モーニング娘。(もーにんぐむすめ)

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モーニング娘。のプロフィール

モーニング娘。 (もーにんぐむすめ)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1997年 -
レーベル zetima(1998年4月 - )
事務所 アップフロントプロモーション
共同作業者 つんく♂

モーニング娘。はテレビ東京系「ASAYAN」でのオーディション企画、「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」に落選した5人から始まった女性アイドルグループ。

■概要

テレビ東京系「ASAYAN」でのオーディション企画、「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」に落選した5人が、インディーズのCDシングル「愛の種」を5日間で5万枚売り切ることを条件にメジャーデビューを果たす。グループ名の由来は「いろいろついてくる、盛り沢山、おトク感、親しみやすい」を表したもの。シングル「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。7thシングル「LOVEマシーン」で初のミリオンを記録。その後、女性グループが持つ数々の記録を更新し続けている。
2014年1月1日よりアーティスト名を「モーニング娘。'14」(もーにんぐむすめわんふぉー)に改名。

■現在のメンバー

道重さゆみ(みちしげさゆみ) 1989年7月13日生まれ 6期
譜久村聖(ふくむらみずき) 1996年10月30日生まれ 9期
生田衣梨奈(いくたえりな) 1997年7月7日生まれ 9期
鞘師里保(さやしりほ) 1998年5月28日生まれ 9期
鈴木香音(すずきかのん) 1998年8月5日生まれ 9期
飯窪春菜(いいくぼはるな) 1994年11月7日生まれ 10期
石田亜佑美(いしだあゆみ) 1997年1月7日生まれ 10期
佐藤優樹(さとうまさき) 1999年5月7日生まれ 10期
工藤遥(くどうはるか) 1999年10月27日生まれ 10期
小田さくら(おださくら) 1999年3月12日生まれ 11期

■過去のメンバー

福田明日香(ふくだあすか) 1984年12月17日 1期
石黒彩 (いしぐろあや) 1978年5月12日 1期
市井紗耶香(いちいさやか) 1983年12月31日 2期
中澤裕子(なかざわゆうこ) 1973年6月19日 1期
後藤真希(ごとうまき) 1985年9月23日 3期
保田圭(やすだけい) 1980年12月6日 2期
安倍なつみ(あべなつみ) 1981年8月10日 1期
辻希美(つじのぞみ) 1987年6月17日 4期
加護亜依(かごあい) 1988年2月7日 4期
飯田圭織(いいだかおり) 1981年8月8日 1期
矢口真里(やぐちまり) 1983年1月20日 2期
石川梨華(いしかわりか) 1985年1月19日 4期
紺野あさ美(こんのあさみ) 1987年5月7日 5期
小川麻琴(おがわまこと) 1987年10月29日 5期
吉澤ひとみ(よしざわひとみ) 1985年4月12日 4期
藤本美貴(ふじもとみき) 1985年2月26日 6期
久住小春(くすみこはる) 1992年7月15日 7期
亀井絵里(かめいえり) 1988年12月23日 6期
ジュンジュン(じゅんじゅん) 1988年2月11日 8期 留学生
リンリン(りんりん) 1991年3月11日 8期 留学生
高橋愛(たかはしあい) 1986年9月14日 5期
新垣里沙(にいがきりさ) 1988年10月20日 5期
光井愛佳(みついあいか) 1993年1月12日 8期
田中れいな(たなかれいな) 1989年11月11日 6期

■歴代リーダーの一覧

1 中澤裕子 1998年1月28日[21] - 2001年4月15日 サブリーダー不在
2 飯田圭織 2001年4月16日 - 2005年1月30日 サブリーダー保田圭 2001年4月16日 - 2003年5月5日、サブリーダー矢口真里 2003年5月6日 - 2005年1月30日
3 矢口真里 2005年1月31日 - 2005年4月14日 サブリーダー吉澤ひとみ 2005年1月31日 - 2005年4月14日
4 吉澤ひとみ 2005年4月15日 - 2007年5月6日 サブリーダー藤本美貴 2005年4月15日 - 2007年5月6日
5 藤本美貴 2007年5月7日 - 2007年6月1日 サブリーダー高橋愛 2007年5月7日 - 2007年6月1日
6 高橋愛 2007年6月2日 - 2011年9月30日 サブリーダー新垣里沙 2007年6月2日 - 2011年9月30日
7 新垣里沙 2011年10月1日 - 2012年5月18日 サブリーダー不在
8 道重さゆみ2012年5月19日 - サブリーダー譜久村聖、飯窪春菜 2013年5月21日 -

■備考(リーダー、サブリーダー関連)

