僕、大晦日めっちゃ暇なのでよろしくお願いします」と大晦日のRIZIN参戦をアピールした。
2015年12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 IZAの舞にて57kg契約・K-1ルールで、ヤン・ミン(中国)に2RKO勝ち。
2016年6月24日、K-1 WORLD GP 2016 IN JAPAN~-65kg世界最強決定トーナメント~にて57kg契約で小澤海斗と対戦。試合が決定してから小澤が挑発を繰り返したあげく、公開会見で武尊に掴みかかる乱闘騒動を起こしたことで因縁の対戦となった。試合は序盤から主導権を握り、3Rには有効打を多く当て差をつけ、3-0で判定勝利。武尊は後のインタビューで、この試合の1週間前の最後の追い込み中に肋骨を2本骨折してしまい、それ以降は練習が出来なかった為ほとんど食事をせずに減量をするしかなく、試合当日に痛み止めの注射を打つも痛みが治まらなかったので、得意の右のパンチをほとんど打てない酷いコンデションの中での試合だったことを明かしている。
2016年8月28日、K-1 WORLD GPスーパーバンタム級(-55kg)王座を返上し、階級を上げフェザー級(-57.5kg)に転向することが発表された。
2016年10月1日、大半の所属選手とともにチームドラゴンを離脱。新チーム「Krest」に移籍することが正式に発表された。
K-1 WORLD GP王座2階級制覇
2016年11月3日、K-1 WORLD GPフェザー級(-57.5kg)初代王者決定トーナメントに出場。一回戦でイギリスのジェイミー・ウィーランからダウンを奪い3-0の判定勝利。準決勝では中国のユン・チーに乱打戦の末2度のダウンを奪いKO勝ちを収めると、決勝で小澤海斗に大差で判定勝利を収め、2階級制覇を成し遂げた。試合後、右拳を試合中に骨折していたことがわかった。
2017年4月22日、K-1 WORLD GP 2017 JAPAN ~第2代スーパー・バンタム級王座決定トーナメント~でビクトー・サラビアと対戦。武尊は試合を優勢に進めるが、3ラウンドにサラビアの右バックスピンキックが下腹部を直撃すると、うずくまるように倒れ込み試合が中断される。ローブローのダメージにより武尊は嘔吐し全身に痙攣も見られたため、試合続行不可能によりドクターストップとなってもおかしくない状況だったが、気力で立ち上がり試合を続行した。試合は再開されたが短時間ではダメージは回復せず、武尊は足の踏ん張りが効かなくなっていた。しかし、アグレッシブに前に出て打ち合いを仕掛け、最後は右ストレートから返しの左フックを叩き込んでサラビアを失神させて、3RKO勝利を収めた。この武尊のアクシデントを乗り越えた劇的な勝利を解説の魔裟斗は「自分の時よりも武尊は今のK-1を背負っている」と称え、武尊は「(反則のローブローであっても)これが殺し合いなら負けているので、早く立ちたかった。試合中断は、見てるお客さんには、無駄な時間なんで」と語った。
2017年9月18日、K-1 WORLD GP 2017 JAPAN ~初代ウェルター級王座決定トーナメント~にて、ワン・ジュングァンとK-1 WORLD GPフェザー級王座の防衛戦で対戦し、判定勝ちで王座の初防衛に成功した。
2018年1月14日、年間表彰式「K-1 AWARDS 2017」が開催され、ビクトー・サラビア戦で最高試合賞(ベストバウト)を受賞した。
K-1 WORLD GP王座3階級制覇
2018年3月21日、K-1 WORLD GP 2018 JAPAN ~K'FESTA.1~にてK-1 WORLD GP 第4代スーパー・フェザー級王座決定トーナメントに出場。一回戦でギリシャのスタウロス・エグザコスティディスに判定勝利。準決勝で郷州征宜にKO勝利を収めると、決勝では小宮山工介にKO勝利を収め、K-1史上初の3階級制覇を成し遂げた。
12月8日 新体制となったK‐1としては初の大阪大会のメインイベントで保持しているスーパー・フェザー級のベルトを掛けたタイトルマッチで皇治と対戦し、2度のダウンを奪って大差の判定勝ちを収めた。試合後にはリング上で具体的な名前は挙げないまでも、那須川天心と対戦したいと述べた。
2019年2月1日、『K-1 AWARDS 2018』において最優秀選手賞(MVP)を受賞した。
2019年3月10日、K-1 WORLD GP 2019 JAPAN ~K’FESTA.2~にてラジャダムナン・スタジアム王者のヨーキッサダー・ユッタチョンブリーと対戦し、2RKO勝ち。この試合で拳を負傷し、全治6ヶ月と診断された。試合翌日の会見で、練習で右足甲を骨折した状態で戦ったことと、ヨーキッサダーの「金属バットで殴られたみたいに重いミドルキック」を腕にもらい、このままでは3R持たないので急遽2Rにパンチ勝負に賭けたと語っている。
■人物
名前の武尊は歴史好きの父により、ヤマトタケルノミコトに因んでつけられた。
鳥取県米子市首都圏観光大使およびとっとりふるさと大使を務める。
入場曲は3OH!3のTouchin On Myである。
芸能界の友人が多く、ONE OK ROCKのTakaやUVERworldのTAKUYA∞とは特に仲が良い。俳優の綾野剛とも親交があり、しばしば綾野が試合を見に来る事がある。
しばしばアメリカに渡り、ドゥエイン・ラドウィックのジムでUFCバンタム級王者のTJ・ディラショーのスパーリングパートナーを務めている。2018年9月の試合に向けてはリョート・マチダのジムで練習を積んだ。
KO勝ちするとコーナーポストから宙返りをするのが恒例である。
中学生の頃は本格的にバンドをやっており、格闘家になってからもギターを弾いている。
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