平野美宇(ひらのみう)

誕生日:
2000年4月14日
星座:
おひつじ座
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平野美宇のプロフィール

平野 美宇(ひらの・みう)

生年月日:2000年4月14日
出身:山梨県

女子卓球選手。

2017年の世界選手権に出場した村松雄斗はいとこにあたる。同学年の伊藤美誠とは友人、ライバル関係であり幼少期から「みうみま」の愛称でダブルスを組み、最年少でITTFワールドツアーを優勝、ワールドツアーグランドファイナルを優勝した。また女子卓球黄金世代の一人とも呼ばれる。

史上最年少でワールドカップと全日本選手権のシングルスで優勝した。またアジア選手権で日本人選手として21年ぶりのシングルスでの優勝、世界選手権で日本人選手として48年ぶりの女子シングルスのメダル獲得を果たすなど目覚ましい活躍を見せている。

■経歴
・幼少期
2000年4月14日に静岡県沼津市に生まれた。本名の「美宇」はスペースシャトル・エンデバーの打ち上げが成功したことに感動した両親が「美しい宇宙」から命名。2歳より山梨県中巨摩郡田富町(現:山梨県中央市)に住む。この頃は週に1回英会話教室に通っていた。両親ともに元筑波大学卓球部主将、元教師の母親は全国教職員卓球大会ベスト8に入ったこともある。また内科医の父親は筑波大学時代に全日本選手権2回戦に進出、次女の世和(せわ)、三女の亜子も卓球選手と卓球一家である。祖父の平野光昭は山梨大学名誉教授の数学者で山梨医科大学卓球部の顧問をしていた、2016年春には瑞宝中綬章を受章している。

3歳5カ月で卓球を始め母が指導する「平野英才教育研究センター卓球研究部」や小学5年生まで過ごした祖父の自宅の2階にも卓球台を置き腕を磨いた。2004年4月、旧田富町ラージボール卓球大会で大会デビュー。7月、全日本卓球選手権大会バンビの部史上最年少出場。2005年10月号卓球王国の表紙を飾るなど、かつての福原愛のように、幼い頃から卓球が上手く、負けそうになると泣いて悔しがったので、マスコミから「第2の愛ちゃん」と呼ばれ一躍有名になった。2007年4月から中央市立田富北小学校に通う。また西村卓二元女子日本代表監督が指導する東京富士大学卓球部に年に数回、小学1年生から卒業するまで練習に参加していた。7月、バンビの部では福原愛以来史上2人目の小学校1年生の優勝者になった。2009年1月ジュニアの部に小学2年で出場し、福原愛の最年少出場と勝利記録を更新した。またU―12日本代表合宿に最年少で招集された。3月東京選手権で大会最年少勝利記録を更新した。

2009年4月から大阪府八尾市に拠点を置くミキハウスのチーム「ミキハウスJSC」に所属し単身通い技術を磨く。またコーチが元世界ランク5位の陳莉莉になった。7月カブの部で優勝した。2010年1月全日本選手権は4種目フルエントリーの最年少記録を打ち立てた。8月、ITTFジュニアサーキット香港ジュニア&カデットオープンでITTF主催デビュー。結果はカデット女子シングルスがベスト32、女子ダブルスがベスト32だった。2011年1月全日本選手権一般シングルスでは福原愛の最年少勝利記録を11大会ぶりに更新する10歳9ヶ月で勝利した(その10分後伊藤美誠が更新)。6月アジア選手権女子日本代表選考会に30人中18位という成績を残す。8月東アジアホープス大会でシングルスで日本人初優勝、団体でも優勝した。11月カデットの部13歳以下で優勝。2012年1月ジュニアの部は福原以来2人目の小学生での決勝進出を果たした。2月にはジャパントップ12卓球大会に11歳で初出場した。11月カデットの部14歳以下で優勝。