リーダーとしての任期が最も長いのは第6代・高橋愛で約4年4か月、最も短いのは第5代・藤本美貴で1か月弱である。
最年少でリーダーに就いたのは第2代・飯田圭織で19歳8か月である(現時点で唯一の十代でのリーダー就任)。
初代リーダーは、CD5万枚手売りを達成し、メジャーデビュー決定後に決められた。当時、飯田が「リーダーをやりたい」と発言していたが、結果として中澤に決定した。選ばれた理由は「最年長だから」。
サブリーダーは、飯田の第2代リーダー就任(2001年4月16日)に合わせて創設され、初代サブリーダーに保田が就任した。当時は保田が初代であるか否かについては明らかにされていなかったが、2007年11月に行われた「Yahoo!ライブトーク」では保田が「初代サブリーダーである」とされている。
サブリーダーの就任日は明確な場合と曖昧な場合がある。
明確なケースとして、就任前に決定していた場合(保田・吉澤・高橋)と、就任発表によって決定しそのまま就任した場合(新垣・譜久村・飯窪)があった。
曖昧なケースとしては矢口と藤本で、就任時点の発表がなく、ある程度の期間が経過してからテレビ番組(矢口:『ハロー!モーニング。』2003年8月3日放送分、藤本:『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』2005年7月15日放送分)でのトーク中に自らその時点でサブリーダーである旨が語られたことで就任が明確となった。
上表では矢口と藤本の就任日は前任者が退任した日の翌日を就任日としているが、就任日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。
保田就任以前(中澤リーダー時代)は、サブリーダーという役職は公表されていない。石黒在籍時は彼女が中澤に次ぐ年長者で位置的にもナンバー2と見なされることはあったが、サブリーダーと明言はされていなかった。
矢口から新垣まではサブリーダーがリーダーにも就任したため、実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」と考えられていた。
新垣のリーダー下では、サブリーダーは置かれていなかった(CDジャーナル2012年2月号インタビュー、道重の発言より)。
2013年5月21日に開催された『モーニング娘。コンサートツアー2013春 ミチシゲ☆イレブンSOUL 〜田中れいな卒業記念日〜 in日本武道館』で、田中は約1年8か月ぶりとなるサブリーダー制度の復活を提案し、9期の譜久村聖および10期の飯窪春菜を指名した。サブリーダーの二人体制はモーニング娘。史上初となる。譜久村のサブリーダー就任は16歳で、これは史上最年少である(2013年5月現在)。飯窪のサブリーダー就任はモーニング娘。に加入してから1年8ヶ月後で、これは史上最速である(2013年5月現在)。

■グループ編成

モーニング娘。のメンバー変遷とシングル歴(2013年8月28日現在)

・メンバー構成推移

モーニング娘。の最も大きな特徴はメンバーが加入・卒業あるいは脱退を繰り返していくという点で、これは結成当時には他の女性音楽グループに類を見ないものだった。メンバー数が流動的で、5人(結成時と亀井、ジュンジュン、リンリン卒業から9期加入まで) - 16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。年齢差が大きいのも特徴である。
2013年5月22日時点の平均年齢は15.7歳である。

・推移年表(日時、メンバー、増減、人数、平均年齢)

1997年8月20日結成 【1期】中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香 - 5人 17.40
1998年5月3日 【2期】保田圭、矢口真里、市井紗耶香 加入 +3 8人 16.75
1999年4月18日 福田明日香 卒業 -1 7人 18.29
1999年8月22日 【3期】後藤真希 加入 +1 8人 18.13
2000年1月7日 石黒彩 卒業 -1 7人 18.14
2000年4月16日 【4期】石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依 加入 +4 11人 16.55
2000年5月21日 市井紗耶香 卒業 -1 10人 16.60
2001年4月15日 中澤裕子 卒業 -1 9人 16.56
2001年8月26日 【5期】高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙 加入 +4 13人 15.77
2002年9月23日 後藤真希 卒業 -1 12人 16.92
2003年1月19日 【6期】藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいな 加入 +4 16人 16.50
2003年5月5日 保田圭 卒業 -1 15人 16.40
2004年1月25日 安倍なつみ 卒業 -1 14人 16.86
2004年8月1日 辻希美、加護亜依 卒業 -2 12人 17.42
2005年1月30日 飯田圭織 卒業 -1 11人 17.64
2005年4月14日 矢口真里 脱退 -1 10人 17.40
2005年5月1日 【7期】久住小春 加入 +1 11人 16.91
2005年5月7日 石川梨華 卒業 -1 10人 16.70
2006年7月23日 紺野あさ美 卒業 -1 9人 17.78
2006年8月27日 小川麻琴 卒業 -1 8人 17.75
2006年12月10日 【8期】光井愛佳 加入 +1 9人 17.56
2007年3月15日 【8期】(留学生)ジュンジュン、リンリン 加入 +2 11人 17.82
2007年5月6日 吉澤ひとみ 卒業 -1 10人 17.50
2007年6月1日 藤本美貴 脱退 -1 9人 17.00
2009年12月6日 久住小春 卒業 -1 8人 19.88
2010年12月15日 亀井絵里、ジュンジュン、リンリン 卒業 -3 5人 21.00
2011年1月2日 【9期】譜久村聖、生田衣梨奈、鞘師里保、鈴木香音 加入 +4 9人 17.33
2011年9月29日 【10期】飯窪春菜、石田亜佑美、佐藤優樹、工藤遥 加入 +4 13人 16.54
2011年9月30日 高橋愛 卒業 -1 12人 15.83
2012年5月18日 新垣里沙、光井愛佳 卒業 -2 10人 15.60
2012年9月14日 【11期】小田さくら 加入 +1 11人 15.73
2013年5月21日 田中れいな 卒業 -1 10人 15.70

・モーニング娘。の結成日について

モーニング娘。の結成日については、公式資料やマスコミ報道などにより異なる日付が書かれていることがある。「モーニング娘。の結成日」として解釈できる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈できる日としては、
1997年8月20日 … グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
『モーニング娘。5+3-1』(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。
1997年9月7日 … グループの結成が発表された日(同年8月20日収録分の『ASAYAN』放送日)
公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としていることが多い。
1997年9月8日 … プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
1997年9月14日 … モーニング娘。というグループ名が決定したことが公表された日(『ASAYAN』放送日)
1997年11月3日 … 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
1997年11月30日 … 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
『モーニング娘。×つんく♂』(ソニー・マガジンズ)では結成時のメンバーの在籍期間をこの日からとしている。
1998年1月28日 … メジャーデビューの日
などがある。つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場はフジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」という記述がある。この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。

・追加メンバーの加入日について

追加メンバーの加入日についても、公式資料やマスコミ報道などで異なる日付が書かれていることがある。結成日と同様に「加入日」と解釈できる日が複数あるためである。
「加入日」として解釈できる日としては、
加入が実際に決まった日
加入が本人に伝達された日
加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
初合流したコンサートなどの日
初参加したCDの発売日
などがある。このうち1と2については公表されないことが多いため、通常は3以降のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としていることが多い。また、合格発表からコンサートツアーへ本格的に合流するまでの間に、合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に、お披露目として挨拶あるいは1曲だけ公演に参加することもある。6期メンバー以降は、その間にファンクラブの会員を対象とした握手会を行っている。
こうした状況のため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないということもある。テレビ番組の収録も初参加CDの曲披露までは別行動となることが多い。

