村上佳菜子(むらかみかなこ)

誕生日:
1994年11月7日
星座:
さそり座
画像 記事 プロフィール

村上佳菜子の関連リンク

村上佳菜子に関する画像

村上佳菜子に関する記事

  1. 村上佳菜子、イケメン夫とのバースデーショット公開「幸せオーラ全開」「ラブラブ」と反響

    モデルプレス

  2. フォーリンラブ・バービー、娘抱っこショット 村上佳菜子自宅訪問で驚いたこと明かす

    モデルプレス

  3. 村上佳菜子、夫とのキスショット公開「幸せオーラ全開」「美しい」と反響続々

    モデルプレス

  4. 村上佳菜子、美デコルテ際立つドレス姿 結婚式&前撮りのメイク紹介に反響「お肌つやつや」「美しい」

    モデルプレス

  5. 村上佳菜子、夫と恋人繋ぎ&密着自撮り2ショット ディズニーデートに「ラブラブ」「楽しんでるの伝わる」の声

    モデルプレス

  6. 村上佳菜子、夫との前撮り多数公開 メイクは“ノーファンデ”「コンシーラーだけ」

    モデルプレス

  7. 村上佳菜子、宮古島での挙式報告 夫との密着2ショット公開「笑って泣いて盛り上がった私たちらしい結婚式」

    モデルプレス

  8. 村上佳菜子、抜群スタイル際立つ水着姿「脚長い」「腹筋割れてる」と反響

    モデルプレス

  9. 村上佳菜子、3000万円の別荘購入 夫・豊さんとの今後の展望明かす

    モデルプレス

  10. 村上佳菜子、“大事な弟”宇野昌磨の現役引退発表受けエール 過去エピソードも明かす

    モデルプレス

  11. 村上佳菜子、美容資格取得を報告「人間としてのスキルアップ」

    モデルプレス

  12. 新婚の村上佳菜子、豪華な食卓公開「美味しそう」「旦那さんと横並び可愛い」の声

    モデルプレス

  13. 村上佳菜子、婚姻届提出を報告 1月に婚約発表「どんな夫婦になるか楽しみ」

    モデルプレス

  14. 村上佳菜子の婚約者・豊さん、竹内涼真からの「“行ってきます”のチューとかしないんですか?」に即回答 スタジオ拍手飛び交う

    モデルプレス

  15. 婚約発表・村上佳菜子、密着ウエディングショット公開 インスタで改めて報告「ハッピーすぎる楽しい家庭を築いていきたい」<全文>

    モデルプレス

  16. 村上佳菜子、プロポーズダメ出しで2回断っていた 馴れ初め・惹かれたポイント明かす

    モデルプレス

  17. 村上佳菜子、婚約者の“実業家”報道を否定「2人でプレッシャーだねって話してた」

    モデルプレス

  18. 村上佳菜子、2歳年下・イケメン婚約者初お披露目「爽やか」「お似合い」と反響

    モデルプレス

  19. 織田信成、村上佳菜子の婚約祝福「まるまる愛してくれる人に出会えたようで良かった」

    モデルプレス

  20. 村上佳菜子の婚約者「行列」で初顔出し 出会い&プロポーズ秘話明らかに

    モデルプレス

村上佳菜子のプロフィール

村上 佳菜子(むらかみ・かなこ)

生年月日:1994年11月7日
出身:愛知県
身長:162cm

フィギュアスケート選手(女子シングル)。2014年ソチオリンピック日本代表(12位)。2014年四大陸選手権優勝、2010年GPファイナル3位、2013年世界選手権4位、2010年世界ジュニア選手権優勝、2009年JGPファイナル優勝など。マネージメントはユニバーサルスポーツマーケティング。

■経歴
・生い立ち
愛知県名古屋市中区出身。中京大学附属中京高等学校卒業。中京大学卒業。大須のリンクでスケートを始めた姉についていき、3歳からスケートを始める。

・ジュニア時代
2008-2009シーズンから国際スケート連盟主催のジュニアクラス競技会に参加。ISUジュニアグランプリシリーズ (JGP) 初出場となるジョン・カリー記念で優勝し、ファイナルに進出した。国内では全日本ジュニア選手権3位となり全日本選手権に出場。選手中最年少ながら7位となり新人賞を受賞した。

2009-2010シーズン、JGPトルン杯とクロアチア杯、全日本ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナルでそれぞれ優勝。初めて出場したシニアの国際大会・アイスチャレンジでも優勝を果たす。全日本選手権では5位入賞。初出場の世界ジュニア選手権では日本女子シングル選手6人目の優勝者になった。

・シニアデビューとソチオリンピックまでの道のり
2010-2011シーズンよりシニアのグランプリシリーズに参戦。NHK杯ではショートプログラムで2位につけるも、フリースケーティングはジャンプで3度転倒するなどして5位、総合3位となった。2戦目のスケートアメリカではSP、フリーともに2位とで総合優勝。グランプリファイナルでは、2位と0.01ポイント差の3位(日本人最高位)に入った。全日本選手権では安藤美姫、浅田真央に次ぐ3位となり、自身初めてとなる世界選手権の代表に選出された。

当初日本の東京で予定された2011年世界選手権は開催前の東日本大震災で中止・約1か月延期され、ロシアのモスクワで代替開催となった。その自身初出場の世界選手権ではSPで出遅れ10位、フリーで7位となるも総合8位に留まった。