・みうみまで世界で活躍
伊藤美誠との女子ダブルスは、2013年1月全日本選手権で大会最年少勝利を飾り、2月ITTFワールドツアーカタールオープンで史上最年少で表彰台を果たすなどの成績を残し、みうみまの愛称で呼ばれた。4月、中学1年でJOCエリートアカデミーに入校。コーチがJOCエリートアカデミー所属の劉潔になる。8月ITTFジュニアサーキット韓国カデット女子シングルスで優勝した。12月の世界ジュニア選手権は団体で準優勝した。

2014年1月ジュニアの部は一昨年に続き、またも2位に終わった。3月、ジャパントップ12では最年少で決勝進出したが敗れた。同月ワールドツアードイツオープンの女子ダブルスで優勝し、13歳350日の平野は3番目の記録となった。また、2人の合計年齢(27歳145日)が史上最年少記録としてギネス世界記録に認定された。翌週スペインオープンでも優勝し2勝目を挙げた。シングルスでも決勝進出し、元世界選手権女王の郭躍(中華人民共和国の旗 中国)が15歳で決勝進出した史上最年少記録を11年ぶりに塗り替えた(翌週早田ひなが更新)。5月重慶で開催された中国スーパーリーグ(英語版)の下部組織の甲Aリーグの河南省の河南チームに日本人から同じエリートアカデミー所属の浜本由惟とともに参戦しシングルス2勝1敗、ダブルス3勝1敗の成績を残した。9月に行われた第20回アジアジュニア卓球選手権大会(インド・ムンバイ)のカデット女子団体に伊藤美誠、早田ひなのトリオで出場し、決勝では中国を破り優勝した。アジア大会に福原愛以来の中学生で日本代表に選ばれ、団体決勝で朱雨玲(中華人民共和国の旗 中国)に敗れチームも銀メダルだった。11月ロシアオープンアンダー21で初優勝した。12月、世界ジュニア選手権は女子ダブルス、団体共に銀メダルだった。ITTFワールドツアー・グランドファイナル(英語版)では女子ダブルスで、郭躍の15歳を抜く史上最年少かつダブルスの日本勢で男女を通じて初めて優勝した。

2015年3月スペイン・オープンU21シングルス決勝で伊藤美誠に勝って優勝した。第53回世界選手権個人戦では日本代表にシングルス、ダブルス共に選ばれたが、直前の全日本選手権で2連覇した平野早矢香・石川佳純組が選出されず、ミキハウスが抗議文を提出する事態となった。本大会ではシングルスは3回戦負け、ダブルスは2回戦で負けた。7月韓国オープンのダブルスで優勝した。

・リオ五輪、世界選手権落選の挫折
2015年9月2日付の世界ランキングで17位となり、石川佳純、福原愛、伊藤美誠に次いで日本人4番目であったためリオ五輪女子団体代表から惜しくも落選し団体戦のリザーブとなった。続くアジア選手権 はシングルスは4回戦で劉詩雯(中国)に敗れた。女子ダブルス、団体でも決勝で陳夢(中国)に敗れ共に準優勝だった。10月ポーランドオープンアンダー21で優勝した。またコーチが新たに中澤鋭になる。12月グランドファイナルの女子ダブルスは、決勝で丁寧、(中国)朱雨玲(中国)組に完敗し2連覇を逃した。

2016年1月、全日本選手権一般の部女子シングルスでは準決勝で直近1勝7敗と負けている伊藤美誠との対戦だったがストレートで破り史上最年少で決勝進出したが、フラッシュ撮影を気にして集中力を欠き石川佳純に破れた。しかし世界選手権は前年の経緯から導入された勝利ポイント(世界ランキング50位以内を破った選手をポイント制で評価)が若宮三紗子に及ばず代表から漏れた。村上恭和女子代表監督は「全日本選手権で頑張った平野美宇でいいいんじゃないかと言われる方も理事会で多くいました。(中略)本当は選んでやりたい。平野は成長している。ただ、この勝利ポイント制を設けたのに、それを破棄して選ぶことは立場上できません」と説明した。4月のポーランドオープンでワールドツアーシングルス初優勝。8月のリオデジャネイロオリンピックでは上記の通りリザーブになったために試合には出場できず、裏方として石川佳純らの練習相手を務めた。