(期、公表日、お披露目日、コンサート正式合流日、初参加CD発売日)
2 1998年5月3日 - 1998年7月12日 1998年5月27日
3 (後藤真希) 1999年8月22日 1999年8月23日 1999年9月19日 1999年9月9日
4 2000年4月16日 - 2000年5月20日 2000年5月17日
5 2001年8月26日 - 2001年10月21日 2001年10月31日
6 (藤本美貴) 2003年1月7日 2003年5月5日 2003年5月31日 2003年7月30日
6 (藤本以外) 2003年1月19日 2003年5月5日 2003年7月19日 2003年7月30日
7 (久住小春) 2005年5月1日 2005年5月6日 2005年7月10日 2005年7月27日
8 (光井愛佳) 2006年12月10日 2007年1月27日 2007年3月17日 2007年2月14日
8 (留学生) 2007年3月15日 2007年5月6日 2007年7月15日 2007年7月25日
9 2011年1月2日 2011年1月2日 2011年4月3日 2011年4月6日
10 2011年9月30日 2011年9月29日 2012年1月2日 2012年1月25日
11 (小田さくら) 2012年9月14日 2012年9月15日 2013年1月2日 2013年1月23日

・加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成

モーニング娘。は、「加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループ」と公式に表明されている。このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、音楽評論家の福田一郎がつんく♂に「『メンバーが脱退しても解散しないグループ』として、プエルトリコのアイドルグループMenudo(メヌード)を参考にしなさい」とアドバイスをしたことが発端となり、モーニング娘。の着想やハロープロジェクトの構想に至ったことが、2003年10月12日に行われた「福田一郎を偲ぶ会」でのつんく♂の弔辞から明らかになった。
とは言え、1997年〜1999年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムは実際に考えられていたか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかなど、不明な点は多い。
後につんく♂は「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった」と語っていること(『モーニング娘。×つんく♂』でのインタビューなど)。
メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細はモーニング娘。の歴史参照)。
グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がっていたこと(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
1997年〜2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー形式で追ったテレビ番組『ASAYAN』の中で福田一郎がつんく♂に上記のアドバイスを行ったシーンが放送されなかったこと(詳細はモーニング娘。の歴史参照)。
初めて新メンバーの加入が発表された時、当時のメンバーは全く予想していなかったとされ、その時の衝撃が大きかったことは数年後になってもメンバー自身によって語られていること。
メンバーの加入・脱退が実際に行われた後でもメンバーは加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の『とくばん』(TBS系)で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと)。
デビュー16年目となる2013年現在も活動を続けており、女性アイドルグループとして特異性が高かったことから、宝塚歌劇団や他のアイドルグループ、歌手ユニットなどとの比較対象として挙げられることが多く、そういった考察をした文献や書籍も多数発表されている。

■グループ名の由来

「モーニング娘。」は、「モーニングセットのように『いろいろ付いてくる、盛沢山、おトク感!』を意図したユニット」という理由からつんく♂によって命名された。
ユニット名(グループ名)の候補として、つんく♂の命名段階で下記のような名前が理由と共に挙げられた。
87 - 5人全員の歳を足した数字。
都道府 - 出身地の東京都(福田)・北海道(石黒、飯田、安倍)・京都府(中澤)の都道府県部分。
たこ焼きシスターズ - さらに親しみやすい方がイイという理由。
食べ放題 - もっと軽いイメージ。
バイキング - 食べ放題を横文字にした。
モーニング - バイキングをさらに軽くした感じ。
モーニングサービス - つんく♂が弾けた発想から。

■「モーニング娘。」の「。」について

当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし、当時『ASAYAN』では画面に表示されるテロップのほぼ全てに「。」を付けていた(その理由を番組「ハッピーバースデー!」では「テロップをつけるスタッフが文末に。をつける癖があった」と説明した)ため、ユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にもステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示されることとなった。それに対して司会のナインティナインの岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな〜」と発言した。
TBS系の番組『うたばん』で、「。」について聞かれた時にメンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に1999年6月13日に放送されたフジテレビ系の番組『ハッピーバースデー!』での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで画数が23画となり、理想的なグループ名となった」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤が「『。』は大事」と語っている。
シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に「。」が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」、「ココナッツ娘。」、「ミニモニ。」、「エコモニ。」、『ハロー!モーニング。』、『モー。たいへんでした』、「エアモニ。」、『モーニング刑事。』、『江戸っ娘。忠臣蔵』など)。
単語の中に句点を含む語として初めての使用事例ではないが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられたことで、日本語の乱れの例、もしくはそれを広めたきっかけとして取り上げられたことがある。実際には、草野心平が『河童と蛙』(教育出版の教科書でも取り上げられている詩)の中で文末でないところに「。」を付けた事例などがあり、芸能人でも藤岡弘、の事例がある。

■「モー娘。」という略表現について

メンバー自身(特に初期のメンバー)は、自分達のグループを「モーニング」または「むすめ」と呼ぶことが多い。
「モー娘。」という表記自体は、当初ファンやマスコミが使い始めた呼び方であったが、所属事務所によって商標登録されており、映画『ピンチランナー』のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われている。
モーニング娘。、Morning Musume。およびモー娘。はいずれも株式会社アップフロントグループの日本における登録商標(商標登録第4555529号・第4566621号・第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」および「モームスメ」である。なお、モー娘。は存続満了日以降も更新がないが、モーニング娘。においては存続の更新があり、存続満了日は2022年(平成34年)となっている(更新可能)。

■特徴

・教育係

モーニング娘。には、「教育係」という名目で先輩が後輩に指導する慣例がある。中でも3・4期メンバーでは『ASAYAN』で教育指導の模様が放送された。

2期メンバー
教育係の制度はなかった。『ASAYAN』では中澤裕子が叱っている姿が放送された。

3期メンバー
市井紗耶香→後藤真希

4期メンバー
保田圭→石川梨華(テーマ:歌)
矢口真里→吉澤ひとみ(テーマ:表現力)
飯田圭織→辻希美(テーマ:リズム)
後藤真希→加護亜依(テーマ:あいさつ・礼儀)

5期メンバー
教育係の制度はない(2008年4月25日放送の『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』でメンバーが「5期と6期には教育係はいない」と語っている)。
2001年11月2日に放送された『ミュージックステーション』での5期メンバー初登場時に吉澤ひとみ→高橋愛、石川梨華→小川麻琴、安倍なつみ→紺野あさ美、矢口真里→新垣里沙、という組み合わせで新メンバーの紹介を行った。これを聞いた司会のタモリが「教育担当者が決まっているんですね」と感想を述べたのに対してその場では誰も否定しなかったため、この組み合わせが教育係とされたこともあったが、後にメンバーの発言によって明確に否定されている。

6期メンバー
5期と同様に教育係の制度はない。
「6期メンバーとほぼ入れ替わりで卒業する保田圭が6期メンバーにモーニング娘。の精神を伝える」という企画が2003年5月11日の『ハロー!モーニング。』で放送されており、この時点では教育係という呼び方はされていなかった。2007年11月に行われたYahoo!ライブトークでは保田圭が6期メンバーの教育係であったとされている。

7期メンバー
道重さゆみ→久住小春

8期メンバー
2008年4月25日放送の『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』において、ジュンジュンは遅刻が多いため、マネージャーが亀井か田中を教育係にすることを検討している、と田中が明かした(その直前に亀井が道重との待ち合わせに必ず30分遅刻するというトークをしていたため、司会者から「亀井ちゃんに教育させたらアカン」とつっこまれている)。

9期メンバー
「教育係はない」という発言が光井愛佳から出ている。

10期メンバー
光井愛佳

11期メンバー
不明

・メインパート・センターポジション

初期の楽曲はメイン(主旋律)とハモリ(ハーモニー)で構成されていたことから、『ASAYAN』でメインパート争奪戦として取り上げられていた。「LOVEマシーン」以降のリレー式歌唱でも、サビの歌唱を中心として歌唱パートが多いメインと、その他に区別できる。
人数の増加に伴い、歌唱の中心である「メイン」に加え、ジャケット写真やダンスフォーメーション位置の中心(センターポジション)にいる「センター」も注目されるようになった。センターとメインは必ずしも一致しない。メインやセンターを一度も経験せずにモーニング娘。を卒業したメンバーも多い。
メインやセンターについては多くの場合公式に発表されないため、客観的にも明確な場合もある一方で、誰がメインやセンターなのかはっきりせず、意見が分かれる場合も多い。

・パート割り
歌唱パートの割り振りは、メンバー構成が10人以上の大所帯である時期が多くあるため、曲によってはソロ歌唱フレーズがなかったり、1フレーズのみというメンバーも多い。
パート割りがライナー(歌詞カード)に記述されたのは 「女子かしまし物語」のみである。『つんく♂ベスト作品集(上)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜』、『つんく♂ベスト作品集(下)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜』に収録されている19曲については、それぞれの付属のブックレットにパート割りが記載されている。
MVでは、各メンバーがそれぞれソロパートが割り当てられている部分でクローズアップされていることが多い。
「LOVEマシーン」まではメンバー全員が曲全体のレコーディングを行い、ミックスダウンでパート割りを決定していた。後に、レコーディングでのプロツールスの本格的な導入に伴い、レコーディング時に担当パートのみを歌唱してアレンジすることが多くなる。
コンサートなどで卒業・脱退したメンバーが受け持っていたパートは、在籍するメンバーに振り分け、引き継いで歌う。卒業コンサートや『NHK紅白歌合戦』などの特別な場やコンサート構成の都合上メンバーの入れ替えに関係なくパートの変更が行われることもある。

・エース格メンバー

エース格とは、ユニットの中心格(シンボル)という意味である。エースに該当しないメンバーが素質または才能、そして人気が劣っているという意味ではない。エースについては、つんく♂ら関係者やマスコミによって言及されることがあるが、リーダーなどのように公式発表されることはない。
インディーズデビュー曲である「愛の種」とメジャーデビュー曲である「モーニングコーヒー」に関わった桜井鉄太郎によれば、モーニング娘。に関わることとなった時に所属事務所の社員が「オーディションの落選者の中で安倍なつみがずば抜けて資質があるのでソロで売り出したいが、いきなりソロで売り出すのはちょっと早いのでしばらくグループの中で揉ませたい」と語ったことを述べている。実際に安倍はモーニング娘。の初期のすべての曲でメインボーカルを務めており、中でも 「ふるさと」はモーニング娘。名義でリリースされた曲であるにもかかわらずソロパートがあるのが安倍1人であった(残りのメンバーはコーラスのみ)。かつてつんく♂は安倍についてモーニング娘。に在籍しソロデビューもしていなかった頃、当時安倍がユニット活動に参加せずソロデビューもしない理由として、安倍が「モーニング娘。の顔であり、マザーシップだからモーニング娘。としての活動に専念させている」としばしば語っていたが、ここでいう「顔」や「マザーシップ」は「エース」とほぼ同じ意味だと考えられる。安倍は歌手としてのソロ活動を開始したのはかなり遅かったものの、モーニング娘。初のCMは安倍のソロ出演CMである『SALA』(カネボウ→クラシエ)であり、ソロでの本格的なドラマ出演やソロ写真集の発売などはいずれもモーニング娘。のメンバーの中では安倍が初めてである。
エース格:安倍なつみ、後藤真希(共にソロデビュー時)、石川梨華(卒業時)、藤本美貴(セクシーオトナジャン結成時)、高橋愛(2005年以降)、田中れいな(2007年以降)、鞘師里保(2012年以降)。

・ラブマの法則

「LOVEマシーン」のシングルジャケットに写っている8名は、立ち位置(下記表)の右上から「石黒彩→市井紗耶香→中澤裕子→後藤真希→保田圭→安倍なつみ→飯田圭織→矢口真里」という順番で卒業(脱退)しており、法則があるとされていた。
飯田 保田 中澤 石黒
矢口 安倍 後藤 市井
通算3人目の卒業者となる中澤卒業後の2001年6月頃にネット上で話題となっているが、それ以前にも2人目の市井卒業時にネット上で議論されたことが確認されている。安倍卒業時にマスコミでも話題となったが、「LOVEマシーン」リリース時に在籍していない辻希美と加護亜依の卒業により法則は破られたと考えられた。最初に卒業した福田明日香も「LOVEマシーン」のリリース時に在籍していなかったという反論がある上、その後、飯田圭織が卒業した後にジャケット写真8名の立ち位置左下の矢口真里が最後に脱退した経過を考えると、法則は破られていないという考え方もある。
2005年5月11日放送の『トリビアの泉』や、『アッコにおまかせ!』、『情報プレゼンター とくダネ!』で報道していた。矢口が脱退した時も『ブロードキャスター』内のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」で放送された。
メンバー自身がこの件について言及したのは2003年4月24日放送の『うたばん』(TBS系)である。この回では保田のモーニング娘。からの卒業を主題とした構成になっており、その一環として当時のリーダーだった飯田が「LOVEマシーンのジャケットに関する噂」として話している。

・楽曲オリジナルメンバー

2013年5月22日現在、モーニング娘。の最古参メンバーは6期メンバーの道重さゆみであり、各シングル曲発売時に現在のメンバーが音源に含まれる楽曲として一番古いのは、19枚目のシングル「シャボン玉」である。それ以前のメンバーは全員卒業した形となったため、過去の楽曲は卒業メンバーのパートを引き継いだ形で歌い続けている。
2005年夏のハロー!プロジェクトコンサートでは、当時の卒業メンバーである中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・保田圭・後藤真希・石川梨華・辻希美・加護亜依が「LOVEマシーン」を披露した(この時矢口真里は司会扱いで不参加であったが、同年大晦日の『第56回NHK紅白歌合戦』で実現した)。現在でも現役メンバーが同曲をコンサートで歌い続けている。

・グループ内ユニット・レンタル

モーニング娘。は、グループ内ユニットとしての「タンポポ」、「プッチモニ」、「ミニモニ。」などの活動も活発だった。
グループ内ユニットとは、結成から長らくメイン歌唱の安倍なつみに対してコーラス担当となっていた飯田圭織と石黒彩の歌唱力を活かすため、グループ内ユニットである「タンポポ」が発案され結成されたことが始まりである。追加メンバー3名からは声の相性を重視して矢口真里が選抜された。『ASAYAN』の企画としても注目が集まり、「メンバーの個性を高めてモーニング娘。に還元する」循環の成功事例となった。
この成功に続いて「プッチモニ」が結成され、モーニング娘。に続くミリオンセラーとなる。続く「ミニモニ。」はハロー!プロジェクトから「ココナッツ娘。」のミカを迎えて70万枚を超える大ヒットを記録する。この方向性をさらに進め、モーニング娘。のメンバーを既存のハロプロユニットである「カントリー娘。」に加えるレンタルを開始した。
2002年7月31日のユニット改編(タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。のメンバー総入れ替え)の結果、タンポポはシングル1曲のみ、プッチモニはアルバム収録曲のリリースはあったもののシングルリリースなしで両ユニットとも活動休止状態に、ミニモニ。も改編後の路線変更を前後して売り上げが半減し、2004年5月のミカの卒業をもって活動を停止した。
2004年6月には「エコモニ。」が結成され、環境活動限定ながらアルバム曲が収録されるなど活動を続けている。2006年からはグループ内ソロユニットの「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」やハロプロ枠内のユニット「GAM」、「きら☆ぴか」、「アテナ&ロビケロッツ」、「MilkyWay」、「High-King」といったユニット活動が再開している。「モーニング娘。さくら組」、「モーニング娘。おとめ組」もグループ内ユニットとして扱われるのか否かは見解が分かれている。
2009年7月15日に発売された『チャンブル①〜ハッピーマリッジソングカバー集〜』でチャンプルユニットが結成され、High-Kingに加え、タンポポに亀井絵里と光井愛佳、ミニモニ。にリンリン、ZYXに新垣里沙と久住小春、美勇伝に道重さゆみとジュンジュンがそれぞれ参加し、「タンポポ#」、「新ミニモニ。」、「ZYX-α」、「続・美勇伝」として活動した。

・円陣および気合い入れ

モーニング娘。は、ライブやテレビ番組の本番前などに、控え室や舞台袖といった場所でメンバー全員が集合して円陣を組み、右手を重ね合わせ、掛け声によって気合い入れを行うことが仕来りになっており、モーニング娘。の歴史において欠かすことのできない独特の習慣である。メンバー間の絆や結束力を高め鼓舞し、『最高のパフォーマンスをしよう』という意思確認の目的で結成当時から行われている。
がんばっていきまっしょい!!
円陣を組み、リーダーが差し出した手の上からほかのメンバーが手を重ね、「がんばっていきまっ」(リーダー格のメンバー)「しょい!!」(メンバー全員)という掛け声を合わせる。この気合い入れはモーニング娘。のライブDVDや『ASAYAN』、『ミュージックステーション』などでも公開されている。通常は舞台裏で行われるが、2006年の『第57回NHK紅白歌合戦』ではステージ上で行われた。これは1995年に「坊っちゃん文学賞」を受賞した敷村良子原作の小説『がんばっていきまっしょい』が由来である。1998年にはこの小説が映画化され、これが縁となり、飯田圭織は同映画主演の田中麗奈と親友になった。
ダンシング シンギング エキサイティング
主にハロプロライブのときにハロプロメンバー全員での気合い入れ時の掛け声である。メンバー全員で両手をつなぐように円を作り、一斉に掛け声を合わせる形を取っている。「ダンシング シンギング エキサイティング」(リーダー格のメンバー)「ダンシング シンギング エキサイティング、オー!」(メンバー全員)という形になる。こちらも度々ハロプロのライブDVDなどに収録されている。
モーニング娘。さくら組とモーニング娘。おとめ組では下記の気合い入れも行っていた。
気持ちを合わせて頑張っていきますさくら
モーニング娘。さくら組の気合い入れ。「気持ちを合わせて頑張っていきます」(リーダー格のメンバー)+「さくら」(メンバー全員)。
おとめファイト
モーニング娘。おとめ組の気合い入れ。「おとめ」(リーダー格のメンバー)+「ファイト」(メンバー全員)。
この他にも、ハロプロの各グループごとに独特の気合い入れや掛け声が存在する。

・卒業セレモニーでのサイリューム企画

モーニング娘。の各メンバーにはメンバーカラーが存在し、そのカラーと同じ色のサイリュームをライブで使用することなどから、誰のファンなのかを明確にするようになっているが、その該当メンバーの卒業時にはメンバーカラーのサイリューム一色で会場を染める卒業セレモニーの企画が行われる。起源は2002年9月23日、モーニング娘。の横浜アリーナ夜公演でタンポポ登場時に行われた、黄色いサイリュームで会場を一色に染めた「タンポポ祭り」である。これはDVD『モーニング娘。LOVE IS ALIVE!2002夏 at 横浜アリーナ』にも収録された。以降卒業メンバーへの感謝の意味も込めたファンの贈り物として定着し、新聞や雑誌、マスコミやワイドショー番組などでも取り上げられた。この企画は後輩達に受け継がれ現在も続いている。現在は卒業公演だけでなく、凱旋コンサート(メンバーの出身地で行われるコンサート)や生誕祭(メンバーの誕生日、もしくは誕生日付近に行われるコンサート)でも行われ、後にハロー!プロジェクトの他ユニットでも行われるようになった。

■主な記録

【オリコン記録】

・シングル
モーニング娘。は邦楽アーティストあるいは女性グループとして以下のオリコンのシングル主要5部門でトップ記録を独占し[44]、2013年9月現在もそのうちの3部門でトップ記録を維持し続けている。
シングルCDオリコン1位連続獲得年:6年(1998年 - 2003年)(女性グループ1位)
1998年9月発売の3rdシングル「抱いてHOLD ON ME!」で記録が始まり、2000年5月発売の9thシングル「ハッピーサマーウェディング」でそれまで1位だったピンク・レディーおよびプリンセス・プリンセスの持っていた記録3年とトップタイとなり、2001年8月発売の12thシングル「ザ☆ピ〜ス!」で単独1位を達成し、2003年4月発売の18thシングル「AS FOR ONE DAY」まで継続。2004年〜2005年にオリコン1位を達成した作品がなかったため、記録が途切れた。
90年代、00年代、10年代の3年代で1位記録(1990年代 - 2010年代)(女性グループ史上初)
1998年9月発売の3rdシングル「抱いてHOLD ON ME!」で記録が始まり、2000年5月発売の「ハッピーサマーウェディング」、2013年1月発売の「Help me!!」で記録を達成。この記録は女性グループ史上初の記録となった。
シングルCDオリコントップ10作品数:54作すべて(邦楽歴代1位)
1998年1月発売のメジャーデビューシングル「モーニングコーヒー」で記録が始まり、2002年に15thシングル「Do it! Now」(同年7月発売)でそれまで1位だったMAXおよびWinkとトップタイとなり、16thシングル「ここにいるぜぇ!」(同年10月発売)で女性グループ記録の単独1位を達成した。2007年4月発売の33rdシングル「悲しみトワイライト」で小泉今日子および安室奈美恵(当時)と並ぶ歴代3位タイとなり、同年7月発売の34thシングル「女に 幸あれ」で歴代女性アーティスト単独2位に浮上、その後2012年1月発売の48thシングル「ピョコピョコ ウルトラ」で浜崎あゆみと並ぶ邦楽歴代トップタイとなり、同年4月23日付けのオリコンチャートで49thシングル「恋愛ハンター」が初登場3位だったことで単独1位となり、50thシングル「One・Two・Three/The 摩天楼ショー」で史上初の通算50作品目となるオリコンシングルトップ10入りの快挙を達成し、以後の作品もすべてトップ10入りを果たし、現在も継続中である。
シングルCDオリコン連続トップ10獲得年数:16年(女性グループ1位)
1998年1月発売のデビューシングル「モーニングコーヒー」で記録が始まり、2003年2月発売の17thシングル「モーニング娘。のひょっこりひょうたん島」でそれまで1位だったMAXの6年と並ぶトップタイとなり、2004年2月発売の21stシングル「愛あらばIT'S ALL RIGHT」で単独1位を達成した。そして、2013年1月発売の52ndシングル「Help me!!」で記録を16年に伸ばし、現在も継続中である。
また、シングルについては他にも以下のトップ記録がある。
シングルCDオリコントップ5作品数:51作(女性アーティスト1位)
全シングル中でトップ5に入らなかったのは、1998年1月発売のメジャーデビューシングル「モーニングコーヒー」、2007年11月発売の35thシングル「みかん」、2010年11月発売の44thシングル「女と男のララバイゲーム」の3作品(いずれも最高6位)であり、これら以外の51作品はすべてトップ5にランクインしている。
シングルCDオリコン連続トップ5記録:33作(女性グループ1位)
1998年5月発売の2ndシングル「サマーナイトタウン」で記録が始まり、2007年7月発売の34thシングル「女に 幸あれ」まで継続した。しかし、同年11月発売の35thシングル「みかん」の最高位が6位であったため、記録が途切れた。
シングルCDオリコン連続トップ3獲得年数:16年(女性グループ1位)
1998年9月発売の3rdシングル「抱いてHOLD ON ME!」で記録が始まり、2013年1月発売の52ndシングル「Help me!!」で記録を16年連続に伸ばし、現在も記録を更新中。
かつてのトップ記録
※以下の記録はどちらも他アーティスト(AKB48)に更新され、現在では2位となっている。
女性グループシングルCD総売上枚数
2007年4月発売の33rdシングル「悲しみトワイライト」の初登場週においてシングルCD総売上が1,108.5万枚に達し、それまで1位だったピンク・レディーを抜いて1位を達成した。同曲は翌5月7日付けのオリコンシングルチャートで初登場2位を記録している。通算CDセールスが1,000万枚を突破したのはピンク・レディー、SPEEDに続き女性グループ史上3組目である(2003年7月発売の19thシングル「シャボン玉」で1,000万枚を突破)。
女性グループシングルCD1位通算獲得数
1998年9月発売の3rdシングル「抱いてHOLD ON ME!」で記録が始まり、2003年4月発売の18thシングル「AS FOR ONE DAY」でそれまで1位だったピンク・レディーとタイ記録となり、2006年11月発売の31stシングル「歩いてる」で単独1位となった。その後2009年5月発売の39thシングル「しょうがない 夢追い人」で自身の記録を更新する11作目の首位獲得となり、2013年1月発売の52ndシングル「Help me!!」で自身の記録を12作に伸ばし、同年4月17日発売の53rdシングル「ブレインストーミング/君さえ居れば何も要らない」が再び1位を獲得し、記録を13作にまで伸ばし、同年8月28日発売の54thシングル「わがまま 気のまま 愛のジョーク/愛の軍団」で通算14作目の1位を獲得した。