2011-2012シーズンは新たに3回転フリップ-3回転トウループのコンビネーションを取り入れた構成に挑むも、グランプリシリーズでは中国杯6位、エリック杯4位と成績が振るわずGPファイナル出場を逃した。全日本選手権では、ショートプログラムで1位になるものの、フリースケーティングではステップの途中で転倒してしまうなどミスが目立ち、総合3位に終わった。四大陸選手権は、標高2,000m近くのコロラドスプリングスで開催された影響もあってか、体調不良のアクシデントもあり総合4位に留まる。2年連続2回目の出場となる世界選手権(フランス・ニース)は、SPでほぼノーミスの演技で2位の好発進だったが、フリーでは3回転フリップが両足着氷やアクセルジャンプが2度共1回転半になるなど失敗が重なり5位、総合順位も5位に下がりメダル獲得はならなかった。初出場の世界国別対抗戦ではSPでパーソナルベストをマークし3位につけたが、フリーではミスが続いて8位で自身の成績は総合6位に終わるも、日本代表としては総合優勝を果たした。

2012-2013シーズンでは、ショートプログラムでも、今までフリースケーティングで行われていた後半基礎点が1.1倍になる制度が導入され、ステップから入り後半にジャンプを固める珍しい構成のプログラムに挑戦。シーズン前半はミスが目立ったが後半は安定した演技を見せ、全日本選手権は2位、四大陸選手権3位に入る。世界選手権(カナダ・ロンドン)では、結果同大会自身最高順位となる総合4位に入り、翌2014年のソチオリンピック女子シングル日本代表は、浅田真央の3位との成績で最大の「3枠」を確保した。

・ソチオリンピック
2013-2014シーズンのグランプリシリーズ第3戦の中国杯では、総合4位と表彰台を逃した。さらに第6戦ロステレコム杯では、SPの冒頭で他の選手の曲である「セックス・アンド・ザ・シティ」が流れるというアクシデントに見舞われ、直後の演技で3回転-3回転の連続ジャンプが2回転-2回転になるなどジャンプにミスが出てしまい最下位の9位、翌日のフリーでは2つのジャンプで回転不足を取られた以外はほぼ完璧な演技も4位、総合7位でGPファイナル進出は果たせなかった。その後、ショートプログラムを2シーズン前のヴァイオリンミューズに戻し、プログラム変更後最初の試合となった全日本選手権では、変更したショートプログラム、そしてフリースケーティングともにほぼ完璧な演技をして総合2位に。冬季オリンピック初出場となる念願のソチオリンピック出場権を獲得した。四大陸選手権ではフリースケーティング・トータルスコア共に自己ベストを更新し、同大会初優勝を飾った。

しかし期待されたソチ五輪の女子シングル本番(団体戦は欠場、個人戦のみ出場)は、ショートプログラムでの3回転フリップが1回転に抜けるミスが響き、15位発進と大きく出遅れる。フリースケーティングでも3回転ルッツでバランスを崩し、3回転ループが2回転になるなどのジャンプ失敗で得点を伸ばせず12位、結局総合12位に終わり8位入賞には届かなかった。4年連続出場の世界選手権(日本・さいたま市)でも、SP10位・フリー共に10位の総合10位に留まった。今シーズン限りで引退も考えていた中「このままでは満足出来ない。次に向けてもう一度やり直す」と来シーズンへの現役続行を宣言した。

・ソチオリンピック以降
2014-2015シーズンのGPシリーズでは、中国杯で3位に入るも、NHK杯はフリーでザヤックルール違反を犯してしまい4位に終わる。全日本選手権ではSP9位と大きく出遅れるが、フリーで挽回して4位に。同大会では総合5位に留まったが、過去の実績等が考慮され5年連続5回目の世界選手権(中国・上海市)代表入りを獲得した。その世界選手権のSPではシーズンベストを更新する4位の好位置につけたが、フリーのみでは8位と順位を下げて総合成績は7位に留まり、念願の世界選手権メダル獲得はならなかった。

2015-2016シーズンのGPシリーズでは、スケートカナダで4位、続くエリック杯では、パリ同時多発テロの影響でフリーが中止になり、SPの結果だけで最終成績は4位に終わり、2戦とも表彰台を逃した。全日本選手権は、総合7位に終わり、世界選手権(アメリカ合衆国・ボストン)、四大陸選手権代表から落選した。しかし、浅田真央が四大陸選手権の出場を辞退したため、急遽繰り上げ出場となった。 SPは3季ぶりにパーソナルベストを更新し、2位につけたが、フリーで失速し、総合7位となった。

・現役引退
ソチオリンピック以降の3年間は思うような結果を出せずに苦しい日々を送り、左足の疲労骨折を抱える中で「最後になってもいい、自分の納得できる演技をしたい」と臨んだ2016年12月末の第85回全日本フィギュアスケート選手権において8位となって、「スケート人生の全てを出せました」として引退を示唆。2017年世界フィギュアスケート選手権の補欠に選出されたことからシーズン中は練習を継続し、2017年3月に中京大学を卒業。シーズン終了後となる2017年4月23日に自身の公式サイトにおいて直筆メッセージにて現役引退を表明し、同日開催の2017年世界フィギュアスケート国別対抗戦のエキシビションに出演して、「現役スケーターとして最後の演技になります」とアナウンスされた。今後はプロスケーターとして活動していくことを表明した。

・現役引退後
現役引退後はプロスケーターとして活動しアイスショーに出演予定。また山田満知子のもとで修行しつつ指導者を目指し、将来は「五輪に選手を連れて行けるコーチになりたい」としている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.