・シングルスで次々と最年少優勝
10月、フィラデルフィアで行われたワールドカップにて中国勢以外で初、かつ大会史上最年少となる16歳での優勝を飾った。またJSCの、2020年2020年東京五輪などに向けて若手有望選手を海外で集中的に強化する新事業の対象に選ばれ、中国スーパーリーグ(英語版)の内モンゴル自治区のオルドス1980(鄂尓多斯1980)に加入、1カ月中国全土を転戦しシングルス3勝7敗だった。12月ITTFの年間表彰式で「ブレークスルー・スター」賞を受賞した。世界ジュニア選手権では団体で6大会ぶりに優勝した。2016グランドファイナル(英語版)ではシングルスの準決勝でハン・イン(ドイツ)に敗れて3位となった。

2017年1月全日本選手権一般の部女子シングルスでは2年連続で決勝に進出し、3連覇中の石川佳純を4-2で下し史上最年少の16歳9か月での優勝を飾った。2017年4月にクロス・ビーとマネージメント契約を結ぶ。また第23回アジア選手権で団体で決勝まで1ゲームも落とさず決勝に進出、決勝では劉詩雯(中国)に敗れて準優勝となった。そして女子シングルスは自身の誕生日でもあった4月14日の準々決勝で世界ランク1位の丁寧(中国)を2ゲームを先行されながら逆転でフルゲームの末に破り、準決勝では2位の朱雨玲(中国)を下して決勝に進出、決勝では5位の陳夢(中国)と対戦、3-0(11-9、11-8、11-7)のストレートで勝利し、最年少かつ日本チームの選手として1996年の小山ちれ以来21年ぶりとなるアジア制覇を果たした。6月の第54回世界卓球選手権個人戦でダブルスは丁寧/劉詩雯組に3回戦で敗れたが、シングルスは準決勝でアジア選手権以来の再戦となった丁寧に1-4で敗れるも、1969年ミュンヘン大会小和田敏子、濱田美穂以来の48年ぶりの女子シングルスのメダルとなる銅メダルを獲得した。

・年表
2000年 4月14日 静岡県沼津市にて誕生
2002年 山梨県中巨摩郡田富町(現:山梨県中央市)に転居
2003年 9月「平野英才教育研究センター卓球研究部」で練習を始める
2007年 4月 田富北小学校 入学
2009年 4月 ミキハウスJSC山梨に所属。月に1度、練習施設のある大阪府八尾市に通う
2013年 3月 田富北小学校 卒業
2013年 4月 稲付中学校 入学 (入学を機に上京し、JOCエリートアカデミーに所属)
2014年 5月 中国甲Aリーグ(英語版)、河南省河南に入団
2016年 3月 稲付中学校 卒業
2016年 4月 大原学園高校 入学
2016年 10月 中国超級リーグ(英語版)、内モンゴル自治区オルドス1980に入団

■テレビ出演
『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』 テレビ朝日 #7(2006年1月3日)、#15 (2014年1月2日)
『ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!』 テレビ東京 (2008年2月21日)
『おしゃれイズム』 日本テレビ #205 (2009年7月19日)
『Crossroad』 テレビ東京 #79(2015年4月25日)
『アスリートの魂』 NHK BS1 #178(2017年2月11日)
他多数

■CM・広告
思い出THEATER withHandycam(ソニー、2011年)
Play,Support(日本生命、2017年)

■書籍
・雑誌
卓球王国 表紙(2005年10月号、2010年3月号、2014年8月号、12月号、2017年2月号、4月号、7月号、卓球王国)
ニッタクニュース 表紙(2015年8月号、2017年2月、6月号、日本卓球)
他多数

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