・アルバム

アルバムについても以下の2部門でトップ記録を有しており、上述のシングルの記録と合わせて「7冠」とされることもある。
アルバム連続TOP10獲得年数:10年(1998年 - 2007年)(女性グループ最高記録)
1998年7月発売の1stアルバム『ファーストタイム』で記録が始まり、2007年3月発売の8thアルバム『SEXY 8 BEAT』で達成した。
アルバム通算TOP10獲得作品数:14作(女性グループ最高記録)
1998年7月発売の1stアルバム『ファーストタイム』で記録が始まり、2010年3月発売の10thアルバム『⑩ MY ME』で通算12作目となり、女性グループ歴代1位記録となった。

・その他の記録

ミュージックDVDオリコン1位回数:19作(女性グループ最高記録)
ミュージックDVD総売上枚数:約274万枚(かつての歴代1位、現在は2位)
2010年に嵐に歴代総売上枚数1位記録を更新され[49]、歴代2位・女性アーティスト1位記録についても翌年に浜崎あゆみに更新されているが、後に再び逆転している。

・世界記録

「1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数」の世界記録 : 15,612枚(1997年11月3日大阪・HMV心斎橋での「愛の種」手売りイベント)
NHK紅白歌合戦関係
女性グループとして最多出場 : 10回(1998年 - 2007年)
最多初出場(3回) : 後藤真希(モーニング娘。・後藤真希・DEF.DIVA)(1999年の第50回・2003年の第54回・2005年の第56回)、藤本美貴(藤本美貴・モーニング娘。・GAM)(2002年の第53回・2003年の第54回・2006年の第57回)
平成生まれの出場歌手第1号 : 道重さゆみ・田中れいな(2003年の第54回)。

・獲得音楽賞

日本ゴールドディスク大賞7年連続(1998年 - 2004年)
第13回日本ゴールドディスク大賞「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」(1999年)
第14回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ちょこっとLOVE・LOVEマシーン・恋のダンスサイト)(2000年)
第15回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ハッピーサマーウェディング)(2001年)
ベストヒットアーティスト(全日本有線放送大賞→ベストヒット歌謡祭)8年連続(1998年 - 2005年)
第40回日本レコード大賞「最優秀新人賞」(抱いて HOLD ON ME!)(1998年)
第41回日本レコード大賞「優秀作品賞」および「作曲賞」(LOVEマシーン)(1999年)
第42回日本レコード大賞「優秀作品賞」「特別賞」および「編曲賞」(恋のダンスサイト)(2000年)
第44回日本レコード大賞「特別賞」(Hello! Projectとして受賞)(2002年)
第36回ゴールデン・アロー賞「音楽新人賞」(1998年)
第37回ゴールデン・アロー賞「音楽賞」(1999年)
第31回全日本有線放送大賞「新人賞」(1998年)
第32・33回日本有線大賞「有線音楽優秀賞」(1999年・2000年)
第24回日本アカデミー賞「新人俳優賞」および「話題賞」(モー娘。走る!ピンチランナー)(2001年)

■新聞記事・広告

2000年頃から、スポーツ紙の他、モーニング娘。の記事や広告などが一般紙にも掲載されている。中でも一時期に読売新聞が記事や広告を掲載していたが、下記のような企画も行われた。
2000年12月28日付けの夕刊には、20世紀末にちなみ、ほとんどの広告が「モーニング娘。のゆく世紀・くる世紀」として掲載された。
2002年のミュージカル『モーニング・タウン』にはキリンビバレッジと共同でスポンサーを務めた。この時期には読売新聞の新規購読者に特典として「モーニング娘。目覚し時計。」が配布されており、同年1月には既存の購読者にもモーニング娘。のポスターやカレンダーが配布された。
2007年1月16日付けの朝刊には、見開きの2ページにわたってモーニング娘。結成10年をアピールする全面広告が掲載された。内閣の組閣写真を模した写真に1〜8期の全メンバー23人(当時)の巨大な顔がコラージュされた写真が使われ、中央に「それではいっしょに唄いましょう。」、下に「構造改革は行いますが、解散は致しません。今年9月に10周年を迎えるモーニング娘。です。」というキャッチコピーが添えられた。なお、この広告は同日、日本経済新聞(東日本地区のみ)の朝刊にも掲載された。
2000年7月18日夕刊に掲載された中澤裕子単独インタビューでは、一般紙として初めてモーニング娘。に「国民的アイドル」の表記を使用した(別冊宝島608『モーニング娘。バイブル』〈宝島社〉の調査による)。
2007年3月24日付けの朝日新聞夕刊の中で、1面広告で8枚目のアルバム『SEXY 8 BEAT』の宣伝を行った。

■その他

モーニング娘。は、中学生以下のメンバーの染髪・ピアスを禁止している。中学生時代にピアスを付けていたのは後藤(中2:オーディション時、1999年暮れ)、田中(中1:オーディション時、中3:2005年 - )、吉澤(中3:2000年10月 - )だった。石黒は耳の他、鼻にもピアスをしていた。
2003年6月3日には、神奈川県横浜市と日本演劇興行協会が構造改革特区の1つとして午後10時まで延長する「子役特区」を提案した。鴻池祥肇特区担当大臣(当時)が「モーニング娘。特区」と名付けて実施を目指していたが、坂口力厚生労働大臣(同)は「義務教育を受けるためにも限界がある」と慎重な姿勢を示していた。内閣府で行われた同年9月3日の会談で坂口厚労相が「9時までは認める」と述べたのに対し、鴻池担当相が「それでいいです」と応じたという。これにより、2004年11月16日の労働政策審議会に対する答申にて、2005年1月1日から全国的に演劇などへの13歳未満の子役の出演が従来の午後8時までから午後9時までに延長されることとなった。
モーニング娘。はアメリカ、ヨーロッパ、アジアなど海外にも熱狂的ファンがおり、数十万規模の私設ファンクラブが多数存在する。特にアジア(主に台湾、香港、韓国)ではジャニーズや安室奈美恵など他の日本人アイドルと共に人気が高い(中国語圏での表記は「早安少女組」。この表記については2007年5月20日の『ハロモニ@』で取り上げられた)。2006年7月に卒業メンバーの後藤真希が韓国で同国のファンへのイベントを開催し、11月に同国でライブを開催した。モーニング娘。も同年12月10日の光井加入時に「2007年は結成10周年の年であり、2007年をアジアの中の日本として位置付ける」ことや、翌2007年3月15日に中国人留学生のジュンジュンとリンリンが加入したこともあり、ハロプロ全体でアジア戦略を模索している。その影響を受けて、モーニング娘。のアジア進出が同年10月より具体的に動き出した。
2007年10月26日〜28日、高橋・新垣・久住の3人で韓国を、同月29日〜31日にはメンバー9人全員で台湾をそれぞれ訪問し、10周年ベストアルバムの、両国での公式リリースのプロモーションとして実現した。両国共に多数のメディア取材があり、テレビ・ラジオ出演を果たした。台湾では公式ファンクラブイベントがあり、ファンの前で4曲を披露した。
2008年5月24日に初の台湾公演を行った。これに先立って同年4月16日からの数日間、高橋・田中・ジュンジュンの3人による台湾公演のPR活動を行った。6月1日に初の韓国公演、同月28日には2010年の上海万博に先駆けて行われるコンサート『放歌世博』に日本人アーティストとして初出演した。
2008年4月16日に発売された36thシングル「リゾナント ブルー」は、日本・韓国の同時リリースを実現した。
2000年代後期以降はアジアに留まらず、アメリカ、ヨーロッパにも活動の場を広げている。2009年にロサンゼルスで開催された「Anime Expo」で特別ゲストとしてライブを開催し、ファン8,000人を動員した。2010年にパリで開催された「Japan Expo」では主賓ゲストとして初の有料ライブを開催。ファン4,000人を動員し、現地マスコミから「モーニング娘。こそが日本のアイドル文化の象徴だと思う。歌やダンスの見せ方、ショーのクオリティーは本当に高い。長年のオファーが叶って嬉しい」と評価され、欧米での人気の高さを証明した。
2003年9月にモーニング娘。およびハロプロの選抜メンバーによる芸能人フットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」(現在同チームからのモーニング娘。メンバーはなし)が結成された。2006年1月にはキックベースボールチーム「メトロラビッツH.P.」も結成している(現在活動休止中)。
自衛官募集のポスターでは、起用された人物は自衛官の制服を着用して写るのが通例だったが(細川ふみえや岡田有希子の例)、モーニング娘。はそのポスターに初めて通例が破られる形(自衛官制服非着用)で採用された。
グループ在籍中は男女交際そのものが禁止とされる。2000年には安倍なつみが押尾学の自宅マンションに出入りしたことが写真週刊誌『FOCUS』に掲載され、それを受け事務所が「アイドルの自覚が足りないと注意した」ことが「スポーツ報知」で報じられた。石黒彩もかつて「恋人ができたら解雇だと言われた」と番組で告白したことがある。特にリーダーの地位にある場合は他のメンバーの規範となることが求められ、在任中に恋愛スキャンダルが発覚した3代目リーダーの矢口真里と5代目リーダーの藤本美貴は共に自主的に脱退したとされる。矢口の脱退は、公的には恋愛が理由とはされていない。

■関連項目

ハロー!プロジェクト
アップフロントプロモーション
zetima
シャッフルユニット
ドリームモーニング娘。
つんく♂
シャ乱